スレスレの恋 後編
今回の登場人物
・姫森仙弥 普通科の二年生。男子。ちょっとだけ闇を暴露される。
・西園果穂 商業科の二年生。女子。ただ捕まってないだけの人。
「結局さ、ショー君とまーちゃん一家の関係性って何だったの?」
仙弥がまだ明るみに出ていない謎の解明に迫った。
「あー、それは……」
仙弥の疑問を受けた果穂は難しい表情をして考えこんでしまった。
「いえないなら、そんな無理しなくていいんだけど」
「ごめん、そういうわけじゃないんだけど、ちょっと複雑で。えっと、まーちゃんのお父さんがショー君のお兄さんと幼馴染同士で」
「あー、そういうことか」
「そうそう、それでたまたま同じマンションの同じ階に住んでることがわかって」
「はいはいはい、なるほどね」
「それでまーちゃんのお母さんとショー君が同い年で、さっきいったけどそのお母さんはかなりの恋愛脳だったから」
「だから、彼女いないショー君はまんまとそのターゲットにされてたってわけね?」
「うん。そんな感じで奥さんにも子供たちにも気に入られて、仲良く交流してたんだって」
「そうだったのか。じゃあ、動画は何で投稿しなくなったの?」
「それは単純に面倒でやめたって」
「そんなもんなんだな……でも、これでやっと伏線の回収ができた」
「はは、そんな大層な伏線だったかな?」
「大事なことだよ。それで、果穂はついにショー君と出会って、彼の住所を押さえ、連絡先も交換したな?」
「うん」
二人はこれまでの話の流れを簡単にまとめた。
「それで……いつ付き合ったの?告白はどっちから?」
仙弥はふたたびインタビューを始めた。
「えっと、お付き合い自体は最近なんだけど、告白は私から常にしてて」
「常に?常にって、どういうこと?」
新たな謎がすぐに出た。仙弥は顔を輝かせた。
「そういう知識が全然なかったんだ、私。だから、どうしていいかわからなくて、その、ずっと、ほとんど毎週のようにショー君のマンションに通って」
「おお!!いいじゃん!!」
「それで……彼と会うたびに……『好きです』って」
「いってたの!?ヤバ!!それで、向こうの、ショー君の反応は!?」
「全然相手にされない。ハイハイ、って感じで」
「ええ!?今をときめくJKに告られて、そんな感じなの!?耐性すごすぎない!?」
「うーん、というか、女として見られてなかったんだと思う。子供扱いされてたというか」
「ああ、そっちか……いやでも俺、果穂に……」
仙弥はそこで言葉を切り、果穂を見つめた。目の前の高校二年生は間違いなく女性としても魅力的だと再認識する。仙弥はこの子に迫られて、それで平常でいられる男が本当にいるのか疑問に思った。ショー君という成人男性の人間性を分析するため、彼は一度視野を広げることにした。これまでの話を振り返ると、ショー君は危機管理能力が高いということがわかっていた。それなのに、果穂を家に招き入れている。仙弥はここに矛盾を感じた。この時点で、ショー君は果穂に対して悪い感情にはさせられていないはず。むしろ……。
「ショー君の家って、中はどんな感じ?」
「えっと、いつも綺麗に片付いてる。ちゃんと整理整頓されてて、ウォーターサーバーもあって、料理するのにキッチンも綺麗で」
「車は持ってる?」
「うん」
「車種は……わかんないよな。どんな車?」
「えっと、ファミリーカーみたいな大きい車じゃないんだけど、普通の車より中が広いタイプの車」
「ステーションワゴン系かな?そうかそうか……」
仙弥は自分とは決定的に違う点をショー君の内面に見出した。それは彼が性欲をコントロールできるタイプの人間であるということだった。話には聞いたことがあった。そういう人間が世の中にはいて、たいていの場合そのタイプに属する人間は経済的に余裕がある、という情報もどこかで見聞きした覚えがあった。
「ショー君って、すごい人かもしれん。普通だったら果穂みたいな人に好きとかいわれたら……ちょっと、この先はやめておくか。それで、えーっと、子供扱いされて困った果穂は、どうやってその難攻不落の城を落そうと?」
「だからそっから、めっちゃくちゃ勉強してさ。ネットとか雑誌とかで」
「あぁー、年上の彼の落とし方、みたいなやつ?」
「そうそうそう、それを必死に頭に叩き込んで」
