序段 --- テレーズ・ダ・リジェ②
「では、あなた方はこの御美ヶ峰教会の人間ではないのですね」
メモ帳を手にした八武崎礼巡査が、礼拝堂の中で神父と修道女を相手に聞き取りをしていた。
彼女の質問を受けて、平井神父が回答する。
「はい。同じ宗派の岸和田神父と連絡が取れなくなり、隣町の南薙教会からきました。彼女はうちの教会に研修に来ているフランス人のシスター・テレーズです」
「この教会で有名な“御美ヶ峰のマリア”に会えると思っていたのですが、行方が分からず困っています」
テレーズは緊張した様子だったが、特にボロを出すことなく受け答えできていた。
一通りの事情の確認や質問を終えて、八武崎は隣の白いトレンチコートを着た女性に話しかけた。
「白柳さん。教会の持ち主と連絡が取れないのは怪しいです。行方不明者として血十字の捜査本部に連携します」
「なーに言ってんの。怪しいのは噂通りよ。連絡するなら血十字とは別件にして、大鋸屋のオジ様には関連が分かるまで言わなくていいわ」
白柳と呼ばれた女性は相談を打ち切って、礼拝堂の中を物色するように我が物顔で歩き出した。
残された警察官は平井神父の連絡先を確認して、メモ帳に書き込んでいる。
テレーズは二人の捜査官を観察していた。
(この二人、警官にしては妙です。スーツの若い女性はスポーツマンというにはあまりに実戦的な筋肉がついている。格闘技の経験が豊富なんでしょう。それよりも不思議なのはトレンチコートの女。あの女性からは、なぜか目が離せない)
白柳は礼拝堂の最奥まで歩き、教壇の周りを一周して、くんくんと匂いを嗅いでいる。
(そこは昨晩、私が岸和田神父を殺した場所だ)
魔女狩りの行為は当然ながら世間から隠れた秘密組織の行動だ。その痕跡は一切残らない様に、教会協力者による清掃・隠匿は徹底している。
血痕どころか、髪の毛の一本すら落ちていないとテレーズは確信していた。
白柳は礼拝堂の入り口付近まで戻ってきて、八武崎の肩を叩いた。
「居心地が悪いわ、ここ。早く貰うもの貰ってずらかりましょ」
「えっ、でもまだ行方不明者の手がかりが……」
「あのねぇ八武崎ちゃん。私たちは血十字を追ってるんでしょ。カルト教団なんてついでの息抜きの冷やかしなんだから。本格的な捜査は警察に任せとけばいいの」
「私も警察なのですが」
「今は私の秘書よ」
はぁ、と大きなため息をついて八武崎はメモ帳を閉じた。
彼女が苦労している様子を、神父と修道女は気の毒そうに眺めることしかできなかった。
「わかりました。それで、貰うものって何ですか?」
「礼拝名簿よ」
白柳が何気なく口にした言葉に、テレーズは息を飲んだ。
(本当だ。アキラの言う通りだった。捜査官はピンポイントに必要なものだけを押収しに来ると)
「こちらですね。私共もちょうど、神父たちの行方を知る人がこの中にいないか、考えていたところでしたよ」
平井神父が用意しておいた礼拝名簿を手渡した。
受け取った八武崎は、訝し気に神父を見つめた。
「……感心しませんね。これはこの教会の持ち物で、あなた方は部外者でしょう? 個人情報の勝手な閲覧はプライバシー保護の観点から」
隣で名簿を取り上げた白柳が、パラパラとめくりながら「私も部外者だけどね~」と呟いた。
バツが悪くなった八武崎が頭を抱える。
「はあ、とりあえずこれは警察が押収します」
◇◆◇◆◇
コール音が1回鳴った後、すぐに相手は電話に出た。
『やあテレーズ。送ってもらった動画は確認中だよ。そっちはうまくいったかい?』
「ええ。あなたのおかげで助かりましたよアキラ。でも、そろそろ話していただけますか?」
『……だよね』
「私が御美ヶ峰教会にいること。捜査官2名が来ること。それが私にとって都合の悪いことだと何故分かったのか……そして最後にこれが一番大事なことです。私が天辺毬愛を探していることを、どうして知っているのですか?」
神からの呪いは聖十字教会の秘匿機関だ。この存在を無関係な一般人に知られることなどあってはならない。
『言っただろう、バーテンダーと情報屋をやっているって。君の役に立つために、自分で調べたんだ』
「あなたがもし我々の秘密に関する言葉を一言でも発した場合、魔女と同様に私の追跡対象になります」
『テレーズに追いかけてもらえるなんて、嬉しいな』
「ふざけないでください」
『ごめんごめん。でも優先順位は明らかに天辺毬愛の方が高いはずだ。そして僕には利用価値がある。こうやって話をしている間にもほら、メールを返したよ』
テレーズがスマホから耳を離して新着メールを見る。そこには3人の名前が書いてあった。
『君が送ってくれた名簿をめくる動画から、礼拝参加記録のある全員を調べた。教会に1年以内に新規入信してお布施を納めたものの、まだ癒しの奇跡を受けていない人間は22人いた。そこから埋芽市に住んでいて、今月中に癒しの予定があった人物を絞ったのがこの3人。近々会う予定もあっただろう。話を聞いてみる価値はあるんじゃないかな』
メールをスクロールすると、各人物の基本的なプロフィールと所在地まで書いてあった。
テレーズが動画を送ってから、まだ30分も経っていない。驚異的な調査能力に、テレーズは恐怖と頼もしさを同時に感じていた。
『特に“古橋サチエ”という人物が重病でね。僕はもっとも可能性が高いと思っている。まずはここから攻めてみたらどうかな』
「アキラ。あなたの献身には感謝します。しかし、これ以上は我々の守秘義務に抵触する。部外者のアナタに口出しされるのは困るのです」
『魔女を片付けたあと、僕は君に殺されたっていい』
その言葉にテレーズは絶句した。
今までは浮ついた言葉で自分をからかっているだけかと思ったが、その言葉は本心だと感じたからだ。
彼女は返事に困ったが、異端審問官としてではなく個人として言葉を紡いだ。
「私は、あなたを殺したくはありません。だから、これ以上はやめてください」
『……わかったよ。じゃあ僕はあのバーで待ってるから、次は君から頼ってきてくれ』
「はい。責務が終われば伺います。華美なアルコールは苦手ですから、ぶどう酒をお願いします」
テレーズはそこで会話を止めて通話を切った。
明から送られてきたメールを見直す。
「無関係の一般人の助けを借りるのは、望ましくないのですが……魔女を捕まるのが先決ですね」
彼女の瞳には、古橋サチエの所在地が映っていた。