破段 --- 霧崎菖蒲②
八武崎は身動きが取れず、その首を目がけて水平に刃が迫った。
「それ、優しさじゃなくて油断よ八武崎ちゃん」
直後、鋭い金属音が鳴って日本刀は止まった。
間に割って入ったのは白柳だった。
八武崎は目を疑う。彼女の手に握られていたのは拳銃だった。
逆手に握られた拳銃がトンファーのように腕に沿って、日本刀の刃を受け止めている。
日本刀と銃身。奇妙な鍔迫り合いが拮抗する中で、菖蒲は恨めしそうに白柳を睨む。
「邪魔ばかり、うっとうしい」
「睨んだところで斬れないわ。ベレッタ92のバレルの素材はクロモリ鋼。刃物を受けるぐらいの強度はある」
空いている片手を背後に回す。
風がなびいて、浮き上がったトレンチコート。
彼女の背後にいた八武崎には、白柳の背中にあるホルスターにもう一丁の銃が収められているのが見えた。
「まあでも、破損からの暴発は怖いから、撃つのはこっち」
冷静に日本刀を抑えながら、白柳はもう一丁の拳銃を抜き取って構えた。
銃口の先には、日本刀を構える少女。
伸ばした人差し指がサイドにあるセーフティレバーを押し上げて解除する。
危機を感じた菖蒲は鍔迫り合いを解除して、距離を取った。
「威嚇射撃~」
腑抜けた声と共に、けたたましい銃声が二度響き渡った。
銃弾は石畳に直撃して彼方へと消える。言葉通り、人体を狙った攻撃ではなく威嚇の意味合いで放たれたようだ。
「ちょちょちょ、ちょっと何をやっているんですかあなたという人は……!??」
驚愕と絶望が混じったような表情で、八武崎は白柳の胸倉を両手でつかみ上げた。
「ホンモノ!? なんで警察でもないあなたが本物の拳銃を!!? 更に軽々しく発砲まで……!」
「なによ命の恩人でしょ。銃刀法くらい見逃しなさいな」
「出来るわけがっ」
「来るわよ」
八武崎の意識が逸れたのを好機と判断して、菖蒲が再度接近する。月明りを反射する刀身は、今度は上段に構えられている。
二人の間を割り込むように、振り下ろされる直前。
「私の分の受け身もよろしくね」
胸倉を掴まれたまま、ダンスを踊る様に八武崎の腕を引き込んで、白柳は背後に全体重を預けて倒れこんだ。
目線は敵を見据えて離さない。
空を切る日本刀。
今度はその腕を目がけて、銃弾が撃ち込まれる。
八武崎は白柳の後頭部を守りながら前受け身の体勢を取ると、すぐ近くで発砲の轟音を聞いた。
弾道は日本刀を握る右腕へと向けて一直線へと進んでいた。だが、菖蒲の血肉に届くことは無く、その銃弾は日本刀の刃に両断される。上下に分かれた弾が軌道を変えて菖蒲を避けた。
回転するような剣閃。
銃口の角度から推測していたのか、菖蒲は瞬時にそれを迎撃した。
「わぉ、そりゃ人間技越えてるわよ……!?」
白柳は快適に地面に倒れこんだ。受け身を担当した八武崎の説教が降ってくる。
「また撃ちましたね? いい加減に……!」
「避けないと、斬られるわよ」
地面に転がった二人に対して、菖蒲は日本刀を高く掲げていた。
「ああもう、掴まってください!」
白柳が首に手を回すと、八武崎は彼女を抱きかかえて即座に地面を蹴り、菖蒲から距離を取った。
その間も白柳は銃口を向けて、菖蒲への牽制を続ける。
体制を整えた二人と、剣を構える菖蒲。
状況はにらみ合いとなった。
「ねぇ、銃弾斬られるなんて人生初めてなんだけど。八武崎ちゃんの関節技を振り切ったのも含めて、あの娘、明らかに異常な力で動いてる」
「ぐ……今は確かにそちらが優先ですね……殺されかねません」
八武崎は悔しそうに「でも拳銃の件、絶対あとでとっちめますから」と白柳の手元を睨んだ。
白柳の視線は日本刀に集中している。
「あの刀が怪しい……けどこれは血十字とも、私の本職とも別案件ね。珍しくも、呪いの類かしら」
二人の背後から顔を出した永輔が慌てて声をかける。
「刑事さんたち!? 菖蒲を止めてくれるのはいいけど、銃で撃つのは止めよう!?」
