2-10 アドエルという男
その後、アドエルは村の宴に参加し食事を楽しんだ後、その日の日没前にガリアの街に向け村を出た。帰りも特に急ぎはしなかったが、道のりがわかっているからか翌日の日没前にはガリアの街に着いた。そして、街に着いたアドエルはすぐにギルドへ向かった。
「ご無事でしたかアドエルさん! よくお戻りになってくれました! でもそのお姿は……」
「色々あって服もボロボロになってしまいました。これが完了証です」
「えっ……はい」
テレサは不思議そうな顔をして完了証を受け取った。
「バーゲスト12頭にアウルベア4頭、ジオ・アラクネに……魔人? 申し訳ありません。少々ご確認させて頂いてもよろしいでしょうか」
「なんですか?」
「いえ、通常であれば村で依頼を完了した場合は、冒険者の方に完了証をお持ち頂くのはもちろんなのですが、村からの報告が来るはずなのです。それで双方を見て、依頼の完了を確認するのですが……現在村からの報告が来ておりません。報酬のお支払いは今しばらくお待ち頂いてもよろしいでしょうか」
「わかりました。そう言えば村長も報告すると言ってましたね。いつ頃になりそうですか?」
「アドエルさんが村で依頼を完了したのはいつですか?」
「昨日ですね」
「昨日……ですか。馬を飛ばしても1日くらいはかかりますので、村で死骸を調査して報告するとなると……早くても今日の日没か、明日になるのではないかと思われますが……アドエルさんはどうやって街へ帰って来られたのですか?」
「走ってきました。走るのは得意なので」
得意と言っても馬並みに速く長時間も走れるものなのだろうか。
そんな疑念はあったが、コレまでのアドエルを見ていた限り嘘をつく、というより嘘をつける人間には見えない。テレサはとりあえずアドエルに今日は宿へ帰ってもらい、村からの報告を待つことにした。
そして、ギルドに村からの報告が来たのは翌日の昼前だった。宿で待っていたアドエルをギルドの人が呼びに来てくれた。ギルドに着くと、いつもとは違う目線を感じる。
「ようこそお越し下さいましたアドエルさん! 今日はこちらへどうぞ」
テレサが入り口で待っていた事など初めてだった。
案内されたのは見慣れない綺麗な部屋で、アドエルはすこし緊張した。中に入ると初めて見る男性がアドエルを待っていた。
「初めまして。私はこのギルド支部を任されているドノン・レインだ。君がアドエル君だね。とりあえず席に着いてくれ」
アドエルは促されるままに高価そうな席に着く。フカフカという感触をアドエルは生まれて初めて知った。気持ちいい。
フカフカに感動しているとドノンが話し始めた。
「今日はわざわざ呼び出して悪かったね。この前君が受けたケネの村の依頼の件だ。先日君から依頼の完了証を出してもらったのに報酬の支払いが遅れてしまい申し訳ない。先ほど村からの報告があり、間違いないと確認されたので、まず報酬を支払わせて貰いたい」
そう言うとテレサがアドエルの元に報酬を運んできた。白金貨2枚、金貨10枚と銀貨8枚。受付のテレサの取り分を差し引かれた結果だ。
アドエルはいつも通り枚数を確認することもせず乱雑に袋にお金をしまった。
それからドノンが再び話し始めた。
話の内容は先日のケネの村での依頼の事で、どのようにして魔獣を討伐したのかを教えてほしいとの事だった。
アドエルはどのように話せばいいのかと悩んだが、とにかくこの世界の人々とは魔法の概念が異なる事はわかっていたので、魔法でどのように倒したのかを話した。
見た事も無い魔法をドノンが想像することは難しかったようで、腑に落ちぬ表情で思い悩んでいるようだった。その表情はアドエルの話しを疑ってのモノではなかったが、アドエルにとっては嫌疑を掛けられているようで不安だった。
そして、魔人についても話をした。
魔人は魔獣よりも遥かに魔力が大きく、素早く、一つ一つの攻撃の殺傷性が高く、知性が高そうであったということ。そして、今回のケネの村での一件の原因は魔人ではないかということ。
