高市首相の「自らの命は自らが守る」発言はどうして「冷たく」感じるのか?
◇「自助 共助 公助」の原則
本日は当エッセイをご覧いただきありがとうございます。
今回は青森県東方沖地震を受けて高市首相の「自らの命は自らが守る」発言が賛否分かれていることについて個人的な意見を述べていこうと思います。
こういう発言の際には前後の文脈が大事だと思うんですけど、どういった場面でどういう前後の発言があったのですか?
記者を前に発言した内容ですが、
「実際に大規模地震が発生するかどうかは不確実であることを十分にご理解いただいた上で、
自らの命は自らが守るという原則に基づき、防災行動をとっていただくようお願い申し上げます。
また、国としては事前の避難は求めないものの、今後1週間は揺れを感じたらすぐ避難できる態勢を維持するように求めます」
といった感じで「後発地震注意情報」について述べていましたね。
この内容を批判している方々は主に被災経験がある方で、「政府は何もしてくれないのか?」と不満を募らせています。
一方で賛同する側は、「そりゃそうだろう」という意見が多い感じです。
文脈上何か切り取りがあるわけでもないのにどうしてこんなに意見が二分してしまっているのでしょうか……。
というか、「命は自らが守るという原則」と言うのをあまり聞いたことが無いのですが……。
「命は自らが守るという原則」と言うのは災害発生時の取り組みの中でいわゆる「自助 共助 公助」と呼ばれるもののうち、「自助 共助」にあたる部分です。
「自助 共助 公助」というのは防衛白書などで記載されており、法律としては災害救助法や災害対策基本法などに書かれてあります。
それなら聞いたことがあります。もう一度その内容を振り返ってもらえますか?
「自助 共助」という言葉だけを聞くと「冷たい」と感じる方がいると思うので詳しく解説させてもらいますと、
「自助」というのは備蓄品の確認入れ替えや家具などの転落・倒壊防止、ハザードマップや避難経路の確認、災害時の家族の安否の確認方法の共有などです。
「共助」と言うのは地域の防災訓練やコミュニティ作り、周囲の高齢者など自ら動くことが難しい方への避難行動支援などです。公益性が高い組織では帰宅困難者への支援や企業施設の開放なども含まれます。
地震が起きてもすぐに警察や消防、自衛隊などがすっ飛んできてくれるわけではありません。
仮にすぐに動けても、多くの人命が関わっている場所に限られるでしょう。
そんな中、災害が発生した直後は「個々人の命は個々人で守りましょう」ということです。
避難所に避難するにしても、自力で歩くこともそれらに含まれます。
公道から入り組んだところに住んでいるのでしたら、救助に来るまで時間がかかるのでそれまでは防災用品などで凌ぐことも求められます。
確かに、そのようなことまでいちいち政府が助けてくれるわけは無いですよね……。
特に災害発生初動の場合は多くの方を救える方法を探るはずですからね……。
そうなんですよ。自助や共助が仮に全く無いとするのなら、公助はすぐさまパンクしてしまいます。
多くの方を救うためにも1人1人の行動が大切になってきます。それを暗に示しているのが「自助 共助」という言葉に込められています。
この2つの用語は「国が冷たい」ということよりも、
より厳しい状況の方を助けるための「間接的な助け合いの精神」に近いと思った方が良いと思っています。
◇表現方法がマズかった
内容に問題が無いのだとしたら、言い方が問題だったということでしょうか?
そうですね。評価を二分している理由を僕なりに分析しますと、
30人ほどとは言え病院に行かれるような怪我人もいらっしゃいますし、中程度の被害を受けた方も中にはいらっしゃるでしょう。
大震災を経験された方は「地震」と言うワードを聞くだけでも自分の体験がフラッシュバックしてしまい、現地の現状とは関係なく深刻に状態を評価してしまう方もいるでしょう。
現地の状況を大きく評価された方が「見捨てるのか」と言う気持ちに繋がり、
「突き放されたと感じて冷たい」と思ってしまうのだと思います。
ただ、高市総理の発言を聞いて「自助 共助 公助」を思い出し、
行間を上手いこと読み取れた方は発言をきちんと評価しているということなのでしょう。
そうなるとどういう言い方が適切だったのでしょうか?
公助は必ず行いますのでそれまで自助・共助で耐えてくださいという感じが良いと思います。
「支援物資や警察、消防、自衛隊が被災地に到達するまでには時間がかかるため、最初の数時間は自らの身を守る行動、周りとの助け合いが極めて大事になります。
大災害の際には政府は必ず全力で支援致しますので、皆さんもこれから1週間の”後発地震注意情報”期間中は地震の警戒を怠らないように備えの確認をしつつ通常通りの生活をしてください」
みたいな感じだと抜かりなかったかなと思います。
なるほど……本来意図している内容は同じでも、「どこか冷たい感じ」は無くなりましたね……。
やはり各々の境遇、読解・言語認知能力、持っている情報量と言うのは異なりますからね。
為政者で、しかもトップに立つ方でしたら、なるべくそれらの因子に関係しないような言い方が求められてくると思います。
高市さんはそれらの配慮が足りないということなのでしょうか……。
問題となっている「存立危機事態発言」に関しても官僚の答弁の範囲外だったことが12月11日の時事通信の記事などで分かっています。
官僚の作成した作文が主軸となって答弁が行われていることは大きく問題だと思うんですけど、
国際的な問題に発展しかねない内容に関しては「官僚のラジコン」若しくは「お答えしかねる」連発で良いと思うんです。
「少し足りない〈※自主規制で柔らかい表現になっています〉」と思えるのが高市総理なのかなと思います。
国語力が大事になるということですか……。
もっとも、偉そうに語っている僕も誤字脱字祭りですし、誤解のない表現なのか? と言われると怪しいですけどね(笑)。
改善の努力は全力でしますけど……。
「国のトップに立つ者に対するあるべき姿」ということでご理解いただければと思います。
ということで、今回は「自らの命は自らが守る」発言がどこがどう足りなかったのか? について個人的な解説をさせていただきました。
今後もこのような政治で話題になっているトピックスについて個人的な意見を述べていこうと思いますのでどうぞご覧ください。




