閃きと真実に少々の悪意を添えて
私立虎卯兎学園。生徒数2000人超を誇るマンモス高校の広大な敷地の隅の隅にプレハブ小屋がある。本日、小屋の中には三つの人影があり……。
「じゃあ今から取り調べを始めるけど」
「ちょ、ちょっと先輩」
仙弥の脅し文句に向かいのソファに腰かけたその子はすっかり恐縮しきりといった様子だった。まず、ちよが驚いたのはその子の声だった。ノックのあとに礼儀正しく「失礼します」という声がした。その声色といったらまさに女子そのものであり、しかも自分のものよりもずっと可愛らしい声だったのがショックだった。次に驚いたのはその子の体つきで、華奢な曲線美が浮かび上がらせたシルエットはいかにも男子受けがよさそうなものだった。ちよが勝っている部分があるとすれば、僅差で胸の大きさぐらいで立ち振る舞いも仕草も、下手をすれば自分よりもずっと女子らしいものだった。誰かに教えられなければ、目の前のその子が男の子であるということに絶対に気が付かないだろうと、ちよは確信した。
「冗談冗談。もしいい出し辛い事とかあったら無理に話さなくていいからさ、この場で話せる範囲で何があったか教えてよ」
仙弥は先ほど脅した人物とは思えないほど態度を軟化させた。それが相手の緊張をほぐすための彼の精一杯の技術だった。
「ボクは……」
ちよは食い入るようにユキの顔を見つめた。透明感のある白さのもちもちとした小顔。口元にあるほくろがユキに足りなそうなものを完全に補っている。……もっと頑張らないといけない。ふいにそう思った。目の前の生命体にちよは謎の焦りを感じた。
「ハルト君のことが大好きで……」
仙弥は悲痛な面持ちで黙り、頷きながら次の言葉を待った。『ハルト君』とはユキの恋人のことだ。仙弥から聞いていた前情報から、ちよは察した。
「大好きで……でも、そんなつもりはなくて、でも、どうしたらいいか、わからなくて……」
断片的な情報ばかりが出てくる。話の核心の部分がなかなか出てこない。
「今までずっと……二人だけで、ずっとずっと二人だけで過ごしてきたから、誰にも相談出来なくて……」
とうとう泣き出したユキに仙弥はそっとハンドタオルを差し出した。
「ありがとう、ございます。……あの、姫森先輩ですよね?」
ハンドタオルで涙を拭きながらユキは仙弥にたずねた。
「俺?そう、姫森。姫森仙弥。よく知ってるね。もしかして俺って、一年生の間では有名人だったりする?」
「あの、ふふふ……はい」
「ちょっと……今の笑いは感じ悪かったけど、今回は大目に見てあげる。俺が知りたいのは、なんでハルト君と喧嘩というか……彼はなぜ君に怒ってたのか、だね。君の愛しの彼氏がなぜプンプンだったのか。その理由が聞きたいんだ」
「……」
柔らかい笑顔でたずねた仙弥だったが、ユキは下を向いて黙ってしまった。
「いいづらいか。そしたら質問を変えよう。ハルト君の好きなところ、教えて?」
「……」
「いくつでもいいよ?力持ちなところ?ごはんいっぱい食べるところ?」
「力持ち……ふふ、ハルト君、スポーツも勉強もできて、好きです。一緒にごはん食べるときも『ユキ、これ美味しいから食べて』っていってくれたり、いつも食べるのが遅いボクにペースを合わせてくれて……」
「あー、優しいんだ?」
ユキは恥ずかしそうに笑いながら頷いた。仙弥は優しく微笑んでいた。質問を変える、ただそれだけのことで仙弥は相手との心の距離をグッと近づけた。ちよは仙弥のその能力にいつも感心させられていた。
「いいねぇ。俺、ハルト君みたいな男子好きだよ。彼、動物とか好きそうだよね?」
「はい、動物好きです。ボクも動物好きだから……ボクたち、ワンちゃんの保護センターによく行くんですけど」
「へぇ、それって何するところなの?」
「中で保護犬たちとふれあえるんです」
「そうなの!?それはいいね!!俺も……いや、なんでもない。続けて?」
仙弥が飲み込んだ言葉の続きがわかったちよは彼を睨みつけた。それは「俺も機会があったら使わせてもらうわ」と言いたかったに違いなかった。
「それで色んなワンちゃんがいるんですけど、やっぱり保護犬だから人慣れしてないワンちゃんも中にはいて。ボクたちが一目ぼれしたワンちゃんもそういう子で、始めは全然その子に近寄れもしなくて。でも二人で根気強く通って……やっとその子に触れるまで仲良くなれて……」
