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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
承段

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21/54

承段 --- 八武崎礼②




 中華料理屋を出て、白柳はタバコを取り出して火をつけた。

 煙を吐き出して、それが寒空に昇って溶けていく様を眺める。

「教えたら、あなたも警察を辞めるでしょうね」

 誰に言うでもなく、白柳は自分の経験から独り言をつぶやいた。

 振り返って店内を見つめると八武崎が店長に支払いをしようと食い下がっていたが、押し切られて難しい表情で店を出てきた。その手にはビニール袋があり、最後に注文したごま団子のテイクアウトが入っていた。

 長めにタバコを吸って、指に火の輪が迫る。最後の煙を吐き出して、携帯灰皿にタバコを押し付けた。

「白柳さん、さっきの話まだ終わってませんよ!」

「はいはい、続きはまた今度ね。それよりパトカーは?」

 白柳は逃げるように歩き出した。八武崎がそのあとに続く。

「この先のパーキングに停めてます」

「住民から苦情来るわよ」

「店長への聞き込みは立派な捜査でしたので、問題ありません」

「あら、意外と融通利くことも言えるのね」

「意地悪に屁理屈で返したまでです」

 中華料理屋からひとつ交差点を通り抜けて、近くのコインパーキングまで歩く。

 財布を取り出した八武崎が、精算機へ小銭を入れていく。

 ガチャン、ガチャンと硬貨が落ちる音が繰り返される。

 それを待っている間、白柳は通りすぎた交差点の方を眺めていた。

 精算を終えた八武崎が運転席のドアを開いた。

 なぜか微動だにしない白柳に気づいて声をかける。

「お待たせしました、もう出発できますよ」

「……辛気臭い」

「え?」

 白柳の視線は交差点に向いたまま、何かに集中しているように見えた。

 八武崎は明らかに様子のおかしい彼女のもとに駆け寄る

「匂いがしたの」

「匂い? 中華料理やタバコの残り香の話ですか?」

「いいえ。教会で嗅いだのと同じ匂いよ。辛気臭い聖職者の匂い……オイル系で香料は少し甘い、バニアスかしら」

 八武崎が周囲の匂いを嗅いでみるが、そこまで特定の匂いは感じられない。

「私にはわかりません……」

「普段から大した香水つけてないからよ」

 八武崎を小馬鹿にしたあと、白柳は交差点に向かって大股で歩き出した。

 十字路を曲がって更に進むと、路地に止まった軽トラックがあり、作業員らしき男が脚立を荷台に乗せている。

 白柳はその作業員へと話しかけた。

「そこのあなた、何かの作業中?」

 突然話しかけられ驚いた作業員だったが、彼は簡単に返事をした。

「埋芽市の職員でして、ここの街灯の交換に来たんです」

 追いついてきた八武崎が警察手帳を見せて捜査中と伝えると、作業員は改まって説明を追加した。

「元から消えかかっていた電灯があったので交換に来たんですが、飛び石かいたずらか何かで割れちゃってまして……仕方なく根元から丸ごと交換の作業をしたところだったんですよ」

 作業員が指をさした先には、電柱に真新しい街灯が設置されていた。

「耐性のある素材で滅多に割れることなんてないんですけどね」

「その壊れた方の街灯、見せてもらえる?」

「はい、いいですけど」

 彼は軽トラックの荷台から、シートにくるまれた荷物を取り出してきた。その中には確かにカバー素材が割れて、中身がむき出しになった電灯がある。よく見ると内部の蛍光灯部分も破損しており、完全に壊れていて光ることはないと推察出来た。

「時々街中でたむろしている不良も見かけるし、小学生とかが面白半分で石を投げて壊しちゃうこともあるのかなって」

 珍しいことではあるが、作業員はこういうこともあると受け止めているようだった。

 まだ腑に落ちていない白柳が質問を続ける。

「他に不思議な点は無かった? なんでもいいわ」

 しばらく考えた作業員だったが、思いつかないまましばらく時間が過ぎる。壊れた電灯を荷台に戻すとき、思いついたような声が聞こえた。戻ってきた彼の両手には、ホウキとちりとりが握られている。

「そういえば、破片が無かったんです。ほら、電柱の周りを見てください」

 八武崎は地面を見渡したが、特に目立つものは見当たらなかった。

「何もありませんね」

「ええ、そうなんですよ。一昨日まで街灯がチカチカしているから替えてくれって問い合わせが来てたので、壊れたのは昨晩だと思うんです。なのに破片らしきものが見当たらなくて……まあ掃除しなくてラッキーなんですけどね」

