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共闘の序曲

多摩生命科学研究所の中央制御室には、張り詰めた緊張感の中にも計画的な活気が漂っていた。ハルオ、ソラ、ジャビール、ケイ、セキュリティ責任者、そして獣医師と技術スタッフが集結していた。大型スクリーンには、本ドーム内の詳細な3Dマップと、アキラ、リュウ、トビ、ブルーアイ、そしてオオカミのシエラとロックの現在位置がリアルタイムでプロットされていた。

「全員、最終確認だ」セキュリティ責任者が声を張り上げた。「訓練目標は二つ。第一に、緊急時における対象個体の行動パターンと群れ間相互作用のデータ収集。第二に、非侵襲型モニタリングシステムの実戦的検証だ」

ハルオがタブレットを手に、細かな指示を加えた。「アキラとリュウたちのストレスを最小限に抑えることを最優先とする。煙は無害な擬似煙霧、警報音も痛み閾値以下の周波数帯を使用すること。モニタリングデータに過度のストレス反応が見られたら、即座に訓練を中断する」


**非侵襲型モニタリング装着**


ドーム内に入ったのは、ケイと経験豊富な獣医師、そしてソラだった。ソラは小さなケースを携えていた。中には、今回の訓練の鍵となるデバイスが収められていた。


* **GPS/バイタル発信器:** 軽量の防水ケースに収まった小型デバイス。超低消費電力のBluetooth LEと衛星測位チップを搭載。心拍数、呼吸数、体表温度を非接触(赤外線センサー・マイクロ波レーダー)で計測し、位置情報と共に送信する。アキラとリュウ用には、柔軟な生体適合性ポリマー製のバンドに組み込まれ、上腕部(上腕骨周辺の羽毛が比較的薄い部位)に装着される。トビ用はさらに小型で、胸部に取り付ける。ブルーアイとオオカミたちは、既存の頭部フレームに機能が統合されているため追加不要。

* **ソラのプロトタイプ:** ソラが別途ケースから取り出したのは、実験中の**培養網膜バイオニックカメラ小型版**だった。iPS細胞由来の網膜オルガノイドを封入したマイクロ流体チップと、神経信号を読み取る柔軟なマイクロ電極アレイ(MEA)、そしてデータ処理用の小型ニューロモルフィックプロセッサで構成される。現在はトビの装着が予定されていた。トビの視覚体験を記録し、脅威認知時の神経活動を解析する貴重な機会となる。



「アキラ、お利口さんでいてね」ケイが優しく声をかけながら、ゆっくりと近づいた。アキラは岩場のふもとで待機していた。彼はケイの存在と、獣医師が持つ見慣れない道具を警戒深く観察していたが、攻撃姿勢は取らない。過去のポジティブな経験が、ケイへの基本的な信頼を形成していた。

獣医師が慎重にアキラの左前肢に近づき、柔らかいポリマーバンドを当てた。アキラは微かに身を引いたが、ケイが「大丈夫だよ」と繰り返し、細長い吻端で軽く彼の肩の羽毛を梳いてみせると、奇妙なことに落ち着いた。バンドが上腕部にフィットし、軽くクリック音を立てて固定された。重さはほとんど感じさせない。アキラは装着された左前肢をわずかに持ち上げ、好奇心とわずかな違和感を込めて、バンドを嘴で軽くついばんだが、外そうとはしなかった。

一方、リュウとトビの方は、ブルーアイの存在が鍵となった。リュウはケイや獣医師にはまだ完全には慣れておらず、警戒して冠羽を広げた。しかし、ブルーアイがゆっくりとリュウとトビの前に立ち、頭部フレームのLEDがゆったりとした青い光で点滅した(RSFによる「安全」「落ち着け」の信号を発している可能性が高い)。リュウはそれを見て、羽毛の逆立ちがわずかに緩み、獣医師による右前肢へのバンド装着を許した。トビはブルーアイの足元に隠れるようにして震えていたが、ソラがしゃがみ込み、非常にゆっくりとした動作で胸部への極小バンド装着を行った。トビは装着後、長い前肢でバンドを引っかこうとしたが、リュウが低く短い音を発して制止すると、諦めたように小さく鳴いた。

