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異郷からの訪問者

2032年夏の終わりが近づくある午後、多摩生命科学研究所の搬入口には、異様な緊張感が漂っていた。強化セキュリティゲートの外に停車したのは、低重心で流線形の大型電磁浮上式輸送車両だった。車体側面には「Intercontinental Zoological Exchange (IZOO)」のロゴが、全天候型太陽電池モジュールで覆われた屋根から供給される電力で駆動する超電導コイルによって、地面からわずか数センチ浮いた状態を静かに維持していた。車両の駆動システムは、研究所の壁面を覆うのと同じ高効率タンデムセルで発電されたエネルギーを、全固体リチウムイオン電池に蓄電し、無駄なく利用していた。

ハルオの電動車椅子と、それに付き添うケイ、ソラ、ジャビール、そしてセキュリティ責任者の姿があった。ソラはタブレットを手に、車両のセキュリティハンドシェイクと生体モニタリングデータの受信準備を整えていた。ジャビールはかつての建設経験を活かし、搬入口周辺の構造物を評価するように鋭い視線を向けていた。

「いよいよだな」ハルオが低く呟いた。タブレットには、輸送コンテナ内の環境データ(温度、湿度、酸素濃度、振動)と、主要な乗客たちのバイタルサインが表示され始めていた。心拍数は全体的に高め──長期移送によるストレスの明確な兆候だ。

車両後部の気密ハッチがシーリングガスを噴出しながら開いた。内部からは、消毒液と動物の体臭、そして疲労が混ざった複雑な匂いが漂ってきた。まず降りてきたのは、頭部に特異な金属製フレームを装着した一頭のハイイロオオカミだった。フレームは頭蓋骨に沿うように設計され、両耳の後方から後頭部にかけて固定されている。中央部には小さなレンズが埋め込まれ、微弱な青いLEDが点滅していた。これが**ブルーアイ**だ。彼の毛並みはやや乱れ、目には疲労の色が濃くにじんでいたが、視線は冷静で警戒を怠っていなかった。フレームから発せられると思われる特定の電波(RSF)が、彼の意思を伝えているのか、続いて降りてきた二頭のオオカミ(同様の小型フレームを装着)が、ブルーアイを囲むようにして周囲を警戒し始めた。彼らの動きには連携の妙があり、訓練されたチームワークを感じさせた。

次に現れたのは、細身で優美なシルエットだった。全身を黒い羽毛に覆われ、頭部にはアキラと同様、光の加減で青緑から紫へと輝く虹色の冠羽を持つ──しかしその色合いは、ストレスと疲労のためか、ややくすんで見えた。これが**リュウ**だ。全長約2メートル、体重約20kgという体格はアキラとほぼ同一だった。分類学上、ネオルニトサウルス・ハーバーディエンシス(*Neornithosaurus harvardiensis*)のオス個体である。彼の鋭い四色型色覚の目は、初めて見る日本の強い日差しにしばらく細められていた。長い尾は硬直化した基部から中ほどにかけてやや垂れ気味で、移動のストレスと環境の変化に対する不安を示していた。半月形手根骨を持つ前肢は、安定した台となる輸送ケージの縁に軽く触れていたが、特大の第II指の鉤爪(約10cm)は引っ込められ、危険な武器としてではなく、体を支える道具として機能していた。

そして、リュウの影のように、震える小さな生き物が現れた。リュウの腰の高さほどしかない、全身羽毛に覆われた生物──**トビ**だ。ネオアンキオルニス(*Neoanchiornis* sp.)のオス個体である。分類上ネオルニトサウルスより鳥類に近いアンキオルニス科に属するが、大きな差異はその**サイズ(小型)** と **前肢の相対的な長さ**だった。リュウの前肢が胴体に対して標準的なプロポーションを持つ一方で、トビの前肢は明らかに長く、より鳥類の翼に近い印象を与えた。しかし、それは飛行のためではなく、樹上生活におけるバランスや把持の補助に適応した形質だろう。全身は茶褐色を基調とした羽毛で覆われ、細かい縞模様が保護色となっていた。頭部の冠羽は小さく、構造色も弱かった。今、トビの大きな目(リュウやアキラと同じく高い視覚能力を持つが、サイズに比例して解像度はやや劣る可能性がある)は恐怖で大きく見開かれ、リュウの左後肢のすぐ横にぴたりと寄り添い、震えていた。長い移送と環境変化が、この小さな生物に最も大きな負担をかけていた。リュウはトビの震えを感じ取り、わずかに体を左に傾けて覆い守るような姿勢を見せた。

「みんな…すごく疲れてる」ケイが胸を締め付けられるような思いで呟いた。

「ああ。IZOOのドームが被災し、避難生活を経ての長旅だ。ストレスは計り知れん」ハルオがタブレットのバイタルデータ(依然として高い心拍数、リュウとトビのコルチゾールレベル上昇の間接的兆候)を確認しながら言った。「隔離エリアで安静を取らせ、状態を詳細にモニタリングだ。ブルーアイの群れも同様に」

移送チームの指示に従い、リュウ、トビ、ブルーアイとそのオオカミ二頭は、研究所内の広い隔離観察エリアへと静かに誘導された。このエリアは自然環境が再現されており、水場、岩場、茂み、そして高所の観察ポイントが設けられていた。アキラが普段過ごすドームとは隣接しており、強化ガラス越しに互いの存在を視認できる構造になっていた。リュウたちが隔離エリアに落ち着き始めた頃、ちょうど日課の観察時間となったアキラが、隣接ドームの水辺から現れた。

