急段 --- 白柳魅世④
警察署のエントランスには、一般市民の女性がうずくまっていた。
パトカーから下りて署内に入った3人は、すぐさま駆け寄る。
「ご無事ですか!?」
八武崎が肩に手を添えて、市民に声をかける。
「避難してきたんです……始めは何かのお祭りかなって思ったけど、暴れる人がたくさんで……お願いです、匿ってください!」
女性の表情は怯え切っていた。八武崎は彼女に手を差し伸ばし、立ち上がらせようとする。白柳の視線は、その服の裾についた血の跡に向いていた。
「落ち着いて。警察署も安全とは言えないので、この町を出てください。この暴動の範囲は……」
白柳がそれを返り血だと気付くのと同時だった。
女性が後ろ手に持っていたドライバーが、八武崎の首を目がけて突き出される。
発砲音。
銃弾がドライバーを撃ち抜いて弾き飛ばす。
拳銃から立ち込める硝煙と床に転がった凶器を見て、状況を理解した八武崎が即座に女性を組み伏せた。絞め技で数秒の後に意識を奪う。
「また油断。もっと怒った方がいいわよ」
「そんな……洗脳されてる様子は無かったのに」
「魔女の呪いは狡猾だね。騙すことが有効だと学習したなら、そういう手段も取る」
「思考力を奪わない洗脳か。一級品ね」
「だから、奴隷も戦闘力や技術を失っていない」
明は床からドライバーを拾い上げた。弾痕の丸い窪みが焦げ付いている。
八武崎はこれから起きる魔女の奴隷との戦闘を予期して、気を引き締め直した。
「対策本部は2階の大会議室です。そこに防災無線があります。私の後ろに着いてきてください」
「署の外からも痛みの魔女に洗脳された奴隷たちが来てる。急ごう」
「うん。先行っといて」
白柳の予想外の発言に対して、八武崎は思わず声が出た。
「は?」
「私、入り口で暴徒を食い止めるから」
「なに、を……単独行動は危険です! 隙を見せたら貴女も魔女の奴隷に成りかねないのに」
白柳は八武崎と明へと背を向けて、警察署の入口へと向けて歩き出した。左手を上げて、包帯を見せつけるように手を振る。
「どっちみち、蛾に触れたら私もすぐ八武崎ちゃんの敵になるの。だから行って」
「八武崎巡査、進もう」
八武崎は唇を噛んで苦悶したが、振り払うように駆け足で階段へと向かう。
「くそっ……貴女のことも許してないので! 勝手に死なないでくださいね!!」
「はいはい。全部終わったら、殴られてあげるわよ」
白柳は警察署の入り口を出た。
タバコを取り出して火をつけ、煙を夜空に向けて吐き出す。
「ふー、柄にも無いことしちゃったわね」
傍若無人な白柳が、誰かの目的のための捨て石や時間稼ぎの役割を担うのは、本人としても意外だった。
それほどまでに、彼女は生真面目な八武崎礼のことが気に入っていたし、同時に負い目を感じていたのだ。
タバコを咥えて、右手に銃を構える。
署の敷地には門があり、そこから3人の暴徒がこちらへ向かってきていた。中にはバールや鉄パイプなどの凶器を手にしている者もいる。
発砲音が響いて、地面に銃弾が激突する。
威嚇射撃のつもりだったが、それで彼らが怯むことは無かった。
「そっか、食らっても痛みが生まれればOKな思考なのね。これが脅しにもならないなんて……すごい世界観だわ
」
白柳と暴徒の距離は縮まっていく。
「じゃあ、私も好きにするわね」
発砲音が3発続く。
彼女が放った弾丸は、暴徒の右足の膝を正確に撃ち抜いた。
当然彼らは痛みに悶え、歩行不能になって地面へと転がる。野太いうめき声が続く中で、白柳は無感情に煙を吐いた。
だが、そこにどこからともなく舞い降りた夜蛾が暴徒の足へとまり、すぐにうめき声は静かになった。
「羽虫のクセに……勝手に私のつけた傷を治すとはいい度胸ね」
蛾が血を吸うように傷を癒す。足を撃ち抜かれたはずの暴徒たちは何事も無かったかのように立ち上がった。
「いっそのこと殺せるなら楽なのに、ね!」
突然、明後日の方向に一発の弾丸が放たれた。
銃口の延長線上で、翅を撃ち抜かれた蛾がひらひらと落ちていく。
彼女は側面から自分に迫っていた蛾を迎撃したのだ。
「もうちょっとくらい時間稼ぎしないと。悪鬼會の名折れだわ」
暴徒たちに向けて再び3発の弾丸が放たれる。
今度は腰骨を狙った一撃で、再び歩行不能になり地面に怪我人が転がる。
(残弾はあと4発。人体を撃ってもすぐ治っちゃうなら、ガソリンへの引火や電線を狙って派手に行こうかしら?)
