第6章:レオン・ド・ラフォールの焦燥
侯爵家の豪奢な応接室。深い赤絨毯と重厚な書棚に囲まれ、レオン・ド・ラフォールは窓辺に立っていた。指先でグラスを揺らすと、琥珀色の液体がわずかに波立つ。瞳には苛立ちと焦燥が混ざり、室内の空気を凍らせていた。
「……なんでだ、あんな女が……」
思い浮かぶのは、ルミナ・ベルフォートの姿。かつては、魔道具に熱中する変わり者の伯爵令嬢など、従順で手のかからない女だと思っていた。しかし今は違う。辺境伯領で銀髪の魔導姫として名を轟かせ、冒険者たちの注目を集めているという噂が耳に入ったのだ。
だが、今日の彼の苛立ちの中心はもう一人――アイリーン・ヘイデン侯爵令嬢。かつて婚約破棄の理由として選んだ相手だ。
「はぁ……完璧な選択だったはずなのに……」
愛らしい顔立ち、華奢な体、従順さ。男を立てることを心得ており、外見はルミナより格上に見える。
だが昨晩、彼女の本性を目撃してしまった。
侯爵家の廊下。偶然目に入った光景――アイリーンはお気に入りの従者と密やかに笑い合い、手を取り合って戯れていたのだ。社交界の顔とは違い、自由奔放でわがままな笑み。従者は顔を赤らめながらも、彼女の言葉に翻弄されている。
「……なんだこれは……」
拳を握りしめる。かつて「完璧」と信じていた幻想が、音もなく崩れ落ちた。愛らしさの裏に潜む性格の悪さ、他者を弄ぶ快楽、自由奔放すぎる振る舞い。すべてが、レオンの苛立ちと嫌気を加速させる。
「……ルミナだったら……あんなことはしない……」
昨晩まで見下していたルミナの顔が、脳裏に浮かぶ。銀髪、緑の瞳、魔道具と魔法を自在に操る天才の瞳。自由で、誠実で、誰にも媚びない――そして、冒険者としても強い。
「……くそ……俺が捨てた女が……」
手元の書類を乱暴に投げつける。紙は床に散らばり、応接室の静寂を裂いた。
額に汗が伝い、胸の奥の焦燥感が渦を巻く。ルミナの存在が、彼の心を強く掻き乱す。
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侯爵家の従者が駆け込んでくる。息を切らし、震える声で告げる。
「坊っちゃん、ギルドで『光羽の魔導姫』と呼ばれる銀髪の女性が活躍しています。冒険者たちの間でも話題になっています」
レオンは目を見開き、グラスを握りしめる。
「……光羽の魔導姫……あいつが……こんなに……」
胸の奥で怒りと嫉妬、焦りが渦を巻く。ルミナはもう、自分の手中にはない。
そして、その隣には、辺境伯の次男――カイル・アッシュフィールドがいるらしい。
「……あんな筋肉馬鹿に、俺の女が……寄り添っているだと……!?」
思わず膝をつき、冷たい床に拳を打ちつける。胸中の独占欲が、理性を押しのけそうになる。だが、冷静なはずの侯爵家の跡取りの理性も、今は空回りするだけだった。
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レオンの脳裏に浮かぶのは、かつてルミナに魔道具を相談した日のこと。
『この魔力安定器……符号が逆です』
『だから爆発したんですよ、レオン様』
『は? おま……ッ』
『次は耳栓をして実験されると安全です』
あの時、ルミナは怒りも笑いもなく、淡々と事実だけを述べた。それが――今や、彼の焦燥を倍増させていた。
「……伯爵令嬢が、俺よりも優秀だと……?」
目の前が熱を帯びる。プライドが、焦りが、手の届かないルミナへの執着に変わる。
アイリーンの自由奔放さに嫌気が差した一方で、ルミナの才能は、己の手の届かない輝きとして増幅されていた。
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深夜、書斎の窓から差す月光。レオンは庭に出て、石畳に座り込む。
冷たい夜風が肌を撫で、胸の高鳴りを抑えきれない。
「……絶対に、俺のものにする……誰にも渡さない……!」
その誓いは、恋心ではなく、所有欲と嫉妬から生まれたものだった。ルミナの活躍の報告が次々と従者から届くたびに、彼の焦燥感は増すばかりだ。
侯爵家の重厚な夜の中、レオンは拳を握りしめ、深く息をついた。
ルミナは、すでにギルドで冒険者たちの注目を集め、自由に生きている。
アイリーンのわがままも、ルミナの才能の前では取るに足らないものに過ぎない。
「……俺が手放した女が、こんなにも強く、自由に……!」
夜風に揺れる銀髪の魔導姫の幻影を思い浮かべながら、侯爵家の嫡男は己の焦燥と独占欲に苦しむ。
どれだけ足掻こうとも、現実は非情にルミナの味方だった。




