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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
結段

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結段 --- 識名新太郎①



 ある美術館の自動ドアを、大鋸屋警部は潜り抜けた。

 平日の昼間で館内は閑散としており、スタッフ以外には時間を持て余した老人たちが数えるほどしかいない。

 警部は慣れた様子で受付へと向かい、常設展のチケットを購入した。

 シルバー割の確認をされたが、まだ現役なので丁重にお断りする。

 ただ、解説用の音声ガイドを指さして、追加料金を差し出した。

 大きめのトランシーバーのような機械で、特定の番号を入力すると、対応した絵画や美術品の解説をしてくれる端末だ。最近ではスマホアプリで管理する美術館も多いようだが、こんな地方都市の小さな美術館にそんな予算は無いのだろう。

「ひとつ借りていいか?」

「はい、こちらをどうぞ」

 受付の女性が差し出した音声ガイドを裏返すと、ナンバリングのシールが貼ってあり、そこには16番と書かれていた。

「できれば1番……いや、3番か5番でもいい。どれかないか?」

 なぜか番号に拘る警部に対して、受付の女性は「でしたら」と言って、引き出しを開けて、135番の音声端末を取り出した。

「どうぞ、こちらを」

 受付に並べられた端末はとても100個あるとは思えない。つまり、この135番には端末の個数を管理する以外の意味合いが込められていた。

 大鋸屋警部が常設展の会場に入り、館内を適当にぶらついていた。

 展示の内容はこの埋芽市出身の画家の絵画を集めたものだ。世間的には無名もいいところだが、味のある暖かい油絵が並び、薄暗い会場の中でライトに照らされている。

 警部は見飽きた絵画を素通りして歩き、ある作品の前で足を止めた。

 見る者に解釈を委ねるような点描。

 清濁も寒暖も善悪も混ぜたような楕円。

 何度か足を運ぶうちに、他の絵は見慣れてしまったが、この絵だけは彼の興味を引いて、足を長く止めさせた。

「お客様、体調が優れないようですが」

 展示会場内にいた警備員が声をかけてきた。

「……ああ、すまないが、休めるところはあるか?」

「ご案内します」

 いつもここで邪魔が入る。

 警部はため息をついて、点描の絵の隣にある非常口から、展示会の裏の通路へと進んだ。

 無骨な非常階段を下りて、地下へと進む。その先には休憩室などはなく、鋼鉄製の重い扉があった。

「ここから先はおひとりで」

 警備員が扉を開くと、その先には長い廊下が続いていた。等間隔に並んだ蝋燭とワインレッドの絨毯。急に歴史ある洋館に迷い込んだような違和感があった。

 警部は揺れる蝋燭の間を進み、そこでようやくレンタルした音声ガイドのイヤホンを耳に装着した。

 端末に貼られたシールは135番。古い数字の数え方でひぃ、みぃ、いつ。つまり、彼は秘密の情報を取引しに来たのだった。

 廊下の奥にあった木製の扉を開けると、そこは15畳ほどの広間があった。

「……息が詰まるな、この部屋は」

 四方を囲む壁には絵画や鹿の剥製、燭台に鏡が並んでいる。出入口は一つだけで窓すらない。正方形の絨毯の中央に設置された椅子へと腰かける。

 大鋸屋警部の正面には、壁一面を覆う大きな額があった。

 絵は飾られておらず、保護ガラスのようなものに光が反射している。

 キャプションのタイトルは『学芸員』(キュレーター)とあり、その作者名には“識名新太郎”と明記してあった。


喜禄きろくくん、久しぶりね。いつもはお酒を出す店にしか寄ってくれないのに』


 大鋸屋警部の耳元に直接女性の声が聞こえた。姿がイメージ出来ない、妙齢の声色だった。

「バーに何度か足を運んだが、ずーっと臨時休業だから仕方なくこっちに来た。あと年齢不詳を良いことに、君付けするな」

「あら、識名新太郎わたしと貴方の仲じゃない。それで、今日はどんなことが知りたいの?」

「当然、12月10日のコトだ」

「それって、『大暴動』『集団悪夢』『奇蹟』のうち、どれのこと?」

「全部に決まってるだろ」

 突如、目の前にあった額の内部に複数の画像が映し出された。保護ガラスの様に見えたものはディスプレイだったらしい。画面内には、新聞記事や週刊誌の記事、SNSのキャプチャなどが散りばめられている。

