2-8 魔獣の脅威
アドエルは朝日と共に目を覚ます。
まだ商人は寝ているようで寝息が聞こえた。行先が同じならば同行しようかとも思ったが、状況的にも急いだ方が良さそうだったので水を飲み、歩きながら干し肉を食べる事にした。
馴染みのある朝食だったが、どこか感じる寂さは暖かい食事に慣れてきていた事を実感させた。
そこからしばらく進むと村が見えてきた。こんなに近いのであれば先日中に無理してでも進んでいれば良かったか。
村に到着した時には門番が眠そうに欠伸をしていた。急いできたがそこまで緊迫した状況では無いようだ。
門番に受注証を見せると驚いた表情をして村の中へ案内してくれた。案内されたのは村長の家だった。
「私がケネの村の村長をしております。この度村を代表してギルドへ依頼をさせて頂きました」
「はじめまして。冒険者のアドエルと言います」
「率直にお伺い致しますが、ギルドより派遣頂きましたのはアドエル様お一人だけでしょうか」
「多分そうです。僕は他に依頼を受けたとは聞いていません」
「そうですか。わかりました。それではすぐにでも狩猟に向かって頂けますか? そして、ご無理と判断されたらすぐにでもこちらへお戻り下さい。決して死ぬことだけはなさらぬようお願い申し上げます」
村長の丁寧な対応はどこか棘を感じた。少なくとも自分の心配をしているのではないのだなと思った。
村長が心配していたのはもちろん村の事だった。アドエルが失敗すれば次の冒険者が来るだろうが、森で死んでしまわれるとその死体を確認するために時間がかかるし、何よりそのために危険な森に調査しに行かねばならない。
村の雰囲気としては緊迫した状況は感じなかったが、その実情としてはかなりの危機的状況だった。
それからアドエルはすぐに森に向かった。森は村から少し歩いたところだったが、こんなところまで魔獣は出てくるのだろうか。平原で魔獣なんて今まで見たことが無い。
森には複数の大きな魔力がうごめいていた。確かに魔獣が多い。いったい森で何があったのか。
取り急ぎ、近くの魔獣を片っ端から倒していくことにした。近くにはバーゲストが多く、中には3頭の群れで存在している事もあった。
これまで魔獣が群れをなしている所は見たことが無い。魔獣同士が協力し合わなければならない程の脅威がこの森にあるのだろうか。確かに一つ、この森では目立って大きな魔力がある。
複数の魔獣を同時に相手にすることは望ましくないため、可能な限り孤立している魔獣から狙うことにした。バーゲストは慣れたもので、頭を地面に打ち付けてやれば砕ける。
攻撃も単調で噛み付くか爪で切り裂きにくるかくらいしかなく、今となっては反応速度もアドエルの方が勝っている。身体強化の魔力を大量に消費するがそれでも全体魔力量からすれば微小な変化だ。
その後もバーゲストを数体倒したが、魔力を感じるにまだ数はいる。どこからこんなに溢れてきたのか。アドエルは村へ話を聞きに戻るついでにバーゲストの死骸を村へ運んだ。
「とりあえずバーゲストを狩猟してきましたが森にはまだまだ魔獣がいます。これまで見たことないくらい魔獣が多いのですが何か知りませんか? 全部倒してもいいですが、時間がかかります」
まさかアドエルが魔獣を狩猟してくるとは思ってもいなかった村の住民達は驚きの表情でバーゲストの死骸を見つめていた。
「……村長?」
「……あ、はい。えと、申し訳ありません。我々にとっても何とも不可解でして。現状の森に調査に入るわけにもいかず、わかっている事と言えば多くの魔獣が村の付近に居るというだけでございます。お力になれず申し訳ありません」
「いえ、ありがとうございます。とりあえず森に大きな魔力を一つ感じました。多分一番強い魔獣だと思います。その魔獣を安全に倒したいので周辺の魔獣を先に倒したかったのですが、思っていた以上に数が多くて追加報酬が多くなるかもしれません。それでも大丈夫ですか?」
「可能な限りご対応させて頂きたいと思います。魔獣を狩猟して頂けましたらその素材からも金銭は用意できますので、支払いは少し遅くなるかもしれませんが必ずお支払いさせて頂きます。ご安心ください」
「わかりました。ありがとうございます」
「ところで、村の方からもお手伝いをさせて頂きましょうか? 魔獣を狩猟することはできませんが、アドエル様に狩猟して頂きました魔獣の死骸を村まで運ぶ事くらいなら私達でもご助力させて頂けます」
