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8.スタインズ侯爵邸へ

 グレネルが訪ねてきた二日後、早速ジェニーはスタインズ侯爵邸を訪問することになった。グレネルから届いた書簡によれば、この日は、ジェニーをピアノ教師として推薦したシャーロット・ドゥラブル侯爵夫人が同行し、まずはエリアルと顔合わせをして、互いに演奏を披露するという段取りになっているということだった。


 ジェレミーは、ダフォード侯爵家の名前を出すと向こうが警戒するのではないかと密かに危惧していたが、それについては団長がシャーロットと話し合い、「地方に住むドゥラブル侯爵夫人の遠縁の娘」という立場をジェニーに用意してくれていた。


 たまたま屋敷にいたジェレミーは、ジェニーと一緒に居間でシャーロットを迎えた。

 名家の奥方でありながら、ピアノの名手として社交界での名声も手に入れたシャーロットは、四十近いはずだが美貌は衰える様子もなく、華やかでいて品位を感じさせる貴婦人だった。


「シャーロット・ドゥラブル侯爵夫人、本日は妹ジェニーのために、わざわざ拙宅までお越しくださり、まことにありがとうございます」


「ダフォード侯爵、どうぞお気になさらないで――。オーガスタスとは幼馴染みでね、実は彼が王都警備騎士団の団長となった今でも、家族ぐるみの付き合いが続いておりますの。事情はよくわかりませんけれど、彼から『力を貸して欲しい』と言われたら、断るわけにはいきませんわ。ジェニー嬢とは初対面だし、ピアノの技倆も存じ上げませんけれど、オーガスタスを信じて今回のお役目を引き受けましたのよ」


 ドゥラブル家の馬車でジェニーを迎えに来たシャーロットは、ジェレミーとジェニーに、ちょっと困ったような笑みを浮かべながら、自分が担ぎ出された理由を説明した。


(やっぱり、覚えていらっしゃらないのね。本当は、初対面ではないのだけど……。三年以上前になるかしら? サロンでシャーロット様の演奏を聴かせていただいたことがあるし、そのとき、きちんとご挨拶もしたんだけどな――)


 いつものことだが、少しだけジェニーはがっかりした。

 シャーロットが主催したそのサロンでは、ピアノ演奏の機会を得られた幸運な令嬢たちが、なんとか自分を印象づけようと、派手な衣装や装飾品でおのれを飾り立てていた。

 ジェニーは、演奏することもなかったので、いつも通りの目立たない装いで参加した。

 その結果、挨拶をしても、「その他大勢」の一人として片付けられてしまったらしい。


 その後、簡単な打ち合わせをすませ、ドゥラブル侯爵夫人とジェニー、そして、夫人の侍女のアガサとクレアの四人で馬車に乗り込んだ。

 玄関先まで出てきたアレックスが、深々と頭を下げて馬車を見送った。


 ジェニーは、地方で暮らす侯爵夫人の遠縁の娘に相応しい、形は少し流行遅れだが生地だけは上質なドレスを身にまとっていた。クレアが、今日のために古着屋で値切りまくって手に入れてきた衣装だ。

 何も知らない人々には、ドゥラブル侯爵夫人が、侍女を《《三人も》》連れ歩く、極めて高貴な身分の婦人に見えたことだろう。


(いよいよ、秘密だらけのお屋敷の扉が開くわけね。いったい、何が飛び出してくるのかしら? お兄様には、『不謹慎だぞ!』って叱られそうだけど、わたしはちょっとワクワクしているのよね!)


 そんな胸の内はおくびにも出さず、ジェニーは真剣な表情で、ドゥラブル侯爵夫人が語る「由緒あるスタインズ侯爵家の歩み」に耳を傾けることにした。



 スタインズ侯爵邸は、王宮からほど近い、名門貴族の屋敷が集まる区画にある。

 少し古い造りだが、豪壮な宮殿風の建物は、周囲に建つ今風の小洒落た王都屋敷(タウンハウス)を威圧していた。

 出迎えた執事と共に、四人は屋敷の右側奥にある音楽室へ通された。

 そこは、サロンや茶会にも使われる広々とした部屋で、庭に面した窓からは、明るい陽光が射し込んでいた。


 音楽室には、侯爵夫妻が待っていた。

 ジェニーとシャーロットは、夫妻と丁寧に挨拶を交わした。


「こちらが、わたくしの遠縁の娘ジェシー・オルグレンです。父親は、地方の寄宿学校で音楽教師をしておりますの。ジェシーは、父親の授業の手伝いをしたり、合唱の伴奏を務めたりしています。田舎育ちですので、王都の洗練された生活や芸術に触れる良い機会になればと思い、エリアル嬢のピアノ教師として推挙させていただきました」


