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森の番人たち

山岳バイオステーションの中央制御室。壁面の大型ディスプレイには、衛星画像と地形データを重ね合わせた地図が表示され、一点が赤く点滅していた。ソラの指が空中のホログラフィックキーボードを高速で叩く。刻一刻と更新される情報が、AGI管理下のセキュアなネットワークを経由して流れ込んでくる。

「…確認された。『純血革命(Purity Revolution)』日本支部の最終指令は、七十二時間後だ」ソラの声は緊迫していたが、手元の作業は乱れない。彼女の瞳には、複数のスクリーンに映し出される暗号化されたデータストリームが反射している。「ターゲットは、新宿のAGI統合管制センター『アテナ・コア』、神戸の次世代太陽電池マスファブリケーション工場、それに…ここ、山岳バイオステーションだ。『不自然な生命の温床』の抹消と、培養網膜プロトタイプ技術の奪取が目的」

ハルオは電動車椅子をディスプレイに近づけ、老練な目で地図を睨んだ。「同時多発テロ…。規模と計画性からして、国際的な支援が背後にあるのは間違いないな。自衛隊の作戦開始はいつだ?」

「PRのアジトを完全に特定次第。現在、主要候補地は三箇所」ソラが指さす。赤く点滅するのは、ステーションから半径二十キロ圏内の険しい山岳地帯に位置する廃鉱跡や旧軍事施設だった。「しかし、彼らも警戒している。大規模な部隊を動かせば、察知されて逃げられるか、証拠隠滅されるリスクが高い」

ジャビールが腕を組んだ。建設現場を統括するリーダーとしての経験が、今は戦略家として発揮されていた。「ならば、小回りの利く偵察部隊で、正確な位置を突き止める必要がある。だが、この地形では…。人間の斥候だけでは限界がある。密林や岩場、廃坑の入り組んだ内部は、ドローンも万能ではない」

その時、ケイが制御室の強化ガラス越しに、広大な自然保護区を指さした。「あっ、見て!アキラとリュウ、高台の岩の上に立ってるよ。トビも木のてっぺんにいる。ブルーアイたちは…あの茂みの影かな?」

皆の視線が外へ向く。夕暮れ迫る空の下、ステーションのドーム屋根の遥か上方、切り立った岩山の頂きに二頭のネオルニトサウルスが並んで立っていた。アキラの虹色に輝く冠羽と、リュウのやや幅広く見えるそれ(オス同士のディスプレイ形質の微妙な差)が、低い太陽光を反射して微かに光る。その位置からは、ステーション周辺の森と渓谷が一望できただろう。少し離れた巨木の梢には、茶褐色の小さな影、トビがじっとしている。その視線の先には、下草の揺れる茂み。ブルーアイの灰色の毛並みと、その頭部に埋め込まれた金属フレームが、かすかに確認できた。従う二頭のオオカミ、シエラとロックの気配も感じられた。

ハルオの口元に笑みが浮かんだ。「…なるほど。我々が考えている以上に、彼らは『状況』を理解しているようだな」

ソラが肯く。「AGIの解析レポートも同じことを示唆しています。アキラとリュウは、特に過去二週間、人間たちの緊張した様子や、ステーション周辺の監視カメラの増設、警備員の巡回パターンの変化を、鋭く観察し記憶している。群れ全体の警戒レベルが、明らかに通常時より上昇しています。ブルーアイのRSF発信パターンも、『監視』モードに移行している」

「彼らに、囮の偵察隊を追跡させ、アジトの正確な位置を特定させる」ジャビールの言葉が、静かな決意を込めて制御室に響いた。「あの連中が森に潜り込むなら、森の住人に探させるのが一番だ」



夜明け前の闇が深い。ステーション周辺の原生林は、湿った冷気と土の匂いに包まれていた。ステーションから東へ約三キロ、渓谷が深く刻まれたエリア。ここに、三時間前に小型センサーが捉えた熱源が、五名の人間の小隊であることを示していた。彼らは迷彩服に身を包み、最新の暗視ゴーグルと小型通信機を装備しているが、その動きは訓練されているものの、森の不規則な地形と暗がりにやや戸惑いを見せていた。

