生粋の社畜Aは異世界転移してもブラック気質が抜けません
超恥ずかしい間違いをしていたので再投稿しました
お恥ずかしや・・・
俺の名前は……この話では重要ではないので割愛しよう。
そもそも、俺のことを名前で呼ぶ人間は少ない。俺は実家を離れた遠い地で一人、爆盛りで有名なラーメンチェーン店のエリアマネージャーを務めている。土地の知り合いはおらず、仕事関係の付き合いしか存在していないので、みんな俺のことを役職のエリアマネージャーと呼ぶのだ。自分の名前など忘れ去るほど、エリアマネージャーと呼ばれることに慣れ切った俺にとって、もはや個人名はさほど意味をなさない。
というよりも、だ。ここは一体どこなのだろう。
なんだかふわふわと波間に浮かぶような心地よさの中で、次第に思考がはっきりしてくる。
北海道での初出店のため、東京から札幌へと転勤した俺は、役目を果たすべく日々エリアマネージャーとして文字通り東奔西走していた。
オープニングスタッフの教育に本社スタッフとの連絡役、続けて出店することになった二号店三号店も立ち上げから軌道に乗るまですべてフォローを行った。人手が足りない店舗があれば自転車で爆走して駆け回り、トラブルが起きれば必死に頭を下げにいった。レジ締のために終電を逃しては時に店舗に泊まり込み、明け方片道30分かけてチャリで自宅アパートまでシャワーを浴びに戻るような日々が俺にとっての日常だった。田舎の夜は道が暗くて危ないのだ。
なお、お察しの通りのブラック企業のため、地方転勤にあたり通勤手段について上司に相談したところ、「車? 今の時代エコじゃないよね。ほら、事故も怖いし、申請するのも大変だしさ。特別に店舗の裏に自転車止めていいことにするから、自転車買いなよ」と言われ、俺の愛車はママチャリとなった。せめてママチャリ代くらい支給してくれ弊社。夏だったからまだ生き延びられたが、冬の試される大地で自転車は恐らく死んでいたと思う。
そんな忙しくも充実した(?)日々を送る中、突然上司より「君、来月末でクビだから」と宣言されたのが昨日のことだ。
解雇理由はどうやら横領らしいが、当然そんな事実はない。何かの間違いだと訴えても、すでに決定したことだと取り合ってもらえなかった。おそらくではあるが、俺は上司の罪を擦り付けられたのであろう。証拠はないが、俺に仕事を押し付けては早上がりして夜のすすきのの街に消えていった上司のことだ。叩けばいくらでもホコリが出そうなものである。
それならばせめて、たまりにたまった有休を来月末まで消化させてもらおうと思ったところ、「何言ってんの? 来月また新店舗の立ち上げがあるからそれまでは働いてくれないと。いつまでも学生気分でいられちゃ困るよ、君が会社に与えた損害を考えたらそれくらいできるよね?」とすげなく切り捨てられた。俺は損害を与えていない、むしろこれまでどれほど貢献してきたと思っているのだという話だが。
そんなわけで、俺は今日から退職までの僅かな日々を、沖縄で過ごすはずだった。バカンスではない。新店舗立ち上げの最後の働きを果たすためにだ。そうして少ない荷物をまとめ北から南へと飛び、マンスリーマンションに荷物を下ろし床に倒れ込んでからの記憶がない。
つまり。
「ち、遅刻だあああああ!!!!」
「きゃあ!!」
新天地出勤初日で遅刻という大地雷をぶち抜いた焦りから飛び起きると、俺が寝ていたのは安いマンスリーマンションの一室ではなく、どこか穏やかな気候の草原の真ん中だったのだと知る。
草原? はて、沖縄にそんなものは存在するのだろうか。いや、そりゃあ、あるにはあるだろうが、俺の赴任地は那覇の都市部だったはず。どちらかといえば、草原ではなく白い砂浜のイメージではないだろうか。
というより、先ほど近くで聞こえた悲鳴はなんだったのか。
「なんだここは、どこだ。沖縄か!?」
「オキナワ? 違うわ、ここはエルグの町よ」
「エルグ、の、町?」
聞いたことのない地名に、思わずあたりを見回すと、見知らぬ少女が目に飛び込んでくる。
俺の質問に答えていたのも、先ほど叫び声をあげていたのも、どうやらこの少女のようだ。
年の頃は14,5歳だろうか。どこか小動物を思わせるくりくりとした瞳に、二つに結わいたおさげが少女のあどけなさを際立たせる。