彼女は近くのパトカーや白バイ、そして電柱を繋ぐ電線へと視線を向けた。銃弾をうまく使えば火事や放電などの現象を利用できるかもしれない。
(……駄目ね。そんなことして警察署の機能が損なわれたら、本末転倒だわ)
白柳の目的は、八武崎と明が署内で無事に防災行政無線を使用することだ。建物全体や電気系統に影響が及びかねないほどの大事を起こすことは出来ない。
彼女の視線の先では、発砲音を聞きつけて近づいてきた新手の暴徒が敷地内へ入り込んできていた。
残弾はある。しかし、彼女はリスクヘッジを優先した。
「もしも私が洗脳されたら、この拳銃は厄介になる」
そう判断して、白柳は銃口を空へと向けて、残弾の全てを夜空へと打ち尽くした。
合計4発。
一定のリズムで繰り返される発砲音に合わせて、周囲でうずくまっていた暴徒が立ち上がる。更に増える魔女の奴隷たちが周囲を取り囲んでいく。
「ん~、確かに、無茶苦茶撃つってのは、スッキリするわね」
彼女はパトカーの車内で乱射した八武崎のことを思い出していた。
白柳は満足そうな表情で、銃口から立ち込める煙を見つめた。その艶やかな顔へ、暴徒が握ったバールが迫る。
「……ここまでね」
瞳を閉じて、自分の運命を受け入れようとしたときだった。
目の前で、バールが地面に落ちる金属音が響く。更に人体の倒れる音が続いた。
――白柳が目を開けると、そこには鬼の面があった。
「乱射してくれたおかげで、見つけましたよ局長」
般若の面の怒りを更に苛烈にしたような表情が、その面に表現されていた。
しかし白柳は怯えることなく、安心したように薄ら笑いを浮かべた。
「呼んでないわよ、アンタら」
鬼の面の背後で、もう一人が暴徒を片っ端から沈めていく。的確に急所を狙った攻撃は、いとも容易く人間の意識を奪った。
30秒以内に警察署の敷地内にいた暴徒のすべてが鎮圧された。
彼らの服装は黒装束に鬼の面で統一されており、2匹の鬼は白柳の前に並んだ。
「青鬼に後鬼まで……真蛇級の精鋭が二人も来るなんて、何の用? しかも正装ダサいわよ」
「ダッ……ダサい、でしょうか?」
「だって素顔見せられないし……白柳局長が定期連絡ぶっちぎったから、黒杭警視正が様子見に行けってさ」
ショックを受ける青鬼の隣で、後鬼と呼ばれた男が軽快な口調で答える。白柳の部下だと思われるが、厳格な上下関係ではないらしい。
「あんの心配性……でも、おかげで助かったわ」
白柳は2匹の鬼に命令して、警察署の入り口を死守することに決めた。
「警察署、守るから手伝って。うちの精鋭の鬼なら、魔女の奴隷にだって負けないわよね?」
「御意」
「当然!」




