side エルウッド2
「良いわ。結婚するわ」
ジニーこと、ヴァージニア・リンドバルトは稀有な女性である。少なくともエルウッドにとっては。
だから、エルウッドは、ジニーから結婚の承諾を得て、心の底からホッとした。
正直、ジニーに他に選択肢は存在しなかった。エルウッドはジニーを手放す気は全くなかった。ジニーはエルウッドの頭痛を止めることができる。ジニーはそのやり方を気に入っていないようだが、エルウッドは頭痛が止まるならなんでも良かった。
エルウッドは自分の健康については最低限の望みしか持っていなかった。これほどの身体の不調を抱えてそんなに長くは生きられない。それを止めるのは無理だろうけれど、出来れば死ぬまで正気を失いたくない。それだけだった。
エルウッドがいかに苦労しても、光の魔力の影響を完全に防ぐことは難しく、王宮はエルウッドを心酔する者が多かった。エルウッドが狂ってしまっても、その者たちはエルウッドの言う通りに狂った命令を遂行しようとするだろう。そんな地獄を引き起こす気には到底なれず、ただただ彼は耐えていた。
死ねば楽になれる、もしかしたらその方が結局周りにとっても都合が良く正しいのかもしれないという、たまに心の中に浮かぶ小さな声は無視をした。自分にとってあまりにも甘美な誘惑なので正しいように思われるのだ、と無視するしかなかった。生活の大半が頭痛で占められているエルウッドには、思いつきを精査できる力が残っていなかった。死んでしまえば、それが間違っていたと分かっても生き返ることはできない。
ジニーは話の間、特に最初の方はずっとうわの空だった。わりと本人にとっても将来を決める大事な話だと思うのだが、心はどこか他の所にあるようで、エルウッドはまず、ジニーの注意を自分に向けるよう、彼女の気を引く必要があった。
注意を引いた後は、結婚の約束を取り付けるために、どんどん空手形を打つ自分がいた。そうだ、自分はもうすぐどうせ死ぬのだから、結婚したとしても、短い間我慢すれば良く、その後は恩給で死ぬまで遊んで暮らせることも付け足そう。そう思いついたが、口に出す前にジニーが結婚しても良いと言ってくれたから良かった。すぐに死んじゃうならまぁ結婚してもいいわ、とジニーに思われたら、流石に悲しい。
エルウッドは幸せな気持ちだった。これでいつでも頼めば自在に頭痛を消してもらえるのだ。それは心底ホッとする考えだった。今までは苦痛に耐えることで精一杯だったが、数年ぶりに頭の中の霧が晴れている。これでなんとかもうしばらくやっていけそうだった。
ところで、ジニーを何がなんでも王妃にする必要がある理由は、もう一つあった。
彼女の刺繍の魔法陣だ。
彼女はその重大さに気づいていないが、この発明は世界を変える。
これについては今後この先どう扱えば良いのか、エルウッドにもまだ結論は出ていない。あまりに影響力の強い話だからだ。しかし今の時点でも一つだけ分かっているのは、ジニーには王宮での最大限の保護が絶対に必要ということだった。エルウッドの妃となってくれれば国王軍で彼女を守ることができる。間違っても、邪悪な考えを持つ他国などには渡せない。戦争を起こすことになってでもだ。
だから、国の施政者としての立場からも、ジニーを手放すことはできなかった。とりあえず、彼女を閉じ込める頑丈な箱を用意する必要があるとエルウッドは思った。
ジニーは人懐こい。あっという間にエルウッドにも気を許した。エルウッドはそれを、自身の光の魔力の影響なのだろうと密かに思っていたが、ジニーの話を聞き、ジニーがずっと孤独の中にいたせいなのかもしれないと考え直した。ジニーは寂しいから、話し相手になってくれる人間は誰でも好ましく思うのだ。
エルウッドはその他のことも納得した。ずっと違和感があったし、ジニーの行動も話すことも、エルウッドには予測がつかないことがこれまで多々あった。ジニーは頭の回転が早い女性だ。魔法に関しては天才だ。しかし人と触れ合う機会が少なかったので、情緒が育っていない。情緒は5歳児並みだ。酷くアンバランスな状態で、だからめちゃくちゃなのだ。5歳児が考えそうなことを大人の才能ある魔法使いが実現しようとするから、とんでもないことを引き起こす。それがジニーという女性だった。