「そうですか……いえ、やめておきます。魔獣の死骸は大きな魔力を持っているので他の魔獣の獲物になります。狩りをしている僕より死骸を持って帰る人の方が襲われる危険性が高いです」
「そ、そうでしたか。余計な真似を……。ご容赦下さい」
「今はとりあえず村の警護をお願いします。ここに死骸を運び込むので村が狙われることもあります。できれば早く解体してしまうのがいいと思います」
「わかりました。それでは村では警護と解体に全力を注がせて頂きます。お気をつけて」
一切の情報は得られなかったが少しは村の信頼を得られたようだった。しかし魔獣の運搬は確かに面倒くさい。少し危険だが頼めば良かったかと考えていたが、その結果村人が犠牲になるのは避けたいので我慢することにした。
森に戻ると森の中ではどの魔獣も膠着[こうちゃく]状態といった様子で相変わらず静寂した雰囲気であった。先ほどアドエルが魔獣を倒したことで警戒されているのであろうか。
しかし、個別に魔獣を倒していきたいアドエルにとっては好都合だった。とりあえず依頼の事もあるためアウルベアを探したかったがそんな事も言ってられない状況だったので、近くの魔獣から倒していった。
一度に運べるのはバーゲストなら4体程度。
両腕で2体を担ぎ、2体は両の手で吸引魔法を使い何とか運搬する。狩猟なんかより余程気を遣う作業であった。
魔力を吸引してしまえばこんな苦労も無いのだが、報酬を得るためには仕方がない。そして再度森と村を往復する。
森に戻るとついにアウルベアを見つけた。
アウルベアは多分バーゲストよりも格上の魔獣で、以前にバーゲストを食べている所を見たことがある。両腕の外皮がとても硬いためバーゲストの牙でも通用しないのだろう。
一番簡単なのは風矢の魔法で胴体を貫く事だがここであんな爆発音を出していいものか。頭を狙おうにも真正面からでは腕が邪魔だ。
腕を切り落とす事ができれば話は早いのだが、切断する術はアドエルには無い。仕方がないのでいつもの手で行くことにした。
アウルベアと対峙したアドエルは正面から風魔法で威圧しながら接近する。
そしてある程度接近したところで顔面目掛けて強い火魔法を発動する。アウルベアの腕は物理的な衝撃には強いが、火は他の魔獣同様に少し苦手なようだ。とは言え倒しきれるような炎ではなく、少し足止めできる程度だが。
しかし、少しでも足止めし、目潰しになればそれで良かった。その間にアドエルはアウルベアの足元で土魔法を発動する。魔獣には魔力が見えているため、ただ足元に設置しては苦も無く避けられてしまうので目潰しが必須だった。
土を耕す風魔法だったが、最大魔力が増大し、強力な風魔法を使えるようになった今のアドエルの土魔法は強力な流砂を引き起こす程にもなっていた。
驚き慌てるアウルベアにもう逃げ道は無い。
足掻けば足掻くほど深く沈み続ける。
そしてアウルベアが肩まで沈んだところですぐに後方へ回り込み、即座に後頭部から蹴りと共に強力な風魔法を叩き込む。さすがに後頭部に目は無いため腕に妨害されること無くアウルベアの首を折ることができた。
アウルベアはゴアボアの次に大柄の魔獣だが機敏に動くため回り込む事が難しい。真正面から胴体を殴り続けてもいいが、魔力を過剰に消費する上に、両腕を警戒する必要がある。風魔法で防ぐこともできるが、これも魔力効率が悪い。
最も確実に背後を取れて一撃で仕留めるには流砂作戦は便利だった。
ただ、土魔法を発動している間は沈み込んでいくが、発動が止まると、アウルベアなら首まで埋まっていようが土から這い出てくる力があるため、それに気付かれる前に早急にケリを付ける必要がある。
実質的に、攻撃のチャンスは一度きりと考えるべきだった。加えて、倒した後の死骸の回収が非常に面倒なため、死骸を持ち帰らねばならない狩猟の依頼ではできれば使いたくは無い戦術ではあった。
それからアウルベアとバーゲストを担いで村へ戻った。日没が近いのもあったが、夜の活性化した魔獣を調べてみたかったので今のうちに食事などを済ませておきたかった。
「どこかに宿はありますか。無ければ外でもいいですが、食事が出来るところもあれば教えてください」
