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脅威の予兆

多摩生命科学研究所の警備態勢は、PRの標的リスト判明以降、顕著に強化されていた。全天候型太陽電池モジュールで覆われた研究所の外壁沿いには、新たに設置された監視ドローンの離発着場が幾つも設けられ、昆虫のようなサイズの超小型ドローンから、中距離監視用の固定翼機までが、AGI「ガーディアン・ネット」の指揮下で絶え間なく巡回していた。境界フェンスには振動センサーと熱感知カメラが増設され、わずかな異変も見逃さない体制が整えられつつあった。

しかし、そのような中で事件は起きた。研究所から約20キロ離れた郊外の集合型小型風力発電ファーム「ウィンド・ハーベスター」で、突如、複数のタービンが定格回転数を大幅に超える異常高速回転を始めた。過剰な遠心力によりブレードが歪み、ついには基部の継ぎ目から破断、周囲に破片が飛散する事故が発生した。幸い人的被害はなかったが、施設は一時的に機能停止に追い込まれた。 「ガーディアン・ネットの分析結果だ」ソラが研究所のセキュリティルームで報告した。壁面の大型ディスプレイに、風車破損の衝撃的な映像と、複雑なコードが流れる。「制御システムへの不正アクセス痕跡が確認された。攻撃手法は…高度なゼロデイ脆弱性を突いたものだ。侵入経路はダークウェブ経由のルーティング、痕跡消去も完璧。犯行声明はないが、攻撃コードのスタイルと、対象が再エネ施設である点から、PR関与の可能性が極めて高い」

セキュリティ責任者が眉をひそめる。「実証的な攻撃か… 我々のインフラ依存度や、セキュリティAGIの反応を探っている可能性もある」

ハルオが顎に手を当てて考え込んだ。「次は…間違いなくこちらだ。備えを急がねば」


**事件**


その翌日、夕暮れ時。アキラが本ドーム内の岩場の頂上で、羽毛の手入れをしていた。彼は細長い吻端を巧みに動かし、右前肢の白黒の縞模様が入った風切り羽の羽枝を丹念に整えていた。1本、2本、3本… 突然、彼の優れた動体視力と広い視野が、ドームの強化ポリカーボネート外壁の外、約50メートル離れた境界フェンス付近の低木の陰で、ごくわずかな「不自然な動き」を捉えた。

それは、ハチほどの大きさの黒い物体が、超低空で素早く移動し、フェンスの支柱に付着する一瞬だった。アキラの瞳孔が瞬時に収縮した。全身の羽毛が微かに逆立ち、冠羽がピンと立った。警戒音はまだ発していないが、喉の奥で低いうなり声が沸き上がる。

ほぼ同時に、ドームの南西隅、水場下流の茂みにいたリュウも首を上げた。彼の鋭い聴覚が、ドーム外からかすかに届く、人間の耳にはほぼ聞こえない高周波のブーンという微小な音(ドローンのローター音)を捉えたのだ。リュウは即座にトビを自身の左後方に位置させるように体を右に旋回させ、茂みの陰へ導いた。彼自身も姿勢を低くし、目だけを茂みの隙間から外に向けた。大きな眼窩の中で、眼球が音源方向へ素早く焦点を合わせる。

「キィ…?」トビが不安そうな声を上げた。リュウは短く低い音を発し、トビを沈黙させるとともに警戒を促した。トビは長い前肢でしっかりと地面の小枝をつかみ、身を縮めた。

少し離れた場所で休んでいたブルーアイの耳がピクンと動いた。彼もまた、微かな高周波音と、何よりも──自身の頭部フレームに搭載されたRSF(Radio-Synthetic Field)センサーが捉えた「不自然な電波ノイズ」に気づいた。通常の研究所の通信パターンや自然環境の電磁波とは明らかに異なる、指向性の強い、短いパルス状の信号だ。ブルーアイは頭部をゆっくりと水平方向に振り、フレームのカメラレンズが淡い青い光を放ちながら、電波源の方角(境界フェンスのまさにアキラが注視していた方向)を絞り込んだ。オオカミのシエラとロックは、ブルーアイの緊張した姿勢を感じ取り、無言で起き上がり、周囲を警戒し始めた。



**能力発揮**


アキラの視覚は、低木の陰に張り付いた超小型ドローンを凝視していた。その解像度は非常に高く、ドローンの形状(球状ボディに4つの微小ローター)、表面の質感(光を吸収するマットブラック塗装)、そして機体下部のレンズ群(可視光カメラ、赤外線センサー、おそらくスペクトル分析器)までを識別できた。ドローンはゆっくりと回転し、明らかに研究所の建物、特にドームの構造やセキュリティカメラの位置を精査している。