そのようなジニーの人となりはエルウッドにとって問題にならないか?もちろん全く問題ない。普通の男や中途半端な高位貴族の男なら、持て余すこともあるかもしれない。しかしエルウッドはこの国の最高権力者だ。人に対して無敵でもある。彼が光魔法の抑制を緩めるだけで相手は彼の奴隷になる。大概のことは力でねじ伏せることが出来るのがエルウッドだった。
ジニーのことをエルウッドは基本的に好ましく思っている。聡明で、気立ても良い。勇気があり、行動力もある。だが、エルウッドにとって、ジニーが王妃になることがあまりにも好都合なので、好きだから結婚したいのだ、と言い切るには後ろめたい気持ちがした。
そんな感じで気持ちは追いついてなかったが、身体はすでにジニーを覚えて恋しがっていた。もう一度抱きしめたかったし、ジニーに触れて欲しかった。そう、結婚の約束をした。エルウッドはジニーの婚約者だ。だから今夜、今夜でなくても機会があれば、抱きしめる許可をジニーから貰えるかもしれない。そう思うとエルウッドの胸は期待で高なった。
***
「転移魔法でリンドバルト領まで行く。荷造りをして欲しい」
エルウッドの要請でジニーは荷造りを始めた。
「熊の毛皮、持っていきたいわ」
「そなたが望むなら持っていったら良い」
「魚の干物は要らない気がするわね」
「私も要らないと思う」
ジニーは荷物をまとめていたが、ハサミを見つけてエルウッドに言った。
「陛下、戻る前に髪の毛を切って整えますか?そのままだとちょっと酷いかも」
エルウッドの髪は熊と戦って所々焼け切れているままだった。
「頼めるか?」
エルウッドに髪型のこだわりはなかったが、ジニーに髪を触ってもらえるなら嬉しかったから、そう言った。
「いいわよ」
「ところでそのハサミは今まで何に使われていたものだ?」
「新鮮な魚の内臓取りにはナイフよりハサミの方が便利よ」
聞かなければ良かった。エルウッドは風の魔法で自分の髪を首元の長さに斬った。
「ちゃんと洗っているわ。魚の血とか汚れが付いていたら錆びるもの」
「気分の問題だ、ヴァージニア嬢。そなたの髪もそのハサミで切ってはいけない」
「そうなの?そういうものかしら?」
「この国の王妃になるなら魚の内臓取り用のハサミで髪を切ってはいけない。侍女頭が卒倒する」
「そうなのね。ひとつ覚えたわ」
ヴァージニアはハサミを荷物にしまったが、あることに気づいてエルウッドに話しかけた。
「その切った髪の毛を貰えませんか?」
エルウッドは戸惑って、床に散らばる自分の髪の毛を眺めた。
「これを?……べつにかまわないが」
許しを得て髪を拾い集めるジニーにエルウッドは聞いた。
「これをどうする気だ?」
「刺繍よ。きっと良い糸になるわ。家庭教師の先生がおっしゃっていたの。刺繍には絹糸を使っているんだけど、魔力の強い魔蜘蛛の糸の方が、より良いんじゃないかって。陛下の魔法は強いから、魔蜘蛛より良いかもしれないわ。マントの魔法陣の壊れたところに使ってみても良いかしら?」
「私の髪をマントに縫い込むつもりなのか?」
それはちょっと気持ち悪いとエルウッドは思ったが言わなかった。
「ええ。壊れたのはほんのちょっとの防魔の陣の所だけだから、きっとすぐ直るわ」
とジニーは言った。
そうだった。防魔法の魔法陣は破られている。ジニーはエルウッドに出会った時は魔法を全て跳ね返していたが、今はそれが出来ていない。エルウッドの浄化の魔法も受け入れたし、転移魔法も問題ないだろう。光の魔法はどうだろうか。エルウッドは気を付けていたが、全く影響を受けないということもないはずだ。精神が強い者は干渉されにくい傾向があり、見たところヴァージニア・リンドバルトの精神は鋼のように頑丈そうだが。
エルウッドがそのことを聞いてみるとジニーは反論した。
「ちゃんと光魔法にかかっていると思うわ。初めて会った時にカッコいい人だと思ったもの」