色素の薄い髪色にヘーゼル色の瞳という色味は到底日本人には見えないが、カラコンもヘアカラーも今の時代どんな色だって選り取り見取りだ。というか、グローバル化という言葉も使い古された感がある昨今、外国人だとしても特に珍しくもなんともない。
来ている服がどこか赤ずきんちゃんを思わせる現代日本ではあまり見かけないデザインではあるが、コスプレなど今時街中でも観光地でもどこでだって見かける。
そうはいっても、ここが一体どこなのかという疑問を強めるには、その存在は十分過ぎた。
「あなた、どこから来たの? ここは平和な土地だけれど、こんな草原の真ん中で寝ていたら、ラトーに襲われてしまうわ」
「らとー?」
「ラトーも知らないの? 変な服を着ているし、あなたもしかして、異世界の渡り人?」
「待て、待ってくれ。さっきから、なんのことか状況がさっぱりわからないんだ」
聞いたことのない単語を立て続けに聞かされて、脳が拒絶反応を起こす。
「ここはセルクルス大陸の西岸部にあるエルグの町のはずれ。私の名前はルルーエル。ラトーっていうのは、あそこにいる角の生えた小さな獣のこと。ここまでは大丈夫?」
「あ、ああ……」
ルルーエルと名乗る少女の指さす先の茂みには、角の生えたウサギとリスの中間のような小動物が二、三匹いた。あれがラトーという動物なのだろう。
正直セルクルス大陸がどこかさっぱりわからないので、土地の情報は全く大丈夫ではないが、とりあえず続きを促す。
「それで、異世界の渡り人とは一体、どういう意味だろうか」
「この世界では、時々あなたみたいな人が訪れるのよ。ここではない別の世界からやってくる人たちは、皆この世界の人間の持ち得ない特殊なスキルを持っているの。だから、あなたもきっと異世界の渡り人なんじゃないかしら」
「なるほど……?」
彼女の話を信じるならば、これはいわゆる異世界転生、もしくは異世界転移というやつなのだろうか。
日々の娯楽がゲームか深夜アニメくらいしかなかった身として、異世界の基本知識はなんとなく持っているのが幸いした。現代日本人がひょんなことからゲームや漫画のなんちゃってファンタジー世界に転生するというアレだ。
いや、本当に知識があったところで、この状況は幸いなのだろうか。異世界転生がどういうものかわかったところで、戻り方も今後の立ち居振る舞いも何もわからないというのに。
この世界で異世界の渡り人とやらの扱いはどうなっているのだろう。社会的信用も無ければ、財産どころかスマートフォンの一つも持たない身一つでこんな世界に放り投げられて、今後一体どうしたらよいというのか。
考え出すと、どうにも頭が痛くなるようなことばかりだ。これでは仕事のことだけ考えていればよかった現実の方がまだ気が楽だ。
「あなた、この世界に来たばかりなのね? それなら、司祭様にご報告しなきゃいけないわ。一緒に町まで行きましょう」
「そういうものなのか?」
「ええ、さっきも言ったけれど渡り人はみんな特殊なスキルを持っているから、その身を保護するために王都の大司教様に通達をする決まりがあるの。そのために、まずは最寄りの教会の司祭様に報告するのよ」
「なるほどな」
一応身の安全は確保してもらえるようだと知り、安堵する。
この可憐な少女を疑うわけではないが、背後からごついおっさんが出てきて身ぐるみはがされて打ち捨てられる可能性もなくはなかったので。
「そうだわ、今更だけれど、あなたのお名前を聞いてもいいかしら」
「俺? 俺はエリア……」
マネージャー、と続けようとして、それは名前ではなく肩書だと思い出す。
なんととっさに自分の名前が出てこないことに、我ながら驚いた。肩書で呼ばれることに慣れ切った生活の慣れの果てという感じがする。これでいいのか日本人。全然良くないが。
「エリアっていうの? それじゃあエリア、しばらくの間だけどよろしくね」
誤解されてしまったけれど、今更訂正するのも妙なタイミングとなってしまったため、そのままにしておく。どうせ俺の本名はTHE・日本名なのでこのファンタジーな世界観に合致しない。ゲームだってプレイヤー名は好きにできるのだから、とりあえず馴染みのある単語で代用しても構わないだろう。
