国際的陰謀
山岳バイオステーションの中央制御室は、深夜にもかかわらず緊迫した空気に包まれていた。壁一面を覆う大型ディスプレイには、複数の情報ウィンドウが並び、世界中から流れ込むデータの奔流をAGIが選別・分析している様子が映し出されていた。ソラは、生体適合性ポリマーでコーティングされた制御パネルの前で、指を高速に動かしていた。彼女の瞳には、流れ続ける暗号化データストリームと、AGIが生成する複雑なネットワーク解析図が映っている。
「…AGI『プロメテウス・ネット』が、ダークウェブの深層フォーラム、国際金融取引の異常パターン、そして物資輸送ルートの不自然な輻輳をクロスリファレンスした結果です」ソラの声は冷静だったが、眉間に刻まれた深い皺が緊張の度合いを物語っていた。彼女の右手人差し指が、空中に浮かぶホログラフィックマーカーを掴み、主要な情報ウィンドウへと引き寄せた。ディスプレイ中央に、複雑なノードとリンクで構成されたグローバルネットワーク図が拡大表示された。ノードは組織や個人、リンクは資金や情報、物資の流れを示す。「『純血革命(Purity Revolution - PR)』の国際ネットワークが確認されました。中核は依然として欧州と北米ですが、東アジア、特に日本支部の活動活発化が顕著です」
ハルオは電動車椅子を静かに制御台に寄せ、老いた両手でひざ掛けを整えながら、鋭い視線をディスプレイに向けた。「日本支部の具体的な動向は?」
ソラが頷き、別のウィンドウを前面に表示させた。そこには、断片的なテキスト、音声記録の波形、そして低解像度の画像が並ぶ。「次なる大規模テロ計画の断片的情報を収集しました。標的は複数確認されています」彼女の指が各項目を指し示す。
1. **新宿地区:** 「『アテナ・コア』AGI統合管制センター破壊… 人類の自律性奪還」 – 音声記録からの文字起こし。
2. **神戸:** 「『ヘリオス・ファウンドリ』次世代太陽電池量産工場停止… 偽りの緑の神話を終わらせる」 – 暗号化メッセージの解読文。
3. **多様性関連施設:** 「東京LGBTQ+支援センター『レインボー・ハブ』、大阪移民統合施設『ネクサス』への同時攻撃… 純血社会への浄化」 – 画像付きの作戦概要スケッチ。
4. **そして…** 「『山岳バイオステーション』… 不自然な生命の温床を抹消。特に、遺伝子改造怪物(ネオルニトサウルス個体群)及び、培養網膜プロトタイプ技術の奪取または破壊」 – 鮮明な赤い文字で強調表示されたテキスト。
ジャビールが壁にもたれていた体を起こし、深く息を吸った。「ステーションの位置は極秘のはずだ。どうやって?」
「輸送記録の痕跡、おそらくは多摩生命科学研究所からこちらへの移送時の監視カメラ映像の断片、そして…」ソラがため息をついた。「…内部告者的な情報漏洩の可能性も否定できません。PRは、技術依存社会に不満を持つ者や、極端な思想に共鳴する者を巧みに勧誘しています」
ケイが制御室の隅にある観察窓に近づき、外の暗闇を見つめた。広大な自然保護区は静寂に包まれているが、その森の奥では、アキラやリュウ、トビ、ブルーアイたちが眠っている。「アキラたちが…標的にされているの?」彼女の声には怒りと不安が混じっていた。
「そうだ」ハルオの声は低く重かった。「彼らは、科学が生み出した『不自然な存在』として、PRの憎悪の象徴だ。そして培養網膜技術…それは彼らが『人間の純粋性への冒涜』と見做す先端生命科学の象徴でもある」
* * *
翌朝、ステーションの簡易会議室。ソラとハルオの前に、衛星通信回線を通じて結ばれた二人の人物のホログラムが浮かんでいた。一人は、自衛隊情報本部の田所一佐。もう一人は、警視庁公安部の伊達警視正。両者とも厳しい表情を浮かべている。
「…状況は承知した」田所一佐のホログラムが淡々と述べる。「我々もPR日本支部の壊滅を急ぐ。しかし、山岳バイオステーションの位置情報は、作戦上、『ニード・トゥ・ノウ』の原則に基づき、最小限の関係者以外には秘匿されている。大規模な部隊展開は、隠密性を損ない、PRに警戒させるリスクが高い」
伊達警視正が続ける。「加えて、彼らのアジトの正確な位置が掴めていない。候補地は三箇所。いずれも地形が険しく、大規模な捜索は困難を極める。時間切れだ」
ハルオは車椅子を前に押し出した。「そこで、我々からの提案です」。彼は、ソラが用意したデータパッドを手に取った。そこには、アキラ、リュウ、ブルーアイたちの感覚能力と、これまでの連携行動の分析レポートが表示されている。
* **アキラ / リュウ (ネオルニトサウルス):**