「ドゥラブル侯爵夫人、本日は娘エリアルのために、わざわざお運びくださりありがとうございます。あなたがご推挙くださる方であれば、演奏家としても教師としても、並々ならぬ力をお持ちなのでありましょう。期待しております」


 音楽教師の父を持つジェシー・オルグレンという遠縁の女性は実在するが、すでに結婚していて子どもも二人いるので、王都に来ることはないとシャーロットは言っていた。

 とはいえ、スタインズ侯爵がジェニーの演奏に疑問を持てば、いろいろと調べ始めるかもしれない。柔和な笑顔の侯爵から向けられた鋭い視線に、ジェニーは、慎ましく目線を下げながら胸の下で重ねた手に力を込めた。


 スタインズ侯爵夫人は、いかにも名門貴族の奥方らしく、高級だが華美ではないドレスをまとっていた。シャーロットに敬意を払い、髪型や装身具も上品なものを選んでいた。

 挨拶がすむと、ジェニーは、この部屋へ来てからずっと感じていた違和感を口に出さずにはいられなくなった。


「あのう……、本日は、お嬢様――エリアル様は、ご在宅ではないのですか?」


 侯爵夫妻は、一瞬さりげなく目線を合わせたが、当然されるであろうと考えていた質問だったからか、夫人は特に慌てる様子もなく答えた。


「誠に申し訳ありません。実は、エリアルは昨夜から急に熱を出しまして、本日も伏せっておりますの。せっかくご予定を組んでいただいたのにお断りをしても失礼かと思い、エリアル抜きで顔合わせだけさせていただくことにしました。どうぞ、お許しください」


「そういうことでしたの――。ジェシーを採用するかどうか判断されるのは、侯爵ご夫妻ですから、エリアル嬢が無理をして同席される必要はありませんわ。一日も早いご本復をお祈りしております」


「お気遣い、ありがとうございます」


 侯爵夫人とシャーロットは、相手をねぎらうように再び挨拶を交わした。

 二人の少々形式的なやりとりを見ながら、ジェニーは密かに想像を広げた。


(この屋敷では何も起きなかったことになっているから、シャーロット様からの訪問の申し出を断るわけにはいかなかったのだわ。でも、エリアル嬢は、とても人前に出られる状態じゃないってことよね。ひどい心労、あるいは怪我……、いずれにしても、例の少年の事件と関わりがあるのは確かね)


 邸内は心なしかひっそりとしていて、出迎えてくれた執事以外、使用人は誰一人ジェニーたちの前に姿を現さなかった。

 門を閉ざしているわけではないが、外部の人間との接触はできるだけ控えたいという様子がうかがえた。

 シャーロットが、「コホンッ」と小さく咳払いをする声で、ジェニーは我に返った。


「では、さっそくジェシーの演奏をお聴かせいたしましょう――。もし、エリアル嬢のピアノ教師として力不足と感じられましたら、正直にそう申してくださいませ。ええっと、ジェシー、楽譜は持参しなかったのですか?」


「楽譜は必要ありませんわ、シャーロット小母様」


「まあ、そうなの? では、ご挨拶をしてピアノの前へ――」


「はい」


 ジェニーは改めて軽く一礼すると、ピアノの前へ移動した。

 この屋敷のどこかにいるのであろうエリアルに自分の演奏を届けて、彼女を元気づけたいと思った。彼女の心の慰めになるような主題は何だろう、と考えた――。


 椅子に座ると静かに目を閉じ、ジェニーは、廊下から見えたこの屋敷の美しい庭を思い浮かべた。異様なぐらい静かな屋敷の中で、庭の花々だけは、風に揺れ瑞々しく輝いていた。

 あの風景を音楽で表してみよう――そう思った瞬間、まるで花々の間を飛び回る蝶のように、彼女の指先は、いきいきと鍵盤の上で舞い始めた――。


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