起段 --- 八武崎礼②
――誰?
殺人事件の現場に乗り込んできた場違いな女に対して、きっと現場の誰もがそう思ったに違いなかった。
しかし、全員動くことは出来ない。口を出すことも出来ない。
その女性の動きは、まるでここに自分がいることが当たり前であるかのような振る舞いだった。
自信に満ち溢れた顔。
咎める方が間違っているのではないかと、そう、思わせてしまうような“正しさ”を彼女は身にまとっていた。
「なんだ、お前か……ったく、パトカーをタクシー代わりに使うんじゃねぇって言ったろ」
大鋸屋警部が頭を抱えながら呟いた。
「ん、久しぶりね。大鋸屋のオジ様」
「おいおい冗談じゃないぜ……確かに、それらしい事件だとは思ってたが……」
「警部、どなたですかこの方は」
耐えきれなくなって口を開く。
警部が彼女をつまみ出さないということは、捜査関係者だろうか。
「えーっとだな、コイツはその……何て言ったらいいんだろうな」
バツが悪そうに言い渋る警部。その横をするりと抜けていく影があった。
「あっ、ちょっと待ちなさいあなた!」
行き止まりまでたどり着いた女性は、勢いよくビニールシートを剥いだ。
剥き出しになる死体。
青から赤への急転換。
白日の下に晒される血と肉片。
「ふむふむ。なるほどなるほど。こりゃ微妙ね。まだ何とも言えないわ」
「止めなさい!!」
後ろから女性の肩を掴む。
「何なんですか、あなた。部外者ならすぐに出てって。ここは関係者以外立ち入り禁止です」
言葉に怒気がこもる。
彼女がどういう事情があって死体を確認したのか知らない。
ただ、その扱いはあんまりだ。手も合わせず見下すような視線。そんなのは死者への冒涜と変わらない。
「ふーん……ねえ、肩。離してくれない?」
トントン、と二度人差し指が触れて、それでようやく私は力いっぱい女性の肩を掴んでいたことに気付いた。
慌てて手を引く。
一瞬申し訳ない気持ちになった。が、それも彼女の顔を見てわからなくなった。
嬉しそうな表情と恍惚とした瞳がこちらを見つめていた。
ゾッとする。
何だこの女は。一体何のつもりなんだ。
跳ね上がった警戒心が、私の身体を無意識に一歩後退させたその時。
ついさっき聞いたばかりの、嗚咽。
笑みを浮かべる麗人の背後には、赤色がまだ晒され続けていた。
「あぉあおい!! もうせっかく片づけたのに馬鹿野郎日元!!!」
「ご、ごめんなざい……うぉぇ……」
再び仏さんを直視した日元先輩が吐いたらしい。つくづく根性のない男だ。
「大丈夫この人? 立派な見てくれのくせにしょーもないのね。それに比べて……」
女性がこちらへと目を向けた。また、嬉しそうな笑み。
「もういい日元、お前は下がってろ……!」
ぐちゃぐちゃな顔の先輩は同僚に肩を抱えられながら現場から消えた。残った人員が片づけをさせられている。気の毒に。
「はぁ……見苦しいところをすまんな、魅世」
「まったくよ。まさか警官が現場を荒らす場面に遭遇するとは思いもしなかったわ」
親しげに話す2人。
いい加減、我慢の限界だった
「大鋸屋警部、何のつもりですか? この女性は誰なんですか? 捜査に関係のない人物なら今すぐ退去させてください!」
「おおぅ、怒るなよ八武崎。こいつはだな、警察ではないんだが関係者とは言える立場で……」
「オジ様。悪いけどこの事件、介入させてもらうわよ」
「……ああ、わかってるよ」
話が読めない。
「事件に関する情報の一切を開示する。今までの分は署に戻ったら送らせよう。新しい情報も全部流す。それでいいんだろ」
「うんうん。流石、わかってるわねオジ様。でもなー、既に4件と被害者が5人でしょ? ちょっと面倒なのよね。自分で資料見るの」
全く話についていけないが、それでも、聞き捨てならない部分がいくつもあった。
「待ってください警部。どういうことですか! 情報を流すって、自分が何を言っているかわかってるんですか……!!」
