承段 --- 香坂明①
「やっほ~、コーサカくんこっちこっち~」
ハンバーガーショップの2階で手を振る女子高生がいた。
香坂明がバーへ出勤する前に立ち寄ったのは、駅前のファストフード店だった。
昼時も終えて閑散とする店内で、明は手を振り返して同じテーブルに腰かけた。
「お疲れミサキちゃん。授業はいいの?」
「顔だけは良いと定評のあるコーサカくんが、どうしてもスマホいるって言うからサボったよ~。はいこれ」
ミサキと呼ばれた女子高生はポテトを頬張りながら、取り出したスマホを明に渡した。
「僕のせいにするのは良くないけど、ありがと。無くしちゃってさぁ、助かったよ」
「うーん、ダウト!」
つまんだポテトが明に向けられる。指摘されたものの、明は笑って続けた。
「だよね。もうバレてるか」
会話の流れでポテトに手を伸ばすと、「どろぼう!」と素早くチョップが跳んできて阻まれた。
「棟梁怒ってたよ~。ルール違反に厳しいからね、除名になるんじゃない?」
明の脳裏には普段から上司が口酸っぱく言っていた『|情報をタダで売るな』というセリフが思い出されていた。明はテレーズに対して、捜査員や名簿の情報を渡しているが、明確な対価を受け取っていない。
「やっぱり怒ってるか。でもどうしてミサキちゃんは、そんな裏切者にスマホ届けてくれたの?」
「それなんだけど、聞いてよ! 大物から注文入ったの」
ポテトを両手に持って、交互に振る。ミサキはやけに嬉しそうに語った。
「悪鬼會の人事局長、白柳魅世! まさかそんな秘密組織の重要人物が私の埋芽市政への辛口批評アカウントの質問箱に来るとはねぇ」
「まだあのローカル政治アンチアカウントでやってるんだ。よく気づく人いるね」
「文句って文体崩れてもバレにくいから、暗号混ぜるの楽しいんだよねぇ~。今回のは飛び読み暗号」
“識名新太郎”は一目ではたどり着けない方法で店舗を開いて情報を売っている。バーの特定のボトル注文、ネットカフェの指定の席からのノック、丑三つ時のおでん屋台、図書館の司書が指定する絶版本の栞。
そしてこのミサキと呼ばれた少女の手口は、町に関するSNSアカウントの投稿に“識名新太郎”という情報を潜ませて、気づいた人間をプロフィール欄に紐づけられた質問箱と呼ばれる機能へ誘導する方法だった。
「にしても悪鬼會ね。そんな大物が埋芽市に来てたとは」
「はーい、ダウト2つ目ね。そこで、求められた情報が『ある名簿に書かれた人物たちの所在』だったんだぁ」
「聞き覚えがあるね」
「そう! コーサカ君が先に情報上げといてくれたから、苦労せずに案件をクリア!」
御美ヶ峰教会の礼拝名簿だ。明がテレーズに渡した情報のひとつであり、その後教会を訪れた白柳と八武崎の2名がその名簿を回収していった。
警察組織の力を使えば、当然全員の情報を調べ上げられるはずだ。だが、情報屋“識名新太郎”に尋ねたということは、そんな余裕がないほどに時間に追われていることを示している。
(警察が御美ヶ峰教会を急いで暴く理由はない。白柳局長は血十字を追っているはず。僕の知らないところで、この二つが繋がっているのか……?)
