承段 --- 永浦永輔②
土鍋にごま豆乳鍋の元となるスープを入れて火にかける。
火が通りにくい食材から鍋へと入れていった。
「あれ、もう脱いじゃうの?」
菖蒲がもこもこくまさんルームウェアを脱いで、セーラー服へと着替えていた。
「永輔が出てきたら着替えにくいから」
「え~残念。本当に似合ってたのに」
菖蒲は恥ずかしそうに否定しながら着替えを終えた。
梨々香はその足元を見て、短いソックスに気づいた。
「えっ、夜はまた冷えるわよ。生足で行くの?」
菖蒲はそうだよ、と短く首を縦に振った。
梨々香はクローゼットを開いて、何かを探し始めた。
「あった! 新品だから使って。デニール濃いめ」
未開封のタイツを取り出して、菖蒲に渡した。
「えっ、でも悪いよ。シャワーと鍋に加えて、そこまでお世話になったら」
「いいのよいいのよ。ツッパってる女子はぜーんぶ私の後輩なんだから」
その言動や桑島との関係で薄々予想していたが、梨々香は元不良らしい。先程クローゼットを開いたときに、特攻服らしき派手な衣服が見えた。
菖蒲はじゃあ甘えるね、とタイツを受け取って、ソックスの代わりにそれを履いた。
その様子を見て一度は満足そうな表情を浮かべた梨々香だったが、菖蒲の背後にかけてある上着が目に入った。
「うーん、その上着もかわいい系の菖蒲ちゃんっぽくないし、私のお古貸してあげようか?」
梨々香がダウンジャケットへと手を伸ばすと、横から菖蒲が素早くそれを回収した。
「これは、いいの。着ていくから」
ぎゅっと守るように抱えている。
「……あらそ。まあいいけど」
何やら思い入れでもあるのか、それにしては真新しく見えるな、と不思議に思いながら梨々香はそれ以上は追及しなかった。
二人で鍋を囲んで、残りの食材を入れたり、灰汁を取ったりしながら調理を進める。ごま豆乳鍋の完成は目前だった。
「ねえ、何でそんなに必死なの?」
手持無沙汰になった梨々香は、気になっていたことを質問した。
「家出して、日本刀振って、そこまでして殺人犯のこと追わなくてもいいじゃない。可愛い女子中学生の菖蒲ちゃんがやらなくても、警察とか、勇誠もめちゃくちゃ怒ってたし、誰かが仇を取ってくれるよ」
諭すように語りかけた。老婆心と思いながらも、梨々香にとって菖蒲はとても危なっかしく見えたのだ。
「ダメなの」
菖蒲は煮える鍋を一点に見つめながらつぶやいた。
「私がやらないと。私が、あの子の仇をとらないと」
「……あの子って、誰?」
その質問に、返事は帰ってこなかった。
言いたくないか、と梨々香がこの話題を諦めようとした。
そのとき、鍋を見つめていたはずの菖蒲の焦点が震えているように見えた。
「――誰、だっけ」
梨々香が「え?」と声を漏らしたのと同時に、洗面所のドアが開いた。
半裸の永輔が出てきて、半泣きの状態でこちらに話しかけてきた。
「あのぅ、そろそろ暖かいシャワーを浴びてもいいでしょうか……?」
「あ、ゴメン忘れてた」
梨々香はキッチンへと戻り、給湯器のボタンを押した。
永輔は安堵して気が大きくなったのか、要求を追加した。
「菖蒲着てないならさっきのルームウェア俺が」
「アンタに私のお気に入り着せるわけないでしょうが」
腰の辺りに蹴りをくらって、永輔は洗面所へと再び放り込まれた。
部屋に戻ると、菖蒲が口元を押さえて笑っていた。
「なに楽しそうにしてんの」
「えっと、その、梨々香さんもすぐ手が出るタイプだから、永輔の言う通りきっと熊のルームウェア似合うなって気づいちゃって、それで」
菖蒲の脳天に手刀が落ちた。
「しばくわよ」
「も、もうしばかれてます……」
頭を押さえながら菖蒲は涙目で答えた。
◇◆◇◆◇
食事を終えて、支度を済ませた二人は玄関にいた。
「ごちそうさん」
「梨々香さん。すごくおいしかったです。ごちそうさまでした」
「いいのよ。食材余るところだったから、こっちも助かったわ」
一足先に菖蒲がドアから出る。
永輔が靴紐結んでいるところに、梨々香は近づいて耳元で話しかけた。
「ねえエースケ。菖蒲ちゃん危なっかしいところあるから、アンタが気張るのよ」
「……わかってるよ」
梨々香は頷いて、永輔の背中を思いっきり叩いた。
バンッ!と小気味良い音が響いて、永輔は立ち上がった。
廊下を歩く二人を、梨々香は玄関先で見送った。
「勇誠に会ったら、鍋おいしかったって自慢しといて~!」
「わかりました!」
「はいよ」
それぞれに返事をしながら、二人はエレベータへと乗り込んだ。
永輔が叩かれた背中をさすりながら話しかける。
「あの人、全然仕事病んでる風じゃなかったな」
「確かに」
「RIRIKA@面倒見良いに変えた方がいいな」
「それは面白くない」
狭い空間に沈黙が訪れた。
永輔は顔を逸らした。
(だいぶ打ち解けたと思ったけど勘違いだった。コイツ、まったくかわいくない)
ため息をついて別の話題を切り出す。
「それで、こっからどれくらいだ?」
菖蒲はスマートフォンをいじって、目的地へのルートを検索していた。
「30分かからない。旭富総合病院にはすぐに着く」
「そんじゃあ次こそ、桑島を見つけに行くとするか」