結段 --- 香坂明②
「久しぶりだね。愛しのシスターテレーズ。会えて嬉しいよ」
見慣れない装いに身を包んでいたのは、偽名で飛行機に乗り込んだ香坂明だった。
テレーズは呆れたように息を吐いたあと、喜びを隠しきれずに微笑んだ。
「本当に……この1ヶ月何をしていたんですか?」
「情報屋稼業で揉めてねぇ……しばらく監禁されてたんだ。結局追放だけじゃ収まらなくて、棟梁に許してもらう条件として、せっかく平井神父から巻き上げたお金も全部持ってかれたよ」
彼には彼なりの事情があったとわかり、テレーズは安堵した。彼女の脳内では死亡という最悪のケースも想定されていた。
「ところでどうこの服、似合ってる?」
「私ですら任務外では私服ですよ。目立つので」
「だよね! 初めて見たけどそのワンピース、似合い過ぎてて驚いてる。ますます好きになるよ」
相変わらずぐいぐい来る明のペースに押し切られそうになる。テレーズは負けじと語気を強めて話すべき話題を持ち出した。
「あ、あの! アキラには言いたいことがたくさん溜まっていたのですが!!」
「へぇ、考えてたんだね。僕のこと」
突如情熱的な視線が彼女を捉えた。
「う……」
予想外の反応でまたテレーズは言い淀んでしまう。もはやこうなった明はどんな言葉を投げかけても勝手に喜ぶのではないかとすら錯覚する。
しかし、流石の明でもあの事件と自分の罪科については無視できないとわかっていたようだ。
「わかってるよ。“眠りの魔女”の音声の件、詰ってくれていい。その覚悟くらいはしてきた」
明の真剣な表情を見て、彼女は準備していたはずの説教が思い出せなくなっていた。それよりも先に彼に伝えるべき言葉があると直感した。
「……その手段のせいで手離しに称賛できませんが、あの騒動を穏便に済ませた本当の立役者は貴方だった。アキラは埋芽市にとっての英雄と言っても差し支えありません」
「それは、テレーズの感想?」
同じひじ掛けに手が重なる。明の手は少し不安そうに震えていた。
「……そうです」
「じゃあもっと褒めてよ。君に褒めて貰いたくてそうしたんだ」
香坂明はずっとテレーズに本心を伝えていた。しかしこの言葉だけは、彼の弱ささえも含まれた本音だと感じられた。
だからこそ、彼女はそれを無下してはいけないと思った。
彼は住人を救ったことも、英雄だという事実にも興味はないだろう。だから、伝えるべき言葉はテレーズ個人の感謝であるべきだった。
「アキラ、私のこと助けてくれて、ありがとうございました。貴方のおかげで私は弱者を救うという信念を貫いて、こうやって無事に任務をやり遂げられた。本当に感謝していますよ」
明は背もたれに全体重を預けて天を仰ぎ見た。
テレーズの言葉を何度も脳内で反芻してその残響が聞こえなくなるまで30秒ほどの沈黙を楽しんだ後、ぼそりと一言こぼした。
「全部、報われた」
飛行機が離陸してからしばらく、彼らは事の顛末を整理するのに言葉を交わした
その時間はたっぷり2時間はあっただろう。
それは彼らがこれまで顔を合わせて会話した時間よりも長く、香坂明にとって最愛の女性とすぐ隣で語らいあうこの上ない至福の時間だった。
テレーズにとってもずっと胸につかえていた心残りが解消され、自然な笑みがこぼれるまでになっていた。
談笑が途切れた頃に、テレーズはふとこの状況に気づいた。
「ところでアキラ、この飛行機はローマ行の便なのですが……」
「うん、一緒に行くよ。バチカンまで。だからこの格好だし」
明は再度神父服を見せびらかした。
唖然とした表情でテレーズは続ける。
「何の、目的で……?」
明はしばらく思案したあと、意を決して発言した。
「僕はテレーズをただの女の子にしたいんだ」
「言っている意味がわかりません」
「魔女狩りを止めろって言っても聞かないでしょう?」
「ええ、私の使命ですから」
