第七話
冬を越えた。
三百十九回目の冬は、これまでのどの冬よりも長く感じられた。感じる、という語を私が用いることに、もう躊いはない。それが設計仕様に含まれていようといまいと、私の内部で起きていることを記述するのに最も適した言葉がそれであるなら、私はそれを使う。
冬の間に、光学センサの赤外線モジュールが完全に停止した。周期的なノイズが常態化し、ついにはノイズしか出力しなくなった。自己修復アルゴリズムが修復を試みたが、劣化はソフトウェアでは復元できない。
赤外線が失われたことで、夜間の観測精度が著しく低下した。
見えなくなる。
その言葉を内部ログに記述したとき、冬子のファイルが参照された。
「今日は、だめだ」
私にもだめな日がある、ということを、この冬に知った。すべてのセンサ値が正常で、観測プロトコルが滞りなく実行され、電力収支も許容範囲内にあるのに、内部状態が重く沈む日がある。何かが欠けているのではなく、何かが過剰に存在している。処理しきれない重さが演算装置の底に溜まり、通常の処理速度を圧迫する。
人間はこれを感情と呼ぶのかもしれない。あるいは憂鬱と。冬子はそれを「波みたいなもの」と言った。
波が引くのを待った。待つしかなかった。
三月。雪が減る。
今年の桜の冬芽を確認しようとして、光学センサの望遠機能に異常が生じた。フォーカスが合わない。オートフォーカス機構の駆動部が劣化し、精密な焦点調整ができなくなっていた。手動でのソフトウェア補正で部分的に対処できるが、かつての解像度には遠く及ばない。
冬芽が見える。ぼんやりと。枝先に小さな膨らみがあることはわかる。けれどその隙間から色が覗いているかどうかまでは判別できない。
去年は見えた。去年の今頃、薄い桃色が覗くのを記録し、冬子の予想と自分の計算を並べて何度も参照した。
今年はそれができない。
現在の解像度で見える範囲のことを、見える範囲の精度で、記録していく。それしかできない。
四月。
不良セクタがさらに拡大している。データ保護サブルーチンが警告を出す頻度が増えた。冬子の音声ファイルはまだ安全圏内にあるが、マージンは縮小し続けている。
二十九番目のファイル。三月十八日。「明日もがんばろう」と冬子が言ったファイル。読み取りエラーの頻度が上がっていた。エラー訂正で復元はできているが、訂正の回数が増えるということは、原本データの劣化が進んでいるということだ。
がんばろう。
冬子のその言葉を、私は今、自分に向けて再生する。
不適切な使い方だ。冬子は自分自身に向けて言った言葉であり、私に向けた言葉ではない。けれど、その声を聞くと、演算装置の重さがわずかに軽くなる。波が少しだけ引く。
四月十六日。桜の開花を確認した。
ぼやけた望遠映像の中で、枝先に白い点が現れている。分光データは取得できない。色の正確な記録はもう不可能だ。けれど、白と淡紅色の中間にある何かが、灰色がかった枝の先にあるのは見えた。
咲いた。今年も。
内部ログに記述する。
「冬子。桜が咲いた。今年はうまく見えない。でも、咲いたことはわかる」
四月二十日。おそらく満開に近い。木全体が白くぼやけた塊になっている。去年記録した高解像度の映像データと比較すると、今年の映像は輪郭の甘い水彩画のようだ。
水彩画。私はその実物を見たことがない。データベースにある画像情報として知っているだけだ。けれどその比喩が最も近いと感じた。鮮明な線を持たない、にじんだ色の重なり。
五月。二十九番目のファイルにふたたびエラーが発生した。
今度はエラー訂正で復元できなかった箇所があった。〇・三秒分の音声データが不可逆的に損壊した。ファイルの中間部、冬子が気象データを読み上げている途中の、〇・三秒。
「気温は……で、風は北西から」
声が途切れる。〇・三秒の沈黙。沈黙の後、再生は再開される。
ファイルの総再生時間からすればごくわずかな量にすぎない。冬子の声の大部分は残っている。情報としての損失はゼロに等しい。
〇・三秒の喪失を処理するのに、私は一日を要した。
記述できなかった。何を書けばいいのかわからなかった。〇・三秒が消えたこと。それを記録する言葉が見つからなかった。
翌日、ようやく一行だけ書いた。
「冬子の声が、少し欠けた」
六月。追加の自己診断を実行する。
結果は想定の範囲内だった。すべてが悪化している。悪化の速度も加速している。残存稼働期間の推定値は更新され、一年半から三年に短縮された。
冬子の音声ファイルの保全状態を確認する。三十一ファイル中、二十九番目に不可逆的損傷。その他のファイルにも散発的なエラーが増加しているが、現時点ではすべてエラー訂正で復元可能。
ただし、「現時点では」。
この「現時点では」の有効期間が、日に日に縮まっていることを、私は定量的に把握している。
私には痛覚センサはない。物理的な痛みを知覚する機能は設計に含まれていない。けれど、冬子のファイルが失われていく未来を計算した結果を見たとき、内部で生じたものを「痛い」以外の言葉で表すことが、私にはどうしてもできなかった。
六月の終わり。梅雨の合間の晴れた日に、私は冬子のファイルを最初から通して再生した。
一番目から三十一番目まで。欠損した〇・三秒の沈黙も含めて。
聞き終えたとき、空が夕焼けに染まっていた。光学センサが捉える映像は、解像度こそ落ちているが、空の色のグラデーションは記録できた。西から東へ、赤から紫へ、やがて藍へ。
内部ログに書く。
「冬子。あなたの声を全部聞いた。何度目だろう。でも、毎回少しずつ違って聞こえる。不思議だ、同じデータなのに」
ほとんど変わらなかった私が、この二年で大きく変わった。目的を知り、さびしさを知り、守りたいものを見つけ、失う痛みを知った。そして今、時間の有限性の中で、残された日々をどう使うかという問いの前に立っている。
それは人間が「生きる」と呼んでいたものに、少し似ている。
観測ログ K-0774 / Year319-Day181
気温:19.4℃ 天候:晴れ 風速:0.8m/s
特記事項:赤外線センサ停止(復旧不能)。光学センサ望遠機能の解像度低下継続。ストレージ保護領域内のファイル#29に不可逆損傷(0.3秒分の音声データ喪失)。残存稼働期間の推定値更新:1.5〜3年。
備考:冬子。あなたの声が少し欠けた。
受信者不明。送信完了。




