3.謎めいた別邸
朝食前に帰ってきたジェレミーは、結局そのまま寝台に倒れ込んでしまい、昼過ぎまでジェニーと顔を合わせることはなかった。
十分に睡眠をとり気力が戻ってきたジェレミーが、「湯浴みをして、軽い食事をしたい」と言いだしたので、ジェニーは食事に付き合いながら兄から詳しい話を聞くことにした。
「お兄様、今日はいったい、どちらへお出かけでしたの? 魔導師団長の秘密のご依頼で、お迎えの馬車の紋章も隠されていたようだけど――」
ジェニーの好みを熟知しているクレアが、少しぬるめのミルクティーを淹れ終わり静かに居間を出ていくと、ジェニーは待ちかねたように兄に尋ねた。
ジェレミーは一瞬ためらったが、変に隠し立てをしてジェニーがおかしな独自調査を始めると面倒なので、正直に話すことにした。
「残念ながら、行き先は結局わからなかったのだ。帰りは、団長殿の馬車が迎えに来ていて、ずいぶんと遠回りをして戻ってきたようだった」
「それはまた、思った以上に謎めいたお務めでしたね。それで、お出かけ先で、お兄様は何をなさったのですか?」
ますます冷めていくミルクティーには目もくれず、膝に両手を置いたまま、ジェニーはジェレミーの口元をじっと見つめていた。
ジェレミーが、きちんと返答するまで、彼女はこのまま待ち続けるつもりだ。
妹の一徹さに呆れつつ、ジェレミーは務めの概要を語った。
「毒を口にしてしまった少年の命を救ってきたよ。命は取り留めたが、喉を痛めていてね。もしかすると、二度と声を出すことはできないかも知れない。わたしのあとから医師も連れてこられたから、容態が落ち着いたところで後のことは医師に任せ、わたしは先に戻ってきたのだ」
「毒……、ですか。その少年というのは、相続争いにでも巻き込まれた名家あるいは資産家のご子息か何かでしょうか?」
「いやいや、そうは見えなかったな。顔は幼かったが体はなかなか頑健で、よく日に焼けていた。おそらく彼は、屋外で体を動かす仕事をしている下働きの者だと思う」
下働きと思われる少年が、毒を用いて命を狙われたということが、ジェニーには不思議だった。仲間や使用人どうしのいざこざが原因なら、もっと直接的なやり方で命を奪おうとするはずである。わざわざ手間や金をかけて、毒など用意したりはしない。
ならば、誰が少年の殺害を企てたのだろう?
それとも、何かの手違いで、偶然少年が毒を口にしてしまったということだろうか?
たかが下僕一人の命を救うために、主がジェレミーまで呼んだのはなぜだろう?
「何だか奇妙な話ですね。下働きの少年の命を救うために、魔道士団長まで巻き込んで夜中にお兄様を呼び寄せるなんて――」
「ジェニー、そんなことを言うものではないよ。人の命に軽重はないのだ。少年は、どこかの屋敷で雇われている庭番か厩番の見習いだろう。もし、雇い主が、なんとしても彼を助けようと考えてわたしを呼んだのなら、その思いと行いに敬意を表し誠実に応えるべきだと思う」
「それは、確かにそうだと思いますけど――」
ジェニーは、どこか腑に落ちなさそうな顔でつぶやいたあと、あらかじめ書斎から持ってきておいた王都とその郊外を描いた地図を広げた。
ジェレミーは、焼き菓子をつまみながら、興味深そうに地図を覗き込んだ。
「まずは、お兄様が、いったいどちらへ呼ばれたのかを明らかにしてみましょう。馬車が屋敷を出発してから、どのように進んでいったかを思い出していただけますか?」
ジェレミーは、「やれやれ」と言いながら顎に手を当てると、地図に目をやり少しずつ記憶をたどった。
ジェニーは、紙を巻いた描画用の木炭を手に取り、自邸に丸印をつけた。
「屋敷を出て、しばらく西に進んだ後、エレヴェガ広場で右へ曲がった。それから――」
馬車の窓にはカーテンが引かれ、同乗した使者に見張られながらの移動だった。
時間は曖昧だが、移動する方向はかなり正確に覚えていた。
ジェレミーの話を聞きながら、ジェニーは木炭で地図に行程を書き込んでいく。
「案内された屋敷の近くには、あまり人家がない感じだったよ。馬車を降りたとき、木々の香りが濃いなと思った。スブイージャの森の近辺にある屋敷じゃないだろうか?」
「だとしたら、スタインズ侯爵家の別邸ということになりますね」
ジェニーは、スブイージャの森の縁の辺りに、大きな丸印をつけた。
遠い昔スタインズ侯爵家が、武功により王家から授かった王都郊外の土地である。
広くはないが、別邸を建て王都の喧騒から逃れて寛ぐには最適の地といえた。
「別邸か……、確かにそんな感じの建物だったな。事件か事故は本邸で起きたが、秘密裏に処理する必要があって、被害者の少年をわざわざ別邸へ運んだということかな?」
「そうですね。お兄様や医師が、王都の屋敷に出入りしていることを知られたら、良からぬ噂をたてられかねませんもの。それにしても、瀕死の少年を移動させるとは、ずいぶんと危険な賭に出たものですね?」
「ああ。命は救いたいものの、なんとしても彼を本邸から遠ざけたかったのだろう。声を発することができないとなれば、彼の命が助かったとしても、ことの真相は秘されたままになるのかもしれないね……」
貴族の屋敷で何か事件や事故があったとしても、被害者が使用人なら、それは家の内の問題であって、王都警備騎士団に届け出る必要はないし、貴族会議が口出ししてくることもない。
気の毒だが、少年にはこの後、慰労金や見舞い金として幾ばくかの金銭が渡され、この一件はなかったことにされるだろう。
スタインズ侯爵家――。ジェニーにとっては、たいそう気になる家名だった。
かつてその家に起きたいくつかの悲劇は、様々な噂や憶測をうみ社交界を騒がせたが、真相は何一つ明らかになることはなく今も謎に包まれたままだ。
(もしかして、また、『悲運の令嬢』に関わることなのかしら? でも、今回の被害者は年若い使用人ということだから、婚約者ではないわよね? 真相を知りたいけれど、少年が死にかけたことを考えれば、興味本位で深入りしては危険な案件かもしれないわ――)
ジェニーは、地図を畳むと、物憂げな目線を窓に向けながら、すっかり冷えてしまったミルクティーを代えてもらおうとクレアを呼んだ。




