急段 --- 白柳魅世③
パトカーは立体駐車場を飛び出して、町中へと向けて道路を走っていた。
夜23時も近いというのに、周囲は騒々しい。
何か事件が起きているのだろか。血十字絡みかもしれないと八武崎は思案する。
白柳の指示でパトカーの車載無線機を繋ぎ、同僚から情報を得ようとした。
スピーカーからは、殺伐とした通信が一気にあふれ出した。
『根倉地区でも暴動らしいぞ。人が集まって殴り合ってる』
『どうなってる! 重症なのに、救急車が来ない!!』
『デモの届けもないし、要人も来てない……こいつらの目的がわからない!!』
『もう消防署に救急車が残ってない。病院もそろそろ限界だそうだ』
『相棒が急に襲い掛かってきたんだ! 俺も警棒で応戦してる!』
『同僚も……くっそ、警察内部もからんでるのか?』
『老人が子供に噛みついて……止めようとしただけなんだ……こんな、重症になるなんて……』
『おい、今旭富総合病院だが、医者と看護師が殴りあってる。この世の終わりだ』
パトカーの車内で、全員が絶句した。
何かとんでもないことが起きていることは分かったが、全容がわからない。
八武崎はハンドマイクを手に取って、上司と同僚の名前を呼んだ。
「大鋸屋警部、日元先輩、聞こえますか? 無事だったら所在地と状況を教えてください」
しばらく間が空いて、スピーカーから慌てた声が聞こえてきた。
「八武崎ちゃんか!? 連絡ないから心配してたよぉ……僕は署に隠れてるんだけど、やっぱりここも暴動騒ぎで」
「どうして警察官が隠れているんですか?」
「ひぃ、だ、だってこんな状況僕一人ではどうにもできな……」
「おい、日元。署にいるのか」
割って入ってきたのは大鋸屋警部の声だ。
「その様子だと、まだ無傷だよな? 待ってろ、そっちに行くから」
「は、はい……合流します……」
その後無線は途絶えた。
「……相変わらず情けない性格の先輩です」
「大鋸屋のオジ様も、様子がおかしかったわね」
「警察は機能してないようだけど。署に向かって合流するのか?」
彼らは今後の行動を決められず悩んでいた。とにかく情報が足りず、何が合理的なのか判断できない。
沈黙のままパトカーは進んでいき、駅前通りへと差し掛かった。
この時間でも飲食店や帰路につく人で比較的に賑やかな場所だ。パトカーから見えた光景は、信じがたいようなものだった。
「……これは、現実ですか?」
八武崎がそう呟くのも無理はない。
駅前では通りが続く限り暴動が連なっていた。
仕事帰りのサラリーマンがキャッチの男性の口の中へ傘を突き刺している。
塾帰りの高校生が老婆に馬乗りになって学生カバンで顔面を叩きつけている。
ラーメン屋を覗くとカウンター越しに店主と客が掴み合いをしている。
派手な化粧をした女性がタクシーの運転手の首に長い爪を突き立ててる。
大学生のグループらしい数人の男女が乱闘でもみくちゃになっている。
阿鼻叫喚の狂った宴を、飲食街の派手な灯りとネオンが照らしていた。
「……さっきの警察無線の内容と照らし合わせると、これが町中で起こってると考えるしかないわね。悪い夢だわ」
白柳も冷静さを保てず、顔を引きつらせている。彼女がいかに秘密組織の重鎮だとしても、こんな事態に対応する能力は持ち合わせていない。
八武崎はその暴動を呆然と見つめる中で、あることに気づいた。
乱闘する大学生たちの輪からはじき出された一人の青年が地面に倒れる。固いもので殴られたことで額が割れており、血を拭っても止まらない。そんな彼のもとに一匹の蛾が飛来して、頭にとまった。
すると、彼の出血は止まった。血を拭ったところには傷もない。
「治癒……あの蛾、もしや天辺毬愛が……?」
「癒しの聖女が関係あるの?」
八武崎は右目を抑えて、君ヶ袋小路の記憶を辿る。何度も殴りつけられた森の中の問答。
「君ヶ袋の記憶から察するに、“魔女”の仕業である可能性があります」