「そのお礼でスマホくらい届けてあげようかなって」
「優しいねミサキちゃんは。それで、その大物からいくら儲けたの?」
女子高生は最後のポテトを頬張りながら、「ん」とレシートを差し出した。
「なんか他人の手柄過ぎてシャクだったから、ポテトのLだけ奢ってもらった~」
レシートには二次元コード決済の記録が残っていた。おそらく購入用のタッチパネルかアプリ経由での精算時に、支払い用二次元コードの写真を先方に送り付けたのだろう。たったの数百円で50名近い個人情報が取引されたと思うと、非常識な価格だ。
「共有が群体の強みなのに。ホント、気まぐれな人多いよね“識名新太郎”って」
「コーサカ君ほどじゃないよぉ。なんでクビになるってわかってて、ルール違反なんかしたの?」
ミサキは空になったポテトのケースを畳みながら、世間話のようなトーンで話しかけた。興味があるのかないのかわからない、掴みどころのない様子だ。
その調子につられて、明も何気ない口調で続ける。
「うーん、ミサキちゃんは初恋がいつか覚えてる?」
「え~小学生くらいかなぁ」
「僕はね、今朝」
「……今度はダウトじゃないじゃん。きっしょ~」
◇◆◇◆◇
重たい扉に設置された金属のパイプバーが揺れて音を奏でる。
珠逢通りにあるバー『Sophia』は夕方の開店前だったが、来客を受け入れた。
バーカウンターの内側にはいつも通りに接客する香坂明がいた。
「いらっしゃいませ、平井神父」
「あなたがシスターテレーズにスマホを渡した内緒の友達ですか」
「僕は友達以上を望んでますよ」
「……呼び出した要件は?」
平井神父は警戒した様子でバーの入り口から動かない。
明はカウンターから出てきて、店の奥へと先導し個室へと案内した。
平井神父をソファへと座らせて、メニュー表を差し出す。
「ご注文は?」
「お酒は結構。テレーズが仕事に出ている。私には後片付けの作業がある」
明は残念そうにメニュー表を下げて、サービスですと言ってジンジャーエールを注いだグラス2つを持ってきた。
グラスには目もくれず、平井神父は自分のスマートフォンをテーブルに置いた。
画面には『あなたの秘密を知っている』という文面と、バーの位置情報が記載されている。差出人の名前は識名新太郎とあった。
「君たちが優秀な情報屋という噂は聞いています。本題は?」
「話が早い人は好きだな。それじゃあ尋問を始めましょうか」
明は個室の扉を閉めて、鍵をかけた。
平井神父の表情に緊張が走る。
注文を待つウェイターのように立ったまま、明は平井神父を見下ろして指を差した。
テーブルに置かれたスマホが震えた。識名新太郎からの新しいメールだ。
「テレーズに送ってもらった御美ヶ峰教会の礼拝名簿の動画から、“癒しの聖女”の信者を洗った。ねえ神父サマ、病や怪我に苦しむ信徒を斡旋したね」
メール本文には氏名がいくつも並んでいる。そのどれもが平井神父にとって見覚えのあるものだった。
「名簿にはあなたの教会がある南薙市在住の人間が10名以上もいた。近隣市町村ではダントツだ。南薙教会の礼拝記録も調べたけど、もともとは君の顧客だったみたいだね」
「顧客だなんて言い方は、感心しませんね」
「よく言うよ。お布施として巻き上げた大金を折半してたクセに」
「聖職者が、金に目が眩むなど……」
「この情報は指先ひとつでテレーズに送信できる。そうされると君は、岸和田神父と同じく罰殺対象になるんじゃないか?」
そこで平井神父は口を閉じた。肯定も否定もしないまま、時間が過ぎていく。
明は相手を追い詰めたことを確信して、優しい声色で話しかけた。
「こんな中年の生臭坊主を虐めたって楽しくないしさぁ、ここから先はお互いがハッピーになれる話をしようよ」
バーテンダーのベストの内ポケットから1枚のカードらしきものを取り出した。
テーブルに置かれたのは運転免許証だった。証明写真は平井神父の顔だが、名前や生年月日は全くの別人の情報が記載されている。
「この偽装した身分証があれば、君はこの事件のあと行方をくらませて新しい人生を歩むことができる」
平井神父は目を見開いた。
欲望を読み取った明は畳みかける。
「テレーズに追われないような場所までエスコートしてあげるよ。そういえば南国の離島で知人が古いホテルを経営していてね。ちょうど管理人が足りなくて困ってるんだ。青い海、白い砂浜、日差しを遮る麦わら帽子……きっと素敵なスローライフを過ごせる」
平井神父はしばらく逡巡した後、意を決したように口を開いた。
「……何が、知りたいのですか?」
