1話(その3)
携帯の一件が一段落ついたかと思うと、純の正面、反対側の席の真中にいるさらに別の大男が奇声をあげた。
「あああああぁ、名月がしょうもない電話したせいでまたあいつが出てきよる!あいつがああああぁっ!」
と男は叫び終えると頭をたれた。
他の部員たちは、またかと言うように顔を見合わせため息をついた。
今、叫び声をあげてぐったりとなった男は、平木基樹という。
身長は188センチほどもあるのだが、体重が70キロぐらいしかないので長ネギのような印象を受けるだろう。
それでも彼はクラブに対してはかなり熱心なほうで、統制部長というクラブの監視役を勤め、各種の格闘系の大会で必ず上位に食いこむ底力を持っている。
日本酒を飲みながら男の生き様について語るのが大好きで、後輩の面倒見も良い。
顔は少しこわもてだが、どことなく愛嬌のある口元が特徴的で、男前とは言えないが決して悪くはない見た目だ。ちなみに出身は山口県、一浪している。
ここまでは特に問題のない男のように思われるが、基樹には決定的な弱点があった。
それは……。
ここで基樹はムクリと顔を起こした。
その顔つきは先ほど叫び声をあげていた様子と違って、妙に女性的でずるがしこそうな笑みをたたえている。
そして、一言。
「ちょっとぉ、聞いてたわよぉ純ちゃん。あんたいくらなんでもあんな言い方はひどすぎなーい?」
語尾を鼻声で上がり調子で読む、早く言えば典型的なオカマ言葉だ。
「いや、まぁ、オレにも色々あんだよ」
純は目の前にいる変わり果てた基樹から目をそらした。
「色々って何よぉ、アタシに説明してちょうだい!」
と言ってむくれる基樹。もとが大男なだけに気持ち悪いことこの上ない。
「それとなんなのよぉ、あんたたちシャワーも浴びないでボーっとしてぇ、くさいわよぉ、むさいわよぉ、あーっアタシもう耐えられない!」
そう言うと、基樹?は汗をかいた胴着の胸をはだけた。
「ちょっとぉ、じろじろ見ないでよ。敏男ちゃん?」
「あーっもう、うざったいなぁ。オレらは大事な電話待ってんの!」
その言葉をきっかけに他の部員たちも口々に叫ぶ。
「帰ってくれよ、レイコママ」
「帰れよ」
「元に戻れ!」
などと言い方はさまざまだが、今彼らは一様に基樹のことを『レイコママ』と呼んだ。
「何よぉ、またアタシばっかりのけものにしてぇ!」
レイコママと呼ばれた基樹が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「大体、アンタたちの大事な用ってなんなのよ!」
真正面から睨みつけられた純が仕方なく答える。
「…蛸山さんから電話がかかってくるんだよ」
「ええっタコちゃん?久しぶりじゃなーイ?あたしにも話させて、ね?ね?」
その言葉に残る五人はいっせいに鬼のような顔になって声をそろえた。
「絶対、だめ!」
「ケチ、もういいわよ!ふん、二度と出てきてあげないから!」
そうまくし立てると、レイコママ、いや基樹はまたガクリとうなだれた。
「ふう、今日はまだ聞き分けよかったね」
基樹の横で会話に参加せずに笑っていた男がつぶやいた。
彼のことはまだ放っておくとして、まずは基樹である。
どうやらもとの顔つきに戻ったようだ。
「どうやった?また迷惑かけた?」
基樹が心配げにたずねる。
隣に座っている、先ほどの男が高い声で答えた。
「ううん、今日はそうでもなかった」
「お前がえらそうに言うな!何もしてへんやんけ!ムキョー」
お分かりとは思うが、敏男が言った。
「そうか、まあ、良かったわ」
と、基樹は胸をなでおろした。
「良くねえよ、この変態!」
一番からまれていた純は納得がいかないようだ。
「変態って言うな!オレかって好きで二重人格してないんじゃ!」
基樹も負けじと叫びかえす。
そう、すでに気づいた方もいるとは思うが、今基樹自身の口から説明があったとおり、彼は平木基樹の中にもう一つの人格を持っている。
それが先ほど一悶着を起こしたレイコママだ。
彼女、実は彼と言ったほうが正しいのだが、は三十代後半のお笑い系オカマ。その世界ではなかなか名の知れた存在で、二つの店のママをしている(という設定)らしい。
基樹が小学二年生のころ、お盆で遊びに来ていた親戚のお姉ちゃん(19歳・短大生)が、家の裏にある茂みの中で弟のチンチンをいつもとは違う顔つきでいじめている(当時の基樹の印象)現場を目撃してしまい、なぜか泣き出しそうになったその瞬間。
「いいじゃないのぉ、よくある事よぉ」
と言いつつ心に入ってきたのがレイコママだったらしい。