岩山の頂き、前夜と同じ位置に、アキラとリュウがいた。全身の黒い羽毛が闇に溶け込み、輪郭だけがかすかに浮かび上がる。彼らの大きな眼窩に収まる眼球は、人間の約八倍の解像度で、下方の森をくまなくスキャンしている。強膜輪が眼球の形状を保ち、広大な単眼視野はほぼ360度をカバーする。震度6強の揺れの中、崩れ落ちる建造物の隙間を瞬時に見抜いたアキラの空間認識能力が、今は木々の間を縫う人間たちの動きを捉える。暗視ゴーグルが発するかすかな赤色光も、彼らの広い波長域(300-700nm)を捉える四色型色覚の視細胞には、明瞭なターゲットマーカーとして映っていた。

アキラは細長い吻を微かに左へ向けた。視界の端、約百メートル下方のブナの大木の枝に、トビが身を潜めている。トビの小さな体と茶褐色の羽毛は、樹皮や影に完璧に溶け込んでいた。トビ自身も、鋭い視覚と聴覚で、偵察隊が通る獣道のすぐ脇の動静を監視していた。大型動物への警戒心から、その距離はアキラやリュウよりかなり近い。

リュウが、ほんのわずかに首を傾げた。その動きと同時に、アキラの耳にも、かすかな足音と、衣擦れの音、それに低い男の声が届いた。人間の聴覚では捉えられない周波数帯域の音も、彼らの高い聴力には拾われている。リュウの方が、より社交的な性質からか、群れ内でのコミュニケーションに長けており、複数の音源の方向や距離感を素早く判断する様子が見られた。

その情報は、すぐに「共有」された。アキラが短く鋭い、しかし音量を抑えた「キッ」という鳴き声を一度発した。続いて、右前肢をゆっくりと、しかし明確に、偵察隊が進んでいる方向(南東)へ向けて伸ばした。その動きは、半月形手根骨による手首の柔軟な可動域を活かしたものだ。リュウはそれを見て、冠羽を一瞬ふわりと立て(同意・理解の信号)、自身も細い尾を南東方向へ微かに振った。尾椎の長い関節突起と血道弓が、この微妙な動きを可能にし、バランサーとしての機能を損なわない。

この一連の動作――短い音声と、特定の身体部位(前肢、尾)の方向を示す姿勢の組み合わせ――は、この数週間で両者の間で急速に発達しつつあった「戦術言語」の萌芽だった。人間にはその意味を完全に解読できなかったが、彼らの行動が連動していることは明らかだった。

「アキラとリュウ、位置情報を交換中。対象は南東方向、移動継続中」ステーションの制御室で、ソラが非侵襲型のモニタリングシステムからのデータを読み上げた。アキラとリュウの首の向き、眼球運動、筋肉の微細な動き、発声パターンが解析され、推定される注視方向やコミュニケーション意図が表示される。

偵察隊のすぐ後方、約五十メートルの距離を、影のように追う二組の存在があった。一つはリュウと共に行動するブルーアイ率いるオオカミの群れ。もう一つは、単独で別のルートを取るアキラだった。

ブルーアイは茂みの陰に身を潜め、灰色の毛並みを低く伏せていた。その頭部に埋め込まれた金属フレームのセンサーが、微かに青い光を点滅させている。彼は口を開け、微かに震えるような低い唸り声を発した――オオカミ同士の通信であり、同時にRSFのキャリブレーションでもあった。すぐ横に控えるシエラとロックが、耳をピンと立て、鼻をひくひくさせた。彼らの鋭敏な嗅覚が、偵察隊が残した汗や装備品の微かな匂いを追っていた。そして、ブルーアイのRSFが捉えているのは、それ以上のものだった。

