9.ジェニーの目論み
スタインズ侯爵邸を出た馬車は、少し遠回りをしながらダフォード侯爵家へ向かっていた。いよいよ屋敷が近づいてきたので、それまで黙り込んでいたシャーロットは、ようやく心を決め、大きな溜息と共に口を開いた。
「何だか、落ち着かないお屋敷でしたわね。以前伺ったときは、そんなことはなかったと思うのですけど――。侯爵夫妻の態度も、今日は、とても余所余所しく感じましたわ。きっとオーガスタスが、あの屋敷へジェニー嬢を送り込む理由と関係があるのでしょうね?」
シャーロットの視線は、何らかの回答を求めているように思えたが、ジェニーは曖昧に微笑んでおくことにした。
今日の訪問で、ジェニー自身もいろいろと思うところはあったが、それは警備騎士団やジェレミーに伝えるべきことであって、シャーロットには隠しておきたかった。
必要があれば、騎士団長が直接彼女に伝えるはずである。
黙っているジェニーを見て、シャーロットは何かを悟ったように話題を変えた。
「ウフフフッ……、それにしても、あなた、あそこで即興演奏を披露するとは驚きましたわ。なかなかよくできた曲でしたし、侯爵夫妻もたいそう感激して、あなたをエリアル嬢のピアノ教師として採用することを決めたのですから、結果的には間違った選択ではなかったのでしょうけれどね」
「ほかの曲も用意していたのですけど、エリアル嬢が具合を悪くしているとうかがって、彼女に元気を与えるような演奏をしたいと思いました。あちらのお屋敷のお庭が、とても愛らしく彩り豊かだったので、それを音楽で表してみることにしたのです」
「なるほど――。そう言われれば、庭を渡る風や飛び交う蝶の動き、小鳥のさえずりなどが、上手く表現されていましたね。演奏の技術も確かだったし、良い教師を推挙できて、わたくしも嬉しく思いますわ」
シャーロットは、それで満足したようで、ジェニーをダフォード家へ送り届けると、屋敷に立ち寄ることはなく、そのままドゥラブル侯爵邸へ帰っていった。
馬車が出発し最初の角を曲がると、ジェニーは、「はあーっ」といいながら両腕をあげて、思いっきり大きく伸びをした。
それを見たクレアは、ジェニーを引きずるようにして玄関の中へ押し込んだ。
ジェニーは、そのまま自室へ連れて行かれ、着替えさせられ髪型を直された。
いつもの自分に戻ると、再び思いっきり伸びをしたくなったが、腕を上げかけたところで「いけません!」とクレアに叱責され、「はい」と言って腕を下ろした。
「お嬢様は、王宮魔道士団の至宝ジェレミー・ダフォード様の妹君なのですから、お屋敷の外での言動には、もう少し気を配っていただきませんと。世間の目というものがありますから」
「あらクレア、世間の目は、わたしなんか見ていないから大丈夫よ! みんなが注目しているのは、偉大なるお兄様だけよ」
「また、そんなおっしゃり方を――。とにかく、ご自分のお立場をよくお考えになって、はしたない振る舞いはお控えくださいませ。お嬢様は、クレアにとっては『じゃないほう』なんかじゃなくて、唯一無二の大事な『ご主人様』なのですから」
鏡の中に映るクレアが、いつになく悲しげな顔で見つめていることに気づいたジェニーは、ちょっと反省した。またまた、言葉が過ぎたようだ。
ジェニー自身は、兄を羨んでもいないし、自分を卑下してもない。双子だからこそ、互いを尊重しつつも、自分は自分だと思う気持ちは強い。
周囲は、どうもそうは見てくれていないようだが――。
「わかっているわよ、クレア。いつも、心配してくれてありがとう。あなたこそ、わたしにとって唯一無二の大事な『侍女』よ。さあ、着替えもすんだことだし、今日のことをお兄様に報告するわ。お茶の準備をお願いね!」
「承知いたしました、お嬢様!」
笑顔を取り戻し、いそいそと部屋を出て行ったクレアを見送った後、ジェニーは、兄が待つ居間へ向かいながら、どんなふうに話を切り出すか考えた。
ジェニーは、気づいていた――。
ほんの少しだけ開いた音楽室の扉の隙間から、誰かが、彼女の演奏にそっと耳を傾けていたことに――。
玄関で別れの挨拶をしたとき、誰かが、物陰からじっと彼女を見つめていたことに――。
*
「なんだ? 肝心のエリアル嬢には会えずに帰ってきたのかい?」
「ご病気とうかがっては、無理を言うわけにもいかないでしょう? とりあえず、ピアノ教師としての採用は決まって、訪問の目的は達せられたわけだし」
「それはそうだが――。おとなしく引き下がってきたとは、君らしくないね?」
ジェニーの報告を聞いたジェレミーが、ちょっとからかうような口調で言ったので、ジェニーは頬を膨らませて意地悪な兄をにらんだ。
「何もせずに帰ってきたわけではありません――。ちゃんと種は撒いてきたから、次にうかがう頃には、もしかすると芽が出ているかもしれないわ」
「さすがジェニーだ! それで、次はいつになるのかな?」
「来週よ。もちろん、エリアル嬢の体調が良くなっていればだけど――」
来週と聞いたジェレミーは、顎に手を当てながら「うーん」と小さく唸った。
彼は彼で、妹の留守中に、書斎で執事たちの日報や自分の日記を読み返して、スタインズ侯爵家にまつわる様々な出来事について調べていた。
もちろん、ジェニーの「暴走」に備えてだが、そのことは口にしない。
「一週間あるのなら、ちょっとした準備をすることができるな。まずは、少年の素性を明らかにしてみてはどうだろう? グレネルに頼めば、少年の兄夫婦から聞き出したことを教えてくれるはずだ。少年は、庭師の見習いだったのだから、庭師組合にも彼のことを知っている人物がいるかもしれないね」
「わかったわ、お兄様。今日の報告をするために、明日さっそく、王都警備騎士団の詰所を訪ねることにするわ。グレネル様にお時間があるようなら、庭師組合への同行もお願いしてみるわね」
とりあえず自分のするべきことがはっきりして、ジェニーは笑顔になった。
エリアルのピアノ教師に決まったとはいえ、彼女の体調次第では、いつまでもお呼びがかからない可能性もある。
暇をもてあます心配がなくなったことを、ジェニーは素直に喜んだ。
「まあ、グレネルにも、いろいろと個人的な事情があるかもしれないから、無理を言って彼を引きずり回し、困らせたりしてはいけないよ」
ジェレミーは、すっかり機嫌を直した妹に、念のため釘を刺しておくことにした。
アレックスが出入りの商人から聞いた話によると、最近グレネルの実家であるエイヴリング伯爵家では、小規模な茶会や詩のサロンが頻繁に開かれているという。
(いよいよ、グレネルの『お相手探し』が始まったわけだな。家格や立場を考えれば遅いぐらいだが、夫人が本気で乗り出したとなれば存外簡単に決まるかもしれないぞ。とはいえ肝心なのは、グレネルの気持ちなのだが――)
ジェレミーは、すっかり安心して茶菓子を摘まむジェニーを見ながら、女丈夫として名高い母親に詰め寄られ、大きな体を精一杯縮こまらせているグレネルの姿を思い浮かべ、なんとも困り果てた顔をした――。




