承段 --- 永浦永輔①
ピンポーンと、部屋の主を呼ぶチャイムが鳴った。
ここはマンションの廊下。
永輔と菖蒲はネットカフェの識名新太郎から得た情報で、埋芽市内のあるマンションを訪ねていた。
「出てこねーな、RIRIKA@仕事病む」
「この部屋で合っているはずだけど」
菖蒲が手元のスマホを見つめる。そこにはマンションの位置情報と、窓の景色から推測された部屋番号が記載されていた。
何度押しても反応はない。
二人が諦めて部屋の前を去ろうとしたときだった。
廊下の向こう側から歩いてくる一人のOLと目が合った。服装はカジュアルなテーラードジャケットにパンツスタイル。仕事のあとスーパーに寄ったらしく、手元のビニール袋には食材が詰まっていてネギが飛び出している。
「あー!! そのダサいヘアバンドとジャージは……エースケ?」
OLは永輔を指さして、驚いたように声を上げた。名前のところは断言しなかったため、顔見知りではないらしい。
「んだよ、喧嘩売ってんのか?」
ファッションを馬鹿にされて不機嫌になった永輔が拳を握って一歩踏み出す。
それに怯むことなくOLはツカツカとヒールを鳴らして距離を縮めてきた。
「そっちこそよくも勇誠たちを何度も何度もボコってくれやがったわね……!」
OLは買い物袋からネギを抜き取って、それを振りかぶった。
「いい加減、バカみたいに殴り合うのを止めなさいよ!」
ネギが永輔に迫る。
迎え撃とうとした永輔よりも一歩前に、菖蒲が飛び出した。
居合斬り。
鞘から一瞬で解き放たれた日本刀が、迫ってくるネギを両断した。
ちょうど青い葉先と白い身の部分で分断されたネギの先端が、両者の間の床に落ちる。
「この部屋の住人ですね。鍵を開けてください。桑島勇誠から話が聞きたいんです」
「……菖蒲って敬語使えたんだな」
悪態をつく永輔のことを無視して、菖蒲は日本刀を鞘に納めた。
OLは相手のその剣捌きを見て、自分には手に負えないと悟ったようだ。
「……勇誠に乱暴しないならいいけど」
条件を出して永輔をにらむ。
「俺のこと野蛮人だと思ってない?」
OLすらも永輔のことを無視して、彼女は自分の部屋の鍵を取り出した。
ドアを開けて部屋の中へと一人で入る。
ゴミ箱に投げ捨てられた包帯の山と誰もいないワンルームを見渡して、OLは大きなため息をついた。
「いないわ。出て行っちゃったみたい」
「なんでだよ!」
永輔と菖蒲も玄関から部屋を覗きこんだ。
「大けがだったもん。私も病院行けって言ったしね」
彼女はゴミ箱から包帯を取り出して見せた。それだけで、桑島勇誠に出血を伴う大きな外傷があったことが伺えた。
「あの恋敵に診せるのは癪だけど……あの子保険証持ってないし外来の時間外して夕方に行ったのかな。すれ違ったわねアンタたち」
「病院ですか。その知り合いが勤めている場所を教えてください」
「いいけど、まず上がんなさいよ」
予想外の言葉に、永輔と菖蒲は揃ってはてなマークを浮かべた。
「食べてってよ。勇誠の分も買ってきちゃったからさ」
彼女は買い物袋の中身を見せて、そこからある商品を取り出した。
ごま豆乳鍋と、そのパッケージには書いてあった。
◇◆◇◆◇
部屋の間取りはワンルームで、玄関から続く廊下にキッチンが併設されていた。その奥に8畳程度の部屋があり、永輔と菖蒲はパステルカラーの柔らかいクッションに腰かけていた。
室内では逃げられないだろうということで、菖蒲から手錠を外す許可も降りて永輔の腕は自由になっている。
台所で野菜が切られる音が断続的に続く。
OLは二人の予想通り梨々香と名乗った。
3人は軽い自己紹介を終えて、勇誠を探している理由について説明していた。
「こっちの菖蒲が血十字殺人の犯人を追ってるんだ。俺はワケあってそれを手伝ってる。桑島も関わってるんじゃないかと思って、この部屋に匿ってるって情報を頼りに探しにきたんだ」
「私は血十字を殺して仇を取る。事件が起きてから不眠不休で探してて、ようやく見つけたのが永輔」
「不眠不休って今朝寝てただろ……そういえばお前、家は?」
