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短な恐怖(怖い話短編集)  作者: J・タナトス
10/10

残香




 ──冬が大嫌いだ。


 俺がそう思うようになったのは、まだ恋だの愛だのと、そんな感情に溺れてしまうほどに未熟だった大学一年生の頃だった。

 地元から遠く離れた土地で大学へと進学した俺は、慣れない一人暮らしに多少の戸惑いを感じながらも、気の合う友人にも恵まれて充実した毎日を過ごしていた。

 

 そんな俺の生活が一変したのは、冬華(とうか)と付き合い出したことがきっかけだった。


 冬華の凛とした美しい容貌はキャンパス内ではとても有名で、平凡な自分など近付くのも畏れ多く思っていた俺は、いつも遠巻きにその姿を眺めていた。

 そんな俺が初めて冬華と会話を交わしたのは、大学の敷地内にいた野良猫に菓子パンを食べさせていた時だった。



「人の食べ物はあげちゃダメだよ」



 不意に投げかけられた言葉に後ろを振り返ってみると、そこに立っていたのは冬華だった。

 透き通るほどに白くきめ細やかな肌に、薄く色付く薔薇色の頬。アーモンド形のパッチリとした瞳は、まるで精巧に作られたガラス細工のように美しく、痛みのないサラサラなセミロングはその整った顔立ちをより一層際立たせていた。


 間近で目にした冬華の姿を前に、そのあまりの美しさに思わず言葉を失ってしまった俺は、ただ呆然と冬華を見つめることしかできなかった。

 


「猫にとってはね、人の食べ物は毒なんだって」



 そう告げながらこちらに近付いて来た冬華は、フワリと甘い香りを乗せて俺のすぐ隣りに腰を下ろした。



「猫ちゃん。ご飯持って来たよ、こっち食べようね」



 そう言ってカサリと袋を破いた冬華は、持参してきたらしい小皿にキャットフードを盛り付ける。



「あっ。コラ、そっちは毒だから食べちゃダメだってば」

 


 未だ猫に向けて差し出したままだった俺の菓子パンを遮ると、冬華は盛り付けたばかりの小皿をそっと猫の前に差し出した。



「……あ、ごめん。毒だって知らなくて」



 慌てて手元の菓子パンを引っ込めながら謝罪をすると、そんな俺に向けてニッコリと微笑んだ冬華。

 


「どうしてもそっちに惹かれちゃうみたいだね」



 取り上げられた菓子パンに向けてニャーニャーと声を上げる猫を見て、俺は困ったように微笑むと猫の頭を撫でた。



「ごめんな。これはお前には毒なんだってさ」


「そっちの方が味が濃くて美味しいもんね。でもダメだよ、身体に毒だからね」



 そう言いながら猫の身体を撫でた冬華は、俺の予想に反してとてもよく笑う人だった。

 一見すると美人すぎて近寄り難く感じるものの、どうやらそれは間違った認識だったらしい。


 こうして偶然にも猫を介して交流を持つこととなった俺達。初めこそ猫を介してのみだった交流も、気付けばキャンパス内でも一緒にいることが多くなり、冬華との仲は急速に深まっていった。

 けれど、それはなにも俺だけが特別だったというわけではなく、元々友人の多かった冬華からしてみれば、俺もその内の一人にしかすぎなかった。



(冬華にとって、もっと特別な存在になれたら──)



 図々しくも、彼女に対してそんな想いを抱くようになった頃。彼女の方から俺に告白してきた時には心底驚いた。

 どうして冬華のような人が平凡な俺を好きになったのだろうか──? そんな疑問が尽きることはなかったものの、確かに冬華は俺を選んでくれた。そんな優越感があったことも嘘ではなかった。



「どうかした?」



 フワリと甘い香りを乗せて俺の顔を覗き込んだ冬華は、キラキラと輝くガラス細工のような瞳を(しばた)かせた。



「あ……いや、いい匂いだなって思って」


「この香水?」


「うん。いつも付けてるよね、その香水」


「気付いてたんだ? これね、特注品なの。私の誕生花の香りなんだよ。なんの花か分かる?」



 そう言って少しだけ瞳を細めた冬華は、俺に向けて悪戯っぽい笑顔を浮かべる。



「誕生花って、一月十三日の花?」


「うん」


「ごめん、俺そういうのに疎くて……分からないや」


「ふふっ。だよね……これはね、スイセンの花の香り。いい匂いでしょ?」


「うん。冬華に似合ってる」


「ありがとう。でもね、スイセンて毒があるんだって。知ってた?」


「え、毒……?」


「大丈夫、口にしなければ害はないよ」



 そう告げながら微笑んだ冬華はとても妖艶で、俺からしてみればそんな彼女自身が“毒の花”のように思えた。

 こんなにも美しい冬華が俺の彼女だなんて、本当にこれは現実なのだろうか──? そんな夢うつつな日々を過ごしながら、俺は日を追うごとに益々冬華に心酔していった。

 

 そんな俺が嫉妬に狂ってゆくのは、至極当然のことだったのかもしれない。

 元より自分自身があまり好きではなかった俺は、俺とは対照的に自信に満ちた冬華に憧れのような感情を抱いていた。それがより身近な存在になったことで、最初こそ幸福感を感じていたものの、冬華と過ごしてゆく内に自分を卑下する気持ちが如実に現れていったのだ。


 どうしてこんな俺と? 冬華と俺とでは、やはり不釣り合いなのではないだろうか? そんな鬱屈(うっくつ)した感情を友人に相談してみても、皆羨ましがるだけで何の解決策にもならない。