「出会った時はまだマントは壊れてなかったじゃないか」
「そう言えばそうね。じゃあそれはただの感想だったのね」
「私の外見がそなたの好みで良かった」
「そうなの?」
「結婚するんだ。その方が良い」
「それもそうね」
でもその後、特に気持ちが変わったとかはなかったわ、とジニーは言った。
光魔法が効いていないと知り、生まれて初めて、エルウッドはそのことにガッカリした。役に立たない光魔法だ。もっと干渉しても良いんじゃないか。加減がわからないから抑制を緩める気にはならないが。
なにせ今のエルウッドは、ジニー採点では、鬼ごっこと比べて、鬼ごっこの魅力に負けている状態だ。汚い手段だろうが多少の魅力の底上げが欲しかった。
エルウッドの気持ちなど分かるはずもないジニーはニコニコして髪を荷物にしまい、エルウッドに言った。
「マントを直したら、陛下にもなにか刺繍を差し上げるわね」
「それは嬉しいが、私の髪で作るのはやめてくれ。どうしても髪を使いたいなら、そなたの髪にしてくれ」
「私の髪?」
「そなたの魔力も強いじゃないか」
様子を確かめたいジニーが自分の髪を引っ張ってそのまま抜きそうだったので、エルウッドは慌ててそれを止めた。
***
荷造りが終わり、2人は洞窟の外に出た。ジニーが持っていきたがっていた熊の毛皮はとても大きく、ジニーの持っていたカバンに入るわけもなかった。ジニーは自分の荷物を持ち、エルウッドが毛皮を抱えてしばらく歩いた。
「転移魔法ってどこにでも行けるの?」
とジニーが聞いた。エルウッドは答えた。
「自分の見える範囲にしか飛べない。そして一緒に飛ぶためには私がそなたを抱える必要がある」
それからエルウッドはためらいながらも、どうしても言わなければならない話をした。
「ヴァージニア嬢、帰る前にもう一つ頼みがある」
「何かしら」
「これから帰るが、人々の前で私はそなたを溺愛しているように見せる。そなたはそれに合わせて欲しい。家臣はみな私の光の魔法の影響下にあり、私の幸せを心から願っている。私がそなたを強く妃に望んでおり、それをそなたが受け入れている所を見せたい。でなければそなたの安全が保証できぬ。出来るだけ大袈裟に。できるか?」
「わかったわ」
「ありがとう」
エルウッドがジニーを抱えるには毛皮が邪魔だったので、ジニーが外套のように毛皮を頭から被り、エルウッドが毛皮ごとジニーを横抱きに抱え上げた。
「掴まっていてくれ。行くぞ」
エルウッドは開けた場所に出ると呪文を唱えた。一瞬で2人はその辺りで1番高い木の上へ移動していた。息を飲み、ジニーはエルウッドにしがみついた。転移魔法には重力魔法を組み合わせるのが普通なので、エルウッドは空中に浮いている。腕の中にいる熊の毛皮込みのジニーについても全く重みを感じなかった
高い空の上からならば、遠くを見渡せる。次の転移で、かなり距離を稼いだ。それを2回繰り返したら、そこはもう伯爵領だった。
***
エルウッドはリンドバルト伯爵家の中庭にジニーと降り立った。そっと彼女を地面に下ろしていると騎士団長を始め、彼の帰りを待っていた人々が駆け寄ってきた。
「陛下!!」
騎士団長の礼をエルウッドは受けた。
「待たせた」
「無事のご帰還、お喜び申し上げます」
人がさらに集まってきた。人々は巨大な熊の毛皮を羽織っているジニーを見てびっくりしていた。騒然となる中、全く気にせずにエルウッドは1人の人物を呼んだ。
「トリスタン・ゴッドウィンは居るか?」
トリスタンが集団の中から前に出てきて跪礼した。
「陛下。ここにおります」
「こちらの女性がヴァージニア・リンドバルト嬢で間違いないか?」
トリスタンの目がジニーを見た。
「間違いございません」
エルウッドは頷き、トリスタンに言った。
「そなたの名誉を回復し、ヴァージニア妃の護衛隊長に任ずる。私の近衛隊より必要な人員を引き抜き、護衛隊を組織するように。昼も夜もなく彼女が必ず安全なように気を配ってほしい」
トリスタンは一瞬絶句したが、再び頭を下げて誓った。
「かしこまりましてございます」
