序段 --- 霧崎菖蒲②
手錠を腕に繋ぎ直してしばらく歩いた彼らは、目的地に到着した。
ビルの4階に入っている24時間営業のネットカフェの看板を見上げて、青年は指をさす。
エレベータに乗り込むと、永輔は気になっていたことを質問した。
「なあ、菖蒲。どうして血十字の犯人に復讐したいんだ?」
狭い密室。少女から返答はない。
「もしかして、家族や友達が被害に?」
「……家族は無事」
含みのある言い方に対して、永輔も慎重に言葉を選んだ。
「じゃあ、そうか……仲がいいやつだったのか?」
「言いたくない。今は……思い出したくもない」
「……悪かったよ」
4階に到着する。
無人の受付でパネルを操作して席を選ぶ。
永輔は壁際のNo.135の席が埋まっていることを確認して、その隣のNo.134を選択した。
2人は店内を進んで、目的の部屋の簡素なスライドドアを開けた。
席は一人用のリクライニング席で、パソコンとシートだけがある簡素な空間だ。基本的には十分な広さだが、二人で入るとなるとやや狭い。
永輔は身をよじりながら隣の席との仕切りの壁をノックした。
1回、3回、5回と規則性のある音が続く。
すると、頭上から付箋が降ってきた。二人でそれをのぞきこむと、ランダム生成されたらしきURLが手書きでメモされている。
永輔はシートに座った。
パソコンでブラウザを立ち上げ、URLを打ち込むと最低限のメッセージ機能だけを持つチャットスぺースが開かれた。
ページの下部には、「一度ウェブページを離れるとこのURLは無効になります」という注意事項が書かれていた。
チャット蘭ではアンダーバーが繰り返し点滅し、やがて文字が現れる。
識名新太郎:[何が知りたい? 現在の代金はこの席の費用蓄積8日分で59,200円だ]
キーボードを叩いて返事をしようとしたが、また手錠の擦れる音が鳴る。
永輔は小声で文句を言った。
「タイピングの邪魔だから、外せよこれ」
菖蒲は無言で首を横に振る。そして永輔の正面に体をねじ込んで、膝の上に無理やり腰を下ろした。
二人の手がキーボードの隣に並ぶ。
「これなら打てるでしょ」
「……画面が見づらい」
返事は無かった。
永輔が頭を抱えていると、背中を預けてきた菖蒲が耳元でささやいた。
「変なとこ触ったらここで殺すから」
その言葉で彼は身動きが取れない程固まってしまった。
識名新太郎:[どうした。用がないなら帰ってくれ]
返答がなかったため、チャットの相手から追加のメッセージが届いている。
「……オーケイ。文句は山ほどあるから、とっとと用事を済ませて店を出よう」
少女は「早くして」と短くつぶやいた。
Aスケール:[永浦永輔だ。久しぶりだな]
識名新太郎:[うそだろ、永浦か!]
識名新太郎:[お前の退学以来だから、3年振りか]
識名新太郎:[いいぜいいぜ。あの時の礼が残ってる。代金の件は忘れてくれ。お前ならタダでいい]
画面を見た少女が振り向く。
「誰なの?」
「高校通ってた時の同級生だ。今は情報屋とかわけのわからん仕事をしてるらしい。困ったらここに来いって連絡を貰ってたんだ」
「タダでいいって、何があったの」
「俺がぶん殴った相手がたまたまコイツをいじめてたから、結果的に感謝されてるだけだ」
「それで退学になったの。バカね」
「うるせ」
Aスケール:[いいのか]
Aスケール:[正直助かる。金はあんまりない]
識名新太郎:[だろうな]
識名新太郎:[それで、何に困っているんだ? やっぱり血十字絡みか。間違いないだろ]
Aスケール:[何でわかるんだよ]
識名新太郎:[お前はもうSNSじゃ有名人だよほら]
菖蒲に見せて貰った動画と、その登場人物を特定したネット上の書き込みのキャプチャ画像が送られてきた。
匿名の書き込みを読んでみると、通っていた高校まで特定されている。
Aスケール:[もう下手にケンカできないなこりゃ]
識名新太郎:[そうだそうだ。永浦みたいなお人よしには不良もケンカも似合わない。間違いない]
識名新太郎:[働き口の情報から紹介しようか?]
Aスケール:[先にこの問題を片付けてからだ]
Aスケール:[血十字殺人の犯人の居場所を知らないか? 今夜までに見つけたい]
識名新太郎:[今夜までにぃ!?]
識名新太郎:[無茶言ってくれる]
識名新太郎:[残念だが犯人の居場所まではわからない。教えられるのは、犯人の顔を見たやつの居場所だ]
Aスケール:[さすがに無理か。ヒントだけでも十分だ]
Aスケール:[犯人の顔を見たやつって、誰だ?]