「お前、かわいいな!?で、実践したの!?」
「うん。ご飯作ってみたり、ちょっとずつボティタッチを多くしてみたり」
「そういうのが載ってるんだ!?知らなかった。他には!?」
「名前をさん付けで呼ぶと喜ぶって書いてあったから、それもやった。ショーイチっていう名前だから『ショーイチさん』って彼の事呼んだら『それだけはやめろ!!』って怒られて。だから、今もずっとショー君って呼んでるんだけど」
「ははははは!!」
仙弥は確信した。ショー君は確実に果穂にときめいている。おそらくその時の彼は決心が揺らぎそうになったに違いない。
「いいね、いいね!!それでショー君はだんだん態度を軟化させていったの?」
「いや……正直いって、全然わからなくて。私もだんだんイライラが」
「募ってしまったのか。そのイライラはどうやって発散した?」
「ずーっと我慢してた」
「怖!!それ、いつか爆発するじゃん!!」
「したよ」
「ははははは!!ほら、そうじゃん!!」
「だって……まーちゃんには甘々なのにさ」
果穂の拗ねた表情に仙弥はドギマギさせられた。
「はは、かわいいなお前!?なんか手応えがあった出来事とかもなく!?」
「手応え、か……」
「あえて無視してみるとか、そういう戦法はなかったの?」
「あった!!それもやった!!……でも」
「でも?」
「二、三週間連絡をとらないで彼と会わないようにしてみよう、みたいなのがあって……彼のマンションに行く前、いったん彼に連絡してから行くようにしてたのね?」
「ああ、不在だと困るしな?」
「うん。で、それをしないで一週間目にさっそく効果があって」
「おお!?どんな!?」
「『今日は来ないのか?』って。初めて彼の方から連絡があったから、それだけでもう嬉しくて、舞い上がっちゃったんだけど」
「だけど?」
「私の方が耐えきれなくて、その日の夕方速攻で会いに行った」
「あはははは、かわいいエピソードがたくさん出てくるな!?」
「この作戦はもうできないなって思った。でもここだけの話、今でもたまにやっちゃうんだけどね」
「なんも予定ないのに、行けないフリして?」
「そう。朝はそれで、夕方にはもう、ダッシュ」
「ははははは、癖になってんじゃん!?」
「そう、会えない時間が苦しいんだけど、それを乗り越えた後の、なんていうんだろう」
「多幸感だ!?」
「うん、それがたまに味わいたくなる」
「ははははは!!ショー君は薬物か!?」
「冗談抜きで、会うたびに彼に対する気持ちがどんどん高まっていってさ。それとイライラも同時に蓄積していって……おかしくなる一歩手前ぐらいまではいってたと思う」
「それを一年間も!?」
「そう、ずーっと片思い。今度は動画じゃなくって、すごく近い距離なのに。ショー君は私に全然……振り向く気配すら見せてくれなかった」
「……」
仙弥は再び考えた。果たして、それは本当なのだろうか。ここで彼なりに果穂という人物を分析した。彼女は少々、暴走しやすい、危うい傾向がある。そんな彼女が年上の男性の微妙な変化を察することは出来るのだろうか。それに先ほど果穂が見せた拗ねた顔。あの表情のかわいさといったら……。自分のことを好きだというような相手のあんなものを間近で見せられて、ショー君はなぜ平気でいられたのか?それは、彼女の視点からでしか彼の様子がわからないからではないだろうか。実は、ショー君は全然平気じゃなかった。だとしたら彼は一年もの間……仙弥は同じ男として彼の鋼鉄の下半身を尊敬し、同時に畏怖の念を抱いた。
「それは困ったな。それじゃあ、二人の仲は急に発展したってこと?」
「うーん……最後は力押しだった、かな」
「へぇ~」
これは少し覚悟をしなければならない、と仙弥は思った。彼女のいう「力押し」がどのぐらいのものか、彼は心の中で静かに推し量った。
「……じゃあ、二人の間柄を決定づける、確かな出来事があった……ってことだね?」
なるべく慎重に言葉を選んだ。仙弥は彼女にこのまま最後まで自分の物語を突っ走ってもらいたかった。
「うん……私、中華屋でバイトしてるんだけどさ、そこにほぼ同じ時期に入った大学生のお兄さんがいるのね?そのお兄さんが、ちょっと不思議な人で」
「ちょっと待って」
物語が突如、仙弥の思い描いていた方向とは異なる方向へと舵を切った。
