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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
破段

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29/54

破段 --- テレーズ・ダ・リジェ①

挿絵(By みてみん)


 日が暮れた雑木林の中は、わずかな月明りだけが頼りの暗闇で、植物も眠ったように静かだった。

 そこに突如、鈍い音が響いて人間の身体が飛来する。

 木の幹に激突して地面へと落ちた男は絶命したかに見えたが、その腕の中にいた少女が手を添えると何事も無かったかのように立ち上がった。

「これでも無傷ですか。その治癒能力、感嘆に値します」

 彼らを追いかけてきたシスター・テレーズは、何度でも立ち上がる君ヶ袋を見て呆れたように誉め言葉を口にした。

「お嬢さんが褒められると私も嬉しいですねぇ! それじゃあ殺すのではなく、紳士協定を結んで大事に大事に育てるというのはどうですか?」

「論外です。魔女の呪いは必ず人類を脅かす」

「話せばわかるという至言を知らないんですかぁ!?」

「紳士さん、それは分かり合えないときのやつです……」

 君ヶ袋の腕の中から、毬愛が小さくツッコミを入れた。

 テレーズはこのままでは埒が明かないと思ったのか、殺人鬼相手に話しかけた。

「お喋りが好みなら付き合ってあげましょう。部外者のあなたは、魔女の危険性がわかっていないようですから」

 冬の冷たい風が、林を通り抜けて枯れた木の葉を鳴らす。

 月明かりの木漏れ日が揺れて、相対する彼らをまばらに照らした。

「“痛みの魔女”天辺毬愛……あなたはこれまで何人の人間の痛みを引き受けてきましたか?」

 突然声をかけられた毬愛は驚いて身を強張らせた。不安そうに君ヶ袋の手を握り、震える声で返事をする。

「5年ほど前に癒しの力に気づいてから、毎日一人は必ずです」

「では、今あなたの体内には約二千人分の痛みが集積されている。大きな爆弾を抱えているような状態です」

「ばく、だん……? ち、違います! 私は痛みを癒してきたんです!」


「あなたの呪いは、『他人から痛みを奪う』ものだ」


 テレーズは毬愛を指さして、断言するように言い放った。

「魔女の呪いは無差別で、無秩序で、無粋で、時に爆発的に感染します。呪いはいつか限界を迎え、コントロール出来ずに暴発する。魔女はそうやってこれまで何度も多大なる被害をもたらしてきました。今はあなたの手の内にあるかもしれませんが、“痛み”の呪いは必ず人々を傷つけます」

 魔女狩りの専門家による高説に対して、毬愛は何も言い返せず黙り込んでしまった。

 代わりに君ヶ袋が反論する。

「シスターさんなら、それを防げるというんですか?」

「私の右腕は信者の祈りが集積した聖人の力を有しています。この腕で魔女を葬れば、呪いごと消し去ることが出きる。それが最善であり、私の責務だ」


「お話になりませんねぇ! お嬢さんだってあなたが守るべき信者でしょうに。全くもって非紳士的暴挙だ!」


 その言葉に思うところがあったのか、テレーズはわずかに顔をしかめた。

「……私は主と違って万能ではありませんから、私が守れる弱者を、一人でも多く守るために行動します」

「では今回で限界を超えるパターンはいかがですか!? その腕に集まる祈りを同じく5年分くらい溜めてハイパースペシャルウルトラ聖人パワーに……流石にこれはM78星雲過ぎました。あの辺りの」