「すげぇ!!そんなドキュメンタリー番組みたいなことしてんだ!?二人で!?うらやましい……」
仙弥は心の底からしみじみと羨ましがるそぶりを見せた。何かを想像する彼の姿をちよは冷めた目で見つめた。
「それでそれで?」
仙弥が続きを促した。するとゆっくりとユキの表情が曇っていった。
「やっと仲良くなったその子を撫でられて、二人で喜んで……結婚して、二人で暮らせるようになったら……ワンちゃん、飼おうねって……」
ユキはどんどん顔を下に向けていく。どうやら話の核心が近いらしい。
「ボクは……ボクは、ハルト君の子供を産んであげられないから……」
そこまでいってユキはまたしても黙ってしまった。仙弥は目を閉じて腕を組み、うんうんと頷いた。ややあってから、彼は目と口を同時に開いた。
「……なーるほど。ハルト君と甘い時間を過ごしているうちにどんどん彼のいい所に気付いていって、でも結果としてそれは君にとっては悲しい現実だった……ってわけだね?で、なんとなく彼からの連絡とかも既読スルーとかしちゃって、でも結局気になるから夜中に何度もスマホ見ちゃったりしてるわけだ!?彼からの新しいメッセージが無いかって!?そうやって彼からの連絡を待ちながらも、いつも通り笑って彼と過ごせる自信がなくなったから、なんとなく会えなくなって、なんとなく彼を避けちゃって、それでわけもわからずシカトされてると思ったハルト君がついにブチギレて今朝のアレか!!ソラハレモヒレルッレ!!!ハルロルンララルルライ!!!!」
仙弥の言葉は後半にかけてどんどんピッチをあげ、最後の方はもうほとんど何をいっているのかすらわからない速度になっていた。
「そこまでいってないじゃないですか。あと最後何いってるのかわからないです」
ちよがやや妄想まじりの仙弥の言動をたしなめた。
「いえ、ほんとんど合ってます。怖いくらいに。最後のはわからなかったけど」
しかし彼の妄想は現実に近かった。その瞬間、妄想は推理となった。
「ほらね?あと最後は俺も自分でわかんない。興奮しちゃって」
仙弥はヘラヘラと笑ってから真面目な顔つきへと変えた。
「でもね、ユキちゃん。俺、その件に関しては悩む必要はまったく無いと思う」
「養子とか、そういうのじゃダメなの?」
「そう!!そういうこと、おちよ!!いってやって!!」
仙弥がちよを大声で援護した。どうやらまだ彼の興奮は冷めきっていないようだった。
「できれば、彼のその……」
ユキは顔を赤らめて口元をまごつかせた。
「あー、遺伝子的な話ね!?じゃあ、代理母出産とか……それが嫌なのか。完全にわかったわ!!そうか、自分で産みたいんだ!?ハルト君のことが好きすぎて!!自分で!!自らのお腹を痛めて、その愛を昇華させたいんだな!!??」
仙弥のストレートな表現にユキは顔をさらに赤くさせ黙って頷いた。
「ほーい!!見たか!?おちよ!!聞いたか!?おちよ!?」
「はい!!」
「どうだ、この一途な愛!!重い愛だよ!?けど俺はそういう愛が大好き!!この世で一番好き!!応援してやりてぇよなぁ!?」
「はい!!」
突然の熱血二人組のやり取りに、ユキは目を白黒させるばかりだった。
「あ、ごめん。大きい声出しちゃったね。興奮すると自分でも抑えられなくて。でも、俺知ってんだ。将来的にその問題、多分解決するよ」
仙弥は真っすぐに燃える瞳でユキを見つめた。その顔には自信たっぷりといった笑みも添えられていた。
「まだ実験段階の話だけど、卵子を使わないでマウスを妊娠させた、っていうたしか……イギリスだったと思うんだけど、そういう報告をわたくし聞いたことがあります。それとは別にアメリカの医学会で男の体でも子宮の移植ができる、って。そういう発表があったの知ってる?そういう話も小耳にはさんだことがある」
ちよは仙弥の博学ぶりに舌を巻いた。一体どういう生活をしていたらそういう知識を得られるのか、不思議でたまらなかった。
「実は俺たちってさ、大人は誰もいわないけど、絶対口には出さないけども、大人たちにちょっとだけ煙たがられてる部分がある、そういう暗黒時代の子供たちじゃん?」
「……そうですかね?皆、優しい気がしますけど」
突然ちっとも同意できない意見を提唱した仙弥に、ちよは純粋な疑問を投げた。
