襲撃 - 多摩の戦い
2032年秋の深まりと共に訪れた冷たい夜。多摩生命科学研究所は、強化された警備態勢の中でも、表向きは平穏を保っていた。壁面の全天候型太陽電池モジュールは月明かりすらも捉えようと微細な量子ドット(PbS/PbSe)を活性化させていたが、夜間の発電量は限定的だった。研究所の主要電力は、地下の全固体リチウムイオン電池群と、非常用の小型地熱発電で賄われていた。
ドーム内のアキラは、岩場の頂上で微睡んでいた。全身の黒い羽毛が夜気を遮り、軽量の中空骨格が熱損失を最小限に抑えていた。恒温性を維持するための代謝活動は、睡眠中もゆるやかに続いていた。突然、彼の鋭敏な聴覚が、ドーム外の遠くで、通常の巡回ドローンとは明らかに異なる**多種多様なローター音**が接近しているのを捉えた。しかも、その数は膨大だった。彼は瞬時に目を見開いた。大きな眼窩の中で瞳孔が拡大し、微光視力を最大限に発揮した。虹色の冠羽がピンと逆立ち、警戒態勢に入った。
ほぼ同時に、ドーム南西隅の茂みで休んでいたリュウも首を上げた。彼の聴覚もまた、異常な数の飛行物体の接近を捉えていた。リュウは即座にトビを自身の左後方に位置させ、自身は低くうなるような警戒音を発した。トビはまだ眠そうだったが、リュウの緊張した姿勢に反応して小さく跳び上がり、長い前肢で近くの樹幹を掴んだ。
水場近くで休息していたブルーアイの頭部フレームのLEDが、突然、赤く点滅し始めた。RSF(Radio-Synthetic Field)センサーが、周囲の空間を埋め尽くすほどの**強力な電波妨害ノイズ**を検出したのだ。これは通信不能状態を作り出す攻撃的前兆だった。ブルーアイは短く鋭い吠え声を上げ、オオカミのシエラとロックを即座に警戒態勢に就かせた。
**襲撃開始**
その直後、研究所全体を覆うように、無数の超小型ドローンが蜂の群れのように襲いかかった。ドローンは二種類に大別された。
1. **ジャミング/煙幕ドローン:** 握り拳大の機体が、強力な広帯域電波妨害波を放射。研究所の外部通信、監視カメラの映像送信、さらにはガーディアン・ネットのドローン制御ネットワークまでもを麻痺させた。同時に、機体下部からは濃密な煙幕(視界遮断とともに弱い催涙成分を含む)を噴霧し始めた。
2. **攻撃/偵察ドローン:** やや大型で、高速で低空飛行。機体下部に小型カメラと、精密なレーザー照射装置(警備員の目潰しやセンサー破壊用)を搭載。建物の弱点(窓の継ぎ目、換気口)をスキャンしながら飛び回った。
「敵襲! 全員、第一種警戒配置へ!」セキュリティルームで責任者の叫び声が上がったが、外部との通信はほぼ遮断され、監視画面はノイズと「信号なし」の表示で埋め尽くされた。警備員たちは事前の訓練通り、防弾シールドとナイトビジョンゴーグル(光学式と熱感知式のハイブリッド)を装備し、指定防御ポイントへ急行した。自衛隊の小部隊も駐屯所から動き出したが、煙幕とジャミングで連携が困難だった。
**戦闘 - 超感覚チームの連携**
煙と混乱の中、人間の監視システムが機能不全に陥る中で、アキラ、リュウ、ブルーアイの群れは、研ぎ澄まされた生物の感覚と連携で反撃の機会を作り出した。
1. **RSFジャミング発動:**
* ブルーアイが、オオカミたちに覆い守られるようにしてドーム中央部の見通しの良い場所へ移動した。彼は頭部を高く上げ、頭部フレームのRSF送信機をフル稼働させるように、全身の筋肉に力を込めた。フレームの中央部が青白く輝き、**高出力の指向性電波パルス**が特定の周波数帯(ドローンやPR隊員の通信・機器制御周波数)へ集中放射された。
* 効果は絶大だった。アキラの鋭い視覚が捉えたように、ドーム内を飛び回っていた攻撃/偵察ドローンの数機が、突然制御を失い、壁や地面に墜落した。ドーム外では、煙幕に潜むPR隊員の間で「通信機が使えない!」「ナイトビジョンが故障した!」という怒声と混乱が起きた。ブルーアイのRSFジャミングが、精密電子機器の回路を一時的にでも無力化したのだ。シエラとロックは、ブルーアイを囲みながら、接近する脅威に対して牙をむいた。
2. **アキラ・リュウの偵察と情報共有:**
* 煙幕は視界を遮ったが、アキラの**優れた微光視力**と**広い視野**、そして**空間認識能力**が威力を発揮した。彼は岩場の頂上に留まり、煙の流れの微妙な変化、物陰での微細な動き、そして**煙に滲む熱源のわずかな歪み(人間の体温による)** を逃さず捉えた。彼は特定の方向へ、短く鋭い警戒音を発した。「キッ!」(左側の茂みに3名)、「キッキッ!」(正面の岩陰に2名)。音の回数と強さで脅威の規模と方向を伝える、訓練で培われた原始的な「コード」だった。
* 地上のリュウは、煙の中でアキラの警告音を頼りにした。彼自身も**優れた聴覚**で足音や金属の触れ合う音を捉え、**空間認識能力**でその位置を推定した。リュウはアキラの警告方向を確認するように、短く低い鳴き声を返した。そして、自らも脅威を感知した方向(右側の水場近く)へ向かって、羽毛を逆立てて威嚇の姿勢を取り、低いうなり声を発して存在を知らせた。トビはリュウのすぐ後ろの樹上で、震えながらもアキラやリュウの警戒方向を注視していた。
3. **トビの奇襲:**
* トビの小さな体と長い前肢は、樹上での機動性を発揮した。煙に紛れて枝から枝へと素早く移動し、アキラやリュウが警告したPR隊員の真上や背後近くの高所に到達した。そこでトビは、握力のある足指と長い前肢で、枝にぶら下がったり、小石や折れた小枝を集めたりした。そして、タイミングを見計らい、PR隊員の頭上や足元めがけて、それらを落とした!