識名新太郎:[桑島勇誠。お前がぶちのめした、間違いなく埋芽市イチの不良だよ]
「……そういうことね」
「何ひとりで納得してんだ」
「アンタ以外の犯人を考えるとしたら、あの日廃工場で死体になっていない桑島は怪しい。もし犯人ではなくても、被害者2人が殺人鬼に殺される場面を見ている可能性が高い」
「なるほど! 桑島のヤロウに話を聞けたら、少なくとも俺の無実は晴れるな!」
永輔はガッツポーズを取る。
真犯人を見つけることは難しいとはわかっていた。だが、自分が犯人ではないという証言を得る方がよっぽど簡単だと気づいたのだ。
識名新太郎:[桑島の居場所に関する情報を整理するぞ]
識名新太郎:[まずは潜伏先だが、実家にはほぼ帰ってない]
識名新太郎:[基本的には女の家にころがりこんでる]
Aスケール:[意外だな、不良のクセに特定の相手がいたのか]
識名新太郎:[主にこの3人だな]
SNSのアカウントのキャプチャ画像が3つ送られてきた。
Aスケール:[不特定じゃねえか]
識名新太郎:[桑島はクズだけど面だけは良いから]
識名新太郎:[でも安心しろ永浦。クズに引っかかる女も大抵はクズだよ]
Aスケール:[ちょっと言い過ぎじゃない?]
識名新太郎:[お前以外の不良には容赦しないと決めてる]
識名新太郎:[話を戻すぜ。最近それらしき投稿をしてたのはこいつだ]
追加で投稿内容が送られてくる。
投稿者のアイコンは一見真っ黒だが、たばこを咥えた猫のイラストがうっすらと浮かび上がっている。
いかにも地雷っぽい雰囲気だと永輔は顔を歪ませた。
アカウント名は「RIRIKA@仕事病む」
『野良猫みたいに気まぐれに来るし、怪我ばっかりしてていつまでもやんちゃ』
『私が世話しないと野垂れ死ぬんじゃない?笑』
Aスケール:[おいなんだこの気色悪い投稿]
識名新太郎:[言っただろ。クズに引っかかる女も同類だって]
藍色のリス:[モテない男たちの僻みを聞いてる時間はない。さっさと本題に入れ]
識名新太郎:[なんだこいつ!? どうやってこのチャットに!!?]
Aスケール:[安心してくれ、こいつは俺の隣にいる。その、連れだよ。一緒に事件を調べてるんだ]
識名新太郎:[うわ]
識名新太郎:[女だ]
識名新太郎:[女連れ込んでやがる]
識名新太郎:[なんてこった……クッソ、どうして俺だけモテないんだ!? 誰か間違いだと言ってくれ!!]
識名新太郎:[永浦、お前に借りが無ければここで話は打ち切りだった。ホントにギリのやつ]
Aスケール:[揺らぎすぎだろ! あとこの女、別にそういう仲じゃないからな!?]
命を狙われていることを伝えたい永輔だったが、膝の上でイライラし始めた菖蒲が日本刀を握り締めているので、余計なメッセージを打つことは諦めた。
永輔の頬に刀の鍔がペチペチとぶつかりプレッシャーがかかる。
藍色のリス:[次無駄口叩いたらコロス]
識名新太郎:[口が悪いなお前の連れ。いいだろう、RIRIKA@仕事病むの居場所だな]
続けて画像が数枚送られてきた。
全てRIRIKA@仕事病むが投稿したテキストや写真だ。
電車が遅れた愚痴や、特売の肉で今夜はすき焼きだと浮かれた投稿に、残業後の文句と日常の何気ない呟きに見える。
だが、そこに散りばめられたヒントを識名新太郎は見抜いていた。
識名新太郎:[過去の電車遅延の投稿から沿線は割れてる]
識名新太郎:[駅前のスーパーに寄るのは決まって木曜日と毎月29日だ]
識名新太郎:[特売の周期を市内のスーパーのルールと照らし合わせるとこの店舗は『ゆあばすけっと』だとわかる]
識名新太郎:[加えて残業後にテイクアウトで寄ったミョスバーガーも両方あるのはこの駅だけだ]
送られてきた地図情報には、指定の駅にピンが刺さっている。
続けてそこから徒歩圏内15分が同心円状に塗りつぶされた。
識名新太郎:[更に翌朝の『出勤ダルすぎ薄毛上司尿路結石になれ朝焼けエモいのもなんかムカつく』投稿に添えられた窓からの写真で、住んでいる部屋を割り出すことは容易い]
識名新太郎:[こうもさらけ出されちゃあ、特定するなって言う方が無理だ]
朝焼けに伸びる高いビルの配置と、特徴的な霊園などの符合が証拠として示される。
地図にピンが建てられたのは、駅から徒歩5分ほどにあるマンションだった。
菖蒲はそのマンションを自分のスマホで登録して、永輔の膝から立ち上がった。
永輔も時計を見て立ち上がる。
もうじき夕暮れが近づいていた。
Aスケール:[すげえよ! ありがとな。時間が無いから今すぐ向かうよ]
藍色のリス:[ストーカーの素質があり過ぎてキm]
Aスケール:[なんでもない。気にしないでくれ]
識名新太郎:[キモいのは承知で稼いでる。開き直った俺には効かない]
識名新太郎:[そんなことより永浦]
識名新太郎:「お前のことだから桑島には負けないだろうけど、血十字には気を付けろよ」
Aスケール:[わかった。気を付けて一発顔面に入れる]
識名新太郎:[……お前は昔から売られた喧嘩しかしない。その女のためか?]
Aスケール:[ムカつくやつ殴るだけだ]
識名新太郎:[いいぜ、そういうことにしておいても]
識名新太郎:[桑島から情報が得られなければ、またここに来い]
Aスケール:[おう。またな、--NGワードが検出されました--]
識名新太郎:[おい]
識名新太郎:[本名を書きこむなよ。アホ]