* 視覚:超高解像度 (ヒトの約8倍)、広視野 (ほぼ360度の単眼視)、優れた微光視・動体視力、四色型色覚 (UV含む)。空間認識能力が極めて高い。
* 聴覚:高音域を含む広い周波数帯域を感知可能。
* 嗅覚:リュウは群れ内でのコミュニケーションに長け、複数の情報源の位置特定が得意。
* 運動能力:俊敏な走行・登攀能力。長い尾による優れたバランス感覚。
* 知能:現生鳥類 (カラス、猛禽類) 同等の問題解決能力、学習能力、空間記憶。非言語コミュニケーションの発達。
* **トビ (ネオアンキオルニス):** 小型、軽量、警戒心が強い。優れた樹上移動能力と隠密性。鋭い視覚・聴覚。
* **ブルーアイ (ハイイロオオカミ) & 群れ:**
* 鋭敏な嗅覚・聴覚。
* **RSF (Radio-Somatosensory Field) システム:** 頭部フレームによる電波探知・方向特定能力。群れ間の意思疎通。戦闘時は高出力ジャミングも可能。
* **連携実績:** 第7章のステーション防衛戦、第9-10章の山中逃避行・トビ救出作戦において、各々の能力を活かした偵察、追跡、警戒、情報共有を実証。
「彼らを『森の番人』として活用するのです」ハルオの指が、データパッドの「推奨行動計画」セクションを叩いた。「PRがステーション周辺に偵察隊を送り込むのは時間の問題です。その部隊を、アキラたちに早期に発見・追跡させ、本拠地の正確な位置を特定させる。彼らは、人間の斥候やドローンでは不可能な、森そのものと一体化した監視と追跡が可能です。生体センサーであり、かつ戦力でもある」
田所一佐のホログラムが微かに傾いた。「…非現実的な話に聞こえる。動物に、そんな複雑な任務が?」
「彼らは『動物』ではありません」ソラが静かに、しかし強く言い放った。「高度な知性を持ち、学習し、コミュニケーションを発展させつつある、『もうひとつの知的生命体』です。AGI『プロメテウス・ネット』による行動予測モデルの精度は93.7%を超えています。彼らは、このステーションとそこにいる我々を『自分の群れの縄張りの一部』と認識しています。侵入者への対処は、本能と知性に基づく自然な行動です。我々はそれを『誘導』するだけです」
沈黙が流れた。伊達警視正が腕を組んだ。「…仮に成功したとして、情報はどう受け取る? 鳴き声の解読でもするのか?」
「いいえ」ソラが制御パネルを操作した。ディスプレイに、アキラとリュウに装着された小型デバイスの映像が映る。「非侵襲型のマルチモーダルモニターです。GPS位置情報、心拍数、筋肉の微細な動き、眼球運動、発声パターンをリアルタイムで送信します。ブルーアイのRSF信号も捕捉可能です。AGIがこれらの生体信号と行動を解析し、『警戒』『追跡中』『目標発見』などの状態や、対象の方向・距離を推定します。さらに…」ソラはケイを一瞥した。「…彼らと最も絆を築いているケイや、行動を理解するハルオ博士の観察も重要な補助情報となります」
長い沈黙の後、田所一佐がうなずいた。「…了解した。ステーションの位置秘匿を前提に、貴殿たちの提案を容認する。作戦名は…『森の番人作戦(Operation Sylvan Sentinel)』だ。PR偵察隊の侵入を探知次第、追跡を開始せよ。我々は、特定されたアジトへの突入準備を開始する」
伊達警視正も大きく肯いた。「警視庁も協力する。外部との通信は、AGI管理下の量子暗号化回線(QKD)のみとし、一切の情報漏洩を防げ」
通信が切れた。制御室に重い静寂が戻った。ジャビールが壁から離れ、ソラとハルオを見つめた。「これで…彼らを戦いに巻き込むことになる」
「巻き込むのではない」ハルオは窓の外、朝日に照らされ始めた森を見つめながら言った。「彼らは、もうとっくにこの『戦い』の当事者なのだ。我々の世界に生まれ、我々と共に生きることを選んだ以上、否応なく向き合わねばならぬ現実だ。我々にできるのは、彼らの能力を信じ、守るべきものを共に守る手助けをすることだけだ」
ケイがそっとドアを開け、外へ出た。冷たい朝の空気が頬を撫でる。遠くの森から、何かが動く気配を彼女は感じた。もしかしたら、高い木の枝で警戒するトビの小さな影か、茂みの中を移動するブルーアイの気配か。あるいは、岩場の上で、鋭い視界を研ぎ澄ませている二頭のネオルニトサウルスの視線かもしれなかった。ケイは胸の内で強く思った。
*(アキラ、リュウ… 気をつけて。新しい敵が、君たちを狙っている)*
風がそよぎ、木々の葉がざわめいた。それは、静かな森に潜む、見えざる脅威の予兆のようにも聞こえた。