それからエルウッドは居並ぶ面々を見回して、宰相を呼んだ。
宰相が前に出て跪いた。
「ご無事で何よりでございました」
「来ていたのか」
「騎士団長よりご帰還が遅れている旨、連絡がございましたので、魔法省大臣と共に参りました」
「そうか。心配をかけた。だが来てもらい、ちょうど良かった。紹介する。リンドバルト嬢だ」
宰相は熊の毛皮を着た女性を見て、内心たじろいだに違いないが、顔には出さなかった。
「初めてお会いできて光栄にございます」
「私は偶然、この近くで軍の演習があり、そのついでに花嫁を迎えに来た。そのように取り計らうように」
「御意」
「魔法省大臣」
エルウッドは今度は魔法省大臣を呼びつけた。大臣は前に進み出た。
「よくこの速さで来てくれた。そなたの転移魔法は健在だな?」
「恐縮でございます」
「何度飛んだ?」
「四度ほど」
「たいしたものだ。転移魔法ではそなたにかなわぬ。さて、大臣、本日、そなたの魔法省大臣の任を解く」
「…………は?」
魔法省大臣であるシェーマスは突然のことに狼狽えて、つい声を出してしまったが、エルウッドは、その無礼については不問とし、無視して話を続けた。
「現在の副大臣を新しく大臣に任ずる。そなたは、新しく魔法の単科大学を設立するように。王立大学の魔法学部を廃止し、設備と人員を新しい大学へ移すこととする。今の魔法学部の学部長は誰か?」
魔法省大臣は、生涯50年、勝ちに勝ち続けて得た己の地位のいきなりの失墜に魂が抜けた顔をしていた。宰相が代わりに答えた。
「ギルドリアンです。陛下」
「そうか。では、ギルドリアンを副校長に、シェーマス、そなたは校長となり、出来うる限りすみやかに開校するように。場所は東の離宮を下賜する。必要な物があれば王家の私財を使って良い。ただし教師を外国から招くことは当面禁じる」
そこでエルウッドはジニーに向かって微笑んだ。
「そなたのための学校だ、ヴァージニア嬢」
「えええ?!」
儀礼に縛られないジニーはその場の人間を代表して悲鳴を上げた。
「そなた、魔法を学んでみたいと言っていただろう。最高の学校をそなたのために用意する」
「あ、ありがとう?」
なんと言ったら良いか分からなくて、ジニーはとりあえずお礼を言ってみた。エルウッドはにっこり笑い、家臣に向き直った。
「では軍を解散とする。すみやかにそれぞれの駐屯地へと帰還せよ。ご苦労だった」
「陛下!軍を解散とおっしゃいますが、我々は共に王都へ戻るのだと思っておりました」
騎士団長が慌てて発言する。
「私は当分帰らない。ヴァージニア妃が領土の各地を見たいそうだ。即位してまだ行幸が行われていないからちょうど良い。宰相は人気の観光地を中心に場所の選定にあたり、奏上せよ。私が王都を留守にしている間はワイリー伯父上に全権を委任する。以上だ」
そう言われてしまえば、家臣は平伏するしかなかった。1人立ち尽くしてオロオロしているジニーはとても可愛かった。
***
その後、ジニーは家族に引き取られていった。たぶんものすごく怒られるんだろうな、とエルウッドは同情した。エルウッド自身はリンドバルト家の1番豪華な客室に案内され、そこには隊に帯同していた侍従長が控えていた。侍従長は万事エルウッドが心地よいようにと王宮と遜色ない接遇を用意してくれた。エルウッドは風呂に入り、衣服をあらためた。用意された軽食を取っていると、待ち構えていた宰相と騎士団長に捕まった。彼らの質問を右から左に聞き流して、エルウッドはジニーの姿が見えないことを不服に思っていた。
エルウッドは、いったん2人が話したいだけ話させると言った。
「私は先ほどそなたらに当分眠ることもできぬほどの大量の仕事を与えたつもりだったが、取り掛からなくて良いのか?」
国王陛下の行幸となれば、人員の選定、行き先の根回し、護衛ルートの確保など、手配は多岐に渡る。しかも周るのは全国と言う。予算の確保から始まり半年か一年は準備期間が必要な話を、明日には出発したいとエルウッドは言っているのだ。
