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伯爵令嬢の魔法と家庭教師

(死ぬほどびっくりしたわ…)


ジニーはトリスタンと別れた後、森の奥深くに分け入っていった。

トリスタンに追いつかれたことはジニーにとって想定外だった。ジニーが別宅へ戻る時間、別宅で母などと話す時間、玄関に戻る時間、それらが全て過ぎ、どうも遅いということになってから、誰かが別宅へと行き、やっとそこで、あれ?という感じになるんじゃないかと思っていたのだ。

その後もたぶん家の中を探されたりして、どうもこれは家に居ないとなってからの捜索だと思っていた。その頃にはジニーは森に逃げ込めたはずだし、手がかりもないまま探してもどうにもならない。おそらくジニーが山を越え、隣りの領地に辿り着くことを止めることはできない。

王都からの迎えの一行が、自分たちだけでは見つからないと、事態を報告して大事になる頃には、辻馬車にでも乗って港へ行き、国外に逃れることすら出来たはずだった。

職務に忠実なトリスタンが、虫の知らせか何かでジニーをすぐさま追い始めたのが第一の誤算、逃げているところを偶然見られてしまったことが第二の誤算であった。


(計画を変える必要はあるかしら?いやでもともかく荷物を回収しなくちゃ。考えるのはあとにしましょう。とにかく寒い!!)



動きにくいからと、かさばるドレスを脱いだが、季節は冬が始まったばかり、下着姿では寒くて仕方なかった。脱いだついでに、何かの足しにしてもらおうと、迷惑をかけたトリスタンに渡そうとしたのだが、断られてしまったので、抱えて持ち歩かずを得ず、邪魔なだけだった。こんなことになるなら、もう一度着ても良かったが、伯爵令嬢のドレスは一人で着れるシロモノではなかった。

もちろん、すぐさま服を調達できるアテがあったら、ドレスを脱いだのだ。

森を5分ほど歩いた所にジニーはカバンと外套を埋めてあったのだった。


(あった!)


ジニーは覆っていた枯れ枝や草を取り払い、手で土をかき分けると、カバンとマントを引きずり出した。ともかくもマントを羽織る。最高なのだ、この白い腰丈のマントは。外はうさぎの毛皮で、中はシルクで裏打ちしてある。ジニーが羽織ると、たちまちに外気を遮断し、ジニーの周りは春のように暖かな空気になった。裏打ちのシルクは、同じ色の絹糸でぎっしりと刺繍してあった。ジニー渾身の魔法陣が縫い付けられているのだった。


***


この国では、庶民は、小さな村などにでも1つはある小さな学校あるいは教会などで読み書きを学ぶが、貴族は家庭教師をつけるのが一般的である。王都に行けば官吏になるための学校も、貴族が通う上級学校もあるが、特に女性は、結婚年齢が早いこともあり、家庭教師のみの教育で終わることが少なくない。

ジニーの父のアーノルドは、本妻の2人の子どもの家庭教師に頼んで、子どもたちの授業が終わった後でジニーにも授業を行ってもらうよう、取り計らってくれた。コートと名乗る家庭教師の青年は、週に2回、別宅を訪れて、ジニーに、読み書き、貴族としての礼儀作法、詩、刺繍の基礎、地理と歴史の基礎、魔法の基礎などを教えてくれた。



8歳のジニーが初めてコートに会った時、彼女がまず興味を持ったのはコートの眼鏡だった。ジニーは眼鏡というものを初めて見た。

「それ素敵ね」

「ありがとうございます」

「カッコいいわ。私も欲しい」

「これは眼鏡と言いまして、物がよく見えるようになるものです。元々、目に問題のないお嬢様には必要のないものです」

「そうなのね……」

悲しそうなジニーを見て、コートは眼鏡を外し、ジニーに渡してやった。ジニーは興味深く眺めた。

「この透明なやつ、少し曲がっているのね」

「レンズと申します。この形状が光を集めます」

コートはジニーに、まっすぐに進む光の特性と、それをレンズで曲げて焦点を合わせる仕組みを説明した。

「光を集めると物が良く見えるの?」

コートは眼球の仕組みについて説明した。

王都から来たというコートは、顔も整っていて、若草色の髪も、朝焼けの色と称された瞳も美しく、なぜこの若さで田舎の伯爵家の家庭教師などしているのか、不自然極まりない男だったが、なんでも知っていてジニーには最高の家庭教師だった。