* 小石がヘルメットを直撃したり、小枝が足元に降り注いだりすることは、直接のダメージにはならなかったが、隊員たちの注意を一瞬でもそらし、体勢を崩させるには十分だった。「なんだ!?」「上だ!」その隙が、煙幕とジャミングで苦戦していた警備員や自衛隊員にとって、絶好の反撃機会となった。銃声と、PR隊員の苦悶の声が響いた。
4. **連携防御:**
* リュウの群れ(主にオオカミ)は、ブルーアイの指示(RSFと低い唸り声)に従い、PR部隊の側面を牽制する動きに出た。シエラとロックは煙を巧みに利用し、茂みや岩陰から突然飛び出しては威嚇し、すぐに退くことを繰り返した。これはPR隊員の注意を散らし、前進を遅らせる心理的圧迫となった。リュウ自身も、特大の第II指の鉤爪を地面に立て、半月形手根骨を効かせて前肢を構え、煙の向こうから迫る影に向かって咆哮を浴びせた。直接の攻撃は避けつつも、巨大な捕食者が潜むという威圧感を与えた。
* アキラは高所から全体を俯瞰していた。リュウの群れがPR部隊の左側面を引きつけている間に、別の小隊がドームの北東側の緊急ハッチから侵入しようとしているのを視認した。アキラは即座に岩場から降り、俊敏な二足歩行でその侵入ルートへ直行した。煙の中を、長い尾をバランサーにして急旋回し、驚異的な速度で移動した。ハッチ前に到着すると、全身の羽毛を逆立て、冠羽を最大限に広げて青緑〜紫の構造色を輝かせ、恐ろしい形相で咆哮した。その威嚇だけで、侵入を試みていたPR隊員は数秒間ひるみ、その隙に警備隊が駆けつける時間を稼いだ。
**結果と悲劇の兆し**
熾烈な戦闘は約20分続いた。PRの襲撃部隊は、ジャミングと煙幕による奇襲効果を研究所の警備と超感覚チームの連携によって封じられ、さらに自衛隊の増援が到着したことで、撤退を余儀なくされた。ドーム内には墜落したドローンの残骸や、PR隊員の残した装備品が散乱し、煙の匂いと硝煙の臭いが混ざり合っていた。警備員に負傷者は出たが、幸い死者はなかった。
しかし、その混乱の中、一つの悲劇が起きようとしていた。トビが、ドーム北西隅の境界付近で、流れ弾の破裂音に驚き、パニックに陥っていた。彼は恐怖のあまり、リュウやブルーアイの指示も聞かずに、ただひたすら逃げようと、ドームの強化ポリカーボネート壁面に設けられた、換気用の小型グリル(隙間)に向かって飛びかかった。そのグリルは、外の安全が確認されていないエリアへ通じていた。
「キッ!キッ!」リュウが必死の声(彼にとっては最大限の警戒音)で叫んだ。リュウはトビを追いかけようとした。しかし、その瞬間、別の方向から撤退中のPR残党が放った銃弾が、リュウのすぐ脇の地面を跳ねた。土煙が上がる。
「ヴゥ!」ブルーアイが鋭い吠え声を上げた。それは明らかに「危険! 止まれ!」の命令だった。ブルーアイ自身もリュウの前方に立ちはだかるように移動した。リュウはブルーアイの警告と、目前の銃弾の脅威に一瞬躊躇した。
その一瞬の隙に、トビの小さな体が換気グリルの隙間をすり抜け、研究所の敷地外の暗い森の中へ消えていった。
「キィ──────ッ!!!」トビの遠ざかっていく悲鳴が、夜の闇に吸い込まれていった。
リュウはその声を聞き、深い絶望と怒りの咆哮を上げた。全身の羽毛を逆立て、特大の鉤爪で地面を激しく引っ掻いた。彼の目は、これまでに見たことのないほどの怒りと悲しみで燃えていた。ブルーアイはリュウのすぐ横に立ち、警戒を続けつつも、その激しい感情を理解するように静かに見守っていた。
戦いは一時的に終結したが、研究所には勝利の余韻などなかった。トビの失踪という代償が、あまりにも大きすぎた。アキラは岩場の中腹から、リュウの絶望の咆哮と、トビが消えたグリルの方向を、静かに、しかし鋭い視線で見つめていた。彼の長い尾が、重く地面に垂れていた。