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1話(その6)

 真琴とは例の健の、おそらくは生涯に最初で最後の彼女の名前である。   

 緊張していた部員たちがいっせいにずっこける。

 「えーっ!もう仕方ないなぁ」

 それとは対照的に満面の笑顔となった健が甘えた声で言う。

 「何?マコタン?どちたのぉ?」

 「おえ、オレ吐き気してきた……」

 基樹が席を離れウォータークーラーへと近寄っていく。

 それと同時に、またしてもめいめいが好き勝手に口を開く。

 「こんな大事なときに……早よ切れ、ボケ!」基樹が切れる。

 「すぐ切るよぉ、あ、いいんだよマコタンは気にしなくて!」健は気にしない。

 「何がマコタンじゃ!スカタンみたいな顔しやがって!」青空が言う。

 「しゅ、主将。笑えないっすー」突っ込む博。

 「うん、すぐ帰るから、待っててねマコタン!」

 「まったく、どうせつまんねえ女なんだろ?早く切れよ」冷淡な純。

 「あ、イチゴ牛乳売り切れなってもた……ホヘー」言うまでもなく敏男。

 「うん、じゃあね。電話ありがと、愛してるよマコタン、チュッ」再び健。

 最後の行動にはさすがに我慢ができなかったのか、水を飲んで戻ってきた基樹がこめかみに膝蹴りを入れた。冗談のレベルではすまない勢いである。

 他の部員たちも、うんうんとうなずく。どうやら同じ思いだったらしい。

 「痛いなぁ、何するんだよぉ、素人なら倒れちゃうとこだよ!」

 「殺すつもりで入れたんや、オレは」

 「ひどいなぁ、平木は……、あ、あれ、もしもし、もしもし、……もう!切れちゃったじゃないかぁ!」

 健が基樹にむくれた顔を向ける。まだ話すつもりでいたらしい。

 「最後に、マコタンから切ってよぉ、そっちから切ってよぉ、とかやる予定だったのに」

 「……今度は眉間にひじ入れられたいか、てめえ?」

 怒りに震えた声で基樹が言う。他の部員たちも拳を握り締めている。

 「わ、分かったよぉ、ひょっとして…みんなボクに妬いてる?」

 「た、頼むからそれ以上言うな。オレたちは人殺しになりたくない……」

 「どういうことだよぉ?」

 と健が間の抜けたことを言いつづけていると、手の中でまたしてもピッチが震えた。


 「あ、マコタンもやっぱり物足りなかったんだぁ」

 部員たちの顔が怒りから哀れみのような表情に変わる。

 もう、勝手にやってろ!という心境なのだろう。

 「もしもーし、マコタン?さっきはごめんね、こちらケンタンでーす!!」


 「お前ら、殺されたいんか?コラーッ!!!」


 文字を画面いっぱいに広げられるものならそうしたい。

 受話器越しに、ラウンジを揺るがすような大声が響いた。

 とたんに立ち上がり背筋を伸ばす五人。健はすでに泡を吹いて息絶えている。

 死後硬直とでも言おうか、固まった手のひらにはまだ電話が握られたままだ。



 恐れていた電話が、最悪な状況でつながってしまったのだ。

 そう、電話口の向こうにいるのは、ここにいる部員たちにとっては世界一怖い存在、蛸山朋美たこやまともみその人に間違いない。

 蛸山の声は相変わらず大音響でラウンジ中に響いている。

 「名月の電話は出たと思ったら切れて、望は話し中、仕方がないから志摩犬にかけたらまたまた話し中、それでも我慢してもう一回かけたら……」

 そこで約3秒の沈黙、それでも蛸山の荒い息遣いは聞こえる。冷や汗で練習中よりも多く発汗する部員たち。

 「何や!!今のザマはぁあああああっ!!!」

 「ひいいいっ、しし、し、失礼しましたぁああ!」

 健の手中にある電話にいっせいに頭を下げる五人。

 「お前ら、次顔合わせたら覚えとけよ!」

 口をパクパクさせて倒れそうになる部員たち。


 そのとき青空がしびれを切らしたように、動けないままでいる健の手のひらから電話を奪い取った。

 「タコ山先輩!!ぜひ、愛のムチ受けさせていただきたく思います!」

 「……望か、お前ぐらいやのお。話がわかるのは」

 他の部員たちに少しだけ生気が戻る。

 がんばれ、主将!!ウソをついてタコ山さんをなだめられるのはお前しかいない!!