『魔女の呪いは無差別で、無秩序で、無粋で、時に爆発的に感染します。呪いはいつか限界を迎え、コントロール出来ずに暴発する。魔女はそうやってこれまで何度も多大なる被害をもたらしてきました。今はあなたの手の内にあるかもしれませんが、“痛み”の呪いは必ず人々を傷つけます』
彼女の思い出した記憶の中で、テレーズはそう断言していた。
呪いの原理なんてものは分からないが、あの蛾が媒介しているらしい。こんな非現実的な惨状は、魔女の呪いなどという、超常現象でしか説明がつかない。
「呪いは爆発的に感染すると、シスターは言っていました」
その発言を聞いた途端、後部座席で香坂明が頭を抱えた。
「まずい、このままだとテレーズの任務が失敗する……!!」
神からの呪いの情報にアクセスし、過去の魔女の記録に目を通していた彼からすると原因は明白だった。
「八武崎巡査の言う通り、これは魔女による呪いの感染爆発だろう。過去の記録にも符合する。暴走した魔女の呪いにあてられた人間は、奴隷となって魔女の都合に従う」
お互いを傷つけ合い、痛みを作り続ける暴徒たちを一瞥する。
「“痛みの魔女”は痛みを量産することが目的だ。この人間たちは、呪いに操られて人間に怪我を負わせるために行動している。媒介をしているのは眷属の蛾だろう。さっきの立体駐車場でも――」
「八武崎ちゃん、前!!」
白柳が声を上げる。パトカーの正面には、消火器を振り上げてこちらに投げ込もうとする男がいた。
八武崎は咄嗟にサイドブレーキを解除し、アクセルを踏み込む。
男はパトカーに轢かれて、背後へと転がっていった。
「魔女が治してくれるなら、傷害罪の起訴は不可能です」
「いくらなんでも、思い切りが良くなりすぎてない……?」
「ここは危ないので、突っ切りますよ」
パトカーの速度は制限速度を超えて上がっていく。数人と衝突しながら、駅前の通りを走り抜けた。
暴徒に囲まれる前に人の多い場所から離れ、窮地を脱する。
明が背後の様子を見ると、その視界には数匹の蛾がこちらを追ってきているように見えた。
「蛾がついてきている……まさかとは思うけど、この中に怪我人はいないよね?」
一瞬の沈黙のあと、手が上がった。
その手は包帯で巻かれており、白柳はバツが悪そうに顔をしかめた。
病院で目を醒ました八武崎が錯乱した際に、鏡の破片を受け止めた手だ。
「追われてるのは、白柳局長だね」
「お邪魔なら飛び降りようかしら」
「止めてください。今は一人でも正気の味方が必要です」
「ちなみにだけど、八武崎ちゃんは大丈夫なの? 癒しの聖女の治療を思いっきり受けてるけど」
「たぶん、混ざっているからです」
八武崎は憶測混じりの直感で回答した。
「私の中には、八武崎礼と、君ヶ袋小路と、姫路君忠と、妖刀の呪いと、痛みの魔女の呪いが混在している。特に呪い同士は相性が悪いのかもしれません」
「難儀な身体ね……呪いを受けすぎて、耐性が出来てるのかしら」
「とにかく、蛾に追いつかれない様にスピードを維持して走ります」
安全な場所や目的地を見つけられず、彼らはパトカーを走らせながら町を移動し続けた。
「これからどうしようかしら。こんな惨状、ゾンビか終末系の映画でしか見たことないわよ」
「とにかく、市民の安全確保が第一です。私たちのように、正気の人間が怯えているはず」
「……きっと痛みの魔女の能力も無尽蔵じゃない。過去の魔女の暴走でも、その効果範囲は半径数kmに収まっていた」
「さっきから気になってたけど、情報屋はこんな異常事態にも詳しいわけ?」
「愛の力だよ。僕だって昨日知ったばかりだ」
「わけわかんないこと言わないで」
「話を戻すが、影響の届ないほどに距離を取れば安全なはずだ。埋芽市から市民を逃がせばいい」
言い合いも挟みながら、パトカーは進んでいく。八武崎は明の発言に説得力を感じていた。
「そうしましょう。日本全国がこうなってるとは思えない。町から離れるように市民へ伝えます」
「確かに、根治より感染対策を優先するのがセオリーね。でも範囲は町全体よ。どうやって伝えるの?」
「さっきの警察無線を聞くに、君の同僚も信用できるとは限らない。人手は望めそうにないね」