「ですから、先ほどから、お待ちいただきたいと、そう申し上げております。せめて一度王都にお戻りください。行幸にあたりましては充分に慣例を調べ、広く周知し、そののち、初秋の季節の良い頃にでも執り行いたく存じます」
「そなたらは先ほど何を見たのだ。あの状態のヴァージニアをそのまま王宮に連れて行けると思うのか。多少は生活に慣れさせなければ誤魔化すことも出来まい」
「……それはそうです。確かに。リンドバルト嬢は結局なぜこのようなことを?熊の毛皮を被って現れた理由は?どうして伯爵令嬢があの仕上がりになるのです」
「私に追いかけられたかったそうだ。熊は倒した。私はあの性格の彼女をたいへん気に入っているから問題ない」
「よろしいのですか」
「この上なく。婚姻書は明朝までに用意せよ。署名してから出発する」
ついでにさらに宰相の仕事を増やしてからエルウッドは2人を部屋から追い出した。
***
侍従長に言いおいてあったので、午後遅くのお茶の席はリンドバルト家の一番上等な応接室に用意された。エルウッドがそちらに向かうとヴァージニアがすでに待っていた。
「ちゃんとご令嬢じゃないか、ヴァージニア嬢」
ジニーは旅の汚れを落として綺麗な黄色のドレスを着ていた。たいへんに可愛らしかった。
エルウッドはジニーに持っていた薔薇の花束を渡した。
「これをそなたに。と言ってもそなたの家の薔薇だが」
「あ……ありがとう」
ジニーが花束を受け取って握りしめたままなので、横に控えていた侍女がそれとなくジニーを促し、ジニーは侍女に花束を渡した。エルウッドはそれを見ながら席に着いた。
ジニーはじっとエルウッドを眺めていた。
「なにか?」
「すごいわと思って。本当に溺愛だわ。さすが50人も奥さんがいる人は違うなって」
「そなたは今ひとつ協力が足りない」
「びっくりしてしまってどうしたら良いか分からなかったのよ」
2人が話している間に、テーブルにお茶の用意が整えられた。
「それで。ご両親にたくさん怒られたか?」
「お父様には、陛下の髪が短いのは私のせいなのかと聞かれたわ。熊のせいだと言っておいたわ。お母様は怒ってなかったわ」
ジニーは美味しそうにケーキを食べていた。
「こんなに美味しいお菓子は初めて食べたわ」
「リンドバルト家の料理人が作った物のはずだが」
「私はここではご飯を食べないもの。この部屋に入ったのも初めてよ」
「なるほど」
ジニーは言った。
「本当は私はここに居てはいけないのに、ちょっと申し訳ないわ。奥様にご迷惑をかけてしまったわ」
「そなたがここにいるのは、私のせいだ。私の警備のためだから、そなたが気に病むことではない。それにそなたはもうすぐ王妃だ。そなたが入ってはいけない場所など、国中ほとんど何処にもない。命じれば今すぐここの主寝室はそなたのものだ」
「そんなこと望んでないわ。ちょっと居心地が良くないだけなのよ」
「わかった。なるべく早く出立しよう。まずはどこに行きたいか、希望はあるか?」
「本当に行幸?旅行するの?」
「そなたの旅を邪魔してしまったからな。好きな所に連れて行くと約束しただろう。私は約束を守る夫だ。そなたの望みを叶えたい。他にもなにかあれば聞かせてくれ」
「いやよ。ちょっと魔法の勉強も良いかもって言ったら学校をもらって、色んな所に行きたいって言っただけで豪華国内一周旅行になったのよ。もう怖くて絶対に何も言えないわ」
「私に協力すると言ったじゃないか。これはその些細なひとつだろう」
「誰かが困ることになりたくないわ。さっき、大臣のおじさん、ちょっと泣いていたじゃないの」
「ヴァージニア嬢、権力は使ってこそだ」
「そうなのかもしれないけれど、私は慣れていないのよ……」
ジニーのお茶の作法はエルウッドが想像していたよりも悪くなかった。悪目立ちしない程度には整っていた。高位貴族の集まる王宮のど真ん中にいて、したがって辛口の評価になるはずのエルウッドがそう思うのだから、ジニーはかなりしっかりした礼儀作法を身につけていた。そのことについてエルウッドは聞いてみたが、ジニーは家庭教師の先生が教えてくれたのだと言った。彼女の話には『家庭教師の先生』の話がよく出てくる気がする。どのような人物なのだろうとエルウッドは少し興味を覚えた。