「アンタが怒らせたからこうなってんでじゃないの? 説得してみなさいよ」
「思い当たる節がねぇよ!」
そう言いつつも渋々二人の前に出た永輔が、菖蒲に話しかける。
「おい菖蒲、桑島に話聞くまで待つって言ってくれてただろ! なんで急にブチ切れてんだ!」
菖蒲は永輔に容赦ない殺意を向ける。
「……あの子、あの子の仇、血十字は殺す、そうでもしないと理由が……エースケ、でしょ? それともあんたら3人が殺人鬼なの? いや、もう何でもいいの、誰でもいいし、何人でもいい。とにかくアンタを殺す」
血走った眼と言動を見て、全員が説得は無意味だと悟った。
「仕方ない、とにかく凶器を引き剥がすわよ。アンタも協力しなさい。名前は?」
「永浦永輔。いいけど菖蒲を撃つのは無しな」
「白柳魅世よ。その名前……どっかで見た顔だと思ったら、廃工場事件前夜の喧嘩少年か! 血十字の犯人は見た?」
「俺は見てねえが、目撃者を知ってる」
「じゃああとで教えなさいね。それで拳銃無しでどう抑える気なの?」
「俺は『菖蒲を撃つな』って言っただけだぜ」
目を丸くする白柳を差し置いて、永輔が一歩前に出た。
「気に入ったわエースケちゃん。お望み通り援護してあげる」
永輔は短く返事をして、菖蒲の間合いのギリギリまで進んだ。
彼女が踏み込んで剣を振るえば、永輔の命は簡単に奪われる。
一歩目の前に死がある。
それでも少年は、いつも通り喧嘩をするように相手を挑発した。
「菖蒲、上段に構えろ。お前が剣を振り下ろすのと俺の拳。どっちが早いか、真っ向勝負と行こうぜ」
圧倒的有利な提案を受けて、菖蒲は気の抜けたように笑った。
「自ら殺されに来るなんて、殺人鬼にしては気前がいい」
日本刀が夜空へと向かって真っすぐ伸びる。
「何をやってるんですか、本当に殺されますよ!?」
「止めないで八武崎ちゃん。策はある」
前に飛び出ようとした八武崎を、白柳が静止する。
「そうだぜ刑事さん、アンタはでかい声で3カウント数えてくれ。いいな菖蒲、0になったら喧嘩スタートだ」
「早くして」
納得していない八武崎だったが、全員の気迫と白柳の言った策を信じて、右手を上げて指折り数を数え始めた。
「いいですか、3」
冬の夜風が木の葉を鳴らす。
永輔と菖蒲はお互いを殺す気でにらみ合っている。
「2」
永輔の三白眼が、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
次のカウントよりも早く、彼は前傾姿勢になって前へと踏み出す。
白柳の視界では永輔の後頭部が下がり、その奥に剣を構えた菖蒲が焦って力を籠める瞬間が見えた。
その困惑の表情が拳銃の照門と一致して――ほんの少し上にずれる。
「不良は悪戯が上手ね」
乾いた破裂音が響く。
銃弾は永輔の頭の上を掠めて、振り下ろされる前の菖蒲の日本刀の刃に直撃した。
スピードに乗る前の振り下ろしでは銃弾を両断できず、上段の構えが崩れる。
「い、ちッ!?」
驚いた八武崎のカウントダウンが止まった。
構えの乱れた菖蒲に迫る永輔。両手で彼女の両腕を掴み固定する。
振る前に抑えれば、斬られることはない。
だが、問題は菖蒲を動かす異常なまでの執念と並外れた膂力だった。
「アンタを、斬り殺してやる!!」
間合いの内側にいる永輔を狙う菖蒲。
それに対して永輔は一瞬上半身をのけ反らせて、落ちてくる刃よりも早くその根元へと頭突きを繰り出した。
「振らせねぇよ!!」
鈍い音が二人の間で起こる。
日本刀の鍔を、永輔は額で受け止めた。
斬撃を封じられて、菖蒲の攻撃が完全に静止する。
永輔の眉間から一筋の血が流れ落ちた。よく見るとヘアバンドが血で大きく滲んでいる。
「本気になるなよ。女子供に、俺が喧嘩の相手してやるワケ無えだろ」
「お手柄です。永浦君」
永輔の功績を無駄にしまいと、八武崎が追撃を仕掛けた。
背後からの羽交い締めにより、菖蒲の両腕と首が固定される。