 その複数のメディアの記述は、大きく3つにわけられた。


 ある新聞記事にはこう書かれている。

『発端不明の埋芽市の大暴動、関係者3万超!』

 12月10日午後9時頃から、喧嘩や傷害事件が多発した。警察への通報履歴を確認するとその件数は最大で1時間に100件を超えている。しかしピークを過ぎると急激に通報が落ち着いた。理由は、加害者数が目撃者数を上回ったからだと考えれられる。この日人々は自分の意志をコントロールできず、錯乱した末に周囲の人間を痛めつけ続けた。埋芽市の人口の半分近くにあたる最大3万人がこの暴動に加担したとされ、『埋芽市の大暴動』と呼ばれる前代未聞の事件となった。

 この事件が特徴的である理由は、特定の思想や目的のある行動の波及ではなく、老若男女が個々に暴れまわったという点にある。過去に数千人、数万人単位が関わる暴動は全て飢餓、宗教、思想運動などが発端となるが、本件は不気味にも理由が明らかになっていない。


 続けて、ある週刊誌には暴動後の出来事が書かれていた。

『原因は炭素ガス? 町中を巻き込んだ大規模集団昏睡事件か』

 大暴動が混迷を極めた午後11:37頃、突如、市内の全ての人間が昏睡状態に陥る。

 まるで魔法にでも掛けられたように市民は一人残らず意識を失い、屋内外問わずに気絶したように眠った。

 夜明け前の午前5時過ぎごろから人々はだんだんと目覚め始め、周囲の惨状を改めて認識するが、そこから暴れる人間はいなかった。錯乱状態は昏睡を経たことで鎮静化したようだった。

 この昏睡を差して、人々は本件を『埋芽市の集団悪夢』とも呼ぶようになった。

 町中を巻き込んだ昏睡と事例としては、カザフスタンのカラチ村が挙げられる。カラチ村では近くの古い鉱山から高濃度の一酸化炭素(CO)が漏れ出しており、それに晒された人々は酸欠となって眠り病と呼ばれる状態に陥っていた。埋芽市にも過去工場地帯と呼ばれた根倉という地区があるが、関連性はわかっていない。

 昏睡から目覚めた人々は大暴動のことを始めは夢だと思ったが、周囲に残る破壊の跡や、暴動を記録した映像が残っていることから、暴動があった事実は覆されることが無かった。


 更に、ある動画が再生された。そこではアナウンサーとコメンテーターがニュース番組で会話をしている様子だった。

『でもね、これだけのことがあったのに、実際に暴行罪、傷害罪で立件された例は1件も存在しないんですよ』

『どうしてですか? 映像の証拠が残ってたんですよね?』

『だって、一人も怪我をしてないから』

『……暴動があったのに? 恐れながら、怪我をしている人の動画もSNSに上がってましたよね』

『でも、みんなが起きたとき、怪我人がいない・・・・・・んだもの。立証ができないよ』

 

『暴行罪は親告罪だから、被害者が訴えないと起訴できない。傷害罪は怪我を証拠として成り立つから健康であれば当てはまらない。つまり、これだけの暴力があったのは事実なのに、誰も罪に問えないんだよ。軽い器物損壊はあったみたいだけどね』

『更に、不思議なことは続きます。暴動に関与していない人の怪我すらも、夜明けには治っていたというのです。例えば旭富総合病院には100名近い入院患者が居ましたが、その内外傷を中心とした7割近い患者がこの日の夜明けとともに完治していたとのことです』

『名前が多くて困るけどね。ここまで含めるとこの件は『埋芽市の奇蹟』だなんて呼ばれてるよ』


 ディスプレイの余白にはSNSにアップされた画像が散りばめられていた。人々が暴れまわる様子と、所構わず横たわる様子が散見される。その中のある、防犯カメラのキャプチャ画像では、寝静まった人々の近くで飛ぶ蛾のような羽虫が写り込んでいた。