 同じく地面を凝視していた白柳が、「八武崎ちゃん」と名前を呼んだ。

「パトカーの中にアルコールシートあったわね」

「はい」

「それで周辺の地面を嘗め回すように拭いてみて」

「……な、何を言っているんですか?」

「いいから急ぎなさい。地面が汚れる前に、早く!」

 白柳の瞳は真剣そのものだった。

 突然の剣幕に八武崎は驚いたが、口答えせず急いでパトカーへと駆けていった。

「あなたも捜査協力ありがとう。この道路を調査するから、その軽トラどかしてもらえる?」

「ええ。もう作業も終わったところでしたから、お疲れ様です」

「はいお疲れ」



 交差点を曲がって戻ってきた八武崎が見たのは、固いアスファルトの上に這いつくばる白柳だった。

「白柳さん!?」

 訳も分からず慌てて駆けよってみると、白柳は目を見開いて地面を至近距離で凝視していた。

「な、何をしているんですか? お召し物が汚れますよ?」


「いいえ、清潔よ」


 言葉の意味がわからず、八武崎は返事が出来なかった。

 白柳は立ち上がって街灯の真下を指さす。

「聞いたでしょう。街灯が割れたのにその周囲に破片が無かった。私も確かめたけど見当たらないわ。スマホのライトを当てても、光を反射する砂粒ほどのプラスチックの欠片だってない。それどころか、この周囲一体の道は異常なまでに清掃されてるわ。見覚えのある、行き過ぎた清潔よ」

 今度は指をさす方向が変わる。坂の向こう、小高い丘の上だ。

 八武崎が視線を向けた先には、御美ヶ峰教会の尖塔がかろうじて見えた。

「礼拝堂の、証拠隠滅と同じ……!?」

 驚いた彼女も周囲の道路を見渡す。

 素人目に見てわかるのは、まず目立つゴミは無いということだ。通常ならペットボトルやタバコの吸い殻、ビニール袋などが道端に落ちていてもおかしくはない。

 更に膝を折って、アスファルトを撫でて確かめてみる。

 土ぼこりや砂、枯れ葉の欠片ようなものが触れる感触はない。

 タイヤ痕やオイル漏れの跡などが染み込んだ汚れは残っているのだが、触れても手に煤のような汚れが付着することはなかった。

「確かに綺麗かもしれませんが……でも、簡単に言い切るのは難しいですよ」

「往来や風で今にも埃が運ばれているはず……でも、まだ間に合ってる。急いで清掃範囲を特定するわ」

 そう言って白柳は再び地面に這いつくばって捜査を再開した。

「その絵面、通報されますよ」

「そうさせないのがあなたの仕事よ八武崎ちゃん。この道を通る人と車を止めて」

「根拠もなく封鎖なんてできません!」

「信じられないなら、持ってきたそれで地面を拭きとってみなさい」

 八武崎は手に持ったアルコールシートを見つめた。しぶしぶと言った様子でシートを取り出して歩き出す。白柳の邪魔にならない場所で試してみることにしたらしい。

 その間も白柳はしゃがみ込んでアスファルトを見つめ続けている。少しずつ場所を移動する様子はまるでダウジングで鉱脈を探す鉱夫のように慎重で、僅かな変化を捉えるために過度に集中していた。

 捜査は地面だけでなく、左右の塀や電柱など道路に面するもの全体に及んでいた。

 しばらくして、八武崎が白柳の近くに戻ってくる。だが、先ほどと打って変わって、白柳の行動を咎めずに見守っていた。彼女の手には10枚近くのシートが握られている。どれも新品のように真っ新だが、破れている個所もあり、地面を拭いた結果が出たようだった。

 30分ほどかけて緻密な吟味が終わり、白柳は道路の真ん中に大の字で寝転がっていた




「――清潔が、十字を描いている」




 勝ち誇ったような笑顔で曇り模様の寒空を見上げる。

「ここを中心にこの道路は異常なまでに清潔に清掃されているわ」

 足を振り子のように振り上げて、白柳は勢いよく立ち上がった。

 傍で控えていた八武崎が、真剣な眼差しで捜査報告を待つ。

「縦と横……血十字は人間を中心から上下左右に切り裂いていたわね。今朝の現場では縦の線は背後の建物の壁にまで高く伸びていたわ」

 猟奇的通り魔殺人犯、通常血十字の殺し方だ。被害者を殺すときに、チェーンソーの刃の回転が、木屑のように血しぶきを巻き上げて線を引く。それで死体の背後に十字の跡が出来上がる。

