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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
結段

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結段 --- 識名新太郎②



 1回、3回、5回と特徴的なノックが繰り返された。

 ネットカフェの薄暗い店内で、キーボードを叩く音だけが微かに聞こえる。

 明るいディスプレイの中心にあるチャット蘭では、アンダーバーが繰り返し点滅し、やがて文字が現れた。



識名新太郎:[何が知りたい? 現在の代金はこの席の費用蓄積5日分で38,400円だ]



フラット#:[初めまして。この名前でログインすれば、伝わると聞いています]

識名新太郎:[ああ。うちのバーテンダーから話は聞いてるよ生臭坊主]

識名新太郎:[失礼。来週からは民宿のオーナーだったか]

フラット#:[識名新太郎というのは、どいつもこいつも人の秘密を暴いて詰るのが趣味なんですか?]

識名新太郎:[神父とは思えない他責思考だ。辞めて正解だったなアンタ]

フラット#:[……『汝の敵を愛せ』とは、何度聞いても無理のある聖句です]

識名新太郎:[それには同意しよう。こんな仕事はさっさと切り上げるに限る]

識名新太郎:[今から送る画像の位置を確認しな]


・uzume_station_locker0124.jpeg


識名新太郎:[駅のロッカーに南国行きのチケットと新しい身分証明書、その他必要書類を入れてある]

識名新太郎:[解錠にはこのICカードを使え。投げるぞ]

フラット#:[……小さいカードとはいえ、角は痛いものです]

識名新太郎:[そりゃ悪かった。ほら、用事が終わったらさっさとこの町から消えな]


フラット#:[あの、興味本位でひとつ聞いても?]

フラット#:[これだけの事件があって、本当に死人のひとりすら出なかったのですか?]

識名新太郎:[教会や魔女の暴れた痕跡を消すのが、アンタらの仕事だって聞いてたけどな]

フラット#:[ご存じの通り、町中の異常事態を帳消しにする魔法はありません]

フラット#:[我々は人間一人の痕跡の消すので精一杯だ]

識名新太郎:[十分に物騒だ]

識名新太郎:[教えてやってもいいが、身分を鞍替えするアンタに、そんな資金はあるのか?]

フラット#:[随分とバーの酒が高くつきましたが……何の気まぐれか半額戻ってきたんです]

識名新太郎:[ふーん? まあいいぜ、料金分の仕事はしよう]


識名新太郎:[埋芽市の『大暴動』における死者は0人だ]

識名新太郎:[怪我も致命傷も大病も瀕死もぜーんぶ、痛みの魔女が持って行っちまった]

識名新太郎:[市内の全ての病院、警察署の管轄でチェック済だ。末恐ろしいね、魔女ってのは]

フラット#:[テレーズの言っていた通りだ……眠りも、痛みも、人の手には負えない代物でした]

フラット#:[それなら、良かった]

識名新太郎:[なんだ。人の世の安寧を願う心があったとは、神父らしいじゃないか]


フラット#:[いいえ、良かったのは、魔女が殺されたことです]

フラット#:[殺人も傷害もないのであれば、現代の法律では手に余る]

フラット#:[だから、テレーズのような超常の存在が始末してくれて助かった]

フラット#:[めでたしめでたしじゃないですか]

識名新太郎:[……お前、癒しの聖女で金儲けをしてたクセに、随分な言い方だな]

フラット#:[だからこそですよ。私はずっとあの得体の知れない娘が恐ろしかった]

フラット#:[恐ろしさで言えば……テレーズも変わりありませんがね]

識名新太郎:[こんなに気が滅入る客は初めてだ。とっとと南国に行け]

フラット#:[言われなくても、出ていきますよ]


識名新太郎:[あ、悪い。今速報が入った]

識名新太郎:[今回の一連の騒動に関して、死人が見つかったらしい]

フラット#:[……埋芽市の『奇蹟』、破れたりですか]

識名新太郎:[錐尾地区の廃墟……通称幽霊マンションが『大暴動』の同日に倒壊した]

識名新太郎:[その瓦礫撤去が進んで、致死量を超える血痕が見つかったんだと]



識名新太郎:[まだ鑑定中だが……同じ場所から、血の付いた紙袋の破片が出てきたってよ]




