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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
破段

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30/55

破段 --- テレーズ・ダ・リジェ②



「おい、あれ大丈夫かよ。シスターさんやられちまうぞ……?」

「いつのまにか攻防逆転ね」

「これ以上血十字殺人の件数を増やすわけにはいきません」

「あれがただの殺人鬼に見える? どっちにしろバケモノに巻き込まれるのは変わりないわ」

 彼らは遠巻きに様子を見ていた。

 今にも飛び込みそうな永輔と八武崎を白柳が諫めている。

 永輔はそれに従う義理はなかったが、横たわる菖蒲へ手をかざす毬愛の状況も気がかりだった。

「おい、聖女サマだっけ。本当に菖蒲は起きるのか?」

 八武崎から御美ヶ峰教会の聖女の噂の説明を受けて、彼は毬愛の素性を把握していた。

 毬愛は気絶していた菖蒲を治癒したはずだが、なぜか首をかしげている。

「目を醒まさないのは、きっと傷病とは無関係の精神疲労だと思います……でも、こんなにも癒しきれない感覚は初めてです。まるで、何かに邪魔されているような……あっ」

 煮え切らない様子で菖蒲を看病していた毬愛が声を上げた。

 菖蒲の腕が持ち上がる。何かを探すように手がゆらりと揺れる。

「おい、大丈夫か菖蒲!」

 咄嗟に永輔がその手を掴んだ。遅れて菖蒲が目を醒ます。

「エースケ……じゃない」

「何言ってんだよ、永輔だ!」

 寝ぼけた瞳が、段々とはっきりしてくる。

「違う……エースケじゃない、でしょ」

 菖蒲はその手を振り払った。そして立ち上がり、心配する永輔を突き飛ばす。

 彼女の視線は一方的にシスターを蹂躙する殺人鬼に釘付けだった。



 ◇◆◇◆◇



 テレーズは何とか右腕を盾として使い、致命傷を避けてきた。

 しかし出血や殴打の傷が全身に積み重なっていく。

 何とか立ち上がろうとしたところで、容赦のない回し蹴りが彼女の右腕を蹴り飛ばす。彼女は痛みに悶えながら墓石に寄りかかる様に倒れこんだ。

 殺人鬼はもはや言葉もなく、ただ殺人の対象としてテレーズを蹂躙している。

 次の攻撃に備えなければ、と不屈の意志で顔を上げた瞬間だった。

 目の前に切先があった。

 反射的に首を倒し、日本刀が背後の墓石に突き刺さる。テレーズの頬に浅い切り傷が増えた。

 眉間を狙った投擲だ。

 どんな剛力であろうと、岩に剣が刺さることなど考えられない。君ヶ袋が魔剣・妖刀の類から人間離れした膂力を得ていることをテレーズは確信していた。

 直後、テレーズの肩を踏みつけて、殺人鬼は再び日本刀の柄を握った。

 だが、日本刀が引き抜かれることはなかった。

 ぶらりと垂れ下がった君ヶ袋の手が、不意にその墓石を撫でる。

 不思議に思ったテレーズが、紙袋を見上げた。

 表情の読めない紙袋が、いつの間にか正面を向いて静止している。

 視線の先の墓石には『姫路家の墓』と刻まれていた。



「……ああ、ごめんね。君を傷つける気はなかったんだ。本当だよ」



 その声は別人のようだった。 

 さっきまで会話をしていた相手とは思えないくらいに理性的で、優しい声色をしていた。

 日本語に疎いテレーズには、墓石に何と書いてあったのかはわからない。だがきっと殺人鬼にとって特別な意味があることだということは、容易に想像できた。

「うひゃ」

 鳴き声のような奇声をあげて、君ヶ袋は日本刀の柄を握る左腕を自ら叩いた。

 力いっぱい握りしめていた手のひらが、徐々に開いていく。

「そうだそうだ。シスターさんが動けないなら、もう十分です。これ以上は紳士道に背く。私はお嬢さんを逃がさないと」

「え……? ま、待ちなさい!」

 テレーズには目もくれず、君ヶ袋は踵を返して一目散に走り出した。

「そこの少年、少しの間でしたがお嬢さんの面倒を見てくれてありがとう!」

 返事を待つことなく、君ヶ袋は彼らの横を過ぎ去っていく。

 途中で毬愛の手を取って、霊園の正面入り口を目がけて二人で駆けていった。

 追わなければ、と身体を起こす。だがわき腹のダメージが大きく、その痛みに耐えるように顔を伏せた。


 足音が近づいてくる。


 石畳を鳴らすローファーの主は、墓石の間を抜けて、突然テレーズの目の前に現れた。

 顔を上げた少女は、生気を失ったような青白い顔をしていた。

 その視線はテレーズではなく、彼女の顔の横に突き刺さる日本刀だけを見つめている。

 少女はゆっくりと歩み寄り、日本刀の柄を握って引き抜いた。

 二度、刀を振るって血を払う。君ヶ袋とは違う、鍛錬を積んだ剣士の動きだ。

 月明りを反射する刀身をしばらく眺めた後、横たわるテレーズへと視線が移ろいだ。

 破れた修道服や傷だらけの様子には一切の興味を示すことなく、菖蒲は一言だけ呟いた。