ところでジニーは不出来な生徒だった。色々と授業が進んだ結果、自分はどうやら勉強に向いていないようだとジニーは悟った。暗記がものすごく苦手なのだった。

「どうして文字が62個もあるの?覚えられないわ」

「私たちの国の文字は、表音文字と言います。覚えやすい部類です。音をそのまま記号で表し、見れば読むことが出来ますし意味もわかります。遠い国では表意文字の国もあります。意味の数だけ文字があるのです。文字は1万を超えるのですよ」

コートが許してくれなかったので、ジニーは仕方なしに62個の文字を覚え、その組み合わせも覚えた。苦行だった。計算は得意だった。なにせ数字は10個しかない。規則も、文法のように例外だらけということはない。

ジニーが簡単な本をつっかえながらコートに読み聞かせていると、母のサンドラがお茶の支度を持ってくる。母お手製の茶菓子をつまみながら、コートはジニーが読み間違えた時には元に戻って繰り返させ、覚えるほどに読み込んだ本については、それを紙に書き写すように命じた。文字は丁寧に書くことを徹底させられた。コートの不退転の意志でジニーは読み書きを身につけることができた。



その頃にはコートは夕飯までも別宅で取っていくようになっていた。コートは村に家があり、独りで住んでいる。不便なこともあるだろうと、週に2回の訪問の際にサンドラは温かい食事を出してやり、帰りには何かしらの惣菜を持たせていた。通いで来ているメイドには掃除や洗濯などを中心に手伝ってもらっていて、料理は主にサンドラがしていたので、そのついでなのだった。元々サンドラは食堂の娘だ。料理は得意だったし好きなので、ジニーの面倒を見てくれる恩師に、心からの感謝を込めた食事を振る舞った。週に4回来たい、とすっかり餌付けされたコートはうめいた。サンドラの心遣いもあり、すっかり我が家のようにくつろぐようになったコートに、10歳になったばかりのジニーは聞いた。

「先生、お母様がお好きなの?結婚したいの?」

「とんでもないことをおっしゃいますね。そんなことは思っておりません。家庭教師が主家の奥方に気持ちを寄せるなど、あってはなりません。私の体が物理的に2つにされるようなことを気軽に口にすることはやめていただきたい」

「お母様はお父様と結婚していないから、奥方ではないわ」

「家庭教師の立場から見れば同じことです」

「先生とお母様は同じ年くらいと思うのだけれど」

「私はまだ22ですよ」

30歳くらいかと思っていたジニーはびっくりしたが、それでも言った。

「お母様は27だわ。17歳の時に私を産んだのよ」

「年齢は関係ありません」

コートはコートで、サンドラはもっと年上だと思っていたのにアテが外れ、思ったより年が近いことに慌てて、方向転換をした。

「たとえばお嬢様と私は12歳差ですが、貴族でしたらそれくらいの年齢差なら結婚する方もおられます。とは言え、私はお嬢様をそのようには見ておりませんし、お嬢様もそうでしょう。私は何にでも興味を持たれるお嬢様を生徒として好ましく思っていますが、結婚相手としては見ておりません。サンドラ様については、細やかなお気遣いに感謝していますし、女性らしい、たいへん素晴らしい方だと思っていますが、恋人になりたいとは思っていません」

「そうなのね……」

初めてコートに会った時に、あなたに眼鏡は必要ないと言われた時と同じ口調でジニーは残念がった。



読み書きの修練と並行して魔法の授業が始まった時、ジニーは、あ、これまた、面倒くさいやつだと、気づいた。

「人間は魔力を帯びています。というより、生物はすべて魔力を帯びているのです。しかし種族によって、また個人によって、まとう魔力量には差異があります。植物より動物の方が、普通の動物より魔物の方が、魔力が高い傾向にあります。人間で言えば、この国では高位の貴族であるほど魔力が高い傾向にあります。とは言え、貴族だからと言って、全員魔力が高いわけではありません。個人差があります。痩せた人間と太った人間、背の高い人間と背の低い人間がいるのと同じことです」