ソラは最後に、トビに培養網膜カメラプロトタイプを取り付ける準備をした。これは軽量なヘッドマウント型で、眼の前部に網膜オルガノイドへ像を結ぶための小型レンズシステムが配置される。「トビ、ちょっとだけ我慢してね。君が見ている世界を、ほんの少し共有させてほしいんだ」ソラが囁くように言った。トビはリュウの後ろに隠れたが、ソラの落ち着いた動作と、ブルーアイが発すると思われる鎮静化信号により、何とか装着が完了した。カメラのステータスLEDが緑色に点灯し、データ送信が開始された。


**模擬危機**


装着から約30分後。ドーム内は一見、平穏を取り戻していた。アキラは岩場の中腹でうたた寝をし、リュウとトビは水場下流で水を飲み、ブルーアイとオオカミたちは木陰で休息していた。モニタリングデータは全個体で安定していた。

突然、低くうなるような緊急警報音がドーム内に響き渡った。人間の可聴域をわずかに下回る低周波成分を含み、骨に響く不快な音だ。同時に、ドームの換気口から無害な白色の擬似煙霧が噴出し始めた。煙は急速に広がり、視界を徐々に遮る。

「訓練開始!」セキュリティ責任者の声が制御室に響く。


**協調の萌芽**


この劇的な環境変化に、すべての動物たちが即座に反応した。


* **トビのパニックとリュウの保護:** トビが「キィーッ!」という鋭い悲鳴にも似た警戒音を発し、文字通り飛び上がった。彼の長い前肢が必死に伸び、近くの低い枝をつかむ。恐怖に駆られて木を登り始めようとしたその時、リュウが素早く左に踏み込み、自身の胴体でトビの逃げ道を遮るようにした。リュウはトビを威圧するのではなく、覆い守るように体勢を取り、短く低い音(「落ち着け」「私の後ろ」の意図)を繰り返し発した。リュウの大きな体と安定した存在感が、トビのパニックをわずかながら和らげた。トビは震えながらも、リュウの腰の羽毛に長い前肢でしがみついた。

* **ブルーアイの群れ統率:** 煙の中、ブルーアイの頭部フレームのLEDが高速で点滅した(RSFによる「警戒レベル最大」「集合」「移動」の信号)。シエラとロックは即座にブルーアイの左右に位置取り、三角形の陣形を組んだ。ブルーアイは首を研究所が指定した避難ルート(ドーム北側の緊急ハッチ方向)へ向け、ゆっくりと歩き出した。オオカミたちはそれに従い、煙の中でも迷わず進んだ。ブルーアイは一瞬足を止め、リュウとトビの方へ頭部を向けた。RSF信号がリュウの群れへも「従え」の指示を送っているようだった。

* **アキラの偵察と警告:** 岩場中腹で休んでいたアキラは、警報音と煙の発生と同時に飛び起きた。虹色の冠羽を最大限に逆立て、大きな眼窩を大きく見開く。煙は視界を妨げたが、彼の優れた聴覚が周囲の音(トビの悲鳴、リュウの低い声、オオカミたちの足音)を捉え、空間認識能力がそれらを精緻な3Dマップとして脳内に構築した。彼は煙の流れを読み、高所の岩場頂上へと俊敏に駆け上がった。煙が比較的薄い頂上から、彼の超高解像度視覚が、群れの動き(ブルーアイ隊形の移動、リュウがトビを守る位置)を確認した。そして、群れが向かっている避難ルートの**反対側**の煙の中に、動く人影(訓練で想定された「敵役」の警備員)をかすかに捉えた。アキラは即座に鋭い警戒音を二度連続で発した。「キッ!キッ!」 音源は、脅威の方向(敵役)を指し示していた。