明は満足そうに笑って、運転免許証を平井神父の前まで差し出した。
そこでようやく明は平井神父と向き合うようにソファへと腰かけた。グラスを持ち上げて視線を合わせる。平井神父は有無を言わさず乾杯を強要させられた。
「この町のことは詳しいけれど、流石に2000年の歴史がある組織の暗部を探るのは大変でね。餅は餅屋だ。まずはテレーズの所属する魔女狩りについて聞こうかな」
平井神父は渋々と言った顔でジンジャーエールを一口飲んだ。
「組織自体は何も驚くことはない。かつて行われていた異端審問の系譜を汲む部門が秘密裏に残っているだけのことです。18世紀に魔女裁判が廃止になってからも、魔女がこの世にいる限り彼ら魔女狩りの仕事は無くなることはありませんから。彼らは現在では『神からの呪い』という名称で活動しています」
「魔女に魔女狩りね……君たちが出てこなければこの町の“癒しの聖女”は眉唾だと思ってたよ。そんな化け物が本当にいるなんてね」
「私から見れば『神からの呪い』の連中もよっぽど化け物ですがね」
「そう。そこが聞きたかった。テレーズが片手で大男を持ち上げて屠るのを見た。魔女狩りを行う人間は、魔女への特別な対抗手段を持っているのかな?」
平井神父は少し迷った素振りを見せたが、偽装免許証に目を落とし、続きを話し始めた。
「現在、魔女狩りの責務に当たるものは、皆すべて実在した聖人と同じ身体的特徴を生まれ持った特殊体質です。テレーズであれば実在した『弱者の守護聖人マリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタン』とたまたま同じ“右腕”を持って生まれたために、魔女の呪いに対抗することができます」
「……これだからファンタジーは嫌いなんだ。急な論理の飛躍はやめて欲しいよ」
明はジンジャーエールを飲み干す。口を曲げてげっぷを吐き出した。
「突然ですが、君は偶像崇拝がなぜ禁止されているか知っていますか?」
「唯一神が形のない霊的存在だから……というのは建前で、当時の敵対宗教が偶像派だったからでしょ」
「教養としては十分な解説ですね。ですが答えは、宿るからです」
一切納得をしていない表情で明は平井神父を睨んだ。
神父は意に介さず説明を続ける。
「意外と身近な例もあります。類感呪術と言って、日本だと丑の刻参りと同じ原理だ」
「憎い相手の髪の毛を藁人形に入れて釘を打つ、ね……本人の身体の一部をきっかけとしたところで、いち個人の悪意程度で本当に呪われちゃ苦労しないよ」
「それが世界中の全教徒13億人からの祈りだったとしたら?」
突然の膨大な数字に明は押し黙る。
この人類の歴史で同一の信仰対象への想いがそれ程までに折り重なった実例は他に存在しない。観測できなければ、完全に否定することもできない。
「彼女の剛腕には実在した聖人の御業とそこに集まる崇拝の力が結集しています」
そう簡単に納得するものかという思いはある。
だがもしも人の祈りにほんの僅かでも質量があったとしたら、と想像して明は身震いをした。
「……テレーズの右腕にそれだけの重圧が乗ってる、と言いたいわけね」
脳裏に今朝の記憶が浮かぶ。大男を軽々と持ち上げるシスターの後ろ姿。
この目で見たものだけは信じるしかなかった。
「彼女は非常に優秀な魔女狩りです。魔女が絶滅しかかっているこの時代に5人も葬っているらしく、なんでも16歳で既に」
「あっ、待って。能力じゃなくてテレーズのエピソードに関わることは仲良くなってから直接聴きたいから」
意味不明な静止を食らって、平井神父は何も言えなくなってしまった。
実のところ彼はなぜ自分が脅されているのかはわかっていない。
「……君の目的は何です? シスター・テレーズを知って、どうするつもりですか?」
目的かぁ、と明は少し目を閉じて思案する。
「今はまずテレーズの役に立ちたい。最後にこの愛が彼女に伝わったら、本望だね」
明の口から出た言葉は偽りのない本心だったが、警戒している平井神父には冗談にしか聞こえなかった。
彼はこの尋問を識名新太郎が価値のある特異な情報を集める業務だと仮定した。
「とはいえ、私がテレーズを心配する必要はありませんね。どんな危険が降りかかろうと、彼女は簡単にはね除けるでしょう。それこそ、問題は魔女だけだ」
「そうそれだよ! あと知りたいのは魔女のことだ。テレーズの力はこの目で見たけど、魔女ってのはまた信じるのが難しいよ」
「……残念ながら魔女については私も詳しくない。だからこれを見るといいですよ」