そうして少女に連れられてやってきたのは、草原からほど近い位置にある町だった。
民家がいくつか立ち並ぶ程度の、おそらくそう大きくはない町のようだったが、メインストリートらしき道沿いにはそれでも商店がいくつか並んでいて、それなりに行き交う人々で賑わっている。
そこから一本外れた通りに、厳かな造りの古い教会があった。ルルーエルは慣れたように正面の扉を押すと、ギィと軋む音と共にそれは開いた。
少し空気が埃っぽいが、それでもステンドグラスに照らされた教会の中は厳粛な独特の空気がある。俺がキョロキョロと周囲を見渡している間に、ルルーエルはまっすぐ祭壇へと向かった。
「司祭様、いらっしゃいますか」
奥には祭壇の掃除をしていたらしい、白い服を着た初老の男性──おそらく司祭らしき人がいた。
「おおルルーエル、どうした、今日は礼拝の日ではないぞ」
「それが、マルベリーを摘みに町の外れに出かけたところで、エリアを……異世界の渡り人を保護したんです」
「異世界の渡り人じゃと?!」
ルルーエルの言葉に驚いた司祭は、手にしていたほこりはたきを落とし、まごつきながらも年寄りとは思えぬ素早さで駆け寄ってくる。
「そ、そなたが異世界の渡り人なのか?! ううむ、確かに、この世界にあるまじき生気無き顔立ちをしておる!」
「放っておいてくれ」
俺は接客業なので目の前に客がいれば完璧な接客スマイルをキープするが、オフ時は顔が死んでいることに定評がある。連勤がたたっての目のクマも相まって、生気がないと言われてもそれに反論はできない。
「エリアと言ったか。そなたは一体、どこから来たのかね」
「出身は東京の端っこ、先日までは札幌、最終居住地は沖縄……のはずです」
「トウキョ……オキナ?」
「えーと、日本です」
「ニホンか、そうか」
司祭様は俺との会話を手帳のようなものに何かを書き付けていく。おそらく異世界の渡り人とやらを確認するためにいくつか質問事項などがあるのだろう。
その文字は見たことのない独自の形のものであったが、不思議と読むことはできた。考えてみれば言葉が通じているのがそもそも不思議なものであるが、この辺りは異世界転生の仕様ということなのだろうか。不思議なことばかり起きすぎているので、よくわからないがそういうものだろうと受け流すことにばかり長けてゆく。
「渡場はどのあたりかね」
「わたりば?」
「この世界に初めて現れた場所のことよ。西の森へ続く草原です。大ケヤキの近くの」
土地勘のない俺に代わって、ルルーエルが答えてくれる。正直彼女の後ろをついてきただけなので、もう一度も解いた場所に戻れと言われても道筋が怪しいところだったから助かった。
その後いくつか元の世界に関する質問をされ、どうやら渡り人として認定されたらしい俺は、大司教様直々に鑑定を受けることになった。
てっきり俺が大司教様とやらの元へ向かうのだと思っていたが、どうやら向こうから来てくれるらしい。異世界の渡り人にはまだ謎が多く、渡場の現場検証のようなものが行われるため、そういうシステムになっているとのことだ。
そうして書類をまとめた司祭様が町長に話を通してくれたので、衣食住などは保証してもらえるとのことだが、それよりも心配事があった。
「鑑定までの間、俺は何をしていればいいのだろうか」
「司祭様がもう王都に使いを出したから、何もすることはないわ。大司教様が来るまではゆっくりしていて」
「ゆっくり!!!!!」
俺が突然大声を出したことでルルーエルは目を見開いて驚く。
「す、すまない……あまりになじみのない言葉だったもので、つい」
「ゆっくりって、あなたの国にはない言葉なの?」
「いや、ある。あるが、俺とは無縁というか。なんというか……」
ゆっくりしていってねと饅頭のようなキャラクターが二体、頭の中で特徴的な電子ボイスで語りかけてくる。それ以外の意味など最初からなかったかのようなその言葉を噛みしめ、なんとか平静を装う。
「ま、まあそうだな……こんな状況なわけだし、たまにはその、ゆ、ゆ、ゆっくり……すごしてみるか……」
「大丈夫? なんだか土みたいな顔色をしているし、脂汗がすごいけれど」
全然平静を装えていなかった。
ゆっくり過ごす自分の姿を想像しようとしては、うまく想像できず頭に靄がかかるようである。