 相変わらず人気の冬華はキャンパス内での友人も多く、俺という彼氏がいるにも関わらず男の噂も絶えなかった。

 


「経済学部の男と一緒いるとこ見たって聞いたけど、どういうことだよ!」


「……え? ちょっと話してただけだよ」


「浮気でもしてるんじゃないのか!?」


「どうしてそんなこと言うの……っ?」


「みんな噂してるんだよ! 俺が知らないとでも思ってるのかよ!」


「そんな噂より、私のことを信じてくれないの?」



 そんな口喧嘩が絶えなくなったのは、季節もすっかりと冬へと変わった十二月の頃だった。

 冬華への愛情はもちろん変わりなかったものの、その強すぎる愛情が憎しみという感情を生んでしまったのだ。


 今にして思えば、それはただの嫉妬にすぎなかったのかもしれない。

 自分を卑下する気持ちが強かった俺は、時折りコソコソと学生達が話している姿を見かけては、冬華に(もてあそ)ばれている俺の噂話でもしているのだと、そんな被害妄想を抱くようになっていった。


 誰からも好かれる輝く星の元に生まれた冬華。対して、特に秀でた才もない目立たない存在の俺。そんな俺達が付き合えたこと自体、奇跡のようなものだったのだ。

 けれど、冬華とさえ出会わなければ、俺がこんなにも自分自身を卑下することもなかっただろうし、惨めな思いをすることもなかった。いつしかそんな感情が芽生えてきてしまった俺は、冬華を愛する気持ちとは裏腹に、ドス黒く濁った感情に飲み込まれていった。


 愛してる──だけど、殺したいほどに憎い。


 そんな感情を持ったのは生まれて初めてのことだった。きっと、それほどに冬華のことを愛してしまっていたのだ。



 ──そんな冬華が行方不明になったのは、冬休みが明けた一月の中旬のことだった。


 警察による捜索も虚しく、それから半年が過ぎても冬華を見つけることはできなかった。いつしかそんな冬華の存在は忘れ去られ、行方不明になってから一年近く経つ頃には、その噂話もたまにチラリと耳にするほどとなった。

 恋や遊びなどといった新たな刺激に夢中な学生とは、俺が思う以上に他人になど感心がないのだ。存外そんなものなのかもしれない。


 そんな中、俺は深い悲しみと罪悪感を抱きながらも、その心中はやけに穏やかな充実感で満たされていた。

 不思議なもので、あれほど嫉妬に塗れていた憎悪が消えたのだ。これで誰にも冬華を奪われることはない。そう考えると、後に残ったのは冬華への深い愛情だけだった。


 そんな俺の前に突然冬華が姿を現したのは、降り積もった雪が歩道を一面の雪景色へと変えた、一月十三日のことだった。

 フワリと香る、あの懐かしいスイセンの香り。その甘い香りに軽く目眩をおこしながら、俺は目の前にいる冬華に向けて小さな声を漏らした。



「どう……っ、して……?」



 我が目を疑いながらもゆっくりと冬華へと近付くと、その美しく整った顔にそっと触れてみる。

 ひんやりとした頬はまるで死体のような冷たさで、けれど、薄く色付く頬が確かに冬華の存在を示していた。



「冬、華……?」



 心許無く発した俺の声に反応するかのようにして、目の前にいる冬華はアーモンド型の美しい瞳を薄く細めた。あの頃と何一つ変わらない、恐ろしくも妖艶な笑顔の冬華。

 その姿を前に、忘れていた憎悪にも似た感情が沸々と蘇ってくる。



(冬華は永遠に俺だけのものだ──)



 細っそりとした白いうなじに手をかけると、俺は力任せに彼女の首を締め上げた。



「……っ、なん、で……?」



 一年前と全く同じ台詞を口にした冬華は、締め上げる俺の両手を力なくその手で抑えると、一年前とは違って無表情な顔のまま俺を見上げる。そんな冬華が酷く恐ろしくて、俺は締め上げている両手に更に力を込めた。

 一面に広がる積雪に赤いマフラーを散らしながら倒れる冬華。その姿は、死してなおとても美しかった。



「冬華……お前は永遠に俺のものだ」



 そんな彼女を見下ろしながら、俺は安堵感から薄っすらと笑みを溢した。


 それからの俺の行動はやけに迅速だった。二度目ともなれば、それも納得ができるというもの。

 一年前に埋めたはずのその場所には、確かに“彼女を埋めた”痕跡が残っている。けれど、それを掘り起こす勇気などなかった俺は、新たに掘った穴に冬華の身体を埋めることにした。



 きっと、彼女の遺体は今回も見つかることはないだろう──。



 そう思いながら冬華の身体を埋めたのは、昨年の一月でちょうど十回目。

 愛する冬華を自分のものだけにする為とはいえ、永遠とも思えるこの瞬間が酷く恐ろしい。生々しく残る両手の感覚が薄れる頃、冬華は俺の目の前に現れてその感覚を新たに刻んでゆく。



 俺はそんな冬が大嫌いで──それ以上に愛しくもあった。



 一面の雪景色の中、俺は人などいない歩道の上をサクサクと音を立てながらゆっくりと歩いてゆく。その真新しい足跡を辿るようにして、フワリと鼻腔を(かす)めるスイセンの香り。

 その甘い香りにつられるようにして背後を振り返ってみると、そこにいたのはあの頃と何一つ変わらない冬華の姿だった。




 

「──やあ、冬華。今年も会いに来てくれたんだね。君は永遠に俺のものだよ」



 そんな愛の言葉を囁きながら、今年も俺は君のうなじに手をかける。








─完─


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