2-11 妖精族と人の世界
ギルドで報酬を受け取ったアドエルはその足でバレッタの元へ向かった。結局報酬だけでは前金にも足りなかったが、手持ちと合わせれば十分足りたので良かった。
商会へ着いたアドエルをバレッタは快く迎えてくれた。この商会にはいつも客が誰もいない。
「ようこそお越し下さいましたアドエル様……。そのお姿はどうされたのですか?」
引き裂かれたアドエルの衣服を見てバレッタは驚く。
「狩猟の依頼で色々ありました。今日は前金を持ってきました」
「もうご用意できたのですか!? ありがとうございます。まさかこんなにお早くご用意頂けるとは……こちらもすぐにご用意させて頂きます。さぁ奥の部屋へどうぞ」
突然の訪問だったが、バレッタはすぐに対応してくれた。そして奥の部屋で待っていると、バレッタはパルマを連れてきた。
パルマは妖精族ではあるが、風貌は人そのもので、尖った耳は長い髪に隠されており、綺麗な白銀の髪色を除けば人との区別はつかなかった。人族とは寿命が異なるため、見た目からは年齢はわからないが、背丈はアドエルより低く150cm前後に見える。
「アドエル様、コレから末永くよろしくお願い申し上げます」
パルマは丁寧に挨拶をしてくれた。その表情は明るく、コレからの生活に希望を抱いているようにも感じれた。アドエルも同様にこれからの日常に希望を抱いている。
その後、前金を支払うとバレッタは一枚の紙を差し出してきた。
紙はパルマとの契約書で、奴隷契約の内容が記載されているようだった。堅い言葉で長々と記載された文書をアドエルは見る気にもなれなかったが、バレッタが丁寧に説明してくれたので助かった。
その内容は先日提案してくれたような内容だった。
パルマは冒険者仲間として必要に応じて依頼に同行する。
その他日常生活における雑務も担当できるが愛玩用途での命令は受け付けない。
パルマに対する報酬は必要無いが生活その他の費用はアドエルが負担する。
成果報酬については省略するとの事だった。パルマに聞かせたく無かったのだろう。そしてバレッタに促されるままアドエルは契約書にサインした。
「これで契約は成立致しました。以後パルマはアドエル様の所有物という扱いになります。どうか大切にしてあげてください」
そう言うとバレッタはパルマの首にアドエル名前が刻まれたチョーカーを付けた。
「それは何ですか?」
「契約済みであることを示すチョーカーでございます。これがある事で、アドエル様の奴隷であることが一目でわかるようになっております」
アドエルは他人が自分の物と言われても実感は無かった。冒険者の仲間だが、自分の物。これは人の世界では一般的な感覚なのだろうか。
こうしてアドエルとパルマの契約は成立した。パルマはコレからの日常に多少の不安を抱かずにはいられなかったが、アドエルには一切の不安は無かった。初めての仲間との日常に大きな楽しみを抱き、アドエルの新たな生活が始まった。
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パルマがアドエルと初めて顔合わせをした日、パルマは戸惑っていた。
「おじさん! 本当にあのお方なのですか? 聞いていたお話から受けた印象と全然違うのですが……」
「ハハハ、そう言うと思っていたよ。妖精族のようだったかい?」
「妖精族を何だと思われているのですか……あのお方よりは普通の人族の方が幾分か妖精族に近いですよ。あのお方は…言うなれば野人族でしょうか」
「野人族か……上手く言ったもんだ。まぁ見た目などすぐに変える事ができるし問題は無いだろう。ただ、彼の場合は狩猟の依頼のためにあの恰好が良いのかもしれない。目まぐるしい成果を挙げているようだからね。契約が成立したらお前の方から聞いてみてくれ」
「そんな……私の口から申し上げるのは荷が重いですよ……契約前におじさんの口からお願いします!」