「なんでお前のまわりはそんな素敵なお兄さんばかり現れるんだよ!!少女漫画の主人公か!?あっ!!母子家庭で、助けてもらった年上のお兄さんと純愛してて……主人公だ!!お前、主人公だったんだ!!」
仙弥が嬉しそうに一人で盛り上がるのを、果穂は苦笑しながら眺めた。
「いや、話の腰を折ってゴメン。お前の話があまりにも面白すぎて。今俺、めちゃくちゃ感情移入してるんだ。ゴメンね、続けてもらえる?」
「うん。それでそのお兄さんと私、基本的にはバイトの時間がズレてるから普段はあんまり会わないの。で、その日バイトが終わってから、いつもはそんなことしないですぐ帰るんだけど、その日はたまたまなんか疲れちゃってて。それで、ロッカールームとは別の従業員休憩室みたいなところがあるんだけど、そこでちょっと休んでから帰ろうと思って」
「中華屋なのに、施設がえらい充実してるんだな?チェーン店?」
「ううん、個人のお店なんだけど結構おっきい店で、そこのおかみさんが福利厚生とか、あとそういう清潔感のある場所とかにも、すごいこだわりのある人で」
「へぇ~、すごいね」
「うん。それで休憩室で休んでたら、そのお兄さんが、ふふっ」
「どうしたの?」
「いや、ごめん。そのお兄さんが缶詰を、果物の缶詰を両手にいっぱい持ってきて、ふふふ」
思い出し笑いをしながら果穂は両手に缶詰を持つその人物の真似をした。
「そのお兄さんはそういう人だと思ってなかったから、ごめん。わかんないよね?」
「ああ~……キャラの話?」
「そうそう。そのお兄さんはあんまり喋んない人で、眼鏡かけてて」
「クールな感じなのね?」
「そう、それでそういうことする人物像とかけ離れてたから、なんかおかしくなっちゃって。ゴメン」
「いや、いいよいいよ。知的な雰囲気のあるお兄さん?」
「うん、よくわかるね?まさにそんな感じの人で、缶詰を机に並べて始めて。私の他にまわりには誰もいなかったんだけど」
「うんうん」
「で、それを並べ終わったら、私と目が合ったのね?そしたら、そのお兄さんが『そういうことか』っていってきて」
「なになに!?どういうこと!?全然わかんない、えっ!?どういうこと!?」
「私も全然意味がわからなくて、クエスチョンマークだらけでそのお兄さんを見つめてたんだけど、そしたらそのお兄さん、今度は缶詰を袋に詰めだして『幸せのおすそ分け』って。私にその袋を渡してきて」
「マジで意味不明だな!?不思議な人……不思議なお兄さんだ!!まさに!!」
「そう。で、そのお兄さんは前から不思議な人で、これは私じゃなくて夜もホールで働いてる女の子の話なんだけど、ある日、子連れのお客さんが帰ろうとして立ち上がった瞬間ぐらいときに、その子にモップとバケツを渡して『ゴメン、君にしか頼めない』っていって厨房に引っ込んでいったんだって。あ、そのお兄さん、普段は厨房で働いてるんだけど」
「……??」
「で次の瞬間、立ち上がった子供が戻しちゃってて」
「はあ!?……未来予知……未来予知お兄さんってこと!?」
「そう。そのお兄さんが女子更衣室でキャーキャー噂されてるのをよく聞くんだよね」
「……」
未来予知お兄さん。そんなバカな、とも思ったが仙弥はこの後その存在を信じざるを得なくなる。
「それで私は困惑したまま何も出来なくて、そしたらお兄さんが色々話し始めて」
「うん、どんな話?」
「まずお兄さんには『さっちゃん』という彼女がいて、その彼女の実家から缶詰が大量に送られてきたっていうことで」
「あ、それでバイト先に差し入れじゃないけど、持ってきたわけだ?」
「そう。それで『幸せのおすそ分け』っていうのは、その『さっちゃん』のお告げなんだって」
「ちょっと……ヤバそうな」
「うん。ヤバい彼女だった」
「えっ!?会ったことあんの!?」
「その場で写真見せてもらっただけだけど」
「どんな人だった!?」
「なんか……子ザルのような、少年のような女の人だった。かわいいんだけどね?金髪のショートヘア―にピンクのインナーカラーが入っててって感じで、全然そのお兄さんとはまったく」
「正反対の人だ!!そんなカップルもこの世には存在するのか!!一体どこで出会うんだ、そういう人たちは!?」
