1-5 鼓動するモノ
木の葉をフワフワさせて数日、アドエルは大切なことに気が付いてしまった。
(……僕なんで木の葉をフワフワさせてるんだっけ? 退屈だったから?)
違う、そうではなかった。狩りに役立ちそうな魔法が使えるようになりたかったのだ。
魔法の訓練を開始してからかなり期間も経っており、アドエルの最大魔力も成長に伴ってか、いくらか増大していた。そのお陰か、木の葉を浮かしてられる時間はかなり長くはなったが、強い魔法についてはそこまで変化は無かった。
(強い魔法を鍛えるにはどうすればいいんだろ?)
魔力の扱いが上手くなったことは間違いない。その流れで強い魔法も……と期待したがそう上手くはいかないようであった。これまでとはまた別の方向性を模索する必要があった。
その原因の一つとして考えられたのは、強い魔力は複数回送り込もうにも発動を我慢できないということだった。これも繰り返し訓練することで何とかならないかと思い、しばらくは強い魔法の発動を我慢する訓練と木の葉を浮かす訓練を続けていくことにした。
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ある日の晩、いっその事、木の葉を飛ばして何かしらできないかと木の葉をマジマジと見つめていた。
(葉っぱ……葉っぱ……葉っぱ……葉っぱだなぁ……)
どの角度からどう見てもか弱い葉っぱにしか見えない。これがどうにか矢じりのように硬く鋭利な物となってくれないかと、アドエルは半ば諦めながら考えていた。
その時だった、手に持つ儚げな木の葉から微弱な魔力を感じた。
(これは葉っぱの魔力……かな? いや、僕の手から出た魔力か?)
とても微弱なものであったが、確かに魔力を感じた。
とりあえず木の葉を手放し、木の上に置いてじっと見つめてみる。それと同時に木の葉から感じていた魔力をもう感じなくなっていた事が実感できた。
(やっぱり触ってないと魔力はわからないな)
少なくとも何かしら感じれる程度の魔力は確かにそこにあったようだ。
再び手に取り魔力を実感する。やはり木の葉に魔力は存在する。その魔力はこれまで使っていた風を起こす魔法の魔力とは別の感覚だった。
何が違うのかはこの時点ではよくわからなかったが、この時はその魔力がどこから来たものなのかの方が興味があった。
これまで自分の魔力を別のモノに移すといったことはやった試しがなかった。翌日からは魔法の訓練が更に楽しくなっていた。
火の魔法は風を起こす魔法と同様に空気中に火が発生するものであるため、何かに魔力が伝わっている感じは無かった。それならばと土を耕す魔法を使ってみると、地面に魔力が流れている事を感じた。
(これまで何も考えてなかったけど、こんな感じで魔力って流せてたんだ。)
これまでは村のみんなを真似て、手を地面に向けて魔法を使っていたが、魔力は足を伝って地面へと流れていた。試しに手を腰に当て魔法を使ってみると、問題なく魔法は使えた。
(何でみんな手を向けてたんだろう? でも昔は手を向けないと上手く使えなかったような……)
魔力を自分の外に流せることを確認してから、再び木の葉の魔力を見てみた。自分では魔力を流しているつもりはないが、やはり魔力を感じる。
そう思うと日々寝床としている木や川の水、魚など様々なものから魔力を感じることができた。勝手に魔力が流れてしまっているのかとも考えたが、どうやら元より魔力を宿すモノがこの世界には沢山あるようだった。
そして、それらには自分の魔力を流すことができ、体内と同じように循環させ、もう一度自分の中に戻すことができた。
これはアドエルにとってはとても嬉しい事だった。というのもアドエルの最大魔力量は小さい。木の葉を浮かす程度であれば困ることは無いが、今後それなりに大きな魔法を使いたいとなれば、魔力量の上限はもっと多くなってほしい。
しかし、訓練で上がる上限はたかが知れており、成長による増大もいつになるのやら、という状態だったのだ。自分の魔力を移せるものがあれば、必要な時に回収できる水袋のように使える。
最大魔力量は上がらずとも、一日に使える魔力量がこれまでより多くなることを期待した。
そこからは色んな物に自分の魔力を移してみた。木の葉や木の枝はほとんど魔力を移す事ができず、一定量を超えると枯れて朽ちてしまう。魚は……見るも無残に爆ぜた。
(怖っ! 生き物に魔力を流すのはもうやめよう。加減を失敗すると大変だぞこれ……)
身近なもので一番多く魔力を流せたのは物は木だった。でも木を持ち運ぶなんて出来ない。
何かいいものは無いかと数日探し回ったが、そこまで大量に魔力を貯め込めるようなものは見つからなかった。良さげなものとして、黒くてツヤツヤした石をいくつか見つけたが、流せる魔力はそこまで多いとは言えなかった。
