結段 --- 香坂明①
埋芽市の丘の上にある御美ヶ峰教会は、そこに住む者も、訪れる者も居なくなってしまった。
一連の事件の後始末のために1ヶ月ほどそこで暮らしていたシスターも、ついには本国に帰るために今朝教会を発ったばかりだ。
静けさに包まれる教会。その裏庭にひっそりと真新しい墓石があった。
刻まれたのは十字のみで名前は無い。だが、その墓石にはある聖女が生前愛用していたロザリオがかけられており、『聖母マリア捧げる金色の花』を意味するマリーゴールドの花が供えられていた。
◇◆◇◆◇
「見送りが俺だけとは……悪ぃなテレーズ。菖蒲の奴はまだ呪いを解く修行中で出てこれないってよ」
「三日三晩手を繋いで寝食を共にしたのでだいぶ薄らいだはずですが……」
「あの頑固者、自分で向き合いたいらしいよ。責任感強くて嫌になっちゃうね」
キャリーケースを引く旅行客が行き交う。
空港の保安検査場前で、永浦永輔は友人の見送りに来ていた。
「アヤメらしいですね」
テレーズは納得したように笑った。いつもの修道服ではなく旅行客に溶け込む普段着だった。ワンピースをベルトで止めて、その上から短い丈のボアコートを羽織っている。長身のテレーズに良く似合う冬の装いだ。
「俺が来たのはこれを渡すためだ。菖蒲から預かった」
永輔が手渡したのは手ぬぐいに包まれた円形の金属だった。
テレーズがその包みを開くと、現れたのは花札のような和風の絵柄が施されている刀の鍔だった。
「妖刀のじゃないぜ? 菖蒲のお気に入りらしい。名前とおんなじ花なんだとよ」
「花菖蒲ですか……美しいアンティークです」
テレーズはそのデザインを気に入り、感嘆して息を漏らす。
「でもこれは私ではなく、あなたが持つべきでは?」
「なんでだよ。いいってば。俺は菖蒲と会おうと思えばいつでも会えるんだから」
悩む素振りを見せたテレーズだったが、最終的には友人からのプレゼントを大事にカバンへとしまった。
「最後にもう一度くまさん着ぐるみモードでハグしたかった……」
「三日三晩のときに見飽きただろ」
このシスターの可愛いもの好きは、友人間では既に公然の事実となっていた。
顔を上げたテレーズは真剣な表情に戻って、永輔を見据えた。
「会えないのは残念ですが、菖蒲にはあなたがいれば大丈夫ですね」
「……どーいう意味だ?」
「聖書の一節の中で、私が特に気に入っている言葉を貴方に送ります」
――あなたの手に善をなす力があるならば、これをさし控えてはならない。
(『箴言』3篇27節)
「永輔、貴方には善をなす力があると断言します。だから人生においても、恋愛においてもきっと勇気をもって進めば成功する。応援していますよ」
「……このお節介シスターめ。でも、確かに良い言葉だから、覚えておくよ」
彼らはしばらくの談笑を終えて、搭乗時間が迫っていた。
テレーズが周囲を見渡すが、そこに目的の人物は現れない。
カバンからスマホを取り出してみても、そこにメッセージの通知は無い。
メールボックスを開くと、最新の記録は1ヶ月前に届いたメールのままだった。
タイトルは『魔女と殺人鬼の居場所がわかった』とあり、メール本文には待ち合わせ場所の喫茶店の名前と住所が記載されている。
あの事件当日から今日まで、ついに一度もこのスマホに連絡が届くことは無かった。
「……あれだけ浮ついた台詞を並べておいて……はっ、いけない」
テレーズは煩悩を振り払うように頭を左右に振った。
元より色恋にうつつを抜かしていい身分ではない。一切会うことなく日本を経つのはどこか寂しい気もするが、縁が切れたのなら、それでいいんだと彼女は自分に言い聞かせた。
「永輔、あなたにこれをお渡しします」
「……結局、例のバーテンから連絡は来なかったのか」
「はい。もし後日このスマホに彼から連絡があったら、私は日本を発ったとお伝えください」
「最後に恨み節でも送っておけば? とんでもないことやらかしたんだろ、そいつ」
「ええ、説教を始めれば1時間はかかるでしょう。そして、感謝を伝えるにはその倍の時間が必要だ……だから、会ったときに伝えようと思っていました」
テレーズの少し物憂げな表情を見て、永輔は意図を汲みスマホを受け取った。
「処分するなり、貴方に任せます」
「わかったよ」
テレーズはやり残したことを終えて、保安検査場へと向かう。
その友人の背中に向けて、永浦永輔は大きく手を振って見送った。
◇◆◇◆◇
窓際の座席に座るテレーズの瞳には、滑走路に並ぶ旅客機の規則正しい列が見えていた。
彼女にとって過去最難関とも言える任務を終えられたことに、改めて安堵していた。
パートナーの殉職から始まり、殿方からの求愛、殺人鬼や妖刀の介入。本命の“痛みの魔女”の呪いは暴発し、過去最大の甚大な被害をもたらしたかと思いきや、それを抑え込んだのもまた“眠りの魔女”の呪いだった。
特に町中のスピーカーから“眠り”の呪いが拡散されたことについては、バチカンの『神からの呪い(アナテマ)』本部ですら震撼する大事件だ。
(もしこの1ヶ月の間に香坂明が私の目の前に現れたのならば、彼を拘束し連行せよというのが本部から私への任務だった。だから、会えなくて良かった)
事件後には協力してくれていたはずの現地調査員が謎の失踪を遂げて、事後処理をテレーズ一人で請け負う羽目になり、最後の最後まで非常に慌ただしい滞在期間だった。
カバンから取り出した花菖蒲柄の刀の鍔を眺める。
それでも、アヤメやエースケのような友人を得られたことが、テレーズにとってこの旅の掛け替えのない思い出になった。
搭乗時間になっても、飛行機は動き出すことは無かった。
客室乗務員が何やら焦った様子で会話している。しばらくして、機内にはアナウンスが流れた。
『ローマ行×××便にご搭乗予定の、平井様。平井正巳様。
お手数ではございますが、至急、客室乗務員までお申し出ください』
アナウンスが繰り返される。
テレーズが知る数少ない日本人の名前を聞いて、小さく飛び上がる。
南薙教会の神父、平井正巳。
彼は事件後に姿を暗まして、後に薄暗い金の動きが発覚した人物だ。既に町を離れて国外にでも身を隠したと考えていた。
機内を見回すと、ほとんどが満席だったがまだテレーズの隣が空いている。
彼女が「まさか……」と思案した瞬間だった。
乗務員に声をかける神父服風の男性が現れる。目深に被った帽子を手に取りながら、彼はテレーズの隣まで歩いてきた。
見覚えのある顔。彼は胸元からチケットを取り出して、テレーズに対して席の番号を見せた。
「偶然、お隣さんですね」
確かに、そこに記載された番号は彼女の隣だった。
どうやってその席を確保したのかはわからない。だが、彼の満足そうな表情から、意図的にテレーズの横を指定したのだろうと容易に想像できた。
「……なぜ、貴方が平井神父の名前でチケットを?」
「貰ったから」
彼はテレーズの隣に腰かける。
「ああ、チケットじゃないよ。彼にも事情があってね。平井正巳が余ってたから、貰うことにしたんだ」
最後の乗客が着席をして、ようやく飛行機は滑走路へと向けて動き出した。
「久しぶりだね。愛しのシスターテレーズ。会えて嬉しいよ」




