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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
承段

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23/54

承段 --- 香坂明②


「……残念ながら魔女については私も詳しくない。だからこれを見るといいですよ」

 平井神父は机の上に置いてあったスマホを操作した。十字架のアイコンをタップすると、アプリが起動して読み物や音声が聴けるらしい機能が表示される。

「……十字架のアイコンって、まさか聖十字教会の公式アプリかなにか?」

「ええ、信徒でなくても誰でも利用できるアプリです。神父がやってるFMラジオに、聖書、聖歌集も読めるし、今日の聖人を教えてくれる機能だってあります。毎月教皇からのビデオメッセージも届きますよ」

「へー、興味ないけど。まさかこのシニア向けスマホみたいなダサいUIのアプリに、魔女が何たるかも載っているとでも?」

「そのまさかですよ。当然、アクセスするにはコツが要りますけどね」

 平井神父はメニュー画面の最下部にある開発者ツールというモードをONにした。するとログイン画面が開き、彼はIDとパスワードを入力する。その後指紋認証を要求され、親指を電源ボタンに押し付けるとロックが解除された。

 突如、アプリデザインの様相が一変した。昨今のSNSのように、直感で操作できる現代的なデザインに見える。

 プロフィール欄には平井神父の名前と階級が表示され、現在彼が協力しているテレーズともう一人バルナバという神父の名前が並んでいる。

 平井神父は魔女に関する情報を検索し、それらの報告書を新しい順にソートした。

「どうぞ識名新太郎さん。魔女に関して知りたいのでしょう」

「驚いた。2000年の歴史がある宗教組織でも、意外とIT化が進んでるんだ」

 スマホを手渡された明は半信半疑で画面を見る。

 そこには確かに魔女に関する記録が羅列していた。明はその見出しを読み上げていく

「痛みの魔女、老いの魔女、熱の魔女、知恵の魔女、溺没の魔女、眠りの魔女……」

「その眠りの魔女というのが、テレーズが前の任務で葬った魔女らしいですよ」

「……あの、そういうおせっかいは要らないんで」

 不機嫌そうに言い返しつつも、明は眠りの魔女見出しをタップして、その詳細を閲覧した。

 そこには魔女の発見から討伐までの経緯を中心に、眠りの魔女の呪いに関する情報までが網羅されていた。

 5分程かけて明はその内容を熟読した。特にテレーズの活躍を記載した部分に関しては3度読み返し、そのシーンを妄想して反芻していたことで、平井神父は読み終わるまでしばらく待たされてることになった。

「……やけに長いこと読んでますが、そろそろいいですか?」

「ええぇ~もう一回だけ、テレーズが疾走する背後で、総動員した聖歌隊の合唱と爆音の音響を接続して、魔女の子守歌をかき消しながら、窓が割れるほどの振動の中で彼女が止めを刺すくだりだけ読みたい」

「しっかり理解しているじゃないですか。返してください」

 明は渋々と言った様子で、口をとがらせながらスマホを神父へと戻した。

「その様子だと、この報告書で魔女の能力や恐ろしさは理解できたようですね」

「いや、これだと不十分だね」

「……はい?」

 さっきまで上機嫌に見えた明だが、いつの間にかその瞳は鋭く平井神父を射抜いていた。

「確かに膨大な被害者数と恐ろしい呪いについては理解できた。でも報告書のページにはアクセス権限のない部分がいくつかある。文字以外の画像や動画のデータも格納されているはずだ。それにはどうやったらアクセスできる?」

 平井神父は虚を突かれて焦っていたが、淡々とアクセスが出来ないこと説明した。

「流石、目聡いですね……ですがアクセスは不可能です。私は教会の人間だがあくまで現地の協力員という立場で一部の閲覧権限しかありません。『神からの呪いアナテマ』のメンバーでなければ重要情報の閲覧や報告書の編集は出来ません」

 その言葉を聞いて、明は呆れたようにため息をついた。「わかってないなぁ」と小さくつぶやいて、平井神父のスマホを指さした。



「痛みの魔女の報告書を自分で改竄したくせに?」



 平井神父は目を見開いた。

「そんなわけがありません、何を根拠に、馬鹿馬鹿しい」

「大事なことが書いてなかったよ。テレーズがこの街に来たのは調査員3名の足取りが途絶えたからだ。でも、そのことが報告書から抜けてる」

「いつの間に、他の記録まで……」

 平井神父はスマホをスクロールして記録を見返す。

「さっきの時間で眠りの魔女以後の記録はすべて見たよ。そのうえでテレーズの活躍シーンを見返してたんだ。全ての報告書には調査員が魔女を発見するまでの経緯が記載されている。だから痛みの魔女の報告書に発見経緯がないということは、それが残っていると不都合な人物が記録を消したんだ」

「仮にそうだとして、調査員のことがなぜ君にわかるのですか?」


「識名新太郎をなめるなよ」


 低く唸るような声色で、この町で暗躍する情報屋は威圧感を漂わせた。

「テレーズと出会ってからじゃない、元々知ってたんだ。それぞれの調査員が来たのは先月、3か月前、5か月前。こんな地方都市で珍しいイタリアからの入国者、しかも観光目的じゃないの人物なんて当然補足してたよ。彼らの足跡が、この町で途絶えたこともね」