「”アドエル様の盗賊のようなお召し物では、一緒に歩くパルマまで野人族と勘違いされてしまうからやめて下さい”とかか? そんな不躾な事私に言えるわけがないだろう」
「そこまではお願いしていません! ”おすすめの店がありますので衣服を新調されては如何ですか?”とかでいいじゃないですか!」
バレッタは意地悪そうな笑みを浮かべたが本心ではとても安心していた。こんなにも饒舌なパルマは初めてだった。そして何よりパルマは既にアドエルとの契約を受け入れてくれている。嫌がっている風な口調ではあるが、その話し方から彼を毛嫌いしてはいない事は明らかだ。
人の世界では決して見る事のない、純真な心を持つ野生児。アドエルにパルマを託す事とした自分の決断が、これからも彼女の笑顔を溢れさせる事をバレッタは願うのであった。
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商会を出たアドエルとパルマは共に街を散策していた。
『どこか行きたい所はありますか?』とアドエルに聞かれたので『街を見てみたいです』と答えるとこうなった。アドエルは終始無言で歩き続けており、パルマもその後ろをついて歩く。
パルマにとって人間の世界は恐ろしく、人の目線も決して心地良いものでは無かったが、そんな視線にも動じず一切の不快感も見せないアドエルの背中はとても頼もしかった。
ただ、何も話してくれないのは気になった。どこかに向かっている雰囲気も無く、パルマは話し掛けていいものかと悩んでいた。
不要に話し掛け、鬱陶しいと感じられるのは本意ではない。この無言は私に気を遣わせず、好きに街を眺めてほしいというお気持ちなのかもしれない。判断がつかないパルマはアドエルに意識を置きつつも街の風景を楽しんでいた。
アドエルは困っていた。
商会から出たことが無いパルマは、きっと初めてこの街に来た時の自分のように、この街を見てみたいだろうと思い、気を遣ったまでは良かった。
しかし歩き始めてから気が付いたが、アドエルもこの街を特に知らなかった。知っている事と言えばギルドと自分の泊まる宿の場所くらい。
自分から散策を促しておいて何も紹介することが出来ず、今自分が歩いている位置すら怪しい。彼女に『あそこは何の店ですか?』などと聞かれても答える事は出来ない。こんな事がパルマに知られてしまってはきっと彼女を不安にさせてしまうだろう。
何とか彼女に安心感を与えたかったが、無知すぎるアドエルには成す術も無かった。
そんな不安から、彼女の方を見る事も叶わず、アドエルはただ無言で歩く木偶と化していた。彼女の方を見なくても魔力を感じていれば彼女がすぐ後ろをしっかりと付いてきていることはわかる。
やはり魔力は便利だ。
闇雲に街を散策するアドエルは、一刻も早くギルドか宿が見えてくる事を願っていた。こんな事なら初めからギルドに向かって歩いていれば良かったとアドエルは後悔していた。
しばらくの散策の後、待望のギルド支部が見えてきてアドエルは安堵した。
「パルマさん。あそこが冒険者のギルドで、いつも僕が依頼を受けている場所です」
「そ、そうなのですか。日頃からお世話になっているんですね。お仕事はいつもどのような事をされているのですか?」
あまりにも突然話し掛けられたのでパルマは少し心拍数が上がった。
「仕事は狩猟と採取ばかりですね。探索もしてみたいのですが、どんな仕事かイマイチわかってないので今はやってません。探索は冒険者に人気の依頼らしいので、しばらくしたら一緒にやってみたいです」
「探索ですか……私もどのようなお仕事なのか想像できません。でも採取なら私は得意ですので是非お手伝いさせて下さい!」
思った以上に明るく話してくれるパルマにアドエルは再び安堵した。
その口調からは人間を憎み、恐れているような雰囲気は感じなかった。このままギルドでパーティ登録なるものをしてみようかとも考えたが、先にパルマと今後について話してからにしようと思いとどまった。