「いえご心配なさらず。宿と食事はこちらでご用意させて頂いております」
「とりあえず食事して少し休んだら夜の森の様子を見に行きたいので、今は場所と食事だけお願いします」
「わかりました。どうぞこちらへ」
そう言って村長は宿へと案内してくれた。宿はガリアの街の宿と似た雰囲気があるがあまり客は多くないようだった。聞いてみると今は魔獣の騒動で客は少ないが、日頃は行商人などでそこそこ賑わっていると言っていた。
このケネの村はガリアの街からそう遠くは無いが他の村との連絡路からは外れているため一般の旅人は少ないが、森にある洞窟の鉱石資源や薬草は貴重であるため行商人がよく行き交う村のようだ。
このような資源の豊かな森には魔獣が多く存在するため、昔から魔獣の被害が絶えない村ではあったが、今回の一件は異常であるとのこと。
それからアドエルは村の料理を振舞ってもらった。今日狩ったばかりの肉の煮込み料理は美味しかったが、この後の事を考えて控え目にしておいた。そしてアドエルはもう少し夜が更けるまで休むことにした。
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今日一日で村に運び込まれた魔獣はバーゲスト8頭にアウルベア1頭。
これがどれ程異様な光景であるかは長年この村に住む儂でなくとも、この世界に住んでいる人間ならば誰でも理解できる。幸いなことに、村人達はそんな違和感よりも魔獣の恐怖から解放されたと喜び、疑念を抱く者はない。
もちろん儂も嬉しくは思っているが、いったいどのように魔獣を狩っているのかが気になって仕方がない。あのアドエルと名乗る青年は防具も無く武器も無く、当たり前のような顔をして魔獣を運んでくる。
魔獣を倒しているのは別の人間で、彼は運んでいるだけなのだろうかとも思ったが、そもそも運ぶだけでも相当な重量だ。普通なら馬でないと荷車は引けないだろう。
それに他の誰かがいたとしても我々に身を隠す意味がない。冒険者であるなら尚更だ。成果を上げ、名前を売った方がその後の依頼も増え、収入的にも良くなるのは間違いない。
だとすれば考えられることは一つ。
冒険者ともなれぬ、人ならざる者と手を組んでいる。
亜人……戦闘に長けた獣人であったとしても、あれだけの魔獣を狩るには数十人規模が必要となる。そんな中隊規模の獣人が村人に気づかれずに森に入ることなど不可能……だとすると森を抜けてきたか?
まぁどちらにせよ我々を助けてくれている事は事実。心配すべきは、その獣人の中隊がこの村に攻め込んできた場合だろうか。
いや、ただこの村を襲撃したいだけなら、そもそも依頼を受けなければいい。そうすれば我々は遠からず魔獣によって滅ぼされていただろう。
だとするなら依頼の報酬が目当てだろうか。それなら普通の冒険者と同様だ。相手が誰であろうと成功した場合、報酬は支払われる。亜人だろうが罪人だろうが、我々に力を貸してくれているのであれば断る理由はない。断れる状況では無い。
とにかく今は彼に期待しよう。あの年端もいかぬ青年に。
――――――――――――
夜も更け星の輝きが一段と増した頃、アドエルは再び森に向かった。森の手前から魔力を感じると、昼間のように奥に大きな魔力が一つ、手前には複数の魔獣の魔力。
(まだ手前に10頭近くの魔獣がいるな……これじゃ奥に行けない)
手前の魔獣は奥の大きな魔力から逃げるようにしてここまで来たのだろうか。だとすると、奥の大きな魔力の主も、もしかしたら……。
手前の魔獣達は気が立っているようで、魔獣同士で争っているような雰囲気もある。できれば奥の大きな魔力を見に行きたかったが、今アドエルが移動してしまっては全ての魔獣を刺激してしまう事になる。
アドエルの魔力はこの森のどの魔力よりも遥かに大きい。手前に居るとはいえ、確実にその存在はすべての魔獣に感知されているだろう。
そんな状態で森の奥に進んでしまうと、押し出されるように手前の魔獣は森を抜け、村を襲撃する可能性もある。面倒ではあるが手前から片付ける以外には手段はなさそうだ。
夜であればもう少し手前まで来てくれないかとも期待したが、奥の魔力の主はあまり動いている気配がない。温厚な魔獣なのか。それとも巨大な鉱石か何かだろうか。この日は特に良い策も思いつかず、村に戻ることにした。