上司であるはずの警部を睨みつける。
警察官は職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。当然の守秘義務だ。更に、犯人が見つかっていない調査中の事件の情報を外部に漏らしたら、マスコミや市民が騒ぎ立てることで捜査に悪影響を及ぼしかねない。
「絶対容認できません」
「ふふーん。ねぇこの娘、さっきから活きが良いわよね」
背後から肩に手を置かれる。馴れあいたい気分ではない。不快だ。
「あなたは引っ込んでてくださっ……!?」
むにっと、頬に当たる感触があった。
振り向いた私の頬に、麗人の人差し指が沈み込んだ。
こっちは真剣な話をしているというのに、子供の遊びで水を差された。
私の顔は耳まで真っ赤になっていたことだろう。
「あなた、人を馬鹿にするのも大概に……!!」
「アハハッハハ、もう、フフ、想像以上よ。今時珍しいくらいに義に厚いというか、正義漢……いや、女だから、女傑とでも言おうかしら? こういう真っすぐ過ぎるのは好みよ。よっし、決めた!」
盛大に笑ったあと、勝手に納得した様子の女性は突如私の両肩を掴んだ。
真正面から目が合う。
「気に入ったわ。貴女、アタシに付き合いなさい!」
彼女の瞳は新しい玩具を見つけた子供のように爛々と輝いていた。
悔しいことに、その貌の造りは文句のつけようがなく整っており、美しさに当てられて断るという選択肢が僅かに霞む。
だがそれに負けないくらい、私の感情の大部分は怒りが占めていた。
全く持ってわけがわからない。
付き合う? 果たしてそれがどういう意味なのか。
そもそもこんなふざけた人に割く時間はない。私はついさっき覚悟したばかりなんだ。事件解決のために、一刻も早く動き出したい。
その手を払いのけたところで、大鋸屋警部が慌てて割り込んできた。
「おい、待て魅世! そこまでの勝手は……」
いつも泰然とした警部に似合わぬ焦りぶりだった。
「この娘、事件が解決するまで、所轄警察とのパイプ役、私の秘書として借りるわね」
彼女の口ぶりは、まるで一国の女王のように自分勝手で、同時に有無を言わさぬ力を感じさせた。
警部は反論もせず、ただ歯噛みして視線を落とした。
「そんなに怖い顔しないの。きっと悪いようにはしないわ」
力無くうなだれた警部の姿なんてものは、端波署に刑事として仕官してからここ5年で、初めてみるものだった。
「クソ……すまんが、八武崎。お前はこの事件が終わるまで、署員や捜査本部とは別行動だ。その女についてってくれ」
予想外の宣告だった。
「なっ!? は、話が読めません大鋸屋警部! どういうことなんですか、私は、捜査を」
ぶつかりそうな勢いで食い掛かる。
あまりにも理解が追い付かず、このままだと警部の喉笛に噛みついてしまいそうなほど錯乱している。
「こっちの捜査は他の人員で埋めるし、お前も経過報告は見られるはずだ。ああ、心配するな、ちゃんと給料は出る」
「話はまとまったみたいね! それじゃあ早速行きましょうか。そうね、まずは血十字の事件現場を一通り見させてもらおうかしら」
まとまってなどいない。
納得行くことなんてどこにもない!!
というのに、大鋸屋警部に詰め寄る私の首の後ろを掴んで、女性は歩き出してしまった。
首が閉まるが、そんなことは些細な問題である。
「ちょ……ちょっと……! 警部、警部!! 私はこの捜査に命を懸けるつもりで……!!」
「はいはい、いいから行くわよー。ほら、パトカーの運転よろしく」
現場が遠ざかっていく。
両手を合わせ、申し訳なさそうな大鋸屋警部の表情。
困惑しながらも、憐みの視線を向けてくる同僚たち。
刑事課に配属となって苦節5年。
ようやく半人前から抜け出して、一世一代の猟奇殺人に出くわし、捜査も本腰というところで。
私は、サイコキラーよりも厄介かもしれないひとりの女性に、半ば拉致されるようにして現場を後にしたのだった。