* **リュウの情報受信と判断:** リュウはアキラの警戒音と、その音の指向性(アキラの体の向き)を認識した。彼自身の視界は煙で遮られていたが、アキラが高所から警告していることを理解した。リュウはブルーアイが示す避難ルート(北側)ではなく、アキラが警告した方向(南東側)に脅威があると解釈し、トビを導く方向を北から**北西**へとわずかに修正した。これはブルーアイの指示とは異なるルートだったが、より脅威から遠ざかる方向だった。リュウはアキラの方へ短く鳴き声を返した(「了解」「感謝」のニュアンス)。

訓練は約10分で終了した。警報音が止み、換気システムが強力に作動して煙が急速に吸い込まれていった。モニタリングデータは、訓練開始直後に全個体で心拍数とストレスマーカーが急上昇したが、後半にはある程度落ち着いていたことを示していた。特に注目すべきは、トビのデータだった。パニック状態を示していた初期のバイタルが、リュウに守られ、群れの動きに加わって以降、徐々に安定化する傾向を見せていた。

制御室で、ハルオが解析AIが生成した行動軌跡とバイタルデータの重ね合わせ表示を見つめていた。アキラの岩場頂上からの移動、リュウの避難ルート修正、ブルーアイ隊形の統率された移動、そしてトビのリュウへの依存… 全てが時系列で可視化されていた。

「…見てくれ」ハルオが声を潜めて言った。画面を指さす。「アキラが脅威を発見し警告(ポイントA)。その情報をリュウが受信し、自身の避難行動を修正(ポイントB)。結果、群れ全体が脅威からより遠ざかる経路を選択した。ブルーアイの群れも、リュウの動きに連動するようにルートを微調整している(ポイントC)」

ソラがトビの培養網膜カメラからのデータストリームを表示した。煙でぼやけた視界、リュウの羽毛のアップ、遠くのアキラのシルエット… そして、脅威方向(敵役警備員)を捉えたと思われる瞬間の、神経節細胞の活動電位のスパイクが増加する生データが流れていた。「トビも、アキラの警告音が鳴った方向に注意を向けている…! 学習アルゴリズムが、その視覚情報と聴覚情報の関連付けを解析中だ!」

「素晴らしい…!」ケイが思わず声を上げた。「みんな、バラバラじゃなかったんだ! アキラが教えて、リュウがそれに従って… ブルーアイさんもそれに合わせてくれて、トビちゃんも守られてた!」

ジャビールは腕を組み、感嘆の息をついた。「あの混乱の中で、言葉も通じぬ者同士が、危険を共有し、互いを補い合う…。これこそが、我々が目指すべき『共生』の形かもしれんな」

ハルオの目に、深い感動と確信の光が灯っていた。「その通りだ。解析AIの最終レポートも、『群れ全体のストレス反応が、単独行動時または初期の混乱時に比べ、情報共有と連携が始まった後半では有意に低減した』と結論付けている。彼らは…いや、**彼らの中に**、種を超えて危機を乗り切る力が確かに芽生えている!」

ドーム内、煙が完全に晴れた。アキラは岩場の頂上から降りてきていた。彼はリュウとトビ、ブルーアイの群れが無事に避難指定地点(北西の安全エリア)に集まっているのを、遠くから眺めていた。警戒音はもう発していなかった。代わりに、首をわずかに傾げ、同種のリュウと、異種の群れを交互に見つめていた。長い尾が、複雑な感情の表れか、ゆっくりと大きく一回、左右に振れた。それは、拒絶でも完全な受容でもない、新たな可能性への**困惑と興味の入り混じったサイン**だった。リュウもまた、アキラの方向を見て、冠羽をわずかに揺らした。静かな空間に、種を超えた共闘の序曲が、確かに響いていた。



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