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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
急段

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急段 --- 白柳魅世⑤



 八武崎と明は駆け足で警察署の階段を上る。

「防災無線の場所は2階の一番奥にある大会議室ですが……私は寄るところがあります」

「こんなときに寄り道だって!?」

「先に会議室の様子を探っておいてください」

 八武崎は廊下の分かれ道を一人で進んでいってしまった。

 明は不安を抑えきれず悪態をつく。

「暴力沙汰になったら僕は役に立たないのに……!」

 すぐに大会議室へと辿り着き、彼はこっそり室内を覗き込んだ。

 30人は入りそうな広い一室だ。壁やホワイトボードには地図や捜査資料、血十字の被害者らしき情報が貼られている。長い机と椅子は本来なら規則正しく並んでいるだろうが、今は乱雑に散らかっていた。

 明の悪い予感は的中した。

 大会議室の中央では、10名ほどの警察官や職員が殴り合いをしていた。何人か気絶して、床に転がっている者もいる。

「防災無線は……あれか?」

 乱闘の隙間を縫って探ると、奥のデスクの上にアタッシュケース型の機器が見えた。携帯型の防災行政無線発信器だ。

 明が室内の様子を探るのに集中していたところ、突然顔の横から破裂音のようなものが響いた。

 血に濡れた手。

 驚いて振り返ると、虚ろな目の刑事がこちらを見下ろして、反対側の手には警棒が握られていた。

「一般市民の方に、手荒な真似はしたくないなぁ」

 見るからに正気を失っていた。明を凝視する視線が定まっていない。

「……何か、知りたいことがあるなら教えようか?」

「じゃあ、お前の血の色がさっきの奴と同じかどうか、教えてくれよ」

「困ったな……小学生でも知ってることは答えたくない」

 軽口を叩く明に、気を悪くした刑事がいよいよ警棒を振りかぶろうとした。

 その瞬間、壁についていた手に手錠がかけられる。

「尾瀬先輩は、そんなことをする人じゃありません」

「なんだ、八武崎か。邪魔をするならお前から……!」

 警棒の行先は、背後に現れた八武崎へと向かった。

 鋭いスイングが八武崎へと突き刺さる。

 しかし、人体を殴打したとは思えない、ジャラジャラと金属が擦れるような音が鳴り響いた。

 警棒を受け止めたのは八武崎の右腕だ。しかしその腕には、びっしりと手錠がはめられていた。連なった手錠はまるで籠手の鎧のように機能している。

「私の先輩を侮辱するな。魔女の呪い」

 八武崎の目は、怒りを込めて操られている同僚を射抜いた。

 警棒を持っていた腕を捉えて、即座にひねり上げて関節技を極める。更に手錠をはめて、両手の自由を奪った。警官は暴れているが、八武崎の拘束からは抜け出せない。

「香坂さん、そこの窓をあけて貰えますか?」

「ここ……でいいのか?」

 目配せを受けた明が指示通りに廊下の窓を開けた。外には暗い夜空が見える。

「では行きましょう尾瀬先輩」

 八武崎は警官の胸倉を掴み、押し倒す勢いで窓へと向かっていく。背中に迫る窓を見て、意図を理解した彼が焦り始めた。

「ま、まて八武崎、何を、おい何をする気だ!?」

「2階から落とされてるぐらいで、うだうだ言わないでください。警察官でしょ」

 窓に辿り着く直前に、片足の膝裏を持ち上げて、二人の体勢は柔道技の朽木くちきだおしという投技へと移行していく。

 明がその様子を見て引き気味に呟いた。

「……場外一本」

 直後、野太い悲鳴が屋外へと遠ざかっていった。

 両手を払って戻ってきた八武崎に対して、明は猛獣へと警戒するように身を引いた。

「ご安心を。警察官は丈夫ですから」

「……まあ、怪我なら蛾が治すか」

 ジャラジャラと鳴る金属音。

 明は八武崎の腕を守った手錠を指さした。どうやら彼女の寄り道の目的はこれだったらしい。

「備品倉庫からありったけ拝借してきました。気絶より早く無力化できます。寄り道してきた私に感謝の一言がありますよね?」

「あ、ありがとう……命拾いした」

「いいでしょう」

 八武崎は満足したらしい。彼女は廊下を戻り、大会議室へと向かった。

 こっそりと室内を覗き込む。

「惨状ですね」

 八武崎の目にも暴徒、気絶した人、そして部屋の奥の防災無線が確認できた。

 明も彼女の後ろから様子を見ている。

「先に暴徒を片付けないと、防災無線の操作は無理だ」

「急ぎましょう。こうしている間にも、被害は拡大しているはずです。市民を守らないと」

 八武崎は腕から手錠をひとつずつ解錠していく。束になったそれを、明へと手渡した。

「私が合図したら、投げてください」

 彼女は両手に黒いグローブをはめて、グリップを確かめる。

 ドアを開くと同時に、彼女は大会議室の中央へと向かって駆けだした。


 乱闘騒ぎへと迫る女刑事の視線は、もっとも手近にあった背中を捉えていた。


「中林君、手短に落しますね」

 八武崎は後輩刑事の背中に飛びつくと同時に、後裸絞うしろはだかじめをかける。

 絞め技の大半は柔道着の襟による頸部圧迫がなければ成立しないが、これは総合格闘技(MMA)などでもチョーク・スリーパーとして多用されており、己の身一つで成立する力技だ。

