2-7 人の世界
商会を訪れた日の晩、アドエルは再び商会を訪れていた。
今朝と同じ部屋に案内され、久しぶりに妖精族の少女に出会った。
「さぁ、パルマご挨拶なさい」
「初めまして。パルマ・ナフィルスと申します」
「初めまして。アドエルと言います。早速ですが、パルマさんは帰る場所や帰りたい場所はありますか?」
「私には帰る場所などはもうございません。身寄りも無く、村も失いました」
アドエルはじっとパルマとバレッタを見つめていたが嘘をついている雰囲気は無かった。バレッタはどこか安堵しているように見えたが。
「わかりました。そういう事でしたら契約させて頂きます。ただ、聞き忘れていたのですが、お金はいくらかかりますか?」
そう言うとバレッタはパルマを別室へ移動させた。
「申し訳ありません。金銭の話は彼女には聞かせたくないもので」
「大丈夫です」
「以前に少しお話ししましたが、お支払い頂くのは前金と契約後の成果報酬となります。この成果報酬の額は奴隷によって様々で、奴隷が奴隷となる前に支払えなかった金銭を利子を加えてお支払い頂くこととなります」
「……」
「彼女の場合ですと前金が白金貨2枚と金貨12枚、成果報酬は支払期間により少し変動しますが白金貨1枚と金貨5枚となります」
「彼女は何のお金を払えなかったのですか? とても高いように感じますが」
「……以前にお話しした通り彼女の場合は特例です。彼女に課せられた支払い義務は彼女の村を襲撃する際に要した費用の支払いとなっております」
「村を襲っておいて、それにかかったお金も彼女に支払わせようとしているって事ですか?」
「その通りでございます。決して気分の良いお話ではありません。それは私も同様です。ですのでこの支払いについては私の方でも譲歩させて頂きたいと考えております。すべてを私の方でお支払いさせて頂くことは難しいのですが、可能な範囲でご協力させて頂きます」
表情には出さないようにしていたが、人の世界ではこんな事があるのか、とアドエルは驚くと同時に少し落胆していた。自分の村を襲われた挙句、その襲撃費用を支払えと言われ、払う人間などいるのだろうか。
しかし、この話の席にパルマを同席させなっかった事を考えると、バレッタもこの理不尽さを理解しており、それでも従わなければならない理由があるのだろう。それであれば自分の身勝手でお金を払わずに彼女を連れ去ることは、彼女に気をかけてくれているバレッタを貶める事にもなってしまうのだろうか。
「わかりました。今はそんなお金は持っていませんがコレから用意します」
「ありがとうございます。契約はお支払いの時にさせて頂きます。ところでお支払時期はいつ頃になりそうでしょうか」
最近はB等級になったこともあり1日に5件程狩猟をすれば金貨1枚程度の収入になる。白金貨は金貨20枚と等価であり、普通に仕事をすれば一ヵ月以上かかる事になる。
「普通に仕事をすれば一ヵ月くらいはかかりそうです。ですが今は狩猟がB等級なのですが、A等級になって魔獣の狩猟依頼を受けれるようになればもう少し早くなると思いますので、明日ギルドに聞いてみます」
「魔獣……ですか。以前アドエル様の噂を聞かせて頂いた事があるのですが、ゴアボアを一人で狩猟されたというのは事実なのでしょうか?」
「ゴアボア……あのイノシシの魔獣ですね。そうですね。私はこれまで数え切れえないほどの魔獣を狩猟しています。狩猟は得意なので」
「左様でございますか。正直、アドエル様に危険が及ぶような事は避けて頂きたいのですが、可能な限り早く彼女との契約をして頂きたいというのも本心でございます」
バレッタは出来る限り契約を早めたかった。
これまでは良識ある貴族の力を借り、パルマの事を隠し通せているようではあったが、今後いつ情報が漏洩してしまうかわからない。下劣な貴族連中に目を付けられる前にどうしても何とかしたかった。
商会での用事を済ませた後、アドエルはギルドへ向かった。そして、いつものように元気なテレサに魔獣の狩猟を受けれないかと尋ねてみた。
「魔獣ですか……少し待ってくださいね。実は近隣の村から魔獣の狩猟依頼がいくつかあるんですが派遣できる冒険者が限られていて困っていたんですよ! とりあえず上に掛け合ってみますので、しばらくお待ちください!」
しばらく待たされるかと思ったが、テレサはすぐに戻ってきた。
「条件付きですがA等級への昇格が認められました! でも大丈夫ですか? 前にお伝えしましたがA等級以上は無理を承知でも依頼を断れなくなる場合がありますよ?」
「そうでしたね。正直どんな依頼が来るのか想像もできていませんが、狩猟である以上は大丈夫かと思ってます。条件とは何ですか?」
「条件といっても大した事はありません。とりあえず依頼は1件ずつ受けて頂いて、成功しなけれ次の依頼は受けれなくなります。それで5件の依頼を達成して頂くとA等級として昇格頂けます」
「わかりました。それでは依頼をお願いします」
依頼はどれも魔獣の狩猟のようだったがアドエルには名前がわからない魔獣もいた。どれを受けていいのかわからなかったのでテレサに選んでもらう事にした。
「今一番急いでいるのはどの依頼ですか?」
「それはこの村からの依頼なのですが……最低でもバーゲスト5頭にアウルベア2頭、そしてジオ・アラクネが確認されております。間違いなくS等級の依頼なのですが今は受けて頂けるパーティが出払っておりますのでA等級でも受注可能となっております」
そこまで話してテレサはアドエルに近づき、小声で話した。
「ここだけの話ですが、正直どのパーティもこの依頼は避けております。無理だと分かっているので別の依頼を受けながらこの依頼がキャンセルされるのを待っている状態です。いくらアドエルさんでもこの依頼はさすがに無茶かと……」
アドエルはどうするか考えてみたが、バーゲストしか名前がわからない。とりあえずそれぞれの魔獣について聞いてみた。
アウルベアは大きな熊の魔獣で、全身の毛皮は茶色で両腕の爪も通常の熊とは桁違いに大きい。そして一番の特徴は両腕の硬さであり、甲殻類のような強度の表皮で覆われていて、剣や矢はほとんど通用しないらしい。
次にジオ・アラクネは、深い緑色の外観をした巨大な蜘蛛のような魔獣らしい。すべての足には鋭利な棘のようