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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
転段

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39/54

転段 --- 香坂明②



「見つけたぜ、バーテンのあんちゃん。やっぱり識名新太郎の言った通りこの店にいたな」


 大男がテーブルの横で、明を見下ろしている。巨体が光を遮って、テーブルには暗い影が落ちていた。

「連れの外国人の姉ちゃんは……なんだふざけた格好しやがって。こっちの男のツラ借りるけど、いいよな?」

「ええ、構いません」

 テレーズは明を助ける義理は無いと突き放すように告げた。そのつれない態度を見て、大男は明を嘲る様に笑った。

「気前が良くていい女じゃねぇか……ん? 待て、お前どこかで会ったか?」

 大男は何かに気づいて、彼女を凝視した。

 明はこの男のことを当然覚えている。彼はテレーズと明が出会ったとき、ぼったくりバーの被害者の中年男性を強請り、結果としてテレーズに一撃で屠られた人物だ。気絶から目が覚めて、暴力沙汰の仕事として明の誘拐を引き受けたらしい。

 明は内心で焦る。問われたテレーズの性格を思い出していた。彼女は嘘がつけない性分だった。

「はい。昨日の早朝、貴方を気絶させたのは私です」

 場を沈黙が支配した。

 直後に、大男が大きく口を開けて笑う。

「ハッハハハハ! 面白いこと言うなぁ外国人の姉ちゃん!! 確かに昨日の俺は用心棒の仕事でドジったらしいが、この細腕のどこにそんな力があるってんだよ」

 大男はテレーズの左腕を持ち上げて、強引に彼女を席から立たせた。

 手荒なやり方をすれば相手は萎縮すると大男は考えていた。

 しかし、この程度の威嚇で身が竦むテレーズではない。彼女は無言ながら、鋭い眼光で大男を圧倒した。

 その理解不能な圧力を受けて、大男は口をつぐむ。

(まずい、こういう手合いは、面子を潰されるとすぐに逆上する……!)

 大男の額に青筋が立った。

「おいなんだよその目……まさか本当に俺を気絶させたのはお前か? それによく見たら物騒なもん持ってんな。その刀、こっちに寄越せ」

 よりにもよって彼は妖刀に目をつけてしまった。こうなっては対処せざるを得ない。

 テレーズは呆れたように深いため息をついた。

「アキラ。貴方のことですから、この店の裏口くらいは調べてありますね? 礼拝名簿のお礼です。この愚かな男だけは引き受けますから、逃げてください」

「何をごちゃごちゃ言ってやがる。早く刀を」

 大男が日本刀目がけて手を伸ばした。

「これは友人からの預かり物です。指一本でも触れることは許しません」

 その伸びてきた腕を掴み、瞬時にひねり上げる。関節が決まり、大男は一瞬にしてテーブルに組み伏せらせた。

「わかってたけど、右腕のバフがなくても強いよね。恩に着るよ、テレーズ」

 彼女の実力に安堵した明は、遠慮なく裏口に向けて走り出した。

「いで、いでででで! おい、どけ女ぁ!!」

「わかりました」

 テレーズが一歩退くと、大男は急いで立ち上がった。

 彼は周囲を見渡して、追跡対象だった香坂明の姿がないことを確認する。店の外で待機していた部下らしき二人の男へ指示をだした。

「お前ら、裏口に回って対象を追え! 俺はこの女を先に攫う」

 部下が走りだしたあと、大男がテレーズへと視線を戻すと、そこには左拳の鋭いジャブがアゴ目がけて迫っていた。

 短い衝撃音が喫茶店を駆け抜ける。

 ぐわん、と大男の首から上だけがおもちゃの人形のように揺れた。

 片膝が地面に落ち、床に手をつく。そこで朦朧とした意識がショート寸前で保たれている。

「こ、の……ア、マァ……!」

 大男は何とか脳震盪に耐え、本能だけでテレーズに飛び掛かった。

 跳び膝蹴り。

 迎え撃ったテレーズのカウンターが、再び脳を揺らして今度こそ完全に大男の意識を奪う。

 彼の全身は喫茶店の床へと投げ出された。

「やはり左では心許ないですね」

 利き手ではない左手を二度開閉する。

 一般人を自称していたとは思えないほどの早業でテレーズは大男を失神させた。

 テーブルの上の伝票を手に取ると、倒れた男の身体をひょいっとまたいで、彼女はレジへを向かった。

 一部始終を見ていた店員はしどろもどろになりながらも、伝票を受け取る。

「えっと、その、お代は先に男性の方から頂いております。あと、レシートはお連れ様にお渡しするようにと……」

 テレーズは予想外の展開に目を丸くしながらも、レシートを受け取った。

 そこには2杯分のブレンドコーヒーの精算を示す活字と、手書きで裏面を見るように誘導する矢印が書いてあった。

 レシートをめくると、そこには『幽霊マンション』の文字に続いて詳細な住所と、魔女の帽子と紙袋のマークが書いてあった。

「……返したはずが、また借りが出来てしまいました」

 明の方が上手だったことを少しだけ悔しがって口を尖らせる。

 テレーズは魔女と殺人鬼の居場所を手に入れて、喫茶店を後にした。




 ◇◆◇◆◇




「おいゴルァ待たんかい!!」

「アホが、逃げんなぁ!!」

 見るからに治安の悪そうな身なりと言葉遣いの二人が石畳の大通りを走る。

 彼らの視線の先には、息を切らせながら走る明の姿があった。

 自分が吐いた白い息にぶつかりながら、懸命に足を動かしている。

(やっぱりダメかぁ……テレーズに守ってもらうシチュエーションなら、まさに今みたいな追われてる場面で、偶然を演出して遭遇するのがベストだったんだけど、思いのほか除名扱いになるのが早くて整えられなかった)

 明はうまくいかない自分の恋路を嘆いて、追いかけてくる二人へと愚痴をこぼした。

「あーあ、君たちがもっと早く来て、店内で2、3発殴ってくれれば、居合わせたテレーズも問答無用で助けてくれたと思うんだけど……来るのが遅いよ?」

「つべこべ言ってないで止まれぇ!!」

 会話をするつもりはないのは明白だった。

(でも癒しの聖女――いや、痛みの魔女の居場所は伝えた。交換条件に断られようが、テレーズのアシストができるならそれで構わない。彼女の中で僕の存在は消えない)

 足音がすぐ後ろまで迫ってきていた。

 運動が得意ではない自分の足では、追手から逃げ切れないだろうと明は考えていた。

 短い逃走時間でたどり着ける場所の目星はついている。

(目的地は人気がない場所。そして、僕を拾うのに都合が良い人間が通りかかってくれる場所だ)

 明は大通りから道を曲がり路地へと入り込む。車一台が何とか通れる程度の道幅で、途端に辺りが薄暗くなる。

 彼の視線の先には、そんな裏路地に似つかわしくないものがあった。

 花束だ。

 無数に積まれた花束の山とペットボトルの列が暗い路地を鮮やかに彩っている。

 この場所は5件目の血十字事件の現場だった。

 目的地へとたどり着いたところで、明のすぐ後ろから足音が聞こえた。

「捕まえたぁ!」

 肩が荒々しく掴まれる。振り返った横顔に、拳が叩き込まれた。

 明が路地裏に転がって、献花へと突っ込んだ。

 衝撃で花びらが舞い、花束に沈むように明は横たわった。

「おいおい、攫う仕事のクセに、殴ることはないだろ」

 軽口を叩くと、それが気に食わなかったのか柄の悪い男が明の胸倉を掴んだ。

「お前を連れてこいと言われただけだ。殴っちゃダメなんて聞いてない」

「敢えてこんなゴロツキを雇うなんて、棟梁は相当怒ってるね」

「うるせえな。わけわかんねぇこと喋んな。もう一発殴られたいか」

「ああ。痛い目見てもらおうぜ」

 隣の男も同調して、拳を握って振りかぶる。

 まさに暴力が降りかかろうとしたところで、明はそれを静止した。

「ちょっと待った。殴る前に聴いて欲しい歌があるんだ」

「はぁ? 歌だぁ?」

 明は取り出したスマホを操作して、あらかじめある音声の再生画面を準備していた。

 親指で再生マークをタップする。


「――きっと、よく眠れると思う」




 ◇◆◇◆◇




 大通りを歩く二人の女性がいた。

 彼女たちは道を曲がって路地へと入り込む。そこは昨日二人が初めて出会った場所でもあった。

「八武崎ちゃん、今更どうしてこんなところに? 君ヶ袋の住んでたアパートや今のバイト先の方がよっぽど重要そうだけど」

「知りたいのはたった今現在の彼らの居場所です。確かに部屋に凶器の入手経路や動機のヒントなどは転がっていますが、全て知っているので(・・・・・・・・・)」

 そう答えた八武崎の横顔には表情というものが無く、光のない虚ろな目をしていた。彼女は殺人鬼を探すことに躍起になっているように見える。

 白柳はそんな彼女を気遣うように話しかけた。

「それで、居ないとわかったらすぐに他の捜査員に引き継いだのね。だからって現場ここにいるかしら」

「ここだけ見ていなかったでしょう。やはり1日経って献花がたくさん……あれは?」

「なんか、伸びてるわね。3人も」

 八武崎は倒れている男たちへと近づいて様子を確認した。

「気絶……? 反応がありません」

「こっちのは一発殴られてるわね。なんか火葬寸前みたい」

 花束に埋もれた男を見て、白柳は鼻で笑った。確かに棺に納められて、別れ花に包まれているようにも見える状態だった。

「その男は……!?」

 八武崎は急いで駆け寄り、その人物の顔をよく確認した。

「何よ。好みの男だった?」

「違います。こんな細いのはタイプじゃありません。それより、重要参考人です」

「ふーん、覚えがあるってことね。こっちの治安の悪い二人は?」

「そっちは記憶にありません。同僚に連絡して対応は任せます」

 八武崎は花束に埋もれた男を引き上げて、肩を貸すような形で歩きだした。

「バーに行く手間が省けました。この男には聞きたいことが山ほどありますから」


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