 熱い抱擁に見えなくもないが、中林の顔面は見る見るうちに蒼白となり、程なくして白目を向いて地面へと膝をついた。

 八武崎の開けた視界の奥から、元々殴り合っていた相手が迫ってきている。

「谷川警部補のお相手でしたか。お返しします」

 彼女は失神した中林の襟首を掴み上げ、その背中を思いっきり蹴り飛ばした。

 肉がぶつかる鈍い音。

 谷川がよろめいて重心がズレた瞬間を、彼女は見逃さなかった。

 瞬時に仕掛ける。

 アイアンクローの様に相手の顔面を片手で掴むのと同時に、肘あたりを掴んで引き落とす。上半身を崩したところで、背後に忍ばせた足を払い、技を成立させた。

 大外車という豪快な足技だ。

 受け身を取る暇もなく、後頭部から谷川警部補は床へと叩きつけられた。

「香坂さん、ふたつ投げて!」

 突然声をかけられた明は、丁寧に下手から手錠を放り投げた。

 それをキャッチした八武崎は、谷川が動けないうちに両手と両足をそれぞれ拘束した。


 一息ついた彼女は、不満そうに明を睨んだ。

「もう少し機敏に投げてもらえますか」

「そ、そんなに悪かったかな……?」

 明に落ち度は無いように見えたが、八武崎は物足りなかったらしい。

「次は合図したらキャッチボールの勢いで、顔辺りに思いっきりです」

「どうしてそこまで……」

 会話している途中で、八武崎の背後に新手の刑事が迫ってることに明は気づいた。奇しくもその顔は彼にとっても見知った人物だった。



「――なんだ、お前もまだ無傷だったか。元気そうで何よりだよ八武崎」



 聞き慣れた声に、八武崎は振り返った。

 そこには彼女の上司に当たる人物が警棒を構え、虚ろな表情で立ちはだかっていた。

「そういう大鋸屋警部は、手遅れのようですね」

「手遅れ……手遅れってなんだ。お前が警察を辞める・・・・・・ことか?」

 予想外の話題に、彼女は驚いた。

「……何の話、でしょうか」

「魅世から聞いたんだろう。悪鬼會はそういう組織だ。お前のような堅物がこの手の裏事情を知って、ショックを受けないわけがない。同じような状況になると、俺の部下たちは遅かれ早かれ退職していったよ」

 大鋸屋警部の表情は他の魔女の奴隷と同じだ。だからこれは彼の本心ではないはずだ。仮に本心だとしても、今ここでこの話題を出すのは、八武崎の動揺を誘うためだろう。

「よくも、抜け抜けと……!」

 警察署の入り口にいた市民は、被害者を装って奇襲をしかけた。痛みの魔女の呪いは、痛みを生み出すために最適化・効率化されて人心をも弄ぶ。

 八武崎も頭ではわかっているはずだった。

「だよなぁ。悪かった……ずっと謝りたかったよ。15年前の事件のときから、ずっと」

 冷静に努めることは、もはや不可能だった。

 ずっと信じていた正義の裏にある思惑と、その志のきっかけとなった自殺志願者連続殺人事件の茶番劇。

 本来なら彼女の胸の内を諦観や失意が支配したことだろう。大鋸屋警部の見立てでは辞職どころか自死すらも選びかねないと、そう推察されていた。魔女の呪いはその理解度を悪用した。

 その予測は正しかった。

「白柳さんの正体、悪鬼會のことを黙っていた件、15年前にきっかけをくれたことすら……今となっては全て、全てが」

 だが、その諦観は妖刀の呪いがくべた烈火の如き憤怒によって、既に消し炭になっている。



「心底、ムカつくッ……!!」



 大鋸屋警部と相対しながら、八武崎は後ろ手に明へ合図をした。手を折り曲げて、手錠を投げるように催促する。

 明は先程の指示を思い出して、剛速球を投げるつもりで手錠を振りかぶった。

 同時に八武崎が大鋸屋警部へと駆けだす。

 大鋸屋警部が警棒で迎え撃とうと、殴りかかったその時だった。

 身を伏せた八武崎が警棒をくぐり抜ける。


 警部の顔面に、手錠が直撃した。


 投擲した本人の明と、痛みを受けた大鋸屋警部が同時に驚愕する。

 八武崎のイメージにあったのは、昨晩霊園で見た永輔と白柳の連携プレーだ。暴走する菖蒲の意表をついて、弾丸の導線上で身をしゃがむことで奇襲を成功させた。明との打ち合わせもなしに、彼女は即席でそれを再現して見せたのだ。