コートの説明はいつも分かりやすい。ジニーは頷いた。

「わかったような気がするわ」

コートはジニーのために、石板に、あまり上手でない絵まで描いてくれて、説明してくれた。

「魔法の発現というのは、ある程度の魔力が必要で、一部の限られた人間のみが魔法を使うことが出来ます。やり方としては、まず、魔力で魔法陣を描きます。魔法陣は、無目的に漂うばかりの魔力に指向性を与えるもので、効力によって当然魔法陣の形も変わります。魔法陣を描く時には補助として呪文を唱えるのが一般的です。描いたあとは、魔法陣に魔力を通して発動させます。魔導士と呼ばれる者はこの魔法陣を覚えるのです。独自の組み合わせで新しい魔法陣を作る者もいます」

「魔法陣はいくつくらいあるのかしら?」

「およそ2万」

暗記の苦手なジニーは震え上がった。

「きっと私、魔法が使えるほどの魔力はないわ。だからそのお勉強は必要ないわ」

「やってみなければわかりません。貴族はみな勉強します。才能がなければそこでやめればよろしいのです。もし魔力が強かった場合、訓練をしていなければ魔法が暴発してしまうかもしれません。基本の80の魔法陣とその理屈から始めましょう」



コートはそれから、元素がどうの、魔素がどうの、同じ系統同士の魔法陣の類似点やなにかとか、精一杯教えてくれたのだが、魔法陣よりもはるかに単純な形である文字を62個覚えることすら難しかったジニーである。まともに5個覚えることも出来なかった。覚えたと思っても、次のものを覚えると前のものを忘れてしまう。あるいはごっちゃになってしまう。だいたい全部ほぼ同じ形のように見えてしまうのだ。

「先生は頭が良いから、私みたいな人間の気持ちはわからないのよ」

ジニーは不貞腐れ、先生に聞いた。

「あらかじめ何かに魔法陣を描いておいて、それに魔力を通したらどうかしら?そうしたら全部覚えておいてその場で描く必要がなくなるわ」

「ペンか何かで紙などに描くということですか?それは無理です。ご覧ください」

コートは炎が発現する簡単な魔法陣を空中に描いた。

「ここにある直線は完全なる直線、円も真円、少しでもずれたら魔法陣として機能しません。このようなものを手技で描くことは出来ません。魔力で描くからこそ可能なのですよ」

「私は魔力でも一度も魔法陣をちゃんと描けたことはないわ」

「それはお嬢様がきちんと魔法陣を覚えていらっしゃらないからです。ついでに言うならやる気の問題です」

「もう辞めたいわ」

「お嬢様は私が描いた魔法陣を発動させることができます。魔力がある明らかな証拠です。ご自身や周りの安全のためにも勉強しなくてはなりません」

勉強の最初の頃、コートに言われて、コートの魔法陣に向かって、えいっと念じたら、部屋にあるお気に入りのぬいぐるみの猫が本物の猫のように伸びをしてニャーと鳴いた。もう一度、勧められるままに、えいっとやったら、今度は寝返りを打ってゴロゴロと喉を鳴らした。ジニーは楽しかったが、それはコートの策略だった。魔力などこめられないフリをすれば良かった、と後でジニーは後悔した。



尊敬するコートがこれほどまでに諦めないのだから、ジニーも魔法の勉強の必要性を認めざるを得なかった。しかし勉強は苦痛だ。楽をしたい。抜け道を探すことにした。やはり魔法陣をあらかじめどこかに描いておくのが有効のように思われた。試しにペンで紙に書いてみたが、コートが言っていた通り、うまくいかない。同じような模様に見えてもどこか違うのだろう。

ある日、コートからの宿題の刺繍をしながらジニーは思った。刺繍で描いてみるのはどうだろう、と。針と糸に魔力をえいっとすると、少しの間、魔力を帯びることに気づいたのだ。魔力を帯びている間に布に針を刺すと、糸が魔法陣の形になりたがるような微妙な調整が起こった。たまたまその時に使っていたのが絹糸だったからだと気づいたのは後からだった。普通の糸では上手くいかなかった。