「…ブルーアイ群れ、RSFアクティブ。微弱な電波パルスをキャッチ…周波数帯域は…民間用暗号化トランシーバーと一致」ソラの声が続く。ブルーアイのRSFは、偵察隊員同士の低電力通信や、位置情報送信のための電波を、その方向と強度から特定していた。それは、複数の受信点(ブルーアイ自身、シエラ、ロックのフレーム)での信号強度の差から、発信源の方角とおおよその距離を三角測量する原理に近い。

偵察隊は谷底の細い道を進み、やがて急峻な斜面を登り始めた。その行動は、廃鉱跡の一つを目指している可能性を示唆していた。アキラは尾を立ててバランスを取りながら、岩場を軽やかに移動した。指行性の足(第II、III、IV趾で体重を支え、第II趾の大きな爪は引っ込められている)が、濡れた苔むした岩の上でも確実に踏みしめ、俊敏な登攀能力を発揮する。彼は偵察隊の斜め上方、見通しの良い位置を取り、リュウと同様に彼らの動きを俯瞰し続けた。

突然、トビが警戒した。偵察隊の一人が、トビの潜む木の真下で立ち止まり、暗視ゴーグル越しに周囲を見回したのだ。トビは一瞬、体を硬直させ、小さな冠羽をぴんと逆立てた。木の葉の陰にさらに深く沈み込もうとする。その緊張が、高所のリュウにも伝わったか、リュウがアキラの方を見た。

アキラは反応した。彼は、偵察隊の注意をトビから逸らすためか、意図的に岩の小片を蹴り落とした。小石がカラカラと斜面を転がる音が、静寂を破った。

「なんだ!?」偵察隊員が一斉に銃口をそちらへ向ける。暗視ゴーグルが一瞬、アキラの方向へ向けられたが、アキラはすでに岩陰に身を隠していた。

「…獣だろう。気にせず進め」リーダー格の男が低く命じた。隊員たちは警戒しながらも、再び歩き出した。トビは安堵の息を吐くように体を小さく震わせた。

この間も、ブルーアイのRSFは途切れず電波を追跡していた。信号強度が徐々に増している――距離が縮まっている証拠だ。そして、その方向は、候補地の一つ、通称「黒鷲くろわし鉱山」の廃坑口へと一直線に向かっていた。

数時間後、偵察隊は鉱山入口と思われる岩陰に消えた。アキラとリュウは高所からその位置を確認し合った。リュウが、尾を左右に小刻みに二度振った――発見、または特定地点到達の合図。アキラは短く「キッ」と鳴き、うなずくような動作をした。トビは安全な距離まで後退し、樹上から監視を続行した。ブルーアイとオオカミたちは、匂いと電波の痕跡を最後まで追跡し、廃坑口付近で停止した。

彼らの非言語的な報告は、ステーションに設置された超広角カメラと、アキラ・リュウ・トビ・ブルーアイ群れに装着されたGPS/バイタルモニター、そしてブルーアイのRSFの生データによって、制御室へリアルタイムで伝えられた。

ソラがディスプレイの地図を拡大し、赤いマーカーを一点に固定した。「…位置特定完了。目標座標、確認。黒鷲鉱山廃坑、主入口から南西百メートル、標高七百二十メートル地点」

ハルオが深く息を吸った。「…やったな。これで自衛隊も動き出せる」

ジャビールは窓の外、薄明かりの中に浮かぶ岩山のシルエットを見つめた。そこには、任務を終え、互いの存在を確認するように並んで立つ二頭のネオルニトサウルスと、梢の小さな影、そして森から戻ってくるオオカミたちの姿があった。

「彼らこそが、真の『森の番人』だ」ジャビールの呟きに、ケイが大きくうなずいた。

偵察隊は気づかないまま、自分たちが追跡されているどころか、その動きそのものが、隠れ家の位置を「森の番人」たちに正確に伝える道標となっていた。アキラとリュウの間に芽生えた原始的な「戦術言語」は、この瞬間、紛れもなく機能していた。静かな森の中で、種を超えた共闘の糸が、さらに強く結ばれた。


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