 部員たちの胸が、珍しく熱い想いで膨れ上がる。

 「ハイ、先ほどは私の携帯が圏外になっておりまして、大変申し訳なく思っております。失礼しました!!」

 「圏外?話し中の音やったぞ?」

 「は、わ、わ、私の電話はいつでも先輩待ちうけモードです!!」

 主将、わけが分からんぞ!やっぱり、アンタは頼りにならん!

 部員たちの目が怒りに燃える。

 「なんかよう分からんが、今ここで怒ってても仕方ない、今日はちょっと話があるんや」

 「は、ハイ!身に余る光栄であります!で、でひお聞かせいただきたくお願いいたしまするであるます!!」

 も、もう無理するな。主将!!

 ついに涙目になる部員たち。

 「あのな、お前ら、今日で引退やろ?」

 蛸山はあまり気にかけている様子はない。

 「お前らにええニュースがあるんや、リラックスして聞いてくれ」

 どうやら怒りのピークは乗り越えたらしい。

 ようやく部員たちは意識せずに呼吸できるまでに回復した。

 それでも肩が大きく上下している。

 誰もが蛸山の言葉に全神経を集中させている。

 「卒業後の進路は決まったんか?」

 部員たちは顔を見合わせた。


 クラブ活動や課外活動(ナンパや飲み会など)に追われ、時間がなかった彼らは就職活動すらしていなかった。進路など決まっているわけがない。

 ただし、この理由は本来成り立たない。

 彼らと同じようにクラブや遊びに忙しくとも、同時進行で就職活動に励むものなど全国にゴマンといるからだ。

 要するに誰一人として将来のことを真剣に考えてはいなかったということだ。

 「返事が遅いのう」

 「はいっ!!」

 蛸山の何気ない一言に反応し、軍隊顔負けのいい返事を返す部員一同。先ほどまでのだらけた雰囲気を思うとウソのようである。

 「誰か就職決まった奴おるか?」蛸山が続ける。

 「は、自分はまだであります」

 「自分もまだであります」

 「自分もです」「わたくしもです」「で、できれば大学院に……ウヒ」

 青空が電話口でこたえると次々に口を開く部員たち。

 蛸山はその声が聞こえているのかいないのか、マイペースで話を進める。

 「そうか、みんな決まってなかったか」

 そこで蛸山はいったん言葉を切り、押し殺したような笑い声をもらした。

 またしても異常なほどの緊張状態に陥る一同。

 いやな予感がする……。

 誰もがそう感じた瞬間、受話器ごしに一段と大きくなった蛸山の声が響いた。

 「オレがお前らの就職先、決めたろ!!」

 ゴクリ。とつばを飲み込む音のハーモニー。


 「お前ら……プロレスラーになれ!!!」

 「……は?……」

 沈黙。混乱。将来。職業。決定。決定?意志。何処?……何故にプロレス?

 「返事は?」

 「は、はいっ!!」

 と、訳も分からず、条件反射で返事をする6人。

 「そうかそうか、お前らなら喜んでくれると思った。それでな……」

 と、蛸山は満足気な声を出し、今後の予定を一方的に話し出した。

 それは提案ではなく、絶対服従の命令であった。

 部員たちは、逃れられないことを自覚しつつも、他人事のようにその話を聞いていた。

 とにかく今自分たちがすべきことは、蛸山の出す要求の全てに応えていくことだ。

 繰り返すが、これは命令なのだ。

 まだ梅雨のあけぬ六月の終わり。外では突然の雨にやられたランニング中の空手部が仕方なしのラストスパートをかけていた。

 彼らにとって、忘れられない夏が始まろうとしていた…



第2話に続く







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