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歪んだ理想の影

リュウの群れが本ドームに移動してから数日が経った。ドーム内では依然として緊張が続いていたが、直接の衝突はブルーアイの介入やハルオらによる環境調整(新たな水飲み場の設置、トビ専用の高所観察ポイントの確保)で回避されていた。アキラは相変わらず岩場を中心に行動し、リュウの群れはドームの南西隅、水場下流の茂みがちなエリアを主な拠点としていた。互いに距離を保ちながらも、アキラの優れた視覚とリュウの鋭い聴覚は、相手の存在を常に監視している。

その日、ジャビールは研究所の外に出ていた。彼は現在、東京湾岸地域の復興建設現場で、持続可能な建材を用いた災害に強いコミュニティハブの設計アドバイザーを務めていた。AGI最適化された建設プランに、人間の実践的知恵とコミュニティニーズを融合させるのが彼の役目だ。作業を終え、電磁浮上式の共有モビリティに乗って研究所へ戻る途中、郊外の多文化共生エリアを通りかかった。このエリアには、南海トラフ地震で被災した国内外の移民・難民を支援する「グローバル・ハーモニー・センター」が立地していた。

ふと、ジャビールの鋭い嗅覚が、風に乗ってくる異様な匂い──燃えるプラスチックと化学薬品の混ざった不気味な臭い──を捉えた。同時に、視界の端で不自然な光の揺らめきが確認された。センターの裏手からだ。

「…っ!?」 ジャビールは即座にモビリティの停止ボタンを左手人差し指で押した。車体が静かに着地する。彼は素早く降り、身を低くして臭いと光の方向へ駆け出した。シリアでの戦争経験が、危険を直感させる。

センター裏手の物置小屋が炎上していた。炎はまだ小規模だが、勢いを増しつつある。しかし、それ以上にジャビールの目を引きつけたのは、燃えさかる小屋の壁面に、スプレーで乱暴に描かれたマークだった。赤い円の中に、二重の剣が交差し、その下に「P.R.」という文字──**純血革命 (Purity Revolution)** のシンボルだ。

「ちっ…!」 ジャビールは歯を食いしばった。周囲には人影はない。犯行は素早く、効率的だった。彼は即座に個人端末を取り出し、右手親指で緊急通報ボタンを押しながら、炎の勢いを確認した。消火活動は消防ロボットとAGI管理システムが行うだろう。彼の役目は──

「おい! そこで何してるんだ!」

威圧的な声がした。ジャビールが振り向くと、数メートル先の路地の陰から三人の男が現れていた。作業服のようなものを着ているが、着こなしが不自然で、目つきが鋭い。肌の色や顔立ちは多様だが、全員が過剰なほどの警戒心と敵意を漂わせている。一人は右手に工具のようなものを握っていた。彼らは明らかに現場を偵察していたか、あるいは犯行の見張り役だった。

ジャビールはゆっくりと両手を広げ、敵意のない姿勢を示した。「火事だ。通報した」と平静を装って言った。シリアで培った、危険な状況での冷静さが働く。

男たちは互いに目配せした。工具を持った男が一歩前に出る。「余計なことをするな、よそ者め。ここはお前らが馴染む場所じゃねえ」

「このセンターは、地震で家を失った全ての人のための場所だ」ジャビールは静かに、しかしはっきりと言い返した。左手はゆっくりと、個人端末の背面に仕込んだ緊急位置送信スイッチに近づけていた。

「ふん、『多様性』だの『共生』だの、綺麗事ばかり並べて!」別の男が唾を吐いた。「俺たちの仕事と文化を奪い、得体の知れない怪物(アキラやリュウを指す)まで作り出す! この歪みは、純粋な血と伝統でしか正せねえ!」

男の言葉が、ジャビールの背筋を寒くした。彼らは単なる排外主義者ではない。組織的で、明確なイデオロギー(反多様性・反技術進化・白人至上主義)に基づき行動している。そして「怪物」という言葉は、明らかに多摩研究所を標的にしていることを示唆していた。

その瞬間、遠くで消防ロボットのサイレンが近づいてくる音がした。男たちは警戒した表情を見せた。「くそ… 撤収だ!」工具を持った男が叫ぶ。三人は路地の奥へ素早く走り去っていった。ジャビールは追いかけようとはせず、彼らが消えた方向を凝視した。彼らの動きには無駄がなく、訓練されたチームワークを感じさせた。

**情報**

研究所の分析ルーム。ソラが、ジャビールが送った緊急位置情報と、現場の監視カメラ(一部が破壊されていたが、遠方のカメラが男たちの逃走シーンの一部を捉えていた)のデータを、高性能ワークステーションに映し出していた。画面には複数のウィンドウが開かれ、顔認証AIによる照合、行動パターン分析、ダークウェブの監視ログが流れていた。

「…間違いない」ソラが低く言った。細長い指でキーボードを叩き、ダークウェブフォーラムの暗号化された投稿の一部を拡大表示した。「犯行声明文の断片だ。『純血革命(Purity Revolution)日本支部は、多様性という病巣を焼き払う第一歩を踏み出した。次は、不自然な生命を生み出す温床そのものを浄化する』… そしてここに、標的リストがある」