岩場の頂上で、アキラは短く鋭い警戒音を発した。「キッ!」 これは、自身が発見した脅威の存在を伝える、彼にとっての標準的な警告音だった。音はドーム内に響く。

その音を聞いたリュウは、茂みの隙間からアキラが凝視する方向へ自らの視線を向けた。リュウの視力も優れているが、アキラほどの超高解像度ではない。しかし、アキラの警戒音と視線の方向が、脅威の位置を特定するのに十分だった。リュウはアキラの方向に向かって、短く低い鳴き声を二度発した。「グルルッ、グルルッ」 これは「了解」「確認」に近い意味を持つ、彼の群れで使われる信号だったかもしれない。

ブルーアイは、アキラの警戒音とリュウの応答音声、そして自らのRSFセンサーが指し示す方向が完全に一致していることを確認した。彼は頭部をさらに数度、微かに振ることで電波源の方向を精密に定位し、オオカミたちに微かにうなずいた。シエラとロックは、脅威の方向へ体を向け、低い姿勢を保った。

この一連の出来事は、ほんの十数秒の間に起きていた。


**察知と消失**


「ドーム内の異常生物反応!」セキュリティルームのオペレーターが叫んだ。モニタリング画面に、アキラ、リュウ、ブルーアイの位置とバイタル(心拍数上昇・警戒状態を示す脳波パターン)が警告色で表示されていた。「外部監視カメラ、境界センサーに異常なし! ガーディアン・ネットは環境ノイズと評価しています!」

「ちっ、奴らのドローンだ!」ソラが即座に看破した。彼女の手指がコンソール上を素早く滑り、手動で指定した座標(アキラの視線方向とブルーアイのRSF探知方向の交点)周辺の監視カメラ映像を拡大表示させた。「高倍率・赤外線モードで! 画像強調アルゴリズム全開で!」

画面が切り替わる。ノイズの多い映像だったが、ソラの指示した処理により、低木の枝にごくわずかにかかる熱源の歪みと、微小な電波源の位置が浮かび上がった。それは間違いなく、ステルス性能を備えた超小型偵察ドローンだった。

「ターゲットをロックオン! 対ドローン・ジャミング波を照射…!」セキュリティ責任者が命令しようとしたその瞬間だった。

画面上の熱源と電波源が、突然、消失した。まるで初めから存在しなかったかのように。

「…! 自己破壊だ」ソラが歯を食いしばって言った。「痕跡を残さない。プロの仕業だ」


**余韻**


ドーム内、アキラはなおも警戒を解かなかった。ドローンが消えた後も、その地点を凝視し続け、微かな臭気(プラスチックが過熱したような匂い)を嗅ぎ取ろうとしていた。リュウは茂みからゆっくりと姿を現し、トビを従えて水場の方へ移動し始めたが、頻繁に境界の方向へ視線を走らせていた。ブルーアイのRSFセンサーは、不自然な電波ノイズが完全に消えたことを確認すると、LEDの点滅間隔を遅くし、オオカミたちに警戒を解除する信号を送ったようだ。

観察通路からこの一部始終を見ていたケイとハルオは安堵すると同時に、強い不安を感じていた。

「アキラたちの方が…ガーディアン・ネットより早く見つけたんだね」ケイが驚きと畏敬の念を込めて呟いた。

「ああ」ハルオは深く頷いた。タブレットには、アキラ、リュウ、ブルーアイのバイタルが依然として高い警戒状態を示していた。「彼らは、我々の高度な機械システムでは検知できない、微細な環境の変化や、本来生物が持つ『脅威』に対する直感を研ぎ澄ませている。アキラの視覚、リュウの聴覚と空間把握能力、ブルーアイのRSFによる電波探知…そして何より、彼らがお互いの警告を**瞬時に共有し、連携した**こと。これこそが、我々が研究している『種を超えた感覚の共有とコミュニケーション』の、生きた実例だ」

ハルオはケイの肩に手を置き、真剣な眼差しで言い添えた。「だが、これは同時に、彼らが今、非常に危険な状況にある証でもある。PRは確実に近づいている。緊急避難計画の準備を、一刻も早く完了させなければならない」

夕闇が迫るドーム内。アキラは岩場から降り、水場へと向かった。リュウとトビが下流側で水を飲んでいるのが見えた。アキラはわずかに足を止め、リュウの方を一瞥した。リュウもまた、アキラの存在を認識し、短くうなずくような動作をした。直接の言葉はなくとも、この奇妙な「同種」と、そして他の異種の存在たちと共に、目に見えない脅威に直面しているという認識は、この瞬間、わずかながら共有されていたのかもしれない。アキラは警戒心を保ちながらも、普段より少しだけリュウたちから離れていない場所で、細長い吻端を水面に近づけた。長い尾が、複雑な感情を表すように、ゆっくりと大きく一回振れた。



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