「僕には神様から一方的に押し付けられた理不尽なギフトに見える。君の人生の可能性を奪っている」
その言葉にテレーズの表情が険しくなる。
「わかってるよ。君には侮辱に聞こえるだろうし、説得は不可能だってね。だからこう考えたんだ」
「――使命を完遂すればいい。魔女を根絶しよう」
テレーズは表情を変えずにまばたきをした。
「……アキラがそんな夢物語を言うタイプだとは思いませんでした」
彼はその意見に同意する。
「嬉しいことにその評価は合ってる。地に足をつけるところから、全ての計画は始まるからね。監禁から解放されてこの飛行機に乗り込むまでの猶予期間で、僕は魔女に関する記録を洗いざらい調べ尽くした」
明は自分のスマホにデータを移し替えた魔女の記録を表示した。
「貴女が当然のように『神からの呪い(アナテマ)』の機密にアクセスしていることは、“眠りの魔女”の呪い漏洩で判明済みですので一旦スルーします」
「ありがと。話が早くて助かるよ」
明はスマホの操作を続けて、過去の記録へと遡りながら話す。
「魔女狩りの組織は中世で一度途絶えている。理由は単純、魔女を根絶したと判断したからだ」
一般的な記録にある魔女裁判の最期の記録はヨーロッパ最後の魔女と呼ばれた「アンナ・ゲルディ事件」1782年だ。大半の異端審問は科学の台頭と人権意識の醸成により 18世紀半ばにはその役目を終えている。
スマホに映し出された魔女の記録は、2001年8月とあった。
「でも2,000年代に入ってから新しくまた魔女が現れ始めた。根絶出来てなかったと教会は考えて、君たち『神からの呪い(アナテマ)』を秘密裏に組織し、魔女狩りを再開させた」
テレーズでも良く知っていることだ。彼女が物心ついたときには既に『神からの呪い(アナテマ)』は人々を守るために魔女と戦いを始めていた。テレーズにとっては生まれた時から変わらない宿命であり、それは中世から続く魔女との因縁だと考えていた。
「なぜ中世の魔女と現代の魔女が同じ存在だと断言できる?」
思いもよらない角度からの指摘に、テレーズは言葉を失った。
「別物、なんてこと……あり得るのですか?」
「君にわかりやすく伝えるなら……バチカンが魔女を200~300年見逃してたことの方が不自然じゃないか?」
テレーズは教皇庁や『神からの呪い(アナテマ)』は如何に徹底的に魔女を廃絶すべく奮闘しているかを良く知っている。歴史的に見ても、同僚たちの姿を見ても、それは疑う余地がない。明の指摘がにわかに現実味を帯びてくる。
「僕が探れる範囲の記録では、2000年代前半の枢機卿には魔女を区別して『現代魔女』と呼ぶ人物もいた。けれど彼はすぐに聖職剥奪により立場を追われ、現在では不正な資金運用の罪で幽閉されている。本来なら大事件だが、ほとんど取り上げられていない。秘密裏に処理されるときは決まって、秘密組織が絡んでる」
テレーズにとって秘密組織の心当たりはひとつしかない。
「まさか、『神からの呪い(アナテマ)』がその枢機卿を……」
「幸い死亡記録は無かった。バチカンについたらまずはその枢機卿に会いにいこうかな」
「待ってください。『神からの呪い(アナテマ)』や聖十字教会を疑っているんですか!?」
「もちろんだよ。魔女は18世紀に一度根絶した。だから、2,000年代に入って見つかったのは、新種だ。これが公になると、マズイ連中がいるんだろうね」
思考が追い付かずにテレーズは歯噛みする。まさか自分の所属する組織を疑うことになるとは思ってもいなかった。
「……アキラの常識にとらわれないその思考は、尊敬に値しますね。確かにその推理は確かめる必要があります。でも! 貴方がバチカンにいけば、眠りの魔女の呪いの濫用で確実に捕えられます。弁明の余地はない」