翌日も日が昇ると同時に森に向かった。昨晩の決闘の成果か、魔獣と思われる魔力の数は減っていた。その分魔力を増大させている魔獣もいたが、大した問題ではないだろう。
そしてこの日も近辺の魔獣を狩った。
昼過ぎとなり、村との往復を数回こなしたところで、そろそろ大きな魔力の主に会いに行ってみようかと考えた。
日中とは言えアドエルが暴れたことで、弱い魔獣は村から離れる方向へ逃げるように移動していたのだ。これなら村が襲われる心配もないだろう。
しかし、やはり森の奥へは逃げて行かない。この大きな魔力の主が原因だろうか。とにかくその魔力の主の姿を見るため、アドエルは近づいた。
魔力でもう接近は気付かれているだろうから、特に策を講じることも無く一直線に魔力へ向かった。相変わらず魔力の主はじっとしている。目視できる距離まで来たところでアドエルは木に登り、目を凝らした。
聞いていた話通りのジオ・アラクネだった。
深緑の蜘蛛のような外観に、似合わない太く長い尻尾。想像と違ったのはその大きさだろうか。ゴアボアに長い手足を付けたようなその容姿は異様であり恐ろしくもあった。
目的となる魔獣を確認したアドエルはもう一つの魔力に気づいた。
森の更に奥。
目では見えないため、もしかしたら森を抜けて更に奥の山の方かもしれない。だがそこに確実にある、とても大きな魔力。
ジオ・アラクネが逃げてここまで来たとするなら、間違いなくその敵はこの魔力だろう。その魔力の大きさは今のアドエルに匹敵するように感じた。
ジオ・アラクネの魔力は大きいとは言えアドエルからすれば小さなモノだ。アドエルがこの森に来てからジオ・アラクネが大きく身動きせずジッとしていたのも頷ける。前後を大きな魔力に挟まれてしまい、八方塞がりのような状態だったのだろう。
アドエルはジオ・アラクネを見つめながら考えていた。
このまま攻撃を仕掛けるのは問題ない。問題は更に奥から謎の魔力の主が寄って来ないかという事。戦闘中は接近を感知するのが遅れるかもしれないし、ジオ・アラクネ相手に魔力や体力を消耗した場合は確実に不利になる。
そう考えると一番イイ手はジオ・アラクネをもっと森の手前におびき寄せるか……いや逃げ出すならまだしもこちらに寄って来るはずもない。場合によっては森の奥に逃げられる。
それならばジオ・アラクネに適当に手を出し、奥から謎の魔力の主が出てきたところでジオ・アラクネに相手をさせるか。少しでも魔力的に優位になりたいが、最悪そのままの流れで村まで出てきてしまう可能性もあるため怖い。
とりあえずここに居るだけでもジオ・アラクネにはプレッシャーとなってしまう。すぐにでも一度村へ戻った方が良いだろうか。これまで何も聞かされていない事を考えると期待は出来ないが、村で何かしらの情報が得られるかもしれない。
様々な事を考えた結果、日も高いので一度村へ戻ることとした。
村へ戻ると村長の元へ急いだ。
急いで戻ったため、悪い知らせかと思ったのだろうか、村の中の雰囲気は少し淀んでいた。
「すみません村長。少しお話いいですか」
「アドエル様、お急ぎになってどうされました?森で何かありましたでしょうか?」
「そうなんです。実はジオ・アラクネを見つけたんですが、森のもっと奥の方に更に魔力の高い……強そうな気配を感じました。かなり森の奥で、もしかしたら山の方かもしれないんですが何か知りませんか? ジオ・アラクネを狩猟したいのですが、その強そうな奴が気になって一度帰ってきました」
「強い気配……ですか。それはジオ・アラクネよりも、という事ですよね?」
「ジオ・アラクネとは比べ物にならない強さだと思います。もちろんまだ見てすらいませんが」
「申し訳ありません。私共にはそのようなモノに関する知識はありません。ですが、ジオ・アラクネよりも強力な存在となりますと……魔人では無いでしょうか」
「魔人ですか。前にその言葉は聞いたことがあるのですが、魔人とは何ですか? 人の魔獣?」
「その表現に近いものとされています。ですが魔人とは伝承や書物に示されている程度の情報しかなく、実際に目で見たという者は聞いた事がありません。ですのでどのようなモノなのかは様々なのですか、共通している点は、”人のように2本足で歩き、魔獣より強く、恐ろしく、魔獣を倒すモノ”といった内容です」