「ちなみになんだが、王都からの使いが来るまでどれくらいかかるのだろうか」
「そうねえ……片道一週間くらいかかるから、早くても二週間後かしら」
「二週間!!!!!!!!!!!!!!!!」
ひゃあ! と声を上げて、今度こそルルーエルがひっくり返った。
こんなにも大声を腹から出したのは、新人がラーメンどんぶりをひっくり返してヤの付く自由業のお兄さんの頭からかぶせてしまった時以来だ。当然お兄さんは火傷をし怒髪天だし、新人は泣き出すし、周囲の客はおびえて逃げ出すし、まさしく阿鼻叫喚と呼ぶのにふさわしい修羅場となったものだ。
あの時は謝罪のために単身事務所にお伺いし、必死で地に頭をこすりつけ腹の底から謝罪を叫び土下座したものだ。今思い出しても現在指が十本無事についていることを神に感謝したくなる経験である。
「申し訳ない、取り乱してしまった」
「う、ううん、私は大丈夫だけど……一体どうしたの?」
「に、二週間もの間俺は一体何をして過ごしたらいいか、わからないんだ」
いざ具体的にどう過ごすかを考えると、冷や汗がダラダラと湧き出てくる。
有給消化を却下された時……いや、実際のところそれよりはるか以前から、俺の中で休むという概念がすっかり消え失せてしまっていたように思う。正直、一日二日程度ならゲームをしたり配信サービスでアニメを見たり、溜まっている家事をしたりとやることもあるのだが、それ以上の時間を何もせずに過ごせる自信がない。その上異世界というこの地では、馴染んだ娯楽はおそらく存在していないだろう。そうなればいよいよ、俺は何をしていいかわからなくなってしまうのだ。
有給消化を申し出た時は、その期間に転職活動を行う傍ら、ウォーミングアップがてら日雇い仕事をしようと思っていたけれど、スマートフォンもないこの世界では日雇い仕事などの伝手もない。
自分が社会のどことも繋がっていないのだという恐怖は、俺にとってヤクザの事務所に単身で乗り込む以上のものがあった。
「し、仕事を……せめて何か、仕事をくれないだろうか」
「それならば、私のおうちをお手伝いしてくれないかしら?」
「君の家……?」
「ええ、私のおうちは隊商宿をしているの。今の時期は交易が盛んだから、人も多くて忙しいのよ」
「是非! 手伝わせてほしい!」
地獄に仏、渡りに船、社畜に職場。労働環境を手に入れた俺は、とたんに肌に潤いが戻ってきたのを感じる。俺の百面相を間近で見ていたルルーエルは「なんだか一瞬で五歳くらい若返ったみたい」と、静かに驚いていた。
店へ向かう道すがら、ルルーエルはこの世界のことを色々と教えてくれた。
この世界には魔物が存在しているが、この町は比較的穏やかで平和な土地であること。
渡り人はこの世界に恩恵を授けるものとして、吉兆とされているということ。それを見つけるということは、この世界の住民にとってある種の誉れなのだということ。
「だから私、エリアに会えて嬉しいんだ。これから何かいいことが起きてくれるんじゃないかって、ドキドキしちゃう」
「そう思ってもらえるのは光栄だが、いったいどんなスキルを持っているかもわからないから、君に恩恵を授けられる保証はないぞ」
「ふふ、そんなのはなんでもいいの。四つ葉のクローバーと同じで、見つけたことがハッピーなの」
俺は四つ葉のクローバーなのか。というか、この世界にもクローバーはあるのか。先ほど確かマルベリー摘みとか言っていたし、植生は元居た世界と近いのかもしれない。そんなどうでもいいことを考える。
「ここからさらに西に行くと、セルクルス大陸でも有数の貿易都市、ティティがあるわ。この時期は、そこに船が多く着くから、その影響でお客様が増えるの」
「ふむ、船の数には時期的な影響があるのか」
「ちょうど今時期は偏西風が強くなるから、今が船旅のベストシーズンなの」
「なるほど」
「そして、ここがうちの店よ」
到着したそこには、周囲の家よりもずいぶんと大きな石造りの建物があった。
隊商宿と聞いてなんとなく民宿のようなものを想像していたが、敷地面積ならば先ほど訪れた教会よりも余程広いだろうそれは、立派なお屋敷のように見える。
「一階は倉庫や食事をするための食堂になっていて、中庭では隊商達が物品のやり取りをするバザールが開かれるの。二階が宿泊者向けの客室よ」