2人はお茶を楽しんでいたが、ジニーが思いついて言った。
「もしかしたら少し出発を遅らせて欲しいかもしれないわ」
宰相が泣いて喜びそうだとエルウッドは思った。
「なぜ?」
「先にマントの刺繍を直してはいけないかしら?」
「もちろんかまわない。私としてもそなたが防魔の陣で守られている方が良い。どれくらいかかる?」
「3日……2日くらい?時間がかかるのよ。針と糸に魔力を込めながらだから。どうせ針を入れるなら少し直したいところもあるし。魔力吸収の陣の変換の所が……」
ジニーの動きが止まった。クレームブリュレを口に運んでいた時だったから、カチリ、と彼女の歯がスプーンにあたる。ジニーはスプーンを咥えたまま立ち上がった。そのまま、また動かなくなったので、見かねてエルウッドが声をかけた。
「ヴァージニア嬢、スプーンを口から離しなさい」
ジニーはエルウッドを振り返り、エルウッドを見つめたまま、手だけを動かしてスプーンを口から離した。そしていきなり叫んだ。
「ちょっと待ってて!!」
再びジニーが走り出したので、今度こそ、扉近くで控えていたトリスタンがとり押さえた。
エルウッドは言った。
「ヴァージニア嬢、座りなさい。急に走り出したら護衛が驚くだろう」
「でも今すぐマントがいるわ!」
「離れろ!トリスタン!!」
エルウッドが叫んだので、トリスタンは咄嗟に離れることができたが、雷撃は空気を震わせ、その隙にジニーはトリスタンの横をすり抜けた。
やれやれとエルウッドは立ち上がった。そしてエルウッドも部屋の外に出て、ジニーを追った。エルウッドなので走る必要はなかった。転移魔法で簡単に追いついた。
「ヴァージニア嬢、自分の護衛を攻撃する癖は治さないか?」
「それどころじゃないわ!」
ジニーがほとんど駆けながら自分の家に向かっているので、訳もわからないまま、エルウッドもついて行った。
ジニーの住んでいた伯爵家の別邸に2人が走り込んだので、ジニーの母親であるサンドラはびっくりした。
「どうしたの?」
「マントが欲しいの」
サンドラとお茶をしていたメイドがマントを別の部屋から持ってきてジニーに渡す。
「陛下!」
ジニーはそのマントをエルウッドの背中にかけた。
「どう?」
ふわりとマントの重さがエルウッドの背中にかかる。エルウッドは困惑する。
「どうとは?」
ジニーは興奮して早口で喋った。
「このマントは魔力を吸収するのよ!そしてそれを違う魔法に変換するの!陛下はこのマントを着ていれば魔法を抑える必要はないわ!ちょうど良いくらいまで魔力を吸収させることもできるわ!魔法を使い続けるのと同じことだから、陛下の魔力量は増え続ける。でもそれもマントが吸収するから問題ないのよ。私、やっと気づいたの。陛下の問題は、魔力が強すぎることじゃないって。問題は、陛下の魔力が無害化出来ないことなのよ!」
高らかにジニーは結論し、それからちょっと勢いをおさめ、エルウッドをうかがった。
「どうかしら?頭が痛いの、おさまらないかしら?」
「……おさまっている。とても良い。そなたの言う通りだ……」
エルウッドの答えにジニーは満面の笑みを浮かべた。エルウッドは聞いた。
「そなたは今朝からずっとこれを考えていたのか?」
「昨日の夜からよ。問題があるのに答えがないのはおかしいわ。絶対に答えがあるはずなのよ。私が気づかないだけなのよ。でも気づいたわ。ねぇ、そうでしょう?私は分かったわ!!」
勝ち誇った顔で笑うジニーを見て、エルウッドは思った。とうとう気持ちも追いついたな、と。
エルウッドは優しくジニーを抱きしめた。母親の前でなければ口付けていただろう。
「ヴァージニア。そなたこそ私の光だ」
「陛下の溺愛はくすぐったいわ」
何も理解出来ていないジニーは、エルウッドの腕の中でクスクスと笑って答えた。
申し訳ありませんがストックが切れました。続きが書けたらまた投稿します。読んでくださってありがとうございました