急段 --- 霧崎菖蒲②
気が付くと、幽霊マンションの跡地にはどんどん人が集まってきていた。彼らは虚ろな表情をしており、呪いの影響を受けていないテレーズと菖蒲を標的にしながら、毬愛への行く手を阻む壁となった。
現時点でその人数は50人を越えて、今も尚増え続けている。
人混みの中で、誰も寄り付かない空間がリングのように出来上がっており、その中心で殴り合いが続いていた。
「観客付きの喧嘩は珍しいなぁ、桑島ァ!」
「こんなゾンビみてぇな奴らに囲まれてもテンション上がんねぇよ、永輔ェ!」
不良少年二人の拳が同時に顔面へヒットする。
衝撃で一歩退くと、すぐさま蛾が止まって、彼らの痛みを回収した。
彼らは目を血走らせて相手を睨んでいるが、桑島が更に顔をしかめた。
「いつも通りのはずだが……クソ、癪だな。どうすりゃこの支配から抜け出せる!?」
「気分悪いのはこっちも一緒だ。いくら殴りあっても決着つかねえし、最悪だ」
それに永輔も同調した。
彼らの会話にテレーズが割って入る。
「貴方たちは既に十分洗脳に抗っていますよ」
テレーズと菖蒲の周りには瓦礫の山から下りてきた魔女の奴隷たちが迫ってきており、それをテレーズが出力を抑えた右腕でいなしているところだった。菖蒲は隙をついてくる蛾を切り伏せながら、人間を切らないようにテレーズと交代で対処していた。
「あるとすれば、漠然とした衝動を跳ね除けるほどの強い意志です。今はお互いへの敵愾心が呪いを上回っている状態でしょう」
「なるほど……菖蒲が妖刀の無差別殺意を俺に集中したみたいにか」
テレーズはそれに首肯した。
「はい。自己暗示でも構いません。別の行動をしたければ、ひとつのことだけに想いを集中させるんです」
「永輔をぶちのめすこと以上に集中は無理だ」
「どんだけ俺に執着してんだよお前は。俺に勝っても人生は続くんだぞ」
彼らは会話しながらも殴り合いを止められない。鈍い殴打の音と会話が交互に繰り返される奇妙なリズムが続いた。
「あァん? お前を倒してからやっと始まんだよ」
「その後のプランが決まってんのかよ」
「当たり前だろうが。梨々香と結婚すんだよ」
「……はぁ!!?」
大きく口を開けた永輔の顔面に拳が入る。
聞き耳を立てていた菖蒲も驚いて振り返った。
「こんなガラの悪い不良と梨々香さんが!? 確かに永輔より顔はいいけど……」
「余計なお世話だァ!」
菖蒲へのツッコミを入れながら、永輔の反撃の拳が桑島のボディへヒットする。
桑島はせき込みながらも、説明を続けた。
「ガキの頃に約束してんだ。この町で一番強くなったらプロポーズするってよ。それをてめえがずーっと邪魔してんじゃねえか」
「なんでそんな小学生の戯言を律儀に守ってだこのバカは……そりゃ梨々香も俺にきつく当たるわ」
永輔は桑島の性格を思い出した。この男は加減を知らない執着心の持ち主だ。良く言えば一途で、とにかく決めたことを守り通すタイプの人間である。長年喧嘩を続けているライバルだが、そういうところがなんとなく嫌いになりきれない要因だ。
「梨々香と言えば、バイク借りてきただろ。懐かしい音でわかったし、あの派手さは間違いない」
桑島は横目で、フェンスに立てかけられていた梨々香のバイクを見る。
リーゼントのように突き出た威圧的な風よけと、赤地にピンクのリボン柄という見るものを警戒させるよくできたデザインだ。
桑島はふと妙案を思いついて、永輔に耳打ちした。
「良いこと考えたぜ。永輔、あの蛾女のところまで走って逃げろ」
「なんで俺がお前の言うことなきゃなんねぇんだよ」
「出来ねえのか? 操られてお手上げってわけか。だらしねえ」
「やったるわい!!」
挑発に乗った永輔が、対峙していた桑島の横を駆け抜けていった。交差するように、桑島は梨々香のバイクへと向けて走る。
「お前らどけぇ! これは助走、これは助走、もうすぐ振り返って桑島を殴るための助走ぉおおおおお!!」
永輔は呪いの洗脳を振り払うため、桑島への敵意を最大まで高めつつ、魔女のいる瓦礫を駆け上っていった。その道中で魔女の奴隷たちを殴る蹴るの暴行で払いのけていく。
桑島は赤いバイクへとまたがって、刺さったままの鍵を回した。ランプとメーターが作動して点灯する。エンジンをかけるとハンドルから馴染みのある振動が両手に伝わってきた。
瓦礫を駆け上がる永輔を視認すると、今度はテレーズと菖蒲へと声をかける。
「おい、シスターと日本刀のガキ! 後に着いてこい!!」
サイドスタンドを跳ね上げバイクを発進させる。永輔との間を阻む人混みへと向けて、一直線に進み段々をギアを上げていく。速度はあっという間に60km/hを超えた。
視線の定まらないサラリーマンの顔面に、光沢のある赤の風よけが激突し、ボウリングのピンのように弾き飛ばされた。
5秒に1件を上回る頻度の交通事故の連続。
バイクは一切の躊躇なく虚ろな表情の奴隷たちへ次々と衝突し、障壁を弾き飛ばして進む。
最低でも骨折か重度の打撲という衝撃だが、即死ではないため蛾が集まって即座に傷を治していく。
「なるほどね……あの不良、顔だけじゃなくて頭も永輔より良いみたい。テレーズさん、行こう!」
バイクの速度は上昇を続け、100km/hへと到達しようとしていた。その後ろには、人混みが轢かれてかき分けられた道が出来上がっている。その轍は前を行く永輔へと続き、最後には魔女へと到達するだろう。
桑島の作った道を菖蒲とテレーズは追いかけるように走った。
「ここで引導を渡してやるぜ永輔……そんでもって、愛してるぜ梨々香ぁああああああ!!!」
愛を叫ぶと同時に前輪を持ち上げて、ウィリー状態で悪路の瓦礫を駆け上がっていく。
車体は大きく揺れるが、永輔の背中へと段々と迫っていく。
桑島のドライビングテクニックによるものか、それともバイクで人間を轢くことが、現状痛みを最大化する最適解として技術を補強しているのか。彼はゾーン状態に近い精密な操作感で、頂上まであと少しに迫っていた。
魔女の目前まで来た永輔は、後ろから聞こえてきた挑発と愛の叫びにイライラしながら振り返る。
「勝手に結婚しやがれってんだこの純愛気取り剃り込み坊――」
前輪。
暴言を遮られた永輔の鳩尾に突き刺さったのは、ウィリーで持ち上げられたバイクのタイヤだった。
バイクはついに永輔へ届き、彼を瓦礫の山の向こう側へと弾き飛ばした。
真横で人間が轢かれる様子を見ていた毬愛も目を丸くして驚く。
転がり落ちる永輔は瓦礫の中腹辺りで止まった。タフさには自信のあった彼だが、流石にバイクとの正面衝突の衝撃は重く、肋骨と内臓に深刻なダメージを負って、うまく息をすることも出来ない。
(どう見ても喧嘩の決着じゃねえけど、ここで起きたら、桑島にも梨々香にも殺されるし、大人しくしといてやるか……)
永輔の薄れゆく視界では、自分の身体に舞い降りる蛾の向こうで、バイクを下りてガッツポーズを掲げる桑島の背中が見えた。
「……あのバカ。もう、好きにしてくれ」
息も絶え絶えに呟いたあと、呆れた笑顔のまま永輔の意識は途切れていく。
最後に脳裏に過ったことを、彼は無意識に口にした。
「後は頼んだ……菖蒲……」
頂上から桑島が振り返ると、バイクの跡を追って菖蒲とテレーズが瓦礫を登ってきている。問題の奴隷の壁は排除したが、彼女たちを狙うのは更に痛みのストックを増やした夜蛾の群れだった。
菖蒲は懸命に刀を振って蛾を捌いていくが、彼女の視界では、それらの全てが赤く光って見えている。
バイクの突進で道が開けたはいいが、負傷者も続出したため、痛みの爆弾が量産された状態だ。
「次こそ絶対、テレーズさんを送り届けるからね」★リベンジって言いたい
菖蒲は妖刀を順番に使い、迫りくる蛾を対処していく。
「二刀瞋恚、示現流剣術――雲耀・道」
後ろ手に構えた日本刀が、水平に薙がれ道を切り開く。
一振りして納刀。続けて次の日本刀の柄を握り、即座に抜刀が繰り返される。
「三刀愚癡、天眞正傳香取神道流――居合、清眼之太刀」
蛾が両断されると同時に、何かが割れるような音がした。
菖蒲の右手に、手応えとは違う感覚が伝わる。
少し遅れて、彼女の足元に鋭利な破片が落ちて月明りを撥ねた。
軽い。
菖蒲はすぐに状況を理解した。何度も振った感触は間違えない。納刀の間際に刃へと目を向けると、そこには大きな刃こぼれとひび割れがあった。
「大丈夫ですかアヤメ! 妖刀が壊れて……」
痛みの爆弾を何度も受けてきた代償だった。いくら堅牢な日本刀とはいえ、痛み(ダメージ)は蓄積していく。
菖蒲の戦闘技術は、3種の呪いがぶつかり合うことで成り立っているため、破損は均衡の破綻を意味していた。
「間に合う! 頂上まであと少し!」
それでも彼女は抜刀を止めなかった。
(おじいさまに約束してきた。私が生きて帰れば、妖刀は戻らなくてもいいと。だから、この三本が全て壊れようとも突き進む!)
既に魔女は目前に迫っている。渾身の一振りが、最後の障壁となる蛾を捉えた。
「一刀貪欲、初実剣理方一流――面影」
振り抜いた妖刀が、悲鳴のような音を上げて折れる。
半分になった刀身は瓦礫を転がり落ちていったが、未練はなく前進した。
ついに彼女たちを襲う夜蛾の群れを抜ける。
開けた視界の先に、魔女の姿があるはずだった。
「今度こそ、辿り着いた……!」
菖蒲とテレーズの足が止まる。
そこに立ちはだかったのは、意識を失った永浦永輔だった。
ぼろぼろになったジャージに、焦点の合わない瞳。永輔はバイクとの正面衝突で意識を失い、完全に痛みの魔女の手先となってしまった。唯一魔女の背後にいた彼が、最後の砦として菖蒲の前に現れる。
菖蒲の右手は彼女の意識に反して、最後の妖刀の柄を握っていた。
「ど、いて永輔……そこにいたら、殺しちゃう……!!」
ゆっくりと刀を抜いて、彼女の視線が永輔の首元へと定められる。無抵抗な人間の首を刎ねることなど、今の彼女には簡単なことだ。
「止まりなさいアヤメ!!」
「シスター後ろだ!」
テレーズが菖蒲を制止しようとしたところで、桑島が怒号を上げる。
永輔の予期せぬ登場に気を取られて、彼女たちは足を止めてしまっていた。テレーズの背後から、他の奴隷たちが追い付いてきてしまう。彼らはテレーズに敵わないことを学習し、束になってその身体に掴みかかった。
「しまった……!」
「クソッ……ダメだ、俺も、か……」
彼女たちを助けようとした桑島だったが、相手が因縁のある永輔でないため、呪いの洗脳から抜け出すことが出来ない。魔女にとって最も危険なテレーズを止めることに、奴隷たちは全身全霊を懸ける。
テレーズの四肢には、一本当たり5人以上の人間が纏わりついていた。
右腕のみ振り払うことが出来たが、残りの左腕両足はあくまで人間の範疇の怪力であり、一歩も動くことが出来ない。気力だけで直立を維持しており、常人ならとっくに地面に伏して、圧死していてもおかしくはない。
「アヤメ……耐えてください、絶対にダメです。それだけは、それだけはあってはならない悲劇だ!!」
テレーズの目の前では、日本刀を上段に構える菖蒲と、それに対して棒立ちの永輔がいた。
「峰打ちで吹っ飛ばせ! 怪我ならいくらでもいいだろ!」
消えかかる意識の中で、桑島も何とか声を荒げる。
しかし、菖蒲は構えを解くことが出来ず、その両目から涙をこぼしながら、両腕を震わせた。
「出来ないよ……わたし、止められない……だってこれまでずっと、ずっと永輔のことだけを殺したかったんだもん……!!」
既に二本の妖刀が破損して、菖蒲の中の呪いの三竦みのバランスは崩れている。
永輔の命を狙って闇夜の中を追い回していたときと同じ状態に戻り、溢れ出る殺意のすべてが彼に向かうのを、防ぐことは出来ない。
菖蒲の本当の想いを踏みにじるように、殺意の衝動が満ちて、両手に込められる力が臨界へと達しようとしていた。
彼女の自我が妖刀瞋恚に塗りつぶされてしまう最後の瞬間。
ある人物からのメッセージが、埋芽市中のスピーカーを通して鳴り響いた。