「すごいな、ずいぶん大きな店じゃないか」
「一応、エルグの町では唯一の宿泊施設だからね。今の時期はお客さんもたくさんいるから、とっても賑やかなのよ」
ルルーエルの言葉通り、食堂もバザールも多くの人で賑わっていた。
「それで、エリアに手伝ってもらいたいのは食堂のほうなんだけど、大丈夫かしら」
「心得た。飲食業なら任せてくれ」
「頼もしいわ。それじゃあ私、お父さんとお母さんに話してくるね」
食堂では簡単な食事の提供と、旅人向けの簡易食糧なんかも取り扱っているようだった。物珍しさからあたりを見回していると、ルルーエルのご両親が挨拶に来てくれた。
素性のわからない俺が働いて大丈夫だろうかと多少の不安があったが、渡り人ならば大歓迎だとむしろ喜んでもらえた。渡り人信仰様々である。
簡単に施設の案内をされた後、俺はテーブルの片付けと配膳、会計業務あたりを任されることとなった。この辺りは飲食で仕事をしたことのある人間なら誰でも持っている程度のノウハウで対応可能なはずだ。
貨幣価値はいまいち把握しきれなかったが、とりあえず銅貨がベガ、銀貨がベリカ、金貨がルベリカという名称であり、それぞれに小さい硬貨と大きい硬貨が二種類ずつ。大きいものは小さい硬貨十枚分の価値があり、市井に流通しているのはだいたいベリカまでだというのは理解できた。後は体感で学んでいくしかないだろう。
繁忙期というのは本当らしく、開店と同時に食堂には多くの人が詰めかけてきた。
食事を希望する人、携帯食料だけ求める人、その両方。ひっきりなしに訪れる客に、広々としている食堂もあっという間に一杯になる。
やはり船乗りが多いのだろうか、メニューは焼いた肉を中心にボリューミーなものが中心で、客層もガタイの良い働き盛りの男性が主体だ。元いた職場の雰囲気に通じるものがあり、働いていくうちになんだか我ながら生き生きとしてくる。
「こちら串焼き盛り合わせと大盛り焼き飯です。はい、追加のご注文ですね、承ります」
指定された卓に料理を運び、空いたテーブルはすぐに片付け客の注文には笑顔で答える。単純作業のようでいて、次々に入るオーダーを効率よくこなすのは簡単なことではない。
だが俺は、これが好きなのだ。働いていると、生きているのだと実感でき、自然と口角も上がってしまう。
店屋が忙しいというのは良いことだ。水を得た魚のごとく接客に精を出していたところ、レジの方から何か少しトラブルめいた声が聞こえた。
「おいお嬢ちゃん、これ会計間違ってねえか。こっちはセットだけど、それとは別に水を単品で買ってんだよ。ぼったくろうってのかい?」
「あ、ええっとごめんなさい、干し肉セットの場合は5ベガで、水が単品だとえーっと、えーっと……」
「失礼いたしましたお客様、干し肉セットが3点、バラの水2ベガが2点で、合計19ベガです」
慌てるルルーエルの後方から、さり気なくフォローに入る。テンパった状態で計算を直そうとしてもなかなか合わないものだ。
無敵の接客スマイルを浮かべて会計を告げると、お客様は毒気を抜かれたように「お、おう。サンキューな兄ちゃん」とスマートに会計を済ませて退店していった。
「ダメね、私。とろくって、失敗ばっかり」
その日最後のお客様が店を出る姿を見届けて、ルルーエルはぽつりと呟いた。それは俺に聞かせるというよりは、思わずこぼれた弱音のようであり、仕事モードが継続中でもなければうっかり聞き漏らしていただろう小さな小さな声であった。
そしてそれは、日中の会計を間違えたお客様の件のことだというのは、すぐにわかった。
「ルルーエル」
それでも、聞いてしまった以上無視はできない。というより、無視するつもりは元より選択肢に無い。悩めるスタッフの力になる、それこそがエリアマネージャーたる俺の仕事なのだから。
「それならば君が働きやすくなるように仕組みを考えてみよう」
「仕組み?」
「そうだ。例えば、値段を覚えるのが苦手なら一覧表を作ってレジに貼ろう。計算が苦手ならば、計算機を使おう。誰にでも得手不得手はある、それをいかにカバーしていくかこそが大事なんだ」