「土手で拾ってきた。なんていってて、その時は冗談だと思って笑ってたけど、今考えると本当かもしれないって思えてきた」
「……怖い話だな」
「本当に怖いのはここからなんだけど、そのお兄さんにいわれたことが……」
「なになに!?すげー気になる!!」
「『君の運命を少しだけ早めることができるかもしれないから、ちょっとだけ協力させてくれる?』って話し始めて」
仙弥は黙って未来予知お兄さんの言葉を聞こうとした。
「『今日はまっすぐ帰らずに、彼の所にこの缶詰をもっていってあげて』っていうの」
「『彼』ってショー君のことだよね?果穂、そのお兄さんに」
「話したことない」
果穂が笑いながら怯えた声を出し始めた。仙弥も怯えた声を出して場を盛り上げた。
「それで『今日は食べないだろうから、すぐに冷蔵庫で冷やすといいよ』っていわれて」
「予言だ!!未来予知はじまってる!!」
「『お互いに不安定になってるから、それを今日で終わりにしよう。彼の目が覚めて、朝になる頃には君は望むべきものを手に入れてる。絶対にうまくいくから大丈夫』って」
「……それで、終わり?」
「うん。あ、でも帰り際に『彼は君の苦手な状態で帰ってくるけど、彼なら平気だから支えてあげて』ともいわれた」
「なんで……なんでそういう人たちって、はっきりいわねぇんだ!?」
「そうだよね!?私もパイナップルと桃の缶詰を持たされて、なんかもう、それ!!それとまったく同じこと考えて!!」
「なんでそんな能力あるのに中華屋で鍋ふってんだよ!!??」
「そうだよ、そうだよね!?」
二人は不思議なお兄さんが時を越えて残したものに興奮し、取り乱し始めた。
「……落ち着いたか?」
「……うん、なんとか」
得体の知れないスピリチュアルなお兄さんが残した暗黒物質に興奮させられた二人は、なんとか平常を取り戻していた。
「それで果物の缶詰持って、果穂はショー君のマンションに?」
「うん、行った」
「それで?」
「しばらく、待ってたかな。そしたらボテボテと、ゾンビみたいにゆっくり歩いてくるシルエットが近づいてきて」
「ああ!!それが!?」
「ショー君だった。彼が珍しく酔っ払って帰ってきて」
「予言!!」
「そう、当たってた」
「わーお……」
仙弥は鳥肌が立った。ショー君が帰ってきた。果穂の苦手な酔っ払った成人男性の姿で。
「それで……お前、どうしたの?」
「いや、普通に部屋に入るの手伝ったよ。足取りがヤバかったし」
「平気だったのかよ!?」
「ショー君だから」
「……」
都合のいい恐怖症もあったものだ。仙弥はその言葉を飲み込んだ。
「それで部屋まで付き添った果穂はショー君の介抱をして?」
「うん、なんとかベッドまで連れて行って、ネクタイ外して、缶詰を冷やして」
「あ、そうだ!!予言の缶詰!!それで?」
「それで……彼ずっと謝ってた。『ごめぇん、ごめぇん』て」
「それは……誰に?」
「……わからない」
果穂が首を横に振った。仙弥が考えたのは二つの可能性だった。ひとつは仕事関係、もうひとつは果穂に対して。あるいはその両方だろうか。どちらにせよ彼に答えは導き出せなかった。
「で、ショー君はどうなったの?」
「そのままおっきなイビキかいて寝たと思ったら、寝息も落ち着いていって」
「うん」
「……あ、彼のベルトを外したんだった」
「ええ!?」
仙弥は怪しげな場所にスポットライトが当たったことに驚いた。
「なんか、そうだ。調べながら介抱したんだった。衣服を緩めるといい、って書いてあって」
「ああ、そういうことか」
仙弥はガッカリな気持ち半分でホッとした。
「彼をどんどん脱がしていって……で、私その時気づいたんだよね」
「何に?」
「次の日、日曜日だって」
「あー、いつもショー君と会う日でしょ?」
「それで、気づいたことがもう一個あって」
「なんですか?」
「うちのママ、旅行中で家にいないって」
「お……」
そう、仙弥が心配したのはまさにこういう事態だった。親という監視から外れた彼女は何をするかわからない。そして、その状態の彼女は姫森仙弥の期待する以上のことをするに違いない。
「お泊りチャンス到来……ってこと?」
「うん」
果穂が妖しく笑った。仙弥は彼女の顔に魅せらながら神に祈った。神様、これから彼女のすることが、どうか、どうか合法的なことであってください。お泊りの時点でアウトですけど、それでも、何卒、何卒……。