「基本はね?でも、無理して優しくしてるんだよ。大人たちは。友達と複数人で遊んでるとき、結構そういう目で見られてるな、って思うときがある。あるんだよ。おちよはわかんないかもしれないけど、マジであるの。それで今、少子高齢化社会でさ、俺たちが大人になる頃の未来って暗いように見えるじゃん?だけど、実は未来って明るいんだよ。無限の可能性があるわけ」
ちよの疑問は力でねじ伏せられた。
「だから!!あきらめるな!!今まで二人だけで、二人っきりで色々乗り越えて来たんだろう!?俺はお前の言葉から色々察した!!変な、クソみたいな連中に心無いことを平気でされたり、いわれたりしたんだろう!?特に昭和の!!厄介おじさんおばさんたちは!!老害老害つって騒いで!!自分たちが老害の才能に溢れていることにも気付かずに!!だからそういう連中を笑ってやるためにもさ!!」
仙弥は怒りの形相でユキに闘魂を叩きこむ。それは彼の魂からの叫びだった。
「……って、これだけいっておいてなんだけど実は、俺は昭和に憧れている部分も結構ある」
表情は怒りのままだったが言葉は冷静に、仙弥は意外な事実を口走った。
「そうなんですか?」
コロコロと変わる仙弥の表情と言葉についていけているのは、その場ではちよだけだった。
「うん。人と人とのつながりというか、そういう……今のネット社会とは反対の文化に憧れてる。そういうのが無くても、皆で助け合って生活するみたいな……昭和ロマンだね。例えばスマホ。友達と遊び行った時とかさ、なるべくいじってほしくないと思ってるから。だから俺は喋りまくって、いじらせる暇をなるべくあたえないようにしている」
「そういうことだったんだ……」
身に覚えのあったちよは納得した。仙弥と寄り道をして帰る時も、彼はお喋りを決してやめない。それにはそういう意味もあったのか。彼女はこれまで知らなかった仙弥の新たな一面を垣間見たのだった。
「うん。話はそれたけど、大丈夫だ、ユキ。大丈夫……って、色々話してる間にちょっと違う考えが浮かんだんだけど、いってもいいかな?」
「……な、なんでしょう?」
仙弥の剛腕によってユキはなんとか話の本筋に引き戻された。
「お前が不安に思ってることって、本当はもっと違うことなんじゃない?」
「何いってるんですか?」
ちよがもっともなことをいった。それをいうならば最初からそうなのだが……。
「いや……その問題って実は建前で、もっと本質的なことが怖いんじゃないか?」
ちよはまったく理解できずに首を傾げながらユキの様子をうかがった。
「……」
わかりやすくユキの顔は青ざめていた。
「そうだ……ほら!!ほら、やっぱそうだ!!お前は本当はハルト君が裏切るんじゃないか、いや、自分が……そうか、自分をどこまでも受け入れるハルト君を試しているんだな!?」
「そうなんですか??」
「そうだよ、俺、雑誌で読んだことがあるんだよ!!恋人同士の試し行為の傾向と対策特集!!」
どんな雑誌呼んでるんだ、この人。と、ちよは心の中で疑問に思いつつも仙弥の知識の幅の広さに驚かされていた。
「……ごめんなさい」
ユキはあっさりと罪を認めた。仙弥が話すだけで二転三転する展開に、ちよは閉口することしかできなかった。
「俺じゃなくてハルトに謝ってこい!!ハルトほどの男なら一回めちゃくちゃ怒って、結局許すと思うけど……思うけど!!いいか!?二度とやるな!!大切な人の信頼を失うことになるぞ!?今ならまだ間に合うから!!で、絶対全部いえよ?ハルトの事、試してたって。お前の気持ちを全部ぶつけて来い。そっから先は知らない。二人の問題だから。ただ……」
仙弥は少し間を開けてから難しい顔をして声を低くした。
「お前は本当にハルトがいないと……終わるぞ?ハルトは別にお前がいなくても何の問題もない。それだけは忘れるな?」
ユキは目を見開いて衝撃を受けた表情を見せた。彼女の心に仙弥の言葉の何かが刺さったのだろう。
「それで全部が丸く収まったらさ、二人でまた遊びに来てくれ。二人の出会いの話とか聞きたいんだ、俺。待ってるから。これは約束してね?」
「……はい」
「大丈夫大丈夫。全部うまくいくから。一緒に……いや、行かない方がいいよね?」
ユキはこくりと頷き、仙弥は満足そうに微笑んだ。
「よくわかりましたね。試し行為だった、なんて」