 君ヶ袋が適当に空を指さして力説するも、毬愛もテレーズもそれには取り合わなかった。

「……もはや一刻の猶予もないのです。既にあなたの養父だった岸和田神父は呪いに侵され、自分の意志を失い、あなたに傷病者を貢ぐ奴隷となっていました」

「そんなのお嬢さんの魅力がファンを心酔させてただけかもしれないじゃないですか!!」

「あの、紳士さん変なフォローは止めてください……神父様については、私も心当たりがあるのです……」

「魔女の脅威はこれでご理解ください」

 取りつく島もなく、テレーズは言い切った。これ以上の議論は無意味だと、君ヶ袋さえもがそう感じ取った。

 続けて、テレーズは君ヶ袋自身について問いを投げかける。

「あとはあなただ。老婆を絞め殺したときの話が本当なら、私の同僚も手にかけているはず。なぜそんなにも簡単に人を殺すのですか?」

 急に自分の話になった君ヶ袋は、驚いたように紙袋に包まれた顔面を両手で包んだ。

「そうですねぇ、聖職者あなたたち風に言うのであれば……」

 少し悩んだ後、思いついたように声を上げた。


「そう、『天国への道は悪意で舗装されている』ってことです。悪人が天国へエスコートしたって、別に構いませんよね?」


 テレーズは目を丸くした。狂人だと思っていた人物から、意外な言葉が出てきた。

「教会博士・聖ベルナールが残した格言ですか、やけに博識ですね。ですが正しくは『地獄への道は善意で舗装されている』です」

「オリジナルアレンジです! 誰が言ったかなんて知りませんが、物覚えだけは自信がありましてね」

「いいでしょう……では、貴方が悪意で舗装したその道を、私の右腕が掘り返して差し上げます」

 テレーズはチェーンソーに裂かれてぼろぼろになった右腕の袖をまくり、無傷の右腕に力を込めた。

「迷惑です!!」

 君ヶ袋は毬愛を強く抱きかかえて、中指を立てた。

 修道服の影が、一瞬の間に肉薄する。

 立てた中指が握られて、乾いた音と共に直角に折られた。

「どの口が言いますか。問答は終わりです」

 続けて叩き込まれる拳が、再び君ヶ袋の肉体を破壊した。

 

っったいですが、そう何度も同じようにやられては、紳士が廃るってもんです!!」


 テレーズがよく観察すると、吹き飛んでいく君ヶ袋の損傷は片腕に留まっていた。これまでの応酬で、テレーズがボディ狙いの攻撃を仕掛けてくることを予想してガードしたらしい。

「し、紳士さん止まって!! この先、崖になってるみたいです!」

「うひゃ!!?」

 足を踏み外した君ヶ袋は、雑木林の急斜面を転げ落ちていった。

 毬愛を抱きしめて守りながら落下する最中、木の枝や岩が君ヶ袋の身体を傷だらけにしていく。



「崖転コロ転殺される~~~~~ううっひょい!」



 大声を出しながら、彼らは崖の下の明来木霊園の石畳まで投げ出された。

 君ヶ袋が落下の痛みに耐えながら立ち上がると、毬愛が背後を見て声を上げた。

「紳士さん、後ろ後ろ!!」

「うひゃ、ぁグォッ」

 再び、君ヶ袋は毬愛を抱いて転がった。霊園の石畳をバウンドして、墓石に背中を打ち付けて停止する。

「何度も人間を砕く感触は、気持ちのいいものではありませんね。いい加減終わりにしましょう」

 崖を飛び降りてきたテレーズが、拳ひとつで君ヶ袋に再び致命傷を負わせた。

 彼女は横目で霊園の様子を探る。

 夜の霊園といえば人気が無さそうなものだが、園内には4人の人間がいた。セーラー服を着た少女が横たわっており、それを心配するように少年が寄り添っている。少し離れて、こちらを警戒する女性が2名。

(あれは確か……昼間に御美ヶ峰教会へ来た捜査員ですね。なぜここに?)