「確かにこれまでも魔獣同士の争いから、近隣の村に被害がでたという事はあった。しかし、魔人とはな。それも遥か遠方にいるだけでも魔獣が怯えて逃げ出すほどとは……魔人とは想像以上の恐ろしさなのだな」
それからドノンはアドエルに魔法について尋ねたが、やはり話だけでは実感することは難しく、実際に見せてもらう事にした。
そして、ドノンとアドエルは東の森へ向かった。アドエルが走るその後ろをドノンが馬で駆ける。
(コレは走っているのか?馬より速いのだが。走るのが得意と聞いていたが、これは違うだろう……)
そして森に着いたアドエルはドノンに見せるように魔法を使った。
風矢、火矢、冷たい風矢、水矢。
ドノンはその威力と速度、そして破裂音に腰を抜かしそうな程驚いていたが、それとは対称にアドエルは複雑な気持ちだった。
(どれも便利だけど……全部矢だな。少し違うだけの魔法を自慢しながら何度も見せてるようで恥ずかしいな)
恥ずかしさを感じつつもアドエルはしっかりと魔法を見せた。ドノンは終始無言で驚き、言葉が出ない。
「どうでしたか?」
「あ……どう、えっと、そうだな。凄い威力だな。コレまでこんな魔法は見た事が無いのだが……そもそも魔法なんだよな?私の知ってる魔法ではないぞ」
そう言われたので、アドエルは黒石を取り出して呪文を唱えた。
『溢れよ 水面よ 流れよ 清流』
すると黒石から水が溢れ出る。
「これですか?」
「そ、そうだ!それだ!」
ドノンは見知った世界に出会えたことに歓喜し、決して自分が見知らぬ世界に足を踏み入れてしまったわけではないことを安堵した。
それからアドエルは魔法について自分が知る限りの説明をした。どちらの魔法も基本的な部分は同じで、やっている事としては大差ないということ。この魔法は特殊ではあるが特別ではなく、誰でも訓練次第で修得できるであろうということ。
ただ一つだけアドエルは嘘をついた。
「僕は生まれつき魔力量が多かったです」
村に渡した死骸から魔力を吸ったと言いたくなかった。報酬が減っては困る。
その後、アドエルとドノンはギルドの部屋へと戻った。
「色々と手間をかけてすまなかったな。報告は何とかできそうだ。最後に話したいのは君が今している専属受付契約の件だ。テレサ入ってくれ」
そう言うとテレサが部屋に入ってきた。
「本来であれば専属契約というのは冒険者と受付担当との自由契約だ。そこに私のようなギルド側から口出しすることはまず無いのだが、君は特別狩猟能力が高い。優れた冒険者はギルドの宝だからね。少しでも不満の無いよう、より良い関係を築けるよう我々としても尽くしたいのだよ」
アドエルにはいい話に聞こえたが、話を聞くテレサの表情は堅い。
「そこでだ。君は専属契約を続けているが、そこには君なりの目的や利点はあるのか?」
「目的……ですか。具体的にはよくわかりませんが、いつもテレサさんには良くして頂いてますので助かっています」
そもそもアドエルは最初から契約しているため、契約していない場合を知らない。そんな状態では利点もよくわからなかったわけだが、少なくともアドエルにとって毎日同じ受付が担当してくれるというのは安心できた。
少しでも自分を知ってくれている人であれば、何度も自分の事を説明せずに済む。
「そうか。君にそう言って貰えることはとても嬉しい。ギルドとしても専属契約してくれることは職員の士気が高まるため非常に有難い。ただ、一般に君のような優れた冒険者には専属契約は不要な出費となる。なぜかわかるか?」
「……いえ、わかりません」
「専属契約の一番の利点は、冒険者にとって都合の良い依頼を、掲示板に張り出される前に受付が優先して紹介してくれる点だ。その点、優れた冒険者であればある程、待っているだけでも勝手に良い依頼が舞い込んでくるのだよ。もちろん好まない依頼もあるだろうが、少なくとも依頼が無くて収入に困ることは無い。だからわざわざ専属契約をすることは無駄な出費となってしまうんだよ。この事実を知った上で君にもう一度、専属契約を継続するかどうかを教えてほしい」
「はぁ。まぁこのままで大丈夫です」
テレサは安堵したように深呼吸していた。
「そうか。それは有難い。コレからもよろしく頼む。話は以上だ。時間を取らせて悪かったね」