「それで、果穂は何をしたの?」
遠回しに聞くつもりが直球になっていた。姫森仙弥、痛恨の失投。
「まず彼の手を見てさ」
「うん」
「男の人の手だなって思って」
「そら、そうだろ」
思ったような過激な内容は返ってこない。仙弥の脳内で、ストライクのカウンターランプが一つ点いた。
「それで手をじっと見てさ、この手が私に触れてくることは無かったなって……」
「あぁ……いつも、果穂の方からばっかりでってことね?」
「うん……」
良かった。綺麗な話になりそうだ。ポンポンと追い込んでツーストライクをとった。このまま、どうか、このまま……。
「だから、彼のその指先にちょっと軽くチュッてして」
危険な球がいった。果穂という恐ろしいモンスターは顔面スレスレのその危険な球を顔色一つ変えずに処理した。しかし、まだだ。処理されたその球は遠く遠く、軽々と場外へ飛んだ気はするものの、フェアゾーンには飛んでいない。まだまだ、勝負はこれからだ。
「軽く、な?」
怖くて続きが聞けない。仙弥は一度ロージンバックを手に取り、握りしめた。
「ショー君の寝顔、可愛くってさ……」
その間に打席を外した果穂は軽く素振りをした。次の瞬間、その素振りはすさまじい突風を巻き起こし、仙弥の身につけているものすべてを彼方まで吹き飛ばした。
「そのまま、チュッて」
もはや勝負はあった。初めから間違っていた。それは怪物に野球で挑むという無謀な戦いを選んだ仙弥のミスだった。
「おいおいおい!!やるなぁ!?そんな話、聞いちゃっていいの!?」
彼は敵の軍門に下った。そしてまた、マイルドな、もっと綺麗なシナリオの構想をその小さな頭の中で練った。
「うん、大丈夫……そこで私さ、爆発しちゃって」
「爆発……イライラの、だ!?」
「そう。こんなに人を好きにさせといて、一年間なにもしてこないで、って思ってたら、そこでブチっと……」
「キレたんだ!?」
「うん」
「……具体的になにを、したの?」
「服を脱いで」
「果穂が!?」
「そう。裸になって、そのまま彼の布団にもぐりこんだの。寝ている彼の手を持ってきて、私を抱きしめさせて」
「……!!」
今日初めて、仙弥は言葉を失った。それはあえての沈黙でもなく、文字通りの絶句だった。彼をそうさせたのは、果穂の犯罪の告白に対してではなかった。ただ一つの純粋な愛はそんなにも簡単に人間を狂わせるという事象。その事に対して他ならなかった。
「ふふふ。アンタなら、そういう反応してくれると思った」
「あ……え!?」
「なんとなく、そう思ったんだよね。話しやすいとか、そういうんじゃなくて……同年代のバカな男子たちとは違う、もっと違うバカさがアンタにはあるって、なんかそう思ってさ」
「それって、褒めてる?」
「どうだろうね」
果穂が妖しく笑いながらはぐらかした。仙弥の心臓は、またしてもその笑みに鼓動の支配を許した。
「でも、安心して。その時は何も起こらなかったから」
仙弥が大きくひとつ息を吐いた。
「ふふふ。その後、すぐ目を覚ましたショー君にちゃんと怒られたんだ」
「ずいぶんと嬉しそうに話すんだな?」
仙弥は果穂の表情から察して話の終着点が近くなってきたことを予測した。
「うん。で、私もちょっとおかしくなる寸前だったっていったじゃん?」
「ああ、いってたな……」
始めからだいぶおかしいぞ、とはいえなかった。
「だからものすごく……ケンカになった」
「おお!!魂のぶつかり合いだ!!」
「うん、ショー君は法律の話を延々として、私がそれにブチギレれて……ホントにちょっと、再現できないぐらいに醜く言い争いをしてさ」
「ははは」
その部分も知りたかった仙弥は心の中でがっかりした。
「覚えてる限りで構わないんだけど、どんなこと言い合ったの?」
「えーっとね。まず私がめっちゃ怒られて、それで私は泣いて『私のことが嫌いなら永久に姿を見せません』『嫌いなら嫌いって言って』って、彼に対していったの」
「うわ!?結構勝負に出たんだ!?」
「その場の勢いだったけど、その時は本気でそう思ってたから」
理想と現実の入り混じった熱情を想像し、仙弥は興奮した。
「それでショー君は!?」
「しばらく考えちゃって……彼って、なんか愛情表現が苦手でさ」