 テレーズが不思議がっていると、回復した君ヶ袋が元気よく立ち上がった。


「何度砕かれようがめげない! 諦めない! それが! 紳士のたしな……あれ、何かいいものが落ちてますね。今日のラッキーアイテムは……そぉれ、日本刀!!」

 紙袋を被った殺人鬼が、足元に転がっていた凶器を手に入れて、楽しそうにそれを掲げた。

 月明りを反射した刀身が、妖しく光った。


 凶器の登場に驚いた毬愛が身を強張らせる。

「どうしてこんなところに……」

「……ォア?」

 直後、紙袋がぐしゃりと潰れる音がした。

 日本刀を持ったまま、君ヶ袋の両手が顔面を押さえつけて、紙袋をぐしゃぐしゃにかき回す。

 うめき声とも、獣の唸り声ともとれる音が彼の喉から漏れる。

 異様な様子を見て、毬愛は一歩身を引いた。

 その足音を聞いて、ぐるんと向きを変えた紙袋が視線で彼女を捉える。

 毬愛は固唾を飲みこんだ。

「お、ォおお嬢さん……少し、僕から離れた方がいい。今は、誰でもいい気分だ。ぁアぁあなたでも、構わないくらいに」

 不穏な言葉をこぼしながらも、君ヶ袋が毬愛を傷つけることは無かった。

 その手をとって、さっきまでと同じようにお姫様抱っこで胸に抱えると、さらに持ち上げて頭の上に聖女は掲げられた。

 「紳士さん!?」と困惑する毬愛には一切取り合わず、君ヶ袋は霊園に元々いた4人の方へと顔を向けた。更に一人の少年へと視線を合わせる。

「そこの少年、今からアナタはキャッチャーミットです!!!」

「……は? へ? 俺のことなのか」

 気絶した菖蒲の様子を見ていた永輔は突然の声に驚いたが、目を向けた先の光景にもっと驚愕させられる。

 君ヶ袋は両手で毬愛を思いっきり投げた。

 悲鳴を上げながら丸まって、ボールのように宙を舞う毬愛。飛距離は約20メートル。咄嗟に構えた永輔は毬愛をなんとか受け止めて石畳の上に倒れこんだ。

 さっきまでの君ヶ袋には不可能なはずの、異常な膂力だった。

「突然何してくれてんだこの紙袋ヤロウ!! そっちは大丈夫か?」

「はい、すみません、重かったですよね……?」

 毬愛は恥ずかしそうに永輔とやり取りをする。しかし即座に状況に気づいて、君ヶ袋に声をかけた。

「紳士さん、ダメです! わたしから離れたら、もう怪我を癒せなくなる……!」

 対する君ヶ袋はその言葉には取り合うことなく、永輔を指さした。

「少年、アナタは善い・・・だから。少しの間だけお嬢さんを預けます」

「……なーにを根拠に言ってんだよ?」

 永輔は言葉の意図が分からず、困った表情を浮かべる。

 しかしその背後で、一連のやり取りを見ていた白柳と八武崎が永輔を凝視していた。

「善い人って、言ったわね」

「善人と認定した……永輔くん、もしやあの人物と顔見知りですか?」

「あるわけねぇだろあんなド変人!!」

「言葉を交わすのは初めてですねぇ! でも知ってる。君はきっと酷いことはしない。だから預けます。僕はこれからちょっと過激になりそうな予定が。抑えられない予定が。誰彼構わない予定が。ブッ殺しの予定がガが――」

 直後、石畳を叩く音が連続した。

 “痛みの魔女”天辺毬愛を追うテレーズが、永輔たちの下への駆けだした。

「そこの少年、その魔女を返してください。あなた方も危険ですから離れて」



「――予定だから、おい。こっちを見ろよ」



 狂人の怒声を聞いたテレーズが目を視線だけを戻すと、そこには巨大な灰色が目前に迫っていた。

 墓石だ。

 テレーズは咄嗟に右腕を構えて、迎え撃つように拳を叩き込んだ。

 砕かれた破片が飛び散って、地面に降り注ぐ。

 竿石と言われる縦長の部分は、重量100kgを超える巨大な岩だ。それを投げた君ヶ袋の規格外のパワーもさることながら、一撃で破壊したテレーズの拳も人間業の範疇を超えていた。