アドエルはギルドを出てそのまま奴隷商の元へ向かった。
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アドエルが去った後、ギルドの部屋では大きな疲労感に襲われた二人が向き合い、椅子に深く腰掛けていた。
「いやぁ~本当に緊張しましたよ……本当に心臓に悪いです」
「ん? まぁでも契約は継続って事だし、良かったじゃないか。コレで周りからアレコレ言われる事も無いだろう」
「それはそうですが……もし断られたと思うと生きた心地がしませんでしたよ~」
「ハハハッ。そりゃギルド始まって以来の文句も言わぬ、変な要求もせず、安定した理想的なパトロンだもんな!」
ドノンはテレサの心を見透かしたように大きく笑った。テレサは恥ずかしそうにドノンを睨み、話を続けた。
「ところで、アドエルさんはどうでした? 魔法とか」
「ん~そこだよ俺が悩んでるのは。もうどう報告すればいいやら……」
「そのまま正直に報告してはダメなんですか?」
「いや、正直にってのもどう書いていいのかわからん。魔法でジオ・アラクネを倒しました、なんて書いたら俺が馬鹿だと思われてしまうだろ? だから彼の魔法について報告しなきゃならんのだが……実際に見たが”凄かった”以外の感想が無い」
「……それは支部長の語彙力の問題では」
「いや、あれを見れば誰でもそうなる! あんな威力の魔法見た事が無い! 本人は矢の魔法と言っていたが、威力は大型のバリスタ並みだぞ? それを涼しい顔して一人でバンバン撃つんだぞ? 正直にそれを書いたとしても俺は馬鹿だと思われるだろうな……こんなことならもう何人か連れて行けば良かった」
「そんなにですか!? 確かに支部長一人の感想でなければ多少は報告に信憑性がでますね。どうしてお一人で行かれたんですか?」
「まぁ彼が良識ある人間だというのは話してみて良くわかったからな。金や権力にも興味はなさそうだ。普通、報酬を確認もせずに受け取るか? 疑う事を知らなさ過ぎて不安にもなるが、我々を信頼してくれている彼の情報を不要に外に漏らすのは礼儀に反するだろう。できる限り彼のプライバシーを守りたかったのさ」
「そうなると、正直に報告するってのも難しそうですね」
「そうなんだが、聞いてみたところ彼の魔法は彼しか使えない代物では無いようだった。訓練次第らしいが、誰にでも可能性はあるらしい。そういった内容だけを報告するようにするよ。それとだな……」
「……?」
「彼のあの風体は何だ? 防具も無く武器も無い……まぁコレは魔法で狩りをするのだから無くてもいい……良くはないがイイとする!だが服はボロボロで切り裂かれ、所々血もついたままだ。纏った毛皮もそうだ。あれはかなり古い物だぞ。靴も履かず布をまくだけ。貧民街の少年ですらもう少しはイイ物を身に着けているんじゃないのか?盗賊だと言われても誰も疑わんぞ」
「私も初めてお会いした時から感じてましたが、あの格好で成果を出し続けている以上、こちらとしては何も問題はありませんからね。余計な事を言って彼に無駄に気を遣わせたくないです」
「そうだな……魔獣の狩猟においてはあの獣臭さが重要なのかもしれん。擬態というものなのかもしれんな。収入的に衣類や装備を買い揃える事ができないはずもないからな」
「絶対に余計な事は言わないで下さいよ! 依頼に影響したら支部長のお給料から補填させて頂きますからね!」
「そんな事するわけないだろ。俺だって彼の今後に期待しているし、俺程度で彼に何かアドバイスできる気もしないしな。特別問題行動でもない限りギルドからは一切関与せんよ。俺がすべき事といったら、ギルド内の職員に”彼に色目を使うな”ってお触れを出す事くらいだろうな」
「それは大切なお役目ですね! 私のアドエルさんに手を出す輩には天誅を下すべきです!」
嬉々として話すテレサを見てドノンはもう一つ彼のためにできる事を思いついた。
(金と女の恐ろしさを教えといてやらんといかんな……)
その後、契約の事で頭が一杯だったテレサは食事の件を忘れていた事をキャミアにどやされるのであった。