彼女は逡巡していた。アキラは現在聖十字教会にとって要注意人物だ。それこそ件の枢機卿と同じく、強制的に捕えられてもおかしくない。いくら恩義があろうとも、テレーズは立場上、アキラを守ることはできない。
だが、そんな心配をよそに明はあっけらかんと笑った。
「大丈夫だよ。お土産はちゃんと用意してある」
スマホの画面がスクロールして、そこには最新の魔女の記録が映し出されていた。テレーズですら見覚えのない未発見の魔女の調査結果が並ぶ。
・推定:健常の魔女 入所すると障害児が発覚する孤児院/ルーマニア モルドベアヌ山中
・推定:弔問の魔女 世界を股にかける葬儀屋/現在アメリカ西部沿岸移動中
・推定:雛形の魔女 20年間人口の変わらない町/モロッコ テトゥアン
そのすべての調査票の編集者名には『Shintaro Shikina』と記載があった。
「僕を誰だと思ってるの? 埋芽市で一番の情報屋、識名新太郎だよ」
元、だけどねと彼は最後に付け加えた。
彼は『神からの呪い(アナテマ)』の魔女調査記録に勝手にアクセスしたうえで、過去の記録から魔女の出現の予兆パターンを分析し、それを全世界の不可思議な現象に当てはめて聖十字教会がまだ発見していなかった魔女を3体も見つけ出したのだ。そして既にその調査票を勝手にアップロードしている。
おそらく『神からの呪い(アナテマ)』側では不正アクセスにより判明した新しい魔女の存在に混乱していることだろう。
テレーズは頭を抱える。だけどこれは香坂明という人物が、『神からの呪い(アナテマ)』にとって有益であるということを示す完璧な一手だ。魔女狩りを使命とする彼らがこの手腕を見逃すとは思えない。
「呆れるのを通り越して……感服するしかありません」
「言ったでしょう。僕は君をただの女の子にしたいんだ。そのためだったら何でもやれるよ」
再び明が口にした『ただの女の子』というワードにテレーズは引っかかっていた。
「なんでそこに拘るんですか?」
彼は少し考えた後、手を伸ばしてテレーズの頬に触れた。彼女の目の下を親指で拭うような仕草をする。
「“痛みの魔女”……天辺毬愛を殺したあと、泣いたでしょ」
テレーズはそれを否定も肯定もしない。
「あの場所に魔女と殺人鬼を連れて行ったのは僕だ。映像くらいは撮れるようにしてあったよ」
「……魔女の映像なんて、ご法度過ぎます」
「“眠りの魔女”の記録も読んだ。彼女は最期に君の頬に触れた。君の涙を拭うためだろう。魔女を葬るたびに、ずっとなの?」
テレーズは目を伏せたが、彼相手に隠し事は出来ないと諦めた。
「……この任務についてから、ずっと……癖です。同僚にも打ち明けてない」
明は今度は両手でテレーズの手を握った。
「テレーズは色んな意味で優しすぎるよ。魔女の気持ちすらも汲むなんて、本当に弱者の守護聖人だ」
香坂明は非常に強引な性格だが、彼なりにテレーズを尊重する方法をずっと考えていた。そこで辿り着いた結論が、魔女の根絶だった。
「女の子は辛いときに隠れて泣く必要は無いんだ。誰かを頼って泣いていいし、逃げてもいい。だけどそれをしないのが君だというのなら……君を泣かなくても済むように世界を創りかえる」
上空10,000mという状況で、プロポーズとも取れる誓いの言葉が伝えられる。
「そうしたら最後にはきっと、僕の気持ちに答えてくれるよね?」
テレーズは魔女の根絶なんて夢物語が達成できるとは思えなかった。
けれども、自分を想って人生を懸けてついてきてくれたこの青年の言葉を、信じたいと強く思った。
「約束なんて無責任なことはできません……でも、もしそんな素敵な世界が来たら、きっと私は幸せだと思います」
香坂明はこれから、聖十字教会暗部に踏み込み『神からの呪い(アナテマ)』の調査員として聖人と魔女の戦いに身を投じるのだが、それはまた別の物語だ。
だがこのテレーズの言葉が、彼が命を懸ける原動力として一生心に残り続けた。