「はぁ、なせ……!! なんで、どうして、邪魔ばかりするのぁッ!」
一旦の攻撃は凌いだが、菖蒲の凶暴性は失われていなかった。その証拠に、関節技の最中でもまだ両手で日本刀を握って離す気配がない。
「諦めの悪い子には、おしおきね」
白柳の両腕には拳銃が握られていた。
一瞬、緊張感が走るが、その構えは明らかに発砲のためのものではなかった。
引き金には指が入っておらず、別の何かに狙いを定めている。
目の前には羽交い締めとなって、両腕の肘を突き出した状態の菖蒲がいた。
「痺れるわよ」
白柳が両腕を振るうと、銃床が菖蒲の両肘の内側に直撃した。
途端に、菖蒲の顔面が苦痛で歪み、蒼白になっていく。
尺骨神経麻痺。通常、ファニーボーンと呼ばれる腕の急所に容赦なく銃床が叩きつけられた。
菖蒲の指先から力が抜けていき、小指と薬指が刀の柄から浮いていく。
「もういいだろ、菖蒲」
永輔が日本刀の鍔を叩き落として、ようやく菖蒲は刀を手放した。
カラン、と。石畳に落ちた日本刀が跳ねる音がする。
「また暴れだしたらたまったもんじゃないわ」
白柳はそう言うと、足元の日本刀を蹴り飛ばした。
刀は霊園内を転がって、通路に面した墓石にぶつかって止まった。
「白柳さん! 危険物なんですから丁重に扱ってください!」
「この両手の奴にそれを言う?」
白柳は二丁拳銃を携えたまま肩をすくめた。
「おい……菖蒲? おい、しっかりしろ! 刑事さん、菖蒲を下ろしてくれ!」
狼狽える永輔の声を聴いて、二人は事態に気づいた。
八武崎が羽交い締めを解いて菖蒲を横に寝かせると、彼女は気絶していた。
永輔が何度も名前を呼んで頬を叩くが反応はない。
「さっきまでの異常なパワーと言い、心配ですね……警察署よりも先に、近くの旭富総合病院へ運びましょう」
「そうだ、びょう、院に行ったほうが……いいのはわかってる……けど」
歯切れの悪い永輔に、八武崎は不思議がっている。
その様子を一歩後ろから白柳は観察していた。
(刀を手放した途端に気絶……やっぱり、この娘が暴れてた原因は妖刀の類かしら)
ついさっき自分が蹴とばした日本刀へと目を向けた瞬間だった。
「崖転コロ転殺される~~~~~ううっひょい!」
明来木霊園に面した林の斜面から、得体の知れない何かが転がり落ちてきた。
それが人だと理解しにくかったのは、頭部に紙袋のような覆面を被っていたからだ。
傷だらけの不審者の腕の中には、怯える少女が縮こまっており、その少女が不審者の背後を見て声を上げた。
「紳士さん、後ろ後ろ!!」
「うひゃ、ぁグォッ」
再び、紙袋の不審者は少女を抱いて転がった。霊園の石畳をバウンドして、墓石に背中を打ち付けて停止する。
「何度も人間を砕く感触は、気持ちのいいものではありませんね。いい加減終わりにしましょう」
不審者を拳ひとつで吹き飛ばしたのは、黒を基調とした修道服に身を包んだ女性だった。
「白柳さん、あれ……血十字殺人の犯人です……!」
八武崎は急いでスマホを取り出して、監視カメラのキャプチャ画像を開く。そこに映っていた紙袋を被った容疑者と、斜面を転がり落ちてきた男は同じ背格好だった。
駆け寄ろうとした八武崎の肩が強い力でつかまれた。
「ステイよ八武崎ちゃん。あのシスター、御美ヶ峰教会で見たヤツだわ。正面から首を突っ込んだら、あなたもタダじゃ済まない」
でも、と食い下がる八武崎だが、白柳は今までに見たことない程に緊張している。
相対する殺人鬼と修道女の様子を見守っていた白柳が、何かに気づいた。
「あ……やっばいかも」
「何度砕かれようがめげない! 諦めない! それが! 紳士のたしな……あれ、何かいいものが落ちてますね。今日のラッキーアイテムは……そぉれ、日本刀!!」
紙袋を被った殺人鬼が足元に転がっていた凶器を手に入れて、楽しそうにそれを掲げる。
月明りを反射した刀身が、妖しく光った。