自分の知らない大人の世界の話をたくさん知っているレイコママを妙に気に入った基樹は、それ以来彼女と精神の共有生活を続けているのだ。
不思議なようだが、基樹とつきあった人間は否応無しにそれを信じずにはいられなくなるだろう。
基樹自体この状態に慣れてしまっているようで、特に不便はないという。
ただ、集めていたポケモンのデータを消されていたときや、つきあっている彼女とひとエッチやり終えて眠っている間に現れたらしいレイコママが勝手に二回戦をしたらしく、基樹自身が目覚めたときに彼女から『二回目の、すごく良かったぁ』と言われたときには、レイコママを消し去る方法を本気で考えたらしいが、結局このままが落ち着くようである。
基樹自身はレイコママに特に不満はなく、二重人格者としては清く正しく生きているという、変なプライドを持っているらしい。
ところがレイコママに振り回される基樹の周りには評判が悪い。
純もそのうちの一人だ。
「とにかくもうオレの前には出すなよ!」と、純。
「勝手に出てくるんじゃ!仕方ないやろが」
と二人でまだ言い争っている。
もともとレイコママのことだけではなく、この二人の仲は悪い。
男の生き様を愛する時代遅れタイプの基樹は、格闘技以外のスポーツをすべてチャラチャラしとる!の一言で片づける。サッカーなどはその代表格だ。
一方、純は時代錯誤の根性論を徹底的に嫌っており、おまけに基樹の顔が生理的に嫌いなどと思慮の浅い女子高生のようなことを平気で言ってのける。
結果、二人の間には単純な反感が生まれ、先ほどのようなことになるわけである。
「まあまあ、もうやめなよ二人ともぉ」
と、高い声が純と基樹の間を分けた。第四番目に紹介される男、志摩犬健である。
基樹のとなりで何度か口を挟んできたのだが、声が高いのと妙に弱々しい話し方をするうえに、性格的にもおとなしいので、他の部員から相手にされないことも多い。
かといって存在感がないわけではなく、特に体つきや見た目などは他の部員たちよりもよほど個性がきつい。
身長は175センチと普通なのだが、体重が130キロ以上あるのだ。
おまけに若くして髪の毛が薄く、頭はカッパ状態となっている。
安アパートに下宿しているのだが、健康のことは気にかけないのか食生活はかなり悪いようで、その結果が顔いっぱいのにきびや吹き出物となって現れている。夏場は、そこからさらにおかしな汁まで出てくるのでさながら太ったゾンビである。
入学当初はコンタクトをしていたのだが、合宿中になくしてしまい新しく買う金もないので、今は中学時代に使っていたメガネをかけている。ただ、当時より二倍近く面積の広がった顔にかけているため、メガネが顔面にはりついているような感じになっている。
と、見た目はかなり最悪かも知れない(おまけにワキガという弱みもある)。それでも格闘家としての彼は素晴らしい選手なのである。
専門は柔道で、二回生のころ全日本学生大会の無差別級で優勝を果たしている。
一度極めた競技を長く続けてはいけないという総合格闘部の決まりごとに従い、三回生からはじめたレスリングでも練習試合でオリンピック参加選手の大学生から勝利している。投げ技やグラウンドに関しては、誰もが認めるクラブのナンバー・ワンである。
それでも気が弱いのと、先述の見た目と、おまけに岐阜出身であるというわけの分からない理由から他の部員たちの遊び道具的存在となってしまっているのだった。
幹部になってからは、主務というマネージャー(雑用係)のようなことをしていたのだが、誰一人として健の苦労をねぎらう者はいない。
そんな環境の中でも、健は黙々とクラブのために尽くしてきた。いい奴である。
その働きぶりに神様がご褒美をくれたのか、今年の春、健に生まれて初めて彼女ができた。
そこから健は変わった。
もともと中学時代から毎日五回オナニーをすることを日課としていた彼である。
彼女ができてもそのペースだけは乱れなかった。いやある意味では乱れた、パートナーができたことによりさらに回数が増えたのだ。
彼女の方も健がはじめての男だったということで、何も分からずされるがままになっていたので、今では一日に十回近くセックスするのも普通のことだと思うようになってしまったらしい。
二人とも下宿で、歩いて二分の距離に住んでいるため半分同棲しているような感じになっており、健はクラブを休んでまで野性の本能に従うようになった。
ただ健がクラブをサボるようになったからといって、特に不便は起こらなかったため、部員たち(後輩も含む)はますます健を軽んじているとのことだ。