「ここから先は、八つ当たりです」

 警部の顔面から落ちてくる手錠を救い上げて、輪に指を通して掴む。立ち上がる勢いを乗せて、彼の顎を目がけてアッパーカットを振り上げた。まるでメリケンサックのような使い方で、鋭い一撃を叩き込まれた大鋸屋警部は意識を失いかける。

「今まで、ご指導、ありがとうございましたッ!!」

 怒りに苛まれた八武崎は、念入りに追撃を仕掛けた。

 目の前で揺れるネクタイを掴んで引き下げると、落ちてきた顔面目掛けて、膝を突き上げる。

 二度の衝撃で完全に意識を失った大鋸屋警部は、前のめりに倒れた。

 彼女なりに因縁を片付ける一戦となった。

 荒い息を繰り返す八武崎は、血走った眼で倒れた警部を見つめている。

 脳内に渦巻く怒りの炎が、必要以上に彼女を焚きつけていた。彼から目が離せなくなっている。

「もう十分だ。拘束しよう」

 八武崎の肩に手が置かれた。

 彼女の心中を知っているのか偶然か、明は彼女を落ち着かせるように声かけた。

 続けて、倒れた大鋸屋警部の両手両足を手錠で拘束する。

 八武崎はなんとなく右目を手で押さえて視界を遮り、少し落ち着きを取り戻した。

「そうですね……それに、まだ、終わってない」

 

 八武崎が合計4人を無力化したところで、大会議室には静寂が訪れていた。

 10人ほどが乱闘していたはずだが、部屋の奥に目を向けると、気絶して転がっている人数が増えており、その中心に大柄な男がひとりで立ちすくんでいた。

「……日元先輩」

 八武崎にとっては、その背中を見るだけで誰かは一目瞭然だった。同僚の中でこんなに背格好が高く、筋肉質な男は彼しかいない。

 端波署刑事課巡査部長、日元ひのもと陣作じんさく

 男子柔道団体主将も務める実力者だ。

 八武崎の柔道の実力は女子相手に負け無し、男子相手にも6割の勝率だ。しかし日元との組手で手心無しに勝った記憶がなかった。

 そこいるのは、間違いなく署内で最も強い男だった。

(真っ向勝負ではダメだ……会議室から一度おびき出すか? パトカーで轢いたら、何とか倒せるかもしれない)

 まともな対抗策が浮かばず焦る八武崎は、時間稼ぎのつもりで彼へ声をかけた。

「これだけの人数相手に勝ち残るなんて、流石ですね日元先輩。私たちは市民を守るため、部屋の奥の防災無線を使いたいんです。戦わないで通してくれる方法があれば、教えてくれますか?」

「市民を守る、だって……?」

 その声は、震えていた。

 振り返った日元の目尻には、涙が浮かんでした。

「八武崎ちゃんは、僕を痛めつける気が、無いの……?」

 その表情を見て、八武崎は呆気にとられた。

 魔女の奴隷となった暴徒たちとは明らかに違う。虚ろな表情と攻撃的な姿勢が見受けられない。

「その表情、もしかして……」

 見慣れた情けない泣き顔。そしてよく見ると、着衣の乱れはあれど、その身体には一切の傷の痕跡は見当たらなかった。


「良かったぁ……!!」


 日元は、膝を折って床に座り込み、大きく息を吐いて優しい表情を浮かべた。

 署内で一番強い男は、ここまで一撃も貰わずに痛みを回避し、そのうえで襲い掛かってくる全員を返り討ちにしたのだった。

 安全らしい雰囲気を察して、明も前へと踏み出した。

「無傷だって……あり得るのか……!?」

「……流石、にもほどがありますね」

 彼の周囲に転がる気絶した警官の人数は約10名。益荒男ますらおという言葉が似合う見てくれの癖に、精神面では手弱女たおやめのような不思議な男だった。

 今はその情けない様子を見て、八武崎の心は安らぎ、いつの間にか苛烈な怒りからも解放されていた。

「八武崎ちゃんこそ……ここに来るまで、大変だったでしょ。なんか佇まいだけでも、前より強くなった気がするよ」

「それでも、先輩に勝てる気はしませんよ」

 八武崎は手を伸ばして、日元を立ち上がらせた。

 その隣を明が駆け抜けていく。

「勇敢な君たち二人の警官は、確実にこの事件の英雄になるよ」

 明は八武崎と日元を褒めたたえながら、会議室の奥へと辿り着いた。

 彼が手を伸ばしたのは、デスクの上の防災行政無線だ。

「ここから先は僕がやる」

 アタッシュケースを開くと、中にはオーディオ機器のような端末が入っていた。

 情報屋らしく事前に操作方法を調べておいたようだ。明は香坂明は迷いなく操作して起動する。発信エリアの範囲を埋芽市全域に設定した。

 準備が整ったようで、短く深呼吸をする。

 マイクへと口を向けると、香坂明はまず手始めに、非常に局所的な私信を市内全域に向けて発信した。



「――聞いてくれ、愛しのシスターテレーズ」


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