 ◇◆◇◆◇




 深夜1時過ぎのおでん屋からや、湯気が寒空へと立ち込めていた。

 赤い暖簾の先には、坊主頭の若い客がひとりカウンターに座っている。

「おやじ。牛すじ5本」

「お前は本当に偏食家いちずだなぁ。ほらよ、ユーセイ」

 浮かない顔の桑島勇誠は、おでん屋で一人夜食を口に運んでいた。

 おでん屋のおやじは、その表情を見てため息をつく。

「お前なぁ、人が極上にうまいおでん出してやってんのに、何だよそのしょぼくれた顔はよぉ! エースケには勝ったんだろ? 晴れて梨々香に向き合えるじゃねえか」

「……それどころじゃねえよ」

 桑島は煮え切らない表情で、牛すじに噛みついて、一口で串を裸にした。

 長年この土地の不良たちを見守ってきたおでん屋のおやじでも、その暗い表情は過去に類を見ないものだった。情報通・・・の彼には、その理由がある程度察しがついている。



「自首、したんだろ」



 桑島の手が止まった。

 彼は何故それを知っているのかと不思議に思ったが、おでん屋のおやじが鋭すぎる場面はこれまでも何度かあった。その正体が識名新太郎という情報屋であることは知らなくても、おやじに隠し事ができないことくらいは、なんとなく理解していた。

「あのイカレ紙袋ヤローを刺したのは俺だ。罪を償う気で行ったのに、捕まえてもらえなかった」

「……そりゃな。瓦礫の下から致死量の血痕は出たが、死体は無い。落ちてたナイフにも3人以上の指紋がついてた。お前が殺ったというには、証拠不十分だ」

 桑島は遣る瀬無い気持ちで拳を握り、牛すじの串を折った。

「事情も全部話した。友達ダチの仇討ちで逆上したこともな。そしたら眼帯を付けた女刑事に言われたよ」

 彼は脳裏で彼女のセリフを思い出す。

『出頭してくれてありがとう。申し訳ないけど、あの日の事件の中で一人の殺人を立証するには余りにも複雑すぎて、解明の糸口すらない状態なの。本当なら勾留だけどそれすら……だから君のその勇気を、今度は誰か守るために使って欲しい』

 それを聞いたおやじはゆっくりと首肯した。

「そうするしかねぇな。なに、罪悪感を抱く相手か? あの血十字の殺人鬼をやったならヒーローだろ」

「……そう簡単には割り切れねぇ」

 かける言葉がもう見つからなかった。

 彼の中にある未決着の罪悪感は、きっと消えることなく一生付きまとうだろう。

 桑島勇誠の一途さはきっと、悪い意味でも作用する。

 それを癒せるとしたら、それは愚痴を聞くだけのおでん屋のおやじではない。


「それで、プロポーズも遅れてんのか?」


 突然の言葉に、桑島はむせた。

「そこまで知ってるのはおかしいだろ!?」

「エースケがこの前愚痴ってだぞ。回り回ってアイツが梨々香にどやされてるらしい」

「あの野郎、だからって言いふらすなよ……今度見つけたら殴る」

 拳を握って震えている。桑島と永輔の因縁は、一度決着がついたくらいでは終わらないのかもしれない。

「それで、いつ伝えるんだ?」

 辛気臭い話は終わりにして、おやじはニヤケ顔で若人の恋バナに首を突っ込む。

 桑島は「うるせえ」と嫌そうな顔をしたが、しばらくしてぼそっと呟いた。

「……実は、ここ3日くらい口きいて貰えてなくて」

 意外な言葉が返ってきた。元々は梨々香の方がオープンに愛情表現をしていたはずだった。ここにきて何の問題が発生したのだろうか。

 先程の自首の件が過ったが、あの女傑は愛する人と一緒に地獄まで行くタイプだ。それでめげるタマじゃないとおやじは予想していた。

「はぁ、そりゃまたどうして」


「アイツのお気にだったバイク……ボコボコにしちまったから……」


 桑島は今にも泣き出しそうなか細い声を出した。

 『大暴動』の中で、魔女の奴隷と化した群衆相手に大立ち回りした彼だったが、そのとき活躍したバイクは何人も奴隷を弾き飛ばす過程で、装甲が無残な姿になってしまった。

 そこのことで過去類を見ない程に梨々香を怒らせたようだ。

 こらえきれなくなったおやじは、腹を抱えてひとしきり笑った。

「ふはは、お前らはほっんとに、ガキの頃からかわいい恋愛してんだからよぉ」

 桑島がその様子を睨んできたので、奥の戸棚からとっておきの日本酒を取り出す。

「ほらよ、景気付けと早めの祝儀だ。奢ってやるよ」

「いらねえよ! 下戸なんだ俺は!」

「潰れたら迎え呼んでやるから、一杯付き合え!」

 人通りの無い深夜の路地で、おちょこの音が響く。

 

 30分後、真っ赤になって酔いつぶれた桑島のために迎えの梨々香を呼び出したところ、そこから2時間愚痴を聞かされることになり、おでん屋のおやじはお節介を焼いたことを深く後悔した。