 動画の再生が終わり、大鋸屋警部は口を開いた。

「だから全部だよ。意味不明すぎて困ってるんだ。わかってること何でもいいから教えてくれ。識名新太郎」

「残念だけど、教えられないわ」

「退職金の半分までなら出す。暴動の原因でも、昏睡の原因でも、奇跡的治癒の原因でも……どれでも大歓迎だ」

「4桁は良い数字ね。でも、金額の問題じゃない。売れない情報もあるのよ」

「悪鬼會以上の闇だっていうのか?」

 イヤホンの奥で、吐息だけが漏れた。

「これは表社会とか裏社会とかの話じゃない。人知を超えた領域なの。一介の警察官である貴方に知る資格はないわ」

「……資格がない、ね」

 大鋸屋警部は椅子から立ち上がった。

「知れない、ということが知れた。大きい収穫だったよ」

 識名新太郎は、言葉に詰まる。意表を突かれたようだった。

「相変わらず殊勝でつまんないわ。どうしてもと言われたら考えたのに」

「最年長のアンタが折れるわけない。いいんだ、己の領分は理解してる」

「貴方のそういうところが私達に好かれる所以ゆえんね」

「仕方ないさ。俺は、茶番の上でなければ、成り立たない幸せをいくつも見てきた。知らないことで守られる人生もある」

 警部は部屋の唯一の出入口へと戻っていき、ドアノブに手をかけた。

「せっかく来てくれたから、別件の情報をひとつ教えてあげる」

 彼が振り返ると、題名の無い額の内側に『Sophia』という行きつけのバーの看板が表示された。



「もう、あの店が開くことは無いわ」




 ◇◆◇◆◇




「すっごぉーい! スイーツが宝石みたいに輝いてるぅ!」

「……ランチなんだけど、先にそれから取る?」

 白柳魅世は、女子高校生を連れて埋芽市で一番の高級ホテルに来ていた。

 ミサキと名乗る彼女は情報屋“識名新太郎”のうちの一人だ。『大暴動』の中で、白柳は彼女へと電話で情報を求めた。そこで香坂明の信頼性に関する情報購入の見返りとして、白柳はミサキをランチビュッフェへ招待していた。

「にしてもびっくりしたよねぇ。まさかコーサカくんの奥の手が町中巻き込んだ催眠ドラッグだなんて」

 色とりどりのスイーツをプレートに載せた彼女は、満足そうな笑顔でまずはミニサイズのベリータルトをかじった。

「随分色気のない言い方ね。識名新太郎的には“魔女”は無しなの?」

「これだけ暴れられたあとに無しとは言えないでしょ。でも公の場で魔法やオカルトがある前提で話すなんて、夢見る少女みたいで痛くない?」

「アンタぐらいのガキは、もっと夢見なさいよね」

悪鬼會おたくだって、オカルトとは無縁でしょ」

「そりゃ他の怪異なんて眼中にないわ。鬼は人しか喰わないから」

 正面に腰かけた白柳は、前菜を中心とした皿から、オリーブの実を掬い上げて頬張る。そのままドリンクメニューを開いて、アルコールの欄へと目を向けた。

「うはぁ、別料金なの? しかも、このビュッフェより高いメニューあるじゃん……」

「当然でしょ。こういうところは酒で儲けるのよ」

 白柳はページをいくつかめくり、最終的に炭酸のノンアルコールカクテルを注文した。

「意外。ぜったい昼からでも飲むタイプだと思ったのに」

「もちろん、いつもなら飲んでるわよ」

 真っ先に目を向けたメニューがワイン中心だったことに、ミサキは気づいていた。

「ノーダウト……飲めない理由でもあるのかな?」

「こら、勝手に探るな」

 白柳はこちらを見つめるミサキの隙をついて、プレートからいちごのモンブランをひとつ盗んで口へ運んだ。

「あっ!! ケーキ泥棒!!」

「いいでしょ。ビュッフェなんだからまた取ってきなさい」

「食べ物の恨みは深いよ。依頼受けなくなっちゃうんだから」

「それは困るわね」

 白柳は自分のプレートが空になったタイミングに合わせて、席を立った。戻ってきたプレートの上にはいちごのモンブランが乗っており、それでミサキは上機嫌に戻った。

「あたしをこんなに喜ばせてぇ、悪いことでも考えてる?」

「いつだってビジネスのことだけよ。はいこれ追加依頼」

 白柳はレバーパテを塗ったバケットをかじって、数枚の写真を差し出した。

 ミサキはふにゃけた笑顔のまま、その写真を手に取って見つめる。

 そこに写っていた人物は、黒いセーラー服の上からダウンジャケットを着こんだ女子学生だった。その手には日本刀のようなものが握られている。他の写真には霧崎道場や、その道場主である老人の姿があった。

「霧崎菖蒲ちゃんだ。この子に興味があるの?」

「霊園で一度殺し合った仲よ。今更仲良くなる気はないわ」

「じゃあ妖刀だ。まだ一本残ってるみたいだよ」

「知りたいのは妖刀そのものじゃない。その先……呪いの、解呪方法よ」

「あれれ? 悪鬼會はオカルトの類とは無縁のはずだよね?」

「スカウト対象が呪われてたら、これも私の仕事になるわ」

 白柳がたまらず視線を逸らす。その様子を見逃すミサキではなかった。

「は~いダウト。相棒想いで、泣かせるねぇ局長さん」

「うるさい。早く調べて。報酬は?」

「次はアフタヌーンティーがいいなぁ」

「……今日も似たよなもんでしょ」

 ランチビュッフェなのにまだスイーツを食べ続けているミサキを見て、白柳はため息をついた。


「手土産のひとつでもないと、八武崎ちゃんに会いに行けないじゃない」





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