いくつかは加減を失敗し、石は朽ちてしまった。それに貯めておけると言っても一時的なものであり、時間が経てば徐々に魔力は少なくなっていた。それでも自分の魔力を余らせてしまうのは勿体ないので、一日に何度か石には魔力を移しておいた。
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そして数日後、魔力を溜め込める物を見つけたことに興奮し、しばらく忘れていたが、ふと木の葉から感じた不思議な魔力を思い出した。色々考えたが木の葉のような様々な物に宿る魔力はやはりそれぞれが持つ固有のモノであり、無意識に自分から移動したものではないと結論付けた。
そう考えたのはその魔力は回収できなかったからだ。何故なのかはまだわからないが、移したり戻したりできるのは自分の魔力だけ。木の葉などにある魔力は確かに感じることは出来たが、日頃扱っている魔力とは感じ方が違う。
なぜ自分のものではない魔力を感じることができたのか。
なぜこの魔力は回収できないのか。
この理由を知ることが、より強い魔力に繋がるのかどうかはよくわからなかったが、わからないモノや知らない事を知ることにはとても興味があった。
自分の中に感じる”弱い魔力”はボヤけた塊のようなものであったが、木の葉から感じるものは更にボヤけたモノだった。どうすればこれをハッキリとしたものとして認識できるようになるのか。目で見ているわけではないので目を凝らしたところで何も変わらない。匂いでもない。
魔力には手を触れることもできない。魔力を感じるという事はそういったことでは無かった。今ある唯一のヒントはより多くの魔力を集めると、そこではハッキリと魔力を実感できるということだった。
しかし、考えれば考えるほど不思議なことは増えていった。体内で魔力を多く集めれば、そこには強く魔力を感じる。それは間違いないのだが、強い魔法の時の魔力と、弱い魔力を複数集めた魔力では、強さとしては似ているはずなのに感じ方が少し違った。
強い魔力として感じる事については大差なかったが、弱い魔力を集めた場合は、強い魔力のように感じるだけでなく個々の弱い魔力も感じることができた。
(同じ場所にあるはずなのに、小さな魔力の感覚はずっと残ってる!)
”強い魔力”と”弱い魔力”との確かな違いだった。それとも”弱い魔力”であるはずなのに”強い魔力”の様に感じる事に疑問を持つべきであったか。
そこで試しに木の葉を何枚か集めて重ねてみた。弱い魔力と同じように重ね合わせれば強い魔力の様に感じられるかと考えた。しかし、感じられたのはいくつかの弱い魔力だけ。やはり同じ場所で魔力が重なっていないと強い魔力のようには感じられないようだ。
黒い石に貯めた魔力の場合も同様で、一つの黒石からは自分の体内ではないが強い魔力としての魔力を感じることができたが、木の葉と同様にいくつかを手に取ってみても感じられるのは個々の黒石に貯めた魔力だけだった。木の葉と違い、黒石の魔力は自分で送り込んだものであるため、何かしら違いがあるのではないかと期待していたが残念だった。
また、弱い魔力は一つではボヤけた”大きな弱い塊”の様に感じたが、強い魔力では”小さく強い塊”の様な感覚があった。これまでも強さの違いについては実感があったが、大きさの違いを意識したのはこれが初めてだった。
”弱い魔力は大きく、強い魔力は小さい”というだけであれば単純だったが、小さな魔力を集め、魔力を強くしていくと感じる魔力も徐々に小さくなっていくことは不思議だった。
ただ疑問が増えるばかりで何も発見が無かったというわけではない。木の葉を重ねて魔力を感じていた時、魔力を感じるには直接触れていなくても、間接的に触れていれば感じることができる事に気が付いた。
あまり遠くは難しいが、手の届く程度の距離であれば枝や木の葉のようなモノや地面などを通じて魔力を感じることができた。そのためには意識的に魔力を感じようとする必要があったが、そのために魔力を消費するわけでもなく、なぜ感じることができるのかはよくわからなかった。
しかしこれまでは魔力を感じることすら出来なかったことを思うと、新たに感じることが出来るようになったのではなく、これまでも感じることができたはずなのに気が付いていなかったのではないかと考えた。
(……とすると、他にも何か感じれるモノが増えてないかな。)
この時は特に以前との違いを見つけることは出来なかった。
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しばらくの間アドエルは弱い魔力を観察し続けた。”観察”と言っても目で見るわけではないのだが。
しかし、目を閉じたり、耳を塞いだりと少しでも魔力に対して意識を集中できるよう色々と試しているうちに、ボヤっとした弱い魔力がいつも似たように”ボヤついている”ように感じた。ボヤつく弱い魔力はまるで鼓動しているかのようだった。
