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あ~るいずうぇる

 

 ——— ——— ———


『僕らにとって人生は戦争だ』


『必死で走らないと蹴落とされる』


『あ~るいずうぇ——』



「はい、映画はなし。ストップ」


「そんな!!」


「勉強するんだから当然でしょ——ところでこの人達はなんで踊ってるの」


「ナンでと言われると難しいんだが、強いて言うなら……インド映画だから」


「どういうこと? いやっ、ごめん。やっぱり聞かない。頭痛くなりそう。ほら準備」


 無慈悲にも消される画面。折り畳みのローテーブルに並べられる教材たち。そして粛々と筆記用具を準備する黒江。逃げ場など、無い。

 本来は今日見るはずだったディスクを泣く泣く仕舞い、黒江の対面に腰を下ろす。眼下のテキストの山に思わず溜息がこぼれた。


「そんなに勉強がイヤ?」


 そんな俺を見て黒江が呆れた声で言う。


「そりゃ嫌でしょ。自分の無能を正面から叩きつけられる感じ。打ちのめされる」


「ふーん、私と真逆だね。私は勉強好きだよ。自分の価値が上がる感じがする」


「なるほど、わからん。ちなみに前回何位?」


「じゅう——なん位だったかな。あんまり覚えてないけどそれくらい。慎は?」


「おお、なんかカッコいい。俺は九十九位、桁は一緒か」


「ギリギリじゃん。はぁ……いいから始めるよ。行き詰まったら言って。分かるところなら教えてあげるから」


 それだけ言うと彼女は自分のテキストを開き、軽やかにペンを走らせ始めた。

 何らかの職人のような真剣な姿勢だ。さすがにこれを前にしたらこちらも背筋が伸びるというもの。観念して一番苦手な数学の問題集を開いた。

 しばらくは基礎問題が続き、時折授業ノートや教科書を確認しながらも解き進めることができた。だが応用の証明問題でものの見事に躓いてしまった。


「黒江先生、助けてください」


「せ、先生——んんっ、どこが分からないんですか、神崎君?」


 声色まで変えて意外とノリノリで教師ロールプレイをする黒江に驚き、それから彼女の教え上手にも驚かされた。


「——こうするとほら、この文字列見覚えない?」


「おお! 公式当てはめられそう!」


「ん、いいね。応用でも整理すれば基礎問題と大差ないから色々こねくり回すといいよ」


 彼女の説明はすっと頭に入ってくるし、こちらに考える余地を与えてくれるから頭に残る。なんとなく、他人に勉強を教えることに慣れている印象を受けた。

 いや、単純に相手に伝わりやすい言葉選びや順序立てが上手い、という感じだろうか。


「ありがとな、黒江。初めて数学がちょっと楽しいわ」


「……それは良い事だけど、感謝はテストの後にしてよね。ほら、次の問題もさっきのやり方で解けるから頑張ってみて」


「はい先生っ」


 視界の端には常に真剣な表情の黒江が居て、ペンがノートを擦り、ページが捲れる音だけが心地よく耳に響く空間。

 大嫌いだった勉強の時間だが、今ばかりは終わらないで欲しいと願ってしまった。



 *



 それから、時々黒江に教えて貰いながら順調に解き進めることができた。勉強会なんて初めてのことだったが一人で勉強するよりも圧倒的に有意義な時間だった。

 気づけば黒江が普段帰宅する時間をとうに過ぎてしまっている。


「結構いい時間だけど、どうする?」


「ほんとだ。結構集中しちゃってた……お暇するね」


 どうやら彼女もしっかり勉強ができたようだ。彼女の邪魔にならないかだけが少し心配だったが杞憂に終わってよかった。

 いそいそと帰り支度をする黒江と共にこちらも軽く外へ出る準備をする。と言っても、上着を羽織って財布をズボンに突っ込むくらいだ。

 ちなみに今日は母さんが同窓会だかなんだかで居ないため晩御飯は別々だ。


 玄関扉を開けると冷気を纏った風が吹き抜ける。夕方よりもさらに冷え込みが厳しくなっているようだ。少し早い木枯らしが吹くと朝のニュースで言っていたのを思い出した。

 二人で「寒い寒い」と身を縮こませながら帰路を辿っていると黒江が口を開いた。


「どうせこの後映画見る気でしょ」


「は、はて?」


「もう……これからテスト終わるまで映画禁止ね。そうでもしないと勉強しないでしょ」


「廃人になるぞ?」


「大袈裟——でもなさそう所が慎の凄いところだよね」


「お、褒めてる?」


「ううん。凄い、変」


 揶揄うような黒江の言葉に「ですよね」と笑いながら答えた。彼女もクスクス上品に笑う。

 なんでもない会話が風に乗って夜空に溶けていく。


 彼女を見送って、夕飯やら風呂やらを済ませて部屋に戻ると、ローテーブルの中央に小さなメモ用紙があった。黒江の物だ。


 〈頑張って乗り切ろう〉


 ただそれだけのメッセージ。

 だがそれを見ただけで自分の中の燃えカスのような闘志がじんわりと熱くなっていくのを感じる。


「よし、もうちょっとやろう」

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