「隣町。今は……家族から見たら家出状態」
「えっ、ちょっと菖蒲ちゃんてば家出ってマジ!? いつから帰ってないの?」
「もうそろそろ丸二日かな」
菖蒲は梨々香に対しては比較的柔和に対応していた。言葉遣いと語気が明らかに永輔と比べると優しい。
「その間の寝床とお風呂は?」
「寝床は適当に……お風呂は、そろそろ入りたい」
梨々香は台所から飛んできて、タオルを握らせて菖蒲を連れて行った。
廊下のキッチンを背に向けた位置に洗面所とシャワールームがある。
梨々香は適当な着替えと共に菖蒲を押し込んだ。
そしてワンルームに戻って来るやいなや、永輔を蔑むように見下す。
「この甲斐性なし。ノンデリ不良。年頃の女の子連れまわしといてシャワーも浴びさせないなんて何考えてんの?」
「いやいやいや!? まだ会って1日も経ってないし、これでも気を使って」
「うるさい。いいからこれ準備して」
梨々香はキッチンの戸棚からカセットコンロと土鍋を取り出して永輔に手渡した。
永輔は準備しながらも口をとがらせて一人ごちる。
「俺だって殺意向けられながらも頑張ってんのに……」
「なんか言った?」
「何でもねえよ!!」
菖蒲が自分を血十字の容疑者として疑っていることは伏せた。これ以上話がややこしくならないようにという永輔なりの配慮だった。
鍋の準備が進んでいく中で、会話が途切れて静けさが訪れる。
永輔はキッチンに向かう梨々香の後ろ姿と、部屋のゴミ箱に投げ込まれた包帯の山を見比べて、気になっていたことを質問した。
「……なあ、桑島のヤロウはどんな様子だった?」
包丁を持った梨々香の手が止まる。
「怒ってたよ」
そしてすぐに野菜を切る音が再開した。
「遼太と健吉が殺されるところ、見てたみたい。止めに入ったけど自分も怪我して、逃げる殺人鬼を追いかけられなかったって」
「やっぱりか……! 犯人は!? 何か、特徴とか言ってなかったか?」
「……イカレ野郎、とは言ってた。でも詳しくは話したがらなかったよ。私も怪我の応急処置で手一杯だったし」
「イカレ野郎ね。そんなことは市民全員わかってら」
「直接質問したらもう少し話すでしょ。まあ、アンタと顔合わせたら喧嘩になるでしょうけど」
「ああ。100%(ひゃくパー)なる」
「いい加減それ止めてくれない? 勇誠が荒れるときはいっつもアンタ絡みよ。何度そのヘアバンドとジャージの悪口を聞いたことか」
「それで出会い頭から俺の一張羅を馬鹿にしてたわけね。でも突っ掛かって来てるのは勇誠からだぞ」
「……わかってるわよ。だから困ってるんじゃん」
梨々香の弱々しい声で会話は途切れた。
永輔も何か気の利いた一言を探したが、何も思いつかなかった。
すると、タイミングよく洗面所のドアが開いて、中から風呂上がりの菖蒲が出てきた。
「あの……梨々香さん。この服ちょっと……」
「かわいいいいい!!」
恥ずかしがる菖蒲を梨々香は歓喜の声で出迎えた。
「やっぱり似合うと思ったのよね。買ったはいいけどこのルームウェアは私にはもこもこファンシーすぎてさぁ。オーバーサイズだけどそれもいいわ。最高」
菖蒲はクマを模した全身もふもふのルームウェアを着て部屋に戻ってきた。
パーカー部分にはクマの耳までついていて、梨々香がそれを頭に容赦なくかぶせてくる。
「似合ってないよ……照れるから……」
菖蒲の顔が赤くなっているのは、風呂上りのせいだけではなかった。
「いーや似合ってる。ほら、エースケも感想あるでしょ!」
「はぁ? あ~そうだな。気性が荒いところが熊とマッチしてていいよな」
女子二人が交互に永輔の頭をはたく音が連続した。
その後ジャージの裾を引きずられながら部屋から追い出された永輔は、梨々香に洗面所へと放り投げられた。
「てめーは冷水のシャワーでも浴びてこい」
ドアが叩きつけるように力強く閉じられた。
ほどなくしてシャワー音が聞こえてくると、梨々香はキッチン側の壁にある給湯器リモコンのボタンを操作し、電源を落とした。
直後永輔の悲鳴が聞こえてきたが、梨々香は無視して準備した食材を部屋へと運んだ。