「……私が殺したという証拠はない」

 苦し紛れの言い訳だった。

「よく言うよ。テレーズ同様に調査員をアテンドするのは平井神父、現地協力者であるあなたの役目だったはずだ。信者の横流しが露見することを恐れたあなたが、岸和田神父にリークして、殺させた」

「わ、私は痛みに苦しむ信徒を助ける思いで癒しの聖女に縋った。決して身も心も汚れたわけではないっ。調査員のことだって、まさか殺すとは思わなかったんだ。だからテレーズには言わないでいてくれ! 頼む!!」

「いいよ、殺しそれを咎めてるわけじゃないんだ。あなたが持っている上位のアクセス権を渡してくれたらそれでいい。そしたら報告書はこのままで、テレーズには伝えないと約束しよう。だから、ほら」

 手招きするようなジェスチャーをする。明が求めているのは言い訳や命乞いではなく、上位アクセス権だけだった。

 平井神父は諦めたようにうなずいて、懐から荷物を取り出した。

「……痛みの魔女の件の仕事が終われば、すぐにこの町から出ます」

「南国行きのチケットは任せてよ。交渉成立だね」

 机の上に並べられたのは、新しいスマホ1台と手帳、そして布に包まれた棒状の何かだった。

「聖人バルナバ・リベロプロスの荷物です。今回の任務でテレーズと組んで痛みの魔女を狩る予定だった男ですが、昨晩殉職しました」

「昨晩ね……なるほど。まだ死亡報告をしてない『神からの呪いアナテマ』のメンバーである彼の端末からアクセスすれば、上位権限ですべての情報を閲覧して編集だって出来るわけだ」

 明はスマホを起動して、先程の平井神父に習って教会アプリを開きログイン画面まで進んだ。

 その間に平井神父は手帳を開いて、彼が設定したIDとパスワードを伝えた。

「IDは聖人の名前とその記念日Barnabas0611。パスワードは彼の手帳のメモを元にいくつか試したところ、4361541でした。意味は聖書の人物である『聖バルナバ』が使徒行伝にて登場した小節の数字4章36節と15章41節です」

 言われたとおりに入力すると、順調に承認が済んだ。だが、すぐに指紋認証を要求されて、そこから進めなくなってしまう。だが、明は焦ることなく平井神父と目を合わせた。

「それ、借りるよ」

 平井神父は小さく頷いた。明は遠慮なく布で包まれた棒状の荷物を手に取ると、その布の包みを剥いでいく。


 現れたのは、人間の親指だった。


 平井神父は保身のために不正を働くだけでなく、その手段として聖人バルナバの死体から親指を切り取ったのだ。

(やっぱりこんな小悪党ごときは、テレーズの隣にふさわしくないな)

 明はこの包みの中身を想定していた。だが実際に切り取られた親指を見たときに湧き上がってきた感情は、平気でこのような薄汚い不正を行う平井神父が、愛するテレーズの隣にいるということへの嫌悪感だった。

 乾燥しない様に湿ったキッチンペーパーとラップで切断面が包まれていて、まだ肌の質感を保っている。

 親指を電源ボタンに触れさせると、指紋認証が解除された。




 ◇◆◇◆◇




「ああ。そうそう、軽自動車じゃなくて4人乗り以上なら何でもいいよ。足は着いてもいい、すぐに乗り捨てるから」

 香坂明は珠逢通りを歩いていた。服装はバーテンダーの制服の上から、ファー付きのモッズコートを羽織っている。空は既に暗く、辺りでは居酒屋のギラギラとした看板やネオンの文字が輝いていた。

 そろそろバーを開店させる時間のはずだが、明は何故か店の外にいる。電話の相手には車の用意を頼んだらしく、程なくして通話が終わった。

 明は吐き出した白い吐息が、繁華街の下品な光に照らされて溶けていくのを眺めた。

 先程まで話していた平井神父のことを思い出す。

(なにが『身も心も汚れたわけではない』だ。叩いたら埃どころかヘドロまで吐き出すんだから困ったもんだよ)

 気を悪くした彼は、癒しを求めて手元のスマホを操作し、テレーズの現在地を確認した。

 彼女は明が伝えた礼拝参加者の所在地へと向かっている。

 彼はテレーズの背負っている業について考えていた。

(生まれ持った聖人の右腕、偶像崇拝、魔女の呪いへの対抗策ね……全てが押しつけがましい。君の本心が知りたいな、テレーズ)

 明は聖人のメカニズムを聞いて、恐ろしいと思った。

 本人の希望も理想も意向も何もかも関係がなく、信者からの重圧が身勝手にのしかかっている。それを祈りなんて言葉で片付けるのは、一方的な綺麗事だと考えていた。

 あっ、と呟いて明は何かに気づいたように立ち止まった。

「それで『神からの呪いアナテマ』か……悪趣味だなぁ、神様って」



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