その鼓動は絶え間なく継続的に淡々と続いていた。自分の心拍とは違うその独特な鼓動は、魔力が持つ特有の鼓動に感じられた。
ただ共通点はあり、風の魔法のための魔力であればその鼓動はいつも似ており、火の魔法や土の魔法、木の葉達が宿す魔力の鼓動とは似た部分もあるが違うモノだった。
鼓動を意識し、弱い魔力の観察を続けていると不思議な感覚に気が付いた。魔力に意識を向け、集中力を高めれば高めるほど、その鼓動がわからなくなっていくのだった。これは弱い魔力を重ね、強くしていくことでボヤっとした感覚が失われていくことと似ていた。
実際に魔力を重ねたわけではなく、弱い魔力のままであるというのに鼓動を感じなくなるというのは不思議な感覚だった。鼓動に意識を向ければ魔力の強さが少し分かりにくくなるが、再び鼓動を感じることができる。
決して鼓動が無くなるわけではなかった。
これまでは魔力の強さを感じることと鼓動を感じることは同じものを感じていると考えていたが、どうやらそこに勘違いがあるようだった。
”魔力の強さと魔力の鼓動は別物である。”
そのことを前提として考えると、魔力などの感じ方が少し変わってきた。魔力の強さは魔力そのものという感じで、魔力が存在する場所にそれを感じることができたが、魔力の鼓動は魔力の存在する場所というよりも、その周囲が鼓動しているように感じられた。
周囲と言っても魔力的なものは何もないはずだった。それに、弱い魔力を移動させる前後で、魔力を移動させた場所に特に変化があるとも感じられなかった。
それであればこの鼓動しているものは一体何なのか。鼓動は確かに魔力から広がっているように感じるし、魔力が無ければ鼓動は感じないので、鼓動が起こる原因は魔力で間違いないはずだ。
そう考えると、魔力により鼓動している”何か”は、魔力の存在の有無に関係なくその場に元々あるモノであり、魔力が近くにあることで鼓動するモノと考えるとわかりやすかった。
具体的にそれが何であるかはわからなかった。これまで、アドエルが知っていたのは”魔法”とそれを使うための”魔力”のたった二つの概念だけだった。そこに加わった名前もわからぬ”鼓動するモノ”はアドエルに新たな知識を与えた。
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それからも観察を続け、魔力を体中の隅々まで移動させ確認したところ、”鼓動する物”はアドエルの体の隅々まで満たされているいることがわかった。加えて、体の表面と空気中との間にはハッキリとした境界があるようで、鼓動は体の内側でしか感じることができなかった。
しかし、手に触れた木の葉など、これまで魔力を流すことが出来たものについてはそうではなく、元々魔力を宿していればその魔力を、自身の魔力を流し込めばその自身の魔力の鼓動を感じることができた。
つまり、木の葉なども体内と同様に”鼓動するモノ”が満たされているのだろうと想像できた。以前、なぜ木の葉の魔力を感じることができたのかが疑問であったが、魔力ではなく鼓動を感じていたのではないかと、今では考える事ができる。
逆に、木の葉などから”魔力の強さ”を感じることはとても難しかった。魔力が弱すぎて、鼓動を感じているのか、魔力を感じることが出来ているのかの判断が難しかったのだ。とは言え、今周りにある物が宿す魔力はどれも弱いため、それぞれの物が本来宿す魔力についてはこれ以上調べることができなかった。
(せめてもう少し強い魔力を持ってる物があればなー)
そして、鼓動を感じることができるのは弱い魔力に限られなかった。強い魔力では”魔力の強さ”に意識が引っ張られており、鼓動が陰に隠れてしまっていただけだった。
魔力の強さに鼓動の大きさは影響されないようで、強さを変えても鼓動に変化は無かった。ただし、慣れない間は鼓動と魔力を同時に意識することは難しかった。それほどまで鼓動の感覚は小さなものだったのだ。
また、魔力の中心でも鼓動は存在し、それは心拍にも似たゆったりとした鼓動だった。初めの頃は魔力を観察するために風魔法の弱い魔力を使っていたが、最近ではどの魔法と言うわけでもなく魔力を中心から切り離せるようになっていた。その切り離した弱い魔力は魔力の中心と同じ鼓動をしていた。
鼓動は脈打つ心拍のようであったが、水面に起こる波紋とは違った。波紋は中心から広がり、徐々に小さくなっていくが、魔力による鼓動は周囲に広がるという感覚が無かった。魔力の周囲の限定的な範囲だけが鼓動していた。
また、複数の魔力を同じ場所に置いたとしても、複数の鼓動は一つの合成された鼓動としても、個々の魔力が持つ鼓動としても感じることが出来た。波紋であればそれぞれの波紋は干渉し合い、観察できるのは合成された一つの波紋となるはずである。
その違いの理由はわからなかったが”鼓動は波紋とは違う”という事は確かであるようだった。