「あなたも、血十字?」




 ◇◆◇◆◇




 永輔は冬の夜空を見上げていた。

 一人ぼっちになった明来木霊園の真ん中に座り込んで、疲れ切った顔をしている。

「なーんで、お前はまた日本刀持ってきちゃうんだよ……懲りねえなぁ」

 足音に気づいて話しかけると、そこには菖蒲が戻ってきていた。

 抜き身の日本刀が構えられる。もう何度も見た光景だった。

「ああクソ、疲れた。もういい。そんなに殺してえなら、殺せよ」

 永輔は冷静にそう発言した。

 きっと自分一人では菖蒲を抑えきれないし、説得することもできない。それを理解したうえでの判断だった。

 理由はわからないが目の前の少女はどうしても自分を殺したがっている。

 それを受け入れようと、ぼんやりと日本刀の刃を眺めていた。

 抵抗しない永輔に対して、菖蒲は構えた状態から中々動かなかった。


「殺したく、ない」


「……は?」

 驚いて菖蒲の顔を見ると、少女は両目から涙をこぼして震えていた。

「だって、あなたは血十字じゃない。犯人じゃないのに」

 振り上げた日本刀は構えられたまま。しかし菖蒲の顔は年相応の泣き顔に変わっていた。

「泣きてえのはこっちだってのに……もう、どうしたらいいんだよ」

 永輔は命を差し出すつもりだったはずだが、予想外の展開についていくことが出来ない。

 そこに、フラフラと力ない足取りで近づいてくる人影があった。

「大丈夫です。この娘は、無防備な人を斬ったりはしない。いえ、決して殺すまいと耐えているのです」

 シスター・テレーズは傷だらけの身体で、菖蒲と永輔の間に割って入った。

「ボロボロじゃんかシスターさん。散々暴れたんだぜコイツ。今更斬らないって本当に言ってんのか?」

 テレーズは自分の言葉を証明するように、菖蒲へとゆっくり近づいていく。

 間合いに入る。菖蒲がその気になれば、一瞬で両断されてしまう命がけの領域。

 テレーズはそれを意に介すことなく、優しく菖蒲へと微笑んだ。

「もう、大丈夫ですよ」

 刀が振り下ろされることは無く、テレーズは少女をゆっくりと抱きしめた。

 菖蒲は泣き顔のまま、テレーズの抱擁を受け入れる。その両手から力が抜けて、構えが解かれた。

「この日本刀を拾うときに、一度私へ殺意を向けましたが、すぐにそれを抑えてあなたの下への歩き出しました」

「うそだろ、菖蒲が止まった……?」

「この妖刀は持ち主に殺意を強制する類のモノでしょう。さっきの殺人鬼のように、誰彼構わず殺したくなるのが普通です。この少女が持ち主なら、これまでも不可解な言動があったのでは?」

 テレーズは菖蒲を抱きしめたまま、永輔に振り返って問う。

「不可解なことしかねえよ。初対面の俺の命を狙ったり、日中は大人しくなったり、殺人鬼を仇とか言うけど詳しく喋んねぇし、わけがわからん」

「初対面……本当にこの少女はあなたのことを知らなかったのでしょうか」

 その質問に対して、永輔は菖蒲との会話を思い出す。スマホで見せられた廃工場の喧嘩動画。彼女は永輔を狙う理由をSNSから得た情報だと話していた。

「……そういえば、出回ってる動画を見て、俺を血十字殺人の犯人だと決めつけたって」

「なるほど、合点がいきました」

 菖蒲はテレーズに抱き留められたまま、小さく泣いている。

「ごめん、なさい。ごめんない」

 テレーズは菖蒲の頭を撫でた。

「どういうことだよ」

「妖刀から流れ込む無差別の殺意に支配されまいと、この娘は抗ってたはずだ。そこで敢えて、殺人の容疑者である貴方一筋に殺意を集約することで、暴走を抑え込んでいたのでしょう。この娘の名前は?」

「菖蒲だ。お前、そんなもんと戦ってたのか……? 殺人鬼への仇討ちじゃなくて、誰も殺さないために?」

「アヤメ、よく頑張りました。貴女は周囲の人間全員を守り抜いた、立派な強者です」

 テレーズが日本刀の柄を握ると、代わりに菖蒲の手が緩んでいく。

「私の腕で妖刀の呪いを消し去ることはできませんでしたが、私が持っている間なら相殺くらいは出来るでしょう」

 日本刀を取り上げると、菖蒲は膝から力が抜けて倒れこむ。テレーズはそれをしっかりと抱き留めた。

 「鞘はありますか?」と声をかけられて、永輔は慌てて周囲に転がっていた鞘を持ってきた。

 テレーズの右腕に握られた日本刀が納められていく。

 その様子を見て、永輔はやっと心の荷が下りたように息を吐いた。

「貴方ももちろん功労者です。殺されずにここまで耐えたことで、アヤメの努力が報われました」

「……知らねぇよ。俺は必死に逃げてただけだ」

 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、永輔は満足そうな表情で菖蒲を見つめた。

 少女は閉じた目からまだ涙を流している。

「ごめんね……エースケ……」

 その言葉を言い終わると、再び菖蒲は気を失った。




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