ちょっと考えるだけでも、改善できそうなポイントはいくつか浮かぶ。全てを取り入れることはないかもしれないが、自分を責める前にやれることはまだいくらでもあるはずなのだ。
あれこれと提案を重ねる俺に、ルルーエルはどこか呆れすら含んだような笑みを浮かべる。
「エリアはすごいなぁ。私、できないって言うばっかりで、そんなこと考えたことなかった。そんな自分が恥ずかしいよ」
「恥ずかしくなんてない」
否定すべきポイントはしっかりと否定をする。その際にはまっすぐ目を見て、ちゃんと自分の感情を伝えることが大事だ。
言葉を伝えるということは、決して簡単なことではない。だからこそ真摯に、できうる限りの誠実さでぶつかる必要がある。
「ルルーエルはこの世界に来たばかりの俺を助けてくれた。こうして働く場も提供してくれた。苦手な仕事からも、目を背けなかった。その優しさも、強さも、誰もが持っているものではない。それは間違いなく君の美徳だ」
「びっ、美徳!?」
人を褒める時、決して照れたり茶化したりしてはいけない。基本中の基本だ。
俺がこれまで何人のオープニングスタッフの新人教育をしてきたと思っている。仕事の自信を無くした人間のフォローならば何度もこなしてきた。
誰だって、うまくできないことの一つや二つはあるだろう。そこで諦めるのではなく、自分にできることを見つけ、長所を伸ばすことが大事だ。特に、彼女はまだ若い。これから成長していく中で、己の得意を見つければ良いのだ。
そんな気持ちを込めて思いの丈を告げると、ルルーエルは大きな瞳をわずかに潤ませながらも、花がほころぶように微笑んだ。
「そんなこと初めて言われちゃった」
その日を境に、ルルーエルは少しずつ変わっていった。
計算などの苦手なことは相変わらずのようであったが、わかりやすい表を作成してみたり値段の表記を工夫するなど色々試行錯誤していくと、それでもだいぶ苦手意識は払拭されたらしい。
前のように間違えてしまうことがあっても、今では落ち着いて訂正して適切な対応も取れる。それを続けていくうちに、自信が表情にも現れ、いつの間にかずいぶん明るく笑うようになっていた。
この短期間でも目覚ましく成長をするのだから、若いスタッフというのは実に教育のしがいがあって良い。
どうして俺がこの世界に転移したのかはまだわからないが、こうして一人の悩める労働者を救えたならば、そのためだけでもこの世界に来た甲斐があったように思う。
*
「君が渡り人かネ」
働き始めてから二週間後。町の司祭様に呼ばれて教会へ行くと、そこには多くの護衛に囲まれた謎の二人組がいた。
片方は老人。見た目は小柄な好々爺といった風だが、その身にまとうオーラはどう見ても只者ではない。俺には”理解”。だてに長年接客業に従事してはいないのだ。
その隣に立つのはいかにも仕事ができるといった風情の妙齢の女性だ。まるでどこかの大企業の会長とその秘書のようではないか。
間違いない、この二人は王都の大司教様と、その補佐官といったところだろう。
二人の居住まいに、知らぬ間に俺もビジネスモードに切り替わる。
「名刺を切らしており申し訳ございません、私この地域を担当しておりますエリアマネージャーの」
「ああよい、よい、そう固くならずとも。どれ、まずは顔を上げてくれんかネ」
どう考えてもお偉いさんであるじいさんを前に、つい社畜の頃の脊髄が反射をして社会人テンプレート挨拶が口をついてしまった。きっかり90度に腰を折るおじぎは、接客業で働き始めた頃仕込まれて以来の熟練の技だ。
声かけに従い顔を上げると、立派な白いひげを蓄えた老人が皺だらけの目じりを下げて笑う。
「お察しの通り、ワシが王都の大司教ヨ。それにしても君、ちょっと珍しいパターンよネ。だいたいの渡り人は、そこまで腰が低くは無いヨ」
「そういうものなんですか」
「そーなのヨ、違う世界の文化は難しいからネ」
隣に立つ女性に同意を求めるように老人は首をかしげると、女性はわずかに赤面して咳ばらいをした。
「さて、それではさっさと鑑定を始めますよ」
「ほいほい、ユイナちゃん、やってちょうだい」
いうや否や女性は俺に手をかざす。ふわっと柔らかい光に包まれたと思うと、それはすぐに消える。どうやらこの一瞬で鑑定は完了したらしい。
「ほう……スキル:社畜EX?」
「しゃちく?」