悩める子羊の去ったあと、二人きりとなったプレハブ小屋の中でちよは仙弥にたずねた。
「あー……俺がさ、実験とか移植との話をした後に話がちょっと横道にそれたじゃん?」
「昭和ロマンの話ですよね?」
「そうそう。でその、横道にそれてるときに脳の興奮状態が一回解けたの」
「あー、そんな感じでしたね」
「その時、本当に突然閃いたの。実験とか移植の事なんて……そんな事、この子は知ってるに決まってるよな、って。……もしや?ってなって」
「えー!?すごい……」
「閃きってなんか……そういう時に起こるらしいよ?」
「へぇ、そうなんだ」
「そうそうそう。考えて考えて煮詰まって、少し休憩をしたその瞬間に、みたいな」
「すごい」
「俺も驚いた。脳の記憶が色々引き出されてさ……こういうこともあるんだね?」
「でも彼女、自分の意思でここに来たんですよね?それって、なんかおかしくないですか?」
「矛盾してるって思った?でも矛盾してないんだよ。今回の大切なポイントはそこなんだけど……おそらくだよ?本当のことはユキちゃんにしかわからないことだけど……」
「はい」
「彼女、話すのめちゃくちゃ下手じゃなかった?」
「まぁ、先輩よりは」
「おいおい、それって……褒めてる?」
「はい」
「ありがとう、お前さんは本当にいい後輩だ。それで、俺はユキちゃんの人となりというか、これまでの歴史みたいなのを想像したの。最初に『ずっと二人だけで』って口走ったじゃない?その瞬間に俺は、あー、今まで本当に友達もいなくて、誰かにからかわれたりだとか、ちょっかい出されたりとかしてもハルト君がずーっと守っててくれたんだなぁ、って想像して。で、このカップルは幼馴染なんだなってプロファイリングして」
「それだけでですか?」
「うん。決めつけだね。俺の予想では多分ハルト君も口下手だと思う。だから、ここに二人で遊びに来てもらって、ちょっとづつ話術スキルをあげてもらえれば、そのうち真実がわかると思うんだけど……」
仙弥は一呼吸おいた。ちよは黙って彼の次の言葉を待った。
「あの……最初の方で『どうしたらいいかわからない』ともいってたでしょ?だから……多分だよ?多分なんだけど、本当にユキちゃん自身も自分の行動がわからなかったんだと思う」
「どういうことですか?」
「自分で自分の行動がねぇ、止められなかったんじゃないかな。それで……誰かに止めてほしかったんじゃないかな、って。ユキちゃん……というか、ハルト君もだけど、二人とも淡い恋心なんてのは遥かに越えていて、なんていうかな……心の内の、愛と憎しみが凄まじく渦巻いてたんじゃないかな?それこそ、自分の意思ではどうにもできないぐらいに」
「はえー」
「じゃないと……やっぱりそういう関係にならないと思ったんだよ。二人はすでに性別という高い壁を越えてるんだから」
「……愛ですね」
「そう、愛だよ」
「先輩、珍しく厳しいこともいってましたね?」
「え?」
「お前は終わるぞ、なんて……ほとんど脅迫してましたよ?」
「まぁまぁまぁ……うん。それはね、もったいないって思っちゃったから」
「もったいない?」
「そう。絶対に二人には別れてほしくないって。そう思ったから。だからこれを機に洗脳してやろうと思って。俺はユキちゃんを洗脳してヤンデレ化させたわけ。もうそれは完全に俺のエゴであり、悪意だよね。ガチムチのクマ系男子と可愛い男の娘のカップリングなんて、どんな手を使ってでも絶対に守らなきゃダメだろう?俺たち、カプ厨としては」
「……はい!!」
それが例え一般的に許されない行為であったとしても、彼女は仙弥と同じ思想を持っている。そのことが今日はっきりと明らかになった瞬間であった。
「さて……帰るか」
「えぇ?もう帰るんですか?」
「じゃあ、なんか食いに行くか?あ、でも節制してるからダメなのか」
「飲み物なら大丈夫です。カフェとか連れてってくださいよ、先輩」
「知らねーわ。カフェとか、行かねぇもん。……チェーン店でもいい?」
「はい!!」
「商業科にアツシっていうヤツがいてさ……」
お喋り好きな男子生徒とお喋り好きな男子生徒が好きな女子生徒。二人は今日も仲良く連れ立って歩きだした。
私立虎卯兎学園。生徒数2000人超を誇るマンモス高校の広大な敷地の隅の隅にプレハブ小屋がある。黄昏時の中、二つの人影はその小屋から離れていった。