ソラの示したリストには、「多摩生命科学研究所」の名前が、AGI研究施設や主要な再エネプラントと並んで明確に記載されていた。その横には「理由:非自然的生命体ネオルニトサウルス・ネオアンキオルニスの創造と展示。遺伝子工学への冒涜」と記されていた。

ハルオ、ケイ、ジャビール、そして呼び出されたセキュリティ責任者とAGI管理官が固唾を飲んで見守る。ハルオの表情が険しくなった。「ついに…表舞台に出てきたか。『常識の革命党』の亡霊が、より凶暴な姿で」

セキュリティ責任者がタブレットを操作しながら報告する。「ガーディアン・ネットは、研究所周辺の脅威レベルを『低』から『中』に引き上げました。しかし、具体的な襲撃計画や実行部隊の詳細は…依然として不明です。彼らは高度な通信秘匿技術を使用している可能性が高い」

AGI管理官が頷く。「当施設のAGI『ヘリオス』も、ダークウェブ上のPR関連通信を追跡していますが、完全な暗号化と分散化により、本格的な脅威モデルの構築には至っていません」

**決断**

重い空気が分析ルームを覆う。ジャビールが拳を握りしめながら言った。「奴らは訓練されている。今日の連中も、単なるならず者ではない。組織的なテロリストだ」

ソラが画面を指さす。「通信痕跡を辿ると、国際的な極右ネットワークとのつながりが濃厚です。資金源、武器、人員…全てが海外から供給されている可能性があります」

ケイが不安そうにハルオを見上げる。「アキラたち…大丈夫かな?」

ハルオは深く息を吸った。70代の生物学者の目に、かつて地震の混乱を生き抜いた時のような決意の光が灯った。「…待っているだけでは危険だ。彼らが研究所を標的にしている以上、アキラやリュウたちを守るための具体的な行動を起こさねばならない」

ハルオは一同を見渡し、ゆっくりと結論を述べた。


1. **警備の即時強化:** セキュリティ責任者に対し、物理的警備員の増員、ドローン監視網の密度向上、境界センサーの感度向上を指示。特に研究所の「弱点」(搬入口、廃棄物処理経路、地下管路)の再点検と強化を命じる。

2. **緊急避難計画の策定と準備:** 最悪の事態(襲撃)を想定し、アキラ、リュウ、トビ、ブルーアイの群れを安全に研究所外へ避難させるための詳細な計画を直ちに策定する。避難先として、第1作で登場した山中の廃研究施設(改修可能)を候補に挙げる。避難経路、輸送手段(遮蔽性の高い車両)、必要な装備(非侵襲型モニター、緊急用飼料・水)のリストアップを開始。

3. **連絡調整:** 研究所長の承認を得た上で、警察・自衛隊の関連部署と極秘裏に情報を共有し、協力体制を構築する。ただし、研究所の位置情報や動物たちの詳細は、漏洩リスクを考慮し、必要最小限に留める。


「了解です」セキュリティ責任者とAGI管理官が同時に応答した。

ソラは決然とした表情で言った。「PRの通信網を突破する方法を探ります。彼らの暗号パターンを逆解析するための専用AIサブルーチンを『ヘリオス』に作成させます」

ジャビールは力強くうなずいた。「避難経路と退避施設の構造評価は任せてください。あの山の中の施設なら、防災面でも隠蔽性でも優れているはずだ」

ケイはアキラたちのいるドームの方向を見つめ、小さな声で誓った。「絶対に守るよ…」

分析ルームを出たジャビールは、研究所の庭で一服していた。夜空には、2030年代の東京では珍しくない、超低軌道を飛ぶ物資輸送ドローンの航行灯がいくつか光っていた。その人工の星々の下で、彼はシリアで家族を失った日のことを思い出した。無差別な暴力が、愛する者や平穏な日常を奪う理不尽さを、骨の髄まで味わっていた。今、新たな家族と呼べる仲間と、研究所の守るべき「いのち」が、同じような憎しみの標的となっている。彼は拳を握りしめ、冷たい夜気を深く吸い込んだ。震える手は、怒りではなく、再び戦う決意によるものだった。

一方、ドーム内の岩場の頂上。アキラは眠っていなかった。優れた微光視力を備えた目が、人工的な星空をぼんやりと眺めていた。突然、遠くの研究所建屋の方向で、普段とは異なる光のパターン(警備用ドローンの飛行経路が増え、点滅間隔が短くなった)と、かすかに響く電子音(セキュリティシステムの起動音)を感知した。人間たちの緊張が、見えない形で伝わってくるようだった。彼は細長い頸部を伸ばし、周囲の暗がり──特にリュウの群れが潜む南西の茂み──を鋭い視線で見回した。長い尾が、不穏な予感に反応するように、ゆっくりと左右に揺れた。警戒レベルが、無意識のうちに再び最大に引き上げられていた。




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