1話(その2)
さて、たった今イチゴ牛乳を買いに行った男であるが、彼は名を元瀬敏男という。
東京生まれのフランス育ち、生意気にも帰国子女である。
しかし、日本人学校に通っていた小・中学生時代に友達はおらず、日本語でのコミュニケーションもままならないままに高校時代以降を大阪で過ごすことになる。
大阪の水が肌に合ったのか、移り住んだ家の裏がソープ街という環境が良かったのか?敏男は大阪で持ち前のオヤジ魂を開花させ、現在の性格を形成する。
躁鬱病の疑いがかかるほどの気分屋ではあるが、ハイなときにはクラブの後輩(男・ニ回生)を風呂場で本当に犯しかけるような明るさ?を持っている。
指まで入れられたところで、何とか危機を免れた後輩(男・二回生・19歳)は次の日、退部した。
クラブの活動に対してはあまり熱心ではなかったが、相撲部の助っ人として同心館大学を関西一位にしたことがある。パワーには定評がある逸材なのだ。
もともと総合格闘部というのは、人員不足に悩む格闘系クラブの助っ人のためにつくられたようなクラブだった。
そのため最初はサークル的なノリだったのだが、ある男の出現がこのクラブの運命を変えた。
その男もいずれこの話には絡んでくるので、そのときに詳しく説明するとしよう。
さて、元瀬敏男の紹介だったが、もう他に面白いネタはなさそうだ。
しいて言えば、イチゴ牛乳とパンストが好きで、恋愛と政治の話が嫌いという特徴があるぐらいか。それから彼は、何かを言い終えた後に意味不明の奇声をあげることが多いが、少年時代にコミュニケーションがとれなかったことの名残なのだろう。
同心館の中では一番学力のレベルが低いとされる工学部の学生なのだが、本当は頭が良いと言い張っており、卒業後は東大の大学院に本気で進学するつもりでいる。
もちろん他の部員はそんなことは起こりえないと思っているわけだが、一人だけ、敏男を応援するものがいる。
今敏男のとなり、六人掛けテーブルの真中の席で足を組んでビジュアル系さながらのポーズを取っている男がそれだ。
彼の名は名月純。法学部の四回生、一浪、仙台出身。
身長178センチ、72,3キロと筋肉質な割には比較的痩せ型。なかなかの二枚目、ロン毛。
なぜ敏男を応援しているかというと、彼自身、司法試験に受かるという大目標を掲げているからだ。
もっとも純の場合は、本心からではなく、この先も学生を続けたい一心で言っているだけだろう。
司法試験に受かるためにとさえ言えば、郷里の親はいつまでも学費を出しつづけてくれるらしい。地元ではかなりのボンボンだったようだ。
仙台出身だが田舎くささはひとかけらもなく、この六人の中では一番洗練された都会的な感じがする。
話す言葉も標準語で、それなりに機知に富んだことも言う。
総合格闘部員のくせに、得意種目はサッカーとテニスとバスケ、特にサッカーでは高校時代にプロがスカウトに来るほどの活躍をしていたらしい。
なかなかのナイス・ガイに思えるが、それだけで終わるようではこの六人の中には入っていなかっただろう。純にもやはり一癖フタクセ、かなり異常な性癖があるのだ。
それについて話を進めようと思った矢先、純の携帯電話が目覚し時計のような音をたて、重々しいラウンジ内の沈黙を破った。
ところが純はディスプレイを一瞥すると、応答すらせずに電話を切った。
「またか」
誰かがあきれたようにつぶやくと、純は苦笑いを浮かべた。
その表情が消えないうちにまた携帯が音をたてた。
「しつこいな」
と言いながら、電話を切る純。
そしてしばらくしてまたコール。
また出ずに切る純。
そんなことが何度も何度も繰り返された。
他の部員たちは慣れっこになっているのか特に気にした様子もない。
しかしとうとうしびれを切らしたのか、敏男が叫んだ。
「うるさいなぁ、いいかげんに電源切れよ!ウキョーッ!」
純は困ったように答える。
「オレもそうしてえけどさ、あの人から電話かかってくんだろ?」
とたんに他の部員の顔から血の気がひいた。
先程までの気の抜けた6つの顔が一気に緊張で引き締まる。
「……、あ、あの人のことは電話がなる直前まで忘れてよう」
誰かがそう言うと、みんながうなずいた。
どうやら"あの人"からの電話を待っているために、純は携帯の電源を切れないでいるらしい。
あの人とはいったい誰なのか。…ま、そのうち登場するだろう。
今は彼らの言うことに従い忘れておこう。
さて、純の携帯だが、相変わらずいたちごっこを繰り広げている。
いいかげんに疲れたのか、それともボタンを押し間違えたのか、純の携帯からかすかな話し声が聞こえた。泣き声の若い女性のそれのようだ。
仕方なく電話に出る純、にやつきながら様子をうかがう部員たち。
「ハイ、うん、オレ。……、出たくないから出なかっただけだよ。……、だって、お前と話すことなんてねえじゃん。……、うん、話してても面白くない。人生においてこれっぽっちも得にならない」
「相変わらず、ボディーにきくような会話やのう」
誰かがよこやりを入れる。
純はそれに笑顔で答えながら、電話口では真剣な声をキープする。
「あんなのウソに決まってんじゃん。……、だいたいさぁ、お前みたいなのが本気で俺みたいな奴に相手にされると思う?遊んでやっただけでも幸せに思えよな。……、うん、勝手にすりゃいいよ。逆にそっちのほうが、オレのためにも世の中のためにもいいんじゃない?……、どうぞご自由に。じゃあな、二度とかけてくんなよ!」
話し終えると純はけろっとした表情で他のメンバーに言った。
「もう、この女典型的な馬鹿。死ぬとか言ってんの」
「ひ、久しぶりに聞いたな。お前の本音、女に対する……」
慣れているとはいえ、他の部員はさすがに眉をひそめている。
もうお分かりであろうか。
この男、名月純は異様に女グセが悪いのである。
部員たちは彼の名前をもじって、女好き・不純と呼んだりもする。
おまけに純は人の心の痛みをまったく気にしない。
というよりも、人が一番傷つくような会話をするのを楽しんでいるふうもある。
サッカーの試合でも相手が気にしているようなことを耳元でつぶやいてボールを奪うことが多かったらしい。
クラブの練習はマジメに来るほうではなかったが、持ち前の運動神経と要領の良さで、空手、柔道、日本拳法など、最終的に六つの競技で黒帯を取得した。
幹部になってからの役職は会計だったが、集めた部費はすべてナンパの資金となっていったらしい。
とにかく一言で言えば人間的に問題のあるオトコなわけである。
それでも、好きな言葉は誠意と友情と真顔でこたえられる彼は、部員たちから奇妙な尊敬を受けている。