丁度人気も少ない木陰にベンチがあったのでそこで話をすることにした。
まずはじめにアドエルは散策を提案しておいて、とくに案内もできなかったことを謝罪した。パルマは快く笑顔で返してくれたが、その少し媚びた笑顔はアドエルをまだ信用できていない事を表していた。
それからアドエルはパルマに人族に対する印象を聞いた。いい印象を持っているはずも無いが、少なくとも今後一緒に冒険できるか、その心構え的なものを確認したかった。
「人族……ですか。実は私がいた村は人族と取引のある村だったんです。妖精族の村なので、限られた方とだけ、ですが。なので人族に対して、昔は恐怖心など無かったのですが……襲撃されてからは本当に怖くなりました」
想像通りの回答だったが、人族と交流のある村であったというのは意外だった。アドエルの村は一切の交流が無かったというのに。それからパルマは続けた。
「恐ろしく……そして憎い。ですがバレッタさんやアドエルさんに出会えて、その恐れや憎しみも変わっていきました。人族という大きな種族が怖いのではなく、そのような恐ろしい行いをする者が恐ろしい。ですので人族すべてが怖いということはありません。妖精族の中にも野蛮な者はおりましたから」
それを聞きアドエルは少し安心した。
アドエルにとっては人族だろうが獣人族だろうが妖精族だろうが大差はない。しかし、獣人族の村では人族全体に対して嫌悪感を持っているように感じられた。
それ程の何かがあったのだろうと思ったが、個人ではなく種族という無関係な者も含む集団を嫌悪する程の事とは何か。アドエルにも思い当たる節はあった。
かつてアドエルも森で暮らしている頃、獣や魔獣に恐怖した。
全ての獣や魔獣は確かに恐怖の対象であった。しかし、村で感じた嫌悪感は、その生存競争の中で味わう恐怖とは質が違った。
少なくともパルマはアドエルを人族の一人としてではなく、アドエル個人として認識してくれている。いや、認識しようとしている。
ともかくそれは、アドエルにとっては喜ばしい事であった。パルマがどれだけ無理をしているのかはわからなかったが、それでも前向きなパルマの対応は心強かった。
「それよりもアドエル様、私にそのような丁寧な言葉使いは不要です。どうぞお気遣いなくお話しください」
「……すみません。やっぱり僕の話し方って少し変ですよね。自分でもわかってるんですが、話し方を考えながら話すのがとても難しくて……これから練習していこうと思います」
「いえ、決してそういう意味では! ただ私は奴隷……ですので……」
「奴隷ですか……。奴隷という事は忘れましょう。覚えていても何かに役立つことでも無いでしょうし。これからは僕の冒険者の仲間として一緒に楽しんでいければと思います」
アドエルは本心からそう言った。
これまで友達と呼べる者は人の世界にはおらず、知り合いすら限定的なアドエルにとって、パルマが仲間になってくれた事はとても嬉しかった。そして、無表情ながらも少し照れているようなアドエルの表情はパルマに大きな安心感と喜びを与えた。
それからも話を重ね、アドエルはパルマに仲間としての話し方をすることにした。変に主従関係を匂わせる話し方や他人行儀な話し方はアドエルにとって面倒であったし、とても助かった。パルマは相変わらず丁寧な言葉遣いだったが、話しやすいならそれでも構わなかった。
なぜパルマはそんなに丁寧な言葉遣いが得意なのかと聞くと、パルマは既に60歳を超えているらしく、アドエルはとても驚いた。見た目ではアドエルの方がまだ大人に見える。
これまでの事やこれからの事、色々な話をしてお互いを少しずつ知っていった。冒険者としての仕事をする上で、パルマは狩猟では役に立てそうに無かったが、アドエルは元々採取を教えて欲しかったので問題無かった。
問題があるとすれば狩猟の最中にどうやってパルマを守るかという事だったが、それは当日色々と工夫しながら考える事にした。