 白柳は目に見えない清潔のラインを指さす。

「過度な清潔はこの中心から道路に沿って縦一本。左右の家屋の塀まで伸びる横一本……予想外で、楽しくなってきたわね八武崎ちゃん」

 楽しくは、ありませんと返事をした八武崎だったが、あまりの出来事に事態が受け止められていない様子だった。

「礼拝堂と同様の証拠隠滅の痕跡があり、それが血十字殺人の現場を隠すように行われている。つまり……」

「ええ、カルト教会と血十字事件が繋がったわ。そして、殺人鬼はこの現場からどこへ逃げたのか」

 白柳は検分の終えた道路から歩き出して、十字路へと向かった。

 交差点の中心に立って、4つに伸びた道をゆっくりと見回す。

「ここは閉ざされた教会の礼拝堂じゃない。文明に囲まれた日本社会の交差点……消せない痕跡が、どこかに必ずある」

 白柳の視線は、道から外れ周囲に連なる家屋へと移った。

「八武崎ちゃん、お願いがあるわ」

「犯人逮捕のためなら、なんでも」

 追ってきた八武崎へと振り返って、交差点の真ん中で二人は向き合う。

「この交差点を中心に近隣住民を当たって。ああ、間違っても細かい聞き込みなんて無駄なことしないでね。狙いはひとつだけ、監視カメラの映像よ」

 意図を汲んだ八武崎は、すぐに行動に移った。二人は別の道を選び、周囲の住宅を調べ始めた。




 ◇◆◇◆◇




 埋芽市を管轄する警察署。地名を取って端波はなみ署と呼ばれる本拠地に、白柳を連れて八武崎は戻っていた。

 刑事課のフロアには彼女たち以外に誰もいなかった。

 彼女が自分のデスクでノートパソコンを操作し、そこから伸びたケーブルがモニターへと接続されている。

 準備が出来たところで、ちょうど慌ただしく廊下を走る音がいくつも聞こえてきた。

 先頭を切って飛び込んできたのは大鋸屋警部だ。

「犯人の姿が分かったってのは、本当か!?」

 その後ろからもぞろぞろと調査から戻ってきた警察官が続く。一番最後に八武崎の先輩にあたる日ノ元が高い上背でひょっこりと顔を出していた。

「はい! 一般宅から昨晩の監視カメラ映像を拝借してきました」

 手元のノートパソコンで動画を再生すると、モニターに同じ画面が映し出される。

 10秒ほどの短い動画だった。

 誰もいない深夜の路地だ。閑静な住宅街の一角という、何の変哲もない映像に突如、異物が紛れ込んだ。

 暗い画面の端から、一人の男が現れる。

 何よりも目を引くのは顔面だった。表情は見えず、頭にすっぽりと紙袋を被っている。目出し帽のように穴を空けて、視界だけは確保されているようだった。

 続けて肩に担がれているのは少女だった。モノトーンの服装は教会から抜け出してきたようなデザインだ。意識はなく、手足がだらりとぶら下がっている。

 その陰に隠れて1メートルほどの機械が見えた。荒い映像だが、そのシルエットから凶器のチェーンソーと思われる。

 明らかに異様だった。

「男の服装はスラックス、ベスト、ストライプのシャツ……そして、頭には紙袋のマスク。手には凶器のチェーンソーです。少女の身元は不明ですが、御美ヶ峰教会の関係者の消息が確認できておらず、関係性のあるものと思われます」

「なんなんだよ、この奇天烈なヤローは」

 大鋸屋警部は唖然とした表情でぼやいた。

「はいはーい! 奇天烈だからしっかり覚えたわよね」

 どこからともなく現れた白柳が、捜査員たちの前に躍り出た。

「こっから警察のみなさんはコイツの目撃情報探して町中走り回るのよ。ほら急いだ急いだ~!」

 白柳の号令に合わせて、八武崎が用意していた監視カメラのキャプチャ画像が各捜査員の携帯端末に送信される。同時に出力されたチラシも配られた。

 血十字殺人事件発生から5日目にして、ようやく具体的な犯人像が明らかになったことで、捜査員はやる気を得たらしい。捜査エリアの確認をしながら、次々に市内の捜索へと飛び出していった。

 残っていた大鋸屋警部が、チラシに写った容疑者を見つめたあと、二人へと話しかけた。

「おいお前ら、どうやってここまでたどり着いた」

「それは教会のんぉぐっ!?」

 八武崎が説明をしようとしたところで、白柳が背後からその口をふさいだ

「八武崎ちゃんだーめ。証拠がないのが証拠なんだから、言ったら捜査が止まっちゃうわ。早く犯人を見つけたいでしょ?」

 そう言われて八武崎は渋々口をつぐんだ。

 大鋸屋警部は悔しそうに頭をかく。

「どいつもどいつも秘密主義で嫌になるね」

「いつものことでしょ。我慢しておじ様」

 白柳はウィンクで大鋸屋警部を黙らせた。彼は諦めたように返事をして、部屋を出ていった。警部に付き添っていた日ノ元はよくわかっていない顔だったが、手柄を上げた八武崎に対して笑顔でサムズアップをしてから後を追った。


 喧騒を失った刑事課のデスク周辺で、二人は取り残された。

「それで、私達も聞き込みですか?」

 八武崎が声をかけた。すぐさま嫌そうな顔をした白柳が反論する。

「勘弁してよ。そういう効率が悪いのをぶん投げるためにアイツらを集めたんだから」

 彼らに続いて聞き込みに飛び出つもりで意気込んでいた八武崎は、行かないんだ……と肩を落とした。

「私達はもっと狙いを定めていくわよ」

 そう言って、白柳は1冊の冊子を取り出した。

 表紙には、『御美ヶ峰教会礼拝出席名簿』と書いてある。

「カルト教会と血十字殺人には同質の証拠隠滅という接点があった……教会側の情報を洗えば血十字にたどり着けるかもしれないわ。勘で断言するけど、こっちの方が犯人ホシに近いわよ」

「……いいでしょう。ここまで来たら、とことんあなたに着いていきます」

「そうこなくっちゃ」

 白柳は嬉しそうに言って名簿を広げた。


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