ジニーは何度も試行錯誤して、ある日とうとう、記念すべき最初の作品を完成させた。隅にちょっとだけ刺繍をしたハンカチに魔力を通すと、風の魔法を帯びたハンカチは水に入れても沈まず、引き上げた時には完全に乾いた状態だった。

「先生!すごいのよ、これを見て!」

コートは呆れた。

「諦めてなかったんですか……」

コートは仔細にハンカチを触って眺める。

「私が教えた刺繍の技術をこんなことに使って。この小さな刺繍にとてつもない時間がかかったでしょうに」

「3ヶ月くらいかかったわ」

「この簡単な魔法陣にそんなにかかったんです。使い物になりませんよ。素直に魔法陣を覚えた方が早いでしょう」

「それは先生がすぐになんでも覚えられるからだわ」

「これ、糸はなんですか?」

「絹糸よ。それ以外ではダメなの」

「絹糸は虫から作られるから、植物由来の糸よりも魔法伝導率が良いのでしょうね。毛糸は試しましたか?魔蜘蛛の糸ならばさらに効果的かもしれません。魔獣の骨から作った針なども有効でしょう」

「毛糸は細くしたら使えるかもしれないわ。弱くて千切れるかもしれないけれど。本当は絹糸も半分くらいの細さにしたいのよ。太いと誤差が出やすいの」

「なるほど。どれくらいの頻度で糸に魔力を通しましたか?」

「2針ごとに、えいってやったわ。あまり強く、えいってやるとパンって爆発するのよ」

「お嬢様、それが魔法の暴発です。絶対にやめるよう、お教えしたはずですが」

「もうパンってならないコツを掴んだから大丈夫よ。最初は4針くらいしか刺せなかったけれど、今は1日に10針くらい刺せるようになったのよ」

「それは魔力量が増えているのです。何度も魔法を使うことで訓練になっていたのでしょう。お嬢様の魔力の性質は雷性です。だから強いと爆発するのです」

コートは見事な刺繍を眺めながらため息をついた。

「ともかくも、魔法の勉強をしたくないと言うあなたの執念は確かに受け取りました。元々の勉強の目的だった、魔力の制御もまぁ出来るようになったと認めましょう。もう勉強しなくていいですよ」

「きゃあ!ありがとう!先生!そのハンカチは差し上げるわ!」


その後、ジニーは、ブーツの裏に同じ刺繍をし、湖の上を歩こうとしてコートにガチキレられた。魔法陣の刺繍を禁止されてしまったが、色々な魔法陣を試したくて仕方なかったジニーは、コソコソと自分のマントの裏側に刺繍した。本を見て、彼女がイカしていると思った魔法陣を手当たり次第に刺繍したため、暖かく、軽く、丈夫で汚れない、超多機能な不自然なシロモノが錬成されてしまった。



コートは、ジニーが8歳から12歳までの間、全部で4年ほど家庭教師をしてくれた。それから事情があったのだろう、リンドバルト領を去っていった。そのあとはリンドバルト家の親戚という高齢の女性が家庭教師にやってきた。彼女は、ジニーが貴族女性として必要なマナーや詩歌の教養や刺繍の基礎がすでにできていることにビックリしていた。そこでジニーは初めて気づいた。男性であるコートが本来ならそのようなことを教えられるはずがないのだ。彼はジニーのために自分でわざわざ勉強して、それをジニーに教えてくれたのだった。それに新しい家庭教師の先生は、ろくに何も教えてくれなかった。貴族社会のお勉強などと称して、お茶を飲みながら世間話をしているだけだった。まぁその世間話も色々な赤裸々な噂話や下世話な話などが中心で、ジニーは楽しかったのだが。それが田舎にいる家庭教師の普通なのだった。コートは例外的にクソ真面目だったのだ。彼は一生懸命に教えてくれた。彼が必要だと思うことを。ジニーが知りたいと思うことを。授業は毎回素晴らしかった。ジニーは深く感謝した。もう2度と会えないだろうが、毎日先生の幸せを祈ろうと思った。3日で飽きた。

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