沈黙が流れる。誰も効果的な方法を思い付くことができない。
八武崎は思考を巡らせながらパトカーを走らせ続ける。ある公園の隣に差し掛かったとき、月明かりに重なるように、電柱のシルエットが見えた。それは四ツ葉のクローバーのように、四方に向けられたスピーカーを備えていた。市町村などからの案内を伝える、屋外拡声器だ。
それをきっかけに、八武崎は警察署に設置されたある機器について思い出した。
「そうだ……防災行政無線があります!」
予想していなかった方法が登場して、白柳と明は目を見張った。
「現在、端波警察署は血十字事件の捜査本部になっている関係で、防災行政無線の簡易基地局になっています。先日署内に携帯式の発信装置があるのを見ました」
「夕方に不要不急の外出を控えるように案内していたアレね」
普段であれば午後17時頃にスピーカーから流れる時報チャイムとして使われている。『夕焼け小焼け』や『赤とんぼ』などの童謡を流して、子供の帰宅を促すことは誰でも馴染みがある。
ここ数日は通り魔殺人犯が捕まっていないことで、町中のスピーカーから注意喚起が響き渡っていた。
「災害級の事態ですから、用途は合っています。町中のスピーカーから情報を発信できる。それを使えば……」
「それだっ!!!」
後部座席から明が突然身を乗り出した。
「頼む、それを僕にも使わせてくれ。市外へ逃げる案内の前でも後でもいい。町全体に伝えたいことがあるんだ」
情報屋らしくない迫真の表情で、明は懇願した。
その様子を怪しく思った白柳が彼の肩を掴む。
「ちょっと、どういうつもり。一介の情報屋のアンタが、この暴動を収められるっているの?」
明は口をつぐんで、顔を落とした。
「……言えない。言えない、けれど、このまま被害が町全体に広がり続けたら、僕の愛する人が絶対に傷つく。彼女の沽券に関わる」
明は覚悟を決めた表情で、白柳と向き合った。
「それを防ぐためなら僕はなんだってやる。いいか、誇張や比喩なんかじゃなくて、本当になんだってやるんだ」
要領を得ない発言だが、そこに込められた熱い想いがあることは、彼女たちにも伝わった。
八武崎が尋ねる。
「信用できますか?」
「情報屋識名新太郎よね。ひとり同僚を知ってるから、その娘に確認とってみるわ」
白柳はスマホを取り出すと、彼女が知る識名新太郎の一人へと電話をかけた。
電話の相手は、御美ヶ峰教会の名簿情報をポテトLサイズひとつで売ってくれた、女子高校生の情報屋だった。
『やっほ~局長さん、こんな緊急事態真っ只中にどうしたの?』
「繋がって良かったわ。正気みたいね、ミサキちゃん」
『無力だから地下シェルターでのんびりしてるよ~』
「香坂明って奴の身柄を抑えているんだけど、この男のことはわかる?」
『もちろん知ってるよ。識名新太郎のメンバーだからね。もう解雇されたっぽいけど』
「この男が今町で起きている暴動を収められるとかのたまってるけど、信じられる?」
『え~無理じゃない? 普通に。その人うちの組織も裏切ってるようなもんだしぃ』
「人徳無さそうね」
『ん~。方法とか言ってる?』
「そこは言えないって。ただ、愛する人がどうとかって、詐欺師みたいなこと言ってるわ」
『うわぁ、ノーダウトだ……その場合だけ信用できるよ』
「マジ?」
『うん。私たちも打つ手無くて困ってるし、賭けてみようよ。初恋パワーに』
「気色悪いわね。お代はまたポテトでいいの?」
『いや。すぐ食べ終わっちゃったから、今度はもっと美味しいのがいい』
「じゃあホテルビュッフェでも奢るわ。落ち着いたら連絡する」
通話が終わり、白柳が端的な指示を飛ばした。
「今は信用するわ。八武崎ちゃん、警察署に向かって」
八武崎がハンドルを切って、目的地へと進路を変更する。
「急いでいるので、飛ばしますね」
エンジンが唸り、回転計の針が限界へと迫る。時速は90kmを超えて100kmに差し掛かろうとしていた。
「頼むから、無事に届けてくれよ……?」
白柳と明はシートベルトをしめて両手で座席にしがみ付いた。