なんか思ってたんと違う。同じ考えが全員の表情に表れていた。
スキルってなんかこう、もっと剣術だとか魔力増強とか、そういうのじゃないのか。なんだ社畜って。
「ユイナちゃん、社畜というのは、どういう意味かネ?」
「そうですね……仕事に殉じる者、といったところでしょうか」
「君一体、前の世界でどんな生活をしていたのヨ」
「ごく普通に、朝出勤し昼働き夜は寝ていました」
「お、おおう……」
何もおかしなところはないと思うのだが、大司教様はなんとなく哀れなものを見るような表情を浮かべている。
「うーむ、しかしこんなスキルはワシも初めて見るのヨ。EXとなると規格外、時に世界を変えるほどの力を持つランクとなるはずなのに、そもそも社畜って何が起きるスキルかわからないのよネ」
「俺が……世界を変えるほどの社畜?」
社畜が一体、世界の何を変えるというのだろう。労働基準法だろうか。この世界にそんなものがあるかは知らないが。
というより社畜の基準で一番変えちゃいけない法律じゃないか、それは。
「うーんわからん。わからんけれど、とりあえずこれで登録よろしくネ」
「はっ」
手元の書類に鑑定結果を書きつけたらしい大司教様は、側に控えた護衛の一人にそれを預け、何か申し付けていた。
というかこの世界、意外と書類ベースで管理されているんだな。せっかくファンタジーっぽい世界観だというのに。なんかこの辺の管理体制も改善の余地があるんじゃないだろうか。そう思ってしまうのも、社畜の性だというのか。ガッデム。
「それじゃあ、ワシはちょいと渡場の方を見てくるヨ。後のことはユイナちゃん、よろしくネ」
「承知いたしました」
そう言って大司教一行が去ると、教会には俺とユイナと呼ばれた側仕えの女性だけが残された。
「というかあなた、エリアって名前で登録されてしまっているけど、いいの? それ、本名じゃないんじゃない?」
「ええと、君は」
「私の名前はユイナ。あなたと同じ、元・異世界の渡り人よ」
彼女の、しっかりと口紅をひいた唇が弧を描く。なんとなく日本人だろうかと思ったら、案の定だ。
ここに来て同郷の人間に会えたことで、少なからずホッとする。
「やはりそうだったのか。名前のことは、別に構わない。本名よりエリアマネージャーと呼ばれることの方が多かったので、むしろ落ち着く」
「変わってるのねぇ」
「それよりも、この世界の先輩と見込んで、いくつか質問をしてもいいだろうか」
「どうぞ。私に答えられる範囲でなら」
二週間この世界で過ごしたことで、ある程度の世界観は理解できたが、それでもまだわからないことの方が多くある。
とりわけ、渡り人特権なのだというスキル周りのことに関しては、聞けることは聞いておいたほうがいいだろう。
「さっき俺に使ったのは、あなたのスキルだろうか」
「ええ。私のスキルは鑑定眼:S。これのおかげで、今は王都の大司教様の元で働いているの」
「鑑定眼か……使用する方法などは、どうやってわかったんだ? 誰か教えてくれる人がいたのか?」
「これはスキルによるらしいのだけれど、私の場合は自動発動に近いかな。相手の情報を見ようと意識すると、情報として頭に入り込んでくる感じ。他の人も、基本はそんな感じみたいね。前に『愛され体質』というスキルを持った女の子にあったことがあるけれど、あれも他人に働きかけるというよりは、生来生まれ持った性質がこの世界でスキルとなっているという感じだったわ」
「なるほどな」
俺のスキルも、おそらくその『愛され体質』と似たような、もともと持っている性質に由来したものなのだろう。それにしても『社畜』とは。言葉のマイナスイメージから、どう考えてもよいスキルとは思えない。なんというか、もう少しいいスキルにしてくれたもよかったのではという恨みがましい気持ちもなくはない。
「ちなみに、元の世界では何を?」
「心理カウンセラーをしていたわ。もしかすると、その影響もあるのかもね」
なるほど、確かに人の心を読み取ることに長けていそうである。
「ちなみに、あなたはここに来る前は何をしていたの?」
「某チェーン店のエリアマネージャーをしていた」
ここにいたるまでのダイジェストを彼女に語る。