 ◇◆◇◆◇




 雨が降っていた。

 冬の雨は肌寒い空気と共に頬を刺すよな冷たさを運んでくる。

 その場所は一際風が強く吹いていた。その理由は、そこが地上35階のタワーマンションの屋上だからだ。

 エレベータが最上階へと到着する。『OPEN』のボタンを押すのはこのマンションのコンシェルジュにして初老の男性だ。彼は丁寧な所作で、もう一人の乗客を先に下ろした。

 男性の前を歩くのは、身長130cmほどの子供だった。

 キャスケット帽子に長い三つ編みを垂らした眼鏡の男子小学生。彼が屋外へと続く扉に手をかけた時だった。

「棟梁、お待ちを。外は雨ですから」

「うん。ありがと玉置くん」

 コンシェルジュは傘を取り出した。それを『棟梁』と呼ばれた男子小学生に渡すことなく、彼が濡れないように頭上に広げた。

 屋上の扉が開かれる。

 冷たい雨と吹きすさぶ風。周囲にそのタワーマンションよりも高い建物は無く、町の全てを見下ろしている。

 彼らが進む先には、ヘリコプターの発着場があった。

 棟梁が口を開く。

「監禁の定番と言えば薄暗い地下室や人の寄り付かない港の倉庫だけど、陰気で空気悪そうだよね。だから青空の下の方が健康的で健全だと思うんだ」

 彼の目線の先には、元部下だった男が椅子に括られていた。

「ああ、ゴメンね。こんなに天気が崩れると思わなくて……冬の雨で野ざらしは辛かったかなぁ、明くん」

 香坂明の状態は悪かった。紫色の唇。痩せこけた頬。生気の無い瞳。彼はこの劣悪な環境で、30時間以上も拘束されていた。

「おとなしくあの音声・・・・を渡してくれれば、こんな手荒な真似はしなかったのに……そんなになってまで固辞するなんて、君らしくないな」

 棟梁――つまり、情報屋“識名新太郎”のボスである男子小学生は、明の隣まで近づいて、耳元でささやいた。

「命よりも大事なの?」

 明は不敵に笑った。

「ご明察……命より、大事だ」

 どんなに不利な状況であったとしても、彼の心を権力や恐怖で支配することは出来ない。彼の胸の中にはテレーズと出会って以来、消えぬ恋の炎が燃え続けている。

「仕方ないなぁ……脱退条件は、明くんの出した代替案で我慢するよ」

 棟梁は隣のコンシェルジュへと合図を送った。初老の男性がスマホの画面を操作すると、そこには銀行口座の預金が表示されていた。宝くじで1等や2等が当たるのと同じくらいの預金額がそこにはあった。

「確認が取れた……君の言った口座に、平井神父が癒しの聖女への傷病人斡旋で稼いだ金が確かにあった」

 棟梁が合図をすると、コンシェルジュはナイフを取り出して、明と椅子を結び付けていた縄の拘束を切り裂く。

「これで一旦手打ちにするよ」

 彼はそう言って背中を向けた。

 そこでコンシェルジュも作業を中断し、棟梁についていく。

「おい……棟梁、玉置サン、まだ縄が……」

 明を拘束していた縄は、まだ右手右足しかほどかれていない。衰弱した彼にとっては半身に纏わりついた椅子は大変な重荷だ。


「ダメだよ」


 棟梁は背を向けたまま、首を逸らして明を見据えた。

「明くん、キミだってわかってるでしょ」

 幼さの残る大きな瞳が、嗜虐的に細められる。

 コンシェルジュがもう一度スマホを取り出して画面を表示する。

「この口座は開設後間もないダミー口座だ」

「何を、根拠に……!」

 棟梁は呆れたように肩を竦めた。

「南薙市の信徒斡旋数とお布施の額はもう洗ってあるんだ……想定額と比較して、半分しかこの口座には入ってない。本丸のメインバンクは別にあるでしょ」

 その言葉を聴いた明は観念したように目を閉じる。


「識名新太郎をなめるなよ」


 その名前が持つ意味と厚みを、香坂明は良く知っていた。これ以上反論の余地は残されていない。

 棟梁は立場を明確にしたうえで、最後の言葉を残した。

「それじゃまた明日。この時間に来るから、その時までにメイン口座の番号も思い出しておいてね」

「……お、おい!」

 片手と片足で地面を這う。

「まて、クソ……ガキ……。今、つたえ、るから」

 明の目線の先では、屋内へと続くドアが開き、その奥へと棟梁の姿が消えた。

 傘を閉じたコンシェルジュが、水滴を払うついでにこちらを見ている。

「香坂様、今夜の気温は零下1℃となります。どうかご無事で」

 最後に丁寧な一礼のあと、扉は閉じられて施錠された。



 屋上に吹きすさぶ風と、降り続く雨が体温を奪っていく。全身の震えが止まらない。

 薄れゆく視界の中で、ふと明の視界にはテレーズの幻影が浮かんだ。

 最愛の人表情は険しかった。

 そういえば、あまり笑顔を見られなかった気がする

 笑顔に、できなかった気がする


「何度も言ったじゃないか……大丈夫。僕は、君のためなら、死んだっていいんだから」




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