**邂逅**

アキラは、隔離エリアの方向から漂う未知の匂い(複数の動物、消毒液、異なる土壌の匂い)を鋭敏な嗅覚で捉えていた。首を上げ、警戒しながらも興味深そうにその方向へ歩みを進めた。彼の広い視野が、まず隔離エリア内を動く大きな影──ブルーアイとオオカミたち──を捉えた。オオカミは彼の経験則上、潜在的な脅威カテゴリーに分類される存在だった。瞬時に尾をピンと立て、冠羽を逆立てた。警戒態勢だ。

そして次の瞬間、アキラの視界に、自分と**瓜二つ**の生物が映り込んだ。リュウだ。

アキラの動作が完全に止まった。大きな眼窩に収まった眼球のレンズが、リュウに焦点を合わせた。四色型色覚を持つ網膜が、リュウの全身をスキャンする。同じ全身を覆う黒い羽毛。同じ細長い吻端。同じ長い尾と半硬直化した基部。同じ長さの前肢と、尺骨に並ぶ羽毛付着点の痕跡。そして、最も衝撃的だったのは、同じように青緑〜紫へと輝く**虹色の冠羽**だった。

アキラの大脳半球で、複数の矛盾する神経信号が激しく火花を散らした。**同種個体の存在**は、彼の遺伝子に刻まれた根本的な欲求──繁殖や群れ形成の可能性──を刺激した。しかし、同時に**縄張り意識**と**未知の個体への警戒心**が強く湧き上がる。地震後の混乱で培われた「安全は常に相対的」という学習経験も、警戒心に拍車をかけた。彼は微かに喉を鳴らし、冠羽を完全に立てたまま、一歩も動かなかった。視線はリュウから離れない。

隔離エリアのリュウもまた、アキラの存在に気づいていた。トビを自身の左後方に位置させ、自らはやや前傾姿勢を取った。彼の虹色の冠羽も同様に逆立ち、細長い頸部を伸ばしてアキラの方をまっすぐに見つめ返した。リュウの目にも、驚愕と警戒、そして深い好奇心が混ざっていた。IZOOの巨大ドームでは他のネオルニトサウルス個体と共に暮らしていた可能性もあるが、この日本で、まさか同種に出会うとは思っていなかったのだ。彼は低く、短い唸り声のような音を発した。これは威嚇というより、自身の存在と警戒心を伝えるサインだった。

トビはリュウの影に完全に隠れるようにして、警戒した目でアキラを覗いていた。アキラのサイズはリュウと同等であり、トビにとっては明確な「大型捕食者」のカテゴリーだった。彼の長い前肢は、岩陰に掴まりながら微かに震えていた。

ブルーアイは少し離れた位置で、アキラとリュウのやり取りを静観していた。頭部のフレームが微かに回転し、カメラレンズが両者を交互に捉えているようだった。オオカミたちはブルーアイの指示を待つように、低い姿勢を保っていた。

隣接ドームの観察通路から、ケイとハルオが固唾を飲んでこの歴史的な初対面を見守っていた。

「お互い…びっくりしてるね」ケイが囁くように言った。

「当然だ」ハルオがタブレットを見つめながら言った。モニタリングシステムが、アキラとリュウの両方で、心拍数の上昇、脳活動の特定パターン(扁桃体の活性化と前頭前皮質の活発な信号処理を示唆)を検出していた。「彼らは、自分たちが地球上で唯一の存在ではないことを知っていたかもしれない。だが、まさかこんな形で同種に出会うとは予想していまい。アキラは飼育下で生まれ、リュウはIZOOという隔絶された環境から来た。これは彼らにとって、まさに『常識の革命』だ」

ソラが記録用のカメラ(従来型の高感度CMOSセンサー)を構えながら言った。「データが膨大だ…視覚的認識、警戒レベルの変化、発声のパターン…。AGI解析が待ちきれない」

ジャビールは腕を組み、複雑な表情でガラス越しの光景を見つめていた。「新しい出会いは、希望でもあり、争いの種でもある。彼らがどう道を見つけるか…見守るしかない」

アキラは慎重に右前肢を一歩前に踏み出した。地面を爪が軽く引っかく音がした。リュウはそれに反応し、自身の左後肢をわずかに後ろに引いた。直接の攻撃姿勢ではないが、距離を保とうとする意思表示だ。アキラは首をかしげるような動作をした──これは彼にとって、対象をより深く理解しようとする時の癖だった。リュウはそれを見て、冠羽をわずかに揺らした。威嚇の度合いがほんの少し緩和されたように見えた。

互いに鳴き声も発さず、激しい動きも見せない。ただ、強化ガラス越しに、全身の感覚を研ぎ澄ませて、同種の存在を徹底的に観察し、評価し合っていた。優れた視覚が相手の微細な羽毛の動き、筋肉の緊張、視線の方向を逃さず捉える。鋭い聴覚が相手の呼吸音、足音、そして自身の心臓の鼓動さえも聞き分ける。空間認識能力が、相手との距離、逃げ道、攻撃経路を絶えず計算する。

アキラとリュウ。二羽のネオルニトサウルスは、言葉を持たないが、複雑な認知能力と豊かな感情を持つ者同士として、この静かな対峙の瞬間に、膨大な量の情報を交換していた。それは敵意と友好の狭間で、未知なる同種への、警戒と好奇心が入り混じった複雑な「挨拶」だった。彼らの新しい関係は、この慎重な一歩から始まろうとしていた。



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