俺としてはなんてことのない日常の業務報告であったが、話を続けるにつれだんだん反応が鈍くなっていったし、退職勧告を受けたのに沖縄に飛ばされることになった経緯の当たりで、ユイナは露骨に顔をしかめた。
「なにそれ、ずいぶんな会社ね。それ、ちゃんと労基に訴えたほうがいいわよ」
「戻れたらそうするつもりだが」
俺はいいが、残された他の従業員のためにならないことは許容できない。
仕事が忙しいのは仕方のないことだが、従業員が安心して働けない環境というのはやはり健全ではない。
「というか、なんでそんな風に扱われておいて、おとなしく沖縄まで行ってるのよ」
「新店舗の立ち上げノウハウがある人間が行かないと、現地のスタッフが困るだろう」
「それはそうだけど、理不尽な仕打ちを受けたあなたがやるべきではないでしょう。職場への恨みはないの?」
「ない」
それは本当にない。
クソ上司に腹を立てる気持ちこそあるが、同僚や他のスタッフたちはよく働いてくれたいいやつばかりなのだ。この店が好きだからと通い詰めてくれた常連も多くいるし、むしろ職場は好きだった。
だから俺がこちらの世界に来てからも一番の懸念事項は、件の沖縄新店舗なのだ。
「ないの?! どうして。有給だって却下されたんでしょう?」
「転職活動はしたかったので、あれは地味に困ったが……だがギリギリまで働けと言われたからには働くまでだ」
「なにそれ、意味わからない」
「俺は仕事が好きというわけでもないが、働いている自分が好きという異常者なので、何もせずにいることが耐えられないんだ」
「あ、自分で異常者の自覚があるタイプなんだ……」
正直、自分では異常だともなんとも思っていないが、これはかつての友人にかけられた言葉でもあった。
『……はさ、仕事が好きなんじゃなくて、仕事をしている自分が好きなんだね』
そう言われた時、周囲に対する全ての違和感の正体を理解できた気がした。
やりがいのある仕事。
好きなことを仕事にしよう。
巷に溢れかえっていた、その手のスローガンに共感したことは一度もない。仕事は仕事だ。好きも嫌いもあるものか。
俺は、ただ仕事をして社会の役に立てているのだと思えることに価値を見出している。誰かの役に立てているのだと思える瞬間がたまらなく好きなのだ。
それは、俺がこの世界にいてもいいという証左に他ならないのだから。
「ともかく、あなたのスキルは、今のところ未知数だわ。だけど、EXとなると野放しにすることもできないの。だから、これから私たちと一緒に王都まで来てもらえるかしら」
「王都に行って、一体何をするんだ」
「スキルの検証実験や、解析スキルでの解析などね。痛いこととか怖いこととかはしないから、そこは心配しなくて大丈夫」
「それはどうでもいいんだが、王都に行くにはここから一週間かかると聞いている」
「そうね。この世界は交通網があまり発達していないから、どうしてもそれくらいはかかってしまうわ」
「む……一週間もの間、働きもせずにいるというのは……」
不安な気持ちがどうやら顔似出ていたらしい。ユイナに「なんだか急に十歳くらい老けたわね」と呆れられた。
「あなた、本当に働いてないと駄目なのね。これが社畜スキルの効果なのかしら」
「だとしたらなんとも厄介なスキルだ」
元々こうだった気がしないでもないが、今はスキルのせいということにしておこう。
「そうでもないわ、むしろ話は簡単よ。ほい」
これでいいでしょ、とユイナは何かを紙に書きつけ、それを俺に見えるように差し出してきた。
【 辞令 】
エリア殿
貴殿は本日付けをもって、勤務地を王都とする。
王立大聖堂所属 大司教補佐官 ユイナ
「謹んでお請けいたします!」
「オッケーそれじゃあよろしく!」
辞令となれば転勤するのは当然のこと。先程までの渋る気持ちは霧散する。
ちょろいと言うなかれ。俺にとって辞令とは神の言葉にも等しいものなのだ。
かくして俺は王都へと向うこととなる。
向かう先々で時に業績不振の店を立ち直らせ、時に労働環境改善を働きかけ、働く意欲を失ったものの心を救い、無理な労働を強いる悪徳権力者と闘いながら。
行け、エリアマネージャー。働け、エリアマネージャー!
この世界から不幸な社畜(※)がいなくなるその時まで!
※俺は好きでやっているので対象外です。
~終~
コメディリベンジ作でした