一通り話し終えた所で、二人は宿へ移動することにした。
アドエルはパルマに宿代を渡そうと思ったが、どこに泊まれるかもわからなかったので自分と同じ宿に案内することにした。パルマは亜人であっても宿泊できるかを気にしていたが、宿では妖精族でも快く受け入れてくれた。さすがはみんなのお母さんだ。
そして案内されたのは二人部屋だった。
「あれ、同じ部屋なの? 別々に部屋が欲しかったんだけど」
「あらそうだったのかい? ウチは別に構わないけど。ちょっと値が張っちまうよ?」
「あ、アドエルさん! 私は大丈夫ですよ。今はとりあえずお金は節約しましょう。これからもどこで出費があるかわかりませんし、節約できるところはしておくべきです」
「そうなのか・・・わかった。ちょっと恥ずかしいけどそれでいいや。お金が貯まったら別々にしよう」
二人部屋は少し手狭だがベッドも二つ用意されており二人が寝泊まりするには十分だった。どうせ寝るだけの部屋だったので広さも必要ない。パルマは初めての宿を楽しんでいるようでアドエルも安心した。
その後一緒に食事をし、パルマは部屋に湯を貰って体を拭いた。
アドエルは毎日外で水浴びをしていた。水魔法を覚えらからというもの、水浴びはとても楽しかった。そして部屋に戻るとパルマが少し恥ずかしそうに尋ねてきた。
「あの……節約を提案しておいて申し上げにくいのですが、アドエルさんは今どれ程蓄えがありますか? 実は明日から仕事に行きたいのですが、今着ている服しか持っていなくて。できればもう少し動きやすい物があれば嬉しいのですが」
「動きやすい服か……こんな腰巻みたいなので良ければ用意できるんだけど……ズボンとか上着は無いんだよね。僕もこれしか持ってなくて困ってるんだよ。どうすればいいんだろう……。そうだ!明日ギルドで聞いてみよう。何か教えてくれるかもしれない」
「そう言えばアドエルさんの荷物は……無いのですか?」
「そうだね。特に荷物は無いよ」
パルマはそれまで気が付かなかったが、その光景は異様だった。少なくともアドエルは二ヵ月程この宿で生活しているはずである。にもかかわらず荷物と言える物が部屋には一切ない。
余分な衣服だけでなく武器も防具もカバンすら無い。パルマも冒険者に詳しいわけでは無いが普通に狩猟に行こうと思えばそれなりに用意は必要となるはずだ。
狩猟のための弓矢、傷を負った時のための薬、遠方を覗くための望遠鏡、地図、水袋、食料などなど。それらの物が一切ない。
(まさか……私との契約費用のために荷物を……。だとすれば今こうして宿泊するための費用も……)
パルマは勇気を出して聞いてみることにした。
「あの、アドエルさん……。今お金はお持ちですか?」
「あるよ。これ」
そう言ってアドエルはお金を入れてる袋をパルマに手渡した。
(あれ……重い。)
パルマが中を確認すると、金貨20枚相当が入っていた。
(……お金は持っているのね。安心したわ。)
「あの……大変申し上げにくいのですが、このお金で私に衣服を買って頂けませんでしょうか? 必要になった費用は必ずその後の依頼でお役に立ってみせますので……」
パルマがそう言うと、ベッドに寝転んでいたアドエルが悪い夢から目覚めた時のように焦って体を起こした。アドエルの目は真剣だった。
「……そうか。お金で買えば良かったのか。全く頭に無かった……」
「コレまで何かお買いになられた事は無かったのですか?」
「ない」
「……」
翌日、パルマはアドエルを連れていくつかの店を回った。
そしてアドエルの衣服、パルマの衣服と簡単な装備、採取用の少し大きめのカバンなどを購入した。アドエルは初めての買い物に感動し、お金の使い方を知った。
「ありがとうパルマ。色々買えて助かったよ」
アドエルの真面目な表情にパルマは何とも言い難い気持ちになった。こうして妖精族が人族に人族の世界を教える歪な生活が始まった。
(……やっぱり野人族より妖精族の方が人族に近いみたいね。)