「ああ、なるほど」
最初の方に話していた動画のことを思い出し、仙弥は納得した。
「私はそれ知ってるから、正直もうその時点で『勝った』とは思ってたんだけど」
「ははははは!!悩んじゃってるもんな!?もうそれは答えだよな!?」
「そう!!それで『なんで俺なんだ』とか『もっと普通の恋愛をしなさい』とかいってきたんだけど、私は『あなたが好きです』『あなたがいいです』の一点張りで通して。それで最終的に『法律という高い壁がある』ってなんかもう……難しい話をいっぱいし始めて」
「法律か……でも、その問題もなんとかしたんでしょ?」
「うん。私がブチギレながら『法律法律っていうけど、具体的に何歳になったらいいの!!どうしたら許されるの!!私それまで待つもん!!』って喉が千切れんばかりに叫んでさ」
「ははははは!!でも、それ……確かにそうだよな……それで、調べたのか?」
果穂はニヤリと笑って頷いた。
「その場で調べてもらったら、親の承諾があれば17歳からそういう関係になっても大丈夫だってわかって」
「17歳か、意外と……17歳!?あれ!?俺たちって」
「そう、私8月誕生日でさ、そこで17歳になるの」
「それじゃあ!?」
「それを調べた法律事務所のホームページに広告が出てて、それが京都の花火大会の広告だったんだけど、それがちょうど8月にあって」
「まさか!?」
「それをその場で予約させて、『行きたい』って駄々こねて」
「……いいね!!」
「ショー君は『親の許可が取れなかったら行かねぇからな!?』っていいながら、チケットの予約してくれて」
「甘々だね、ショー君」
「うん、なんだかんだいってね。それで、ついにママとも会わせて」
「おお!!ついに、念願の!?それで!?」
「謝罪スタートだったの。ショー君がスーツで家の玄関の前で頭を下げて『今まで勝手な真似して申し訳ございませんでした』『娘さんには指一本触れていません』っていって」
「ははは」
明らかな嘘に乾いた笑いが出た。しかしそれが大人の世界だということも仙弥はわかっていた。
「それでママが『顔を上げて中に入ってください』っていって、ママとショー君が顔を合わせた瞬間だよね」
「えっ、なに!?」
「二人、知り合いだったというか、ママのお店にショー君がお客さんとして何回か行ってたみたいで。ふふふ、お互い『ええぇぇ!!??』ってなってて」
「すげぇな!?そんなことあんのか!?」
「ママはお店で結構私の話をショー君にしてたみたいで」
「オモシロ!!なにそれ!?どんな話してたんだ!?」
「それはわかんないんだけど、で結局ママはすんなりと許してくれて」
「そんなんでいいの!?ママと一年ギスギスしてたんだよね!?」
「ずっとじゃないんだけど、その話題になると毎回ケンカみたいにはなってた。で、そこでママから再婚相手との気遣いの話とかも聞いて」
「そういうことね!!あー、それでもう……バッチリだ!?」
「そう、バッチリ。だから私、8月のその花火大会が終わったら大人になってるんだ」
「うわぁぁああ!!!!なにその話!!??超良い!!!!」
仙弥は身もだえして歓喜を表した。
「お前の話は面白すぎる!!売ろう!!面白かったよ!!」
仙弥はあらん限りの賛辞を果穂に送った。
「夏休み終わったらまた来てくれよ。果穂とショー君の京都珍道中の旅、聞きたいから。いや、いつでも来てくれ!!この場所には女子が足りない!!今回の件で気付いたわ!!女子の話の方が圧倒的に面白い!!俺の話でも他の誰かの話でも、聞きに来るだけでいいから!!今日はたまたま誰もいないけど、いつでもここ、誰かしらいるからさ!!」
「……いいの?結構人見知りだよ、私」
「いいよ!!皆、人見知りだもん!!男の娘もいるし、何もできない芸能科の後輩女子とかもいるから!!」
「芸能科?へぇ……会ってみたいかも」
「だろ!?マジで面白いから、そいつ!!意味のわかんねぇ小っちゃい石の写真とか送ってくるから!!」
「ふふ、なにそれ?」
「ちょっと待って……あったあった。コレコレ。なんか今日、林間学校で山奥にいるらしくってさ……」
広い広い虎卯兎学園の敷地の隅の隅にその場所はある。本日の人影は二つだけ。その影はもう少しだけそこへ留まり、少しの毒入りの笑いにその身を興じた。