「死者を冒涜するとは、罰当たりですよ」

 飛来した墓石の影に隠れて、君ヶ袋はテレーズの目の前まで接近していた。右腕の防御を避けるように、繰り出した前蹴りがテレーズの腹部に突き刺さる。

「じゃあ生きてる人間を冒涜してみまぁす!」

 蹴りを貰ったテレーズが怯む。鍛えているとはいえ、右腕以外は生身の人間と変わりなくダメージが入る。

 好機と見た君ヶ袋が畳みかけるように日本刀を構えた。

 無作法で力任せな袈裟斬り。

 テレーズは咄嗟にその軌道上に右腕を配置し刀を受け止める。



 その瞬間、テレーズの右腕に鋭い痛みが走った。



「え……痛、い……?」

 それまで厳格な聖職者として毅然とした態度を保っていたテレーズの口から、か弱い声が漏れた。

 彼女が恐る恐る目を向けた先には、日本刀が自分の右腕にわずかに食い込んでいる様子が見える。

 信仰による剛体が突破された。

 巨木に切れ味の悪いナイフが突き刺さったような小さな裂傷。だがそれはテレーズに生まれて初めての経験いたみだった。

 ぽたりと、石畳に血が流れ落ちる。

「なんだぁ、斬れるんじゃないですか」

 呆然としていたテレーズの顔面に、拳が叩き込まれた。

「斬れるなら殺せる! もう怖くない! 誰だっていいけど、やっぱりまずはお礼からしないと!! だって僕は紳士だもの!!!」

 右腕と日本刀の拮抗は弾かれて、シスターが後退する。

 顔面に一撃を食らったことで、テレーズはほんの少しだけ冷静さを取り戻した。

(聖十字教の信仰で相殺できない呪い……この刀、古い魔剣の類ですか……!?)

 彼女にとって信仰の重みを打ち破られたのは初めてだが、教会の古い歴史の中で、ある条件下において同様の事象が起きることは把握していた。

「その刀、かなりの年代物のようですね。この国に主の福音が届く前……少なくとも、500年以上の年季が入った業物のはずだ」

「そんなの知りませんねぇ! 斬れないならナマクラ、斬れるならワザモノ。裂いて殺すのはオテノモノゥ!!」

 もう一度襲い掛かる日本刀。水平の横薙ぎが繰り出される。

 テレーズは咄嗟に身を引いて回避した。

 冷静でいるように努めたが、初めての場面に出くわした彼女は明らかに精彩を欠いていた。

 刃が目の前を通過したのを確認して踏み込んだ。出血する右腕に力を籠める。

(もう治癒はない。斬られる前に、ここでトドメを差してしまえば――!)

 カウンターを狙うテレーズの耳に金属音が届く。

 通りすぎた刃が墓石にぶつかった音だ。日本刀はそこで停止するかに思えたが、君ヶ袋はその反動を利用した。振り抜いた剣の動きが、逆再生されるかのように揺り戻される。

 日本刀の刃と反対側の峰が、テレーズのわき腹にめり込んだ。

「サヨナラ逆転峰打ちホームランヌゥ!!!」

 想定外の一撃にテレーズは虚を突かれた。切り裂かれることはなくとも、金属の棒を叩き込まれた衝撃は凄まじく、あばら骨にヒビか骨折と思われる激痛が走る。

 よろめいたところを君ヶ袋は見逃さなかった。

 続けて乱雑にハンマーを振り下ろすような左袈裟斬りが迫り、テレーズはやむを得ず右腕で受けた。

 再度鮮血が舞う。

 肉を切らせて刃を止めたシスターは、痛みに耐えて後退する。

 君ヶ袋はそこに間髪入れず肉薄して、膝蹴りの追撃をお見舞いした。

 肺の中の空気が押し出され、酸欠になったように彼女の視界が明滅する。

 連撃を受けたテレーズは、ついに石畳へと倒れこんだ。

 それでも殺人鬼の攻撃は止まらない。




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