「魔獣を倒すモノですか。ではアレは魔人の可能性がありますね。できれば特徴や弱点が知りたかったですが、仕方ありませんね。魔法を使ったという話はありましたか?」
「魔法ですか……。聞いたことはありませんね。王国の書庫へ行けば何か役立つものもあるかもしれませんが……」
「わかりました。とりあえずジオ・アラクネを狩猟してきます。その魔人は特に村の生活に影響しそうにありませんが、魔獣が魔人から逃げるために村の方まで移動してきていた可能性もあるので今後もご注意下さい」
「わかりました。……あの、アドエル様であればその魔人の狩猟は可能でしょうか?」
「”絶対に殺されるとは言わない”ですかね。殺される可能性の方が高い気がします」
「そ、そうですか。くれぐれもお気をつけて」
アドエルは再び森へ向かった。
ジオ・アラクネは相変わらずジッとしていた。できる事なら魔人にもこのままジッとしておいてほしいものだ。アドエルは魔力消費が大きくなってもいいから可能な限り早く決着をつけようと考えた。ただし、矢の魔法は音で魔人を刺激したくなかったので使わない事とした。
ジオ・アラクネに十数mのところまで接近したところでアドエルは落ちていた石を拾い、思いっきり投げつけた。
”ギィィンッッ・・・”
石は胴体と思われる部分に命中したが、その音は鈍く反響してるようだった。
(かなり硬いな。しかも少し響いてた。デカいけど以外に体は軽いのか?獣というより虫みたいだな……)
ジオ・アラクネはこちらを見ていた様だが石は躱さなかった。しかし躱せなかったとは思えなかった。
そのままジオ・アラクネに接近する。
脚の棘と牙には毒があるため腹の下からなら致命傷を与えられるかと思った。問題はそこまで潜り込めるか、そして不細工な尻尾がどこまで動くのか。
急速に接近したが、やはりジオ・アラクネは素早かった。こちらの接近に合わせ後ろ歩きで器用に木々の隙間を抜けて後退していく。そして、後退しながらも尻尾から飛ばされる粘糸は的確に位置を予測したように飛んでくる。
どうやら粘糸で身動きが取れなくなるまでは徹底して遠方から仕掛けてくるようだ。厄介な知性を持った魔獣だ。
そこでアドエルは直線的な接近をやめ、牽制しながら左に回り込むように走り込んだ。するとジオ・アラクネは後退をやめ、その場に立ち止まり粘糸を飛ばしてくる。相変わらず的確過ぎて嫌になる。
しばらく走ったところでアドエルは切り返し、来た道を遡る。そして地面に付着した粘糸に通りすがりに火魔法を出す。
(粘糸は火で燃やせるのか。これなら怖くない)
粘糸の火耐性を確認したところで再びアドエルは接近を試みる。これまでの様にわざわざ躱すことなく粘糸を火魔法で防ぎながら接近できるのでこれまでより素早く接近できる。後退しても無駄と判断したのか、ジオ・アラクネはそれ以上は後退しなかった。
(コレなら足元まで一気に……くそっ!)
ジオ・アラクネはコレまでの単発的な粘糸の飛ばし方をやめ、放射するように継続的に粘糸をまき散らしてきた。連続的に火魔法を発動することで防ぐことはできたが片手は完全に塞がれる。
そして何より厄介だったのは、粘糸とジオ・アラクネの複数の腕を同時に把握する事だった。
ジオ・アラクネの尻尾は太くゴツゴツした表面で、長さは脚よりも長かった。粘糸を飛ばす際はその長い尻尾を高く持ち上げた状態で飛ばしてくるため、接近するにつれ、必然的に動きの全体を把握することが難しくなってしまう。
策も上手くいかず、時間もかけたくない。
少し焦っていたかもしれないが、アドエルは仕方なく火矢の魔法を放った。
”パァァァゥン・・・”
瞬間的に巨大な破裂音が爆発的に森に広がる。
火矢の魔法は容易にジオ・アラクネを頭から貫いた。
ジオ・アラクネは即死してはいなかったが、その場に倒れ込んだためすぐに頭を砕きに向かった。そしてジオ・アラクネは身動きすることなく頭を砕かれ、屍となった。
その時アドエルは魔人の魔力が消失していることに気付いた。そして冷静に死骸が消失しない程度にジオ・アラクネから魔力を吸収した。
(白金貨1枚の死骸を消すのはさすがに勿体ないな)
そして森の気配に全神経を集中させる。
”カサッ・・・”
木々の揺れる音に反応してアドエルはジオ・アラクネから飛び退く。その瞬間、ジオ・アラクネの脚が宙を舞った。
(……これが魔人か)