序段 --- 霧崎菖蒲①
コツン、と少女の頭部にペットボトルが命中した。
彼女は目を醒まし、すぐさまペットボトルを投げ返して威嚇する。
「アンタ、殺されたいの?」
「仮眠って言ったくせに、昼過ぎまで起きねえからだろうが!?」
少女は不機嫌そうにソファから起き上がった。
ここは昨晩の鬼ごっこの最終地点、幽霊マンションの敷地内にあるプレハブ小屋だ。
本来は作業員用の用務室だったはずだが、建設会社がマンションごと放置したあと、不良少年のたまり場や秘密基地になっていたらしい。ペットボトルのゴミや成年誌、ポリタンクやパイプ椅子など雑多な資材が転がっていた。
雨風が凌げるだけのハリボテで、とても生活できるほどの設備ではないが、冬場での野宿と比べたら格段に良い環境だった。
少女は革がひび割れたソファ、少年は床に敷いた埃臭い毛布の上で仮眠を取った。
「わたし、こんなひどい場所で寝たの初めて。最悪の目覚め」
「オレだって右手と机を手錠で繋がれたまま寝るのは初めてだったけどね!!」
「寝起きにうるさい」
少女は日本刀を手に取り、鞘から刀身を抜く。
「本当にすいませんでした」
刃が見えた瞬間に、少年は土下座で誠意を示した。
◇◆◇◆◇
「まさかこんなことになっているとは……」
永輔は少女から借りたスマートフォンの画面を見て驚愕した。
そこに映っていたのは、根倉地区の廃工場跡で喧嘩をする4人の姿。
喧嘩相手の不良3人が次々と殴り倒されていく。
「血十字殺人の続報で、廃工場で2人の被害者が出たってニュースのあと、この動画がSNSにアップされた。そこから死体になってないアンタと桑島の顔と名前が拡散されて、一躍時の人ってわけ」
「うわ~見ろよこの渾身のアッパーカット。桑島のヤロウちょっと浮いてない?」
「そうね。そうやって一方的に相手をボコボコにしたアンタの方が、容疑者の最有力候補よ」
俺だってかなり殴られたのに……と永輔は口をとがらせる。
「なるほど、お前が俺を狙う理由は分かった。でも俺はこの喧嘩のあとすぐにこの場所を離れたんだ。殺しなんてやってない!」
力強く主張した永輔の顔の真横に、日本刀が突き刺さった。
「犯人は決まってそう言うの……アンタの主張は何の意味もないわ」
薄いプレハブの壁を貫通し、空いた孔から冷たい風が吹き込む。
怖すぎるよぉ、と永輔は涙目で震えていた。
「あとお前って言うのやめて。名前あるから」
少女は学生証を取り出して、永輔の腹部に投げつけた。
そこに書いてあったのは隣の市にある南薙中学校と、『霧崎菖蒲』という名前だった。
「日没までの命で、何度呼ぶ機会があるかは知らないけど」
「……はっ、そうだ! 理屈はわかんねえけど、夜までは待ってくれるんだよな?」
菖蒲は小さく頷いた。
少年は身を乗り出す。
「じゃあオレが真犯人を見つけるよ! それでお前、じゃなくて菖蒲はそいつをぶっ殺せばいいだろ!」
「被害者が6人も出て、警察が総出で5日間かけても見つかっていない。唯一の手がかりであるSNSの情報からアンタを見つけた……この数時間で何が出来るっていうの?」
正論を突き付けられて、永輔は言葉に詰まった。
「確かに……そもそもおでん屋のおっさんに言われるまで血十字殺人なんて知らなかったけど……」
「じゃあ探すフリして逃げる気ね」
再び少女の手が日本刀の柄へと伸びる。
「うわぁあ待った待った! 俺は知らないけど、情報通には心当たりがある! そいつのところまで行けば、絶対に犯人に繋がるヒントが出てくるはずだから!」
「……絶対、という言葉は、軽々しく使わない方がいいと思うけど」
「頼む、信じてくれ」
「……いいよ。どうせ日が暮れるまで待つつもりだったから。ただし」
菖蒲は手錠の鍵を取り出して、机につないでいた方を解いた。
そしてそのまま自分の腕に手錠をかける。二人の腕が片方ずつ、手錠に繋がれた。
「逃げる隙は与えないから」
「ははは……」
永輔は乾いた笑いで応えるしかなった。
◇◆◇◆◇
駅前の通りは冬の寒さにも負けず人ごみで賑わっていた。
ジャージ姿の青年と、竹刀ケースを背負った制服姿の女子学生が並んで歩く。
「目立つって、この手錠」
「アンタが騒がなければ誰も見ない」
永輔は大きくため息をついた。この少女は自分の意見を聞き入れることはないと諦めたようだ。
それでも二人の腕をつなぐ手錠が擦れて音を鳴らすたび、彼の緊張は増していく。
道行く先に現れたアパレルの店舗が目に入り、永輔は何かを思いついたように声を上げた。
「頼む、寄り道させてくれ」
大衆的なアパレルの店舗では冬物のセールが始まっており、彼はなるべく人目につかない様に足早に店舗内を物色して、目当てのダウンジャケットを手に取った。
そのままレジへと向かい、会計を進める。
すぐ着ると伝えると店員は商品タグを取り外してジャケットを手渡してくれた。
受け取るときに、二人の間で手錠の擦れる音が鳴り、店員の視線が吸い寄せられる。
「……えっと、目立ちますよねぇこれ! だからやめようっていたのにさぁ。連れがカップルの間で流行ってるから~とかワガママ痛っ」
即座に肘鉄がわき腹に叩き込まれ、永輔の言葉が途切れる。
「カップルじゃないです」
菖蒲は訂正をしながらダウンジャケットを受け取った。
店外に出ると、永輔は腹を押さえながら抗議する。
「おい! あんなこと言ったら余計に事件性を疑われるだろうが!!」
「わたしにだって彼氏を選ぶ権利くらいある! 何で容疑者なんかと」
「あーもーうるせえ。こっちだって手錠をかけられない権利を我慢してんのに」
文句を言いながらジャケットを奪って広げると、それを菖蒲の肩にかけた。
菖蒲は意外だったのか、目を丸くして静かになる。
「これで手元を少し隠せる。さっきよりマシだろ」
「……なんでわたしに? アンタが買ったんだから、アンタが着ればいい」
「俺はジャージが好きなんだよ。そんで菖蒲は制服だけでちょっと寒そうだろ」
そう言われて、たしかに寒さを感じていた菖蒲は押し黙った。
無骨でかわいげのないオーバーサイズのダウンジャケットだが、中綿が厚く温もりがある。
ショート丈のボーイッシュなアウターだと思えば、制服にも似合っているかもしれない。
菖蒲の沈黙を満足と受け取った永輔は安堵した。
「ほら、せっかく買ったんだから袖まで通せよ」
「それはムリ。手錠は一度も外さないわ」
「今更逃げないから安心しろって」
菖蒲は疑い深い視線を向けながら、しぶしぶ鍵を取り出した。
「……じゃあ、おすわり」
命令された理由は分からないままに、永輔は丁寧なヤンキー座りでしゃがみこんだ。
手錠の鍵が外され、少女の手から足へと付け替えられる。
自由になった腕に袖を通して、菖蒲はダウンジャケットを着用した。
少女は一瞬だけ満足そうな表情を見せた。永輔が出会ってから初めての怒っていない顔だ。その表情のまま目が合うと、気恥ずかしさからか顔を逸らし、菖蒲は逃げるように歩き出した。
「いくよエースケ」
当然、足と手が繋がっているので、永輔は四足歩行で引きずられるようにアスファルトを這った。
「うおおい! バカアホアヤメ! さっきよりめちゃくちゃ目立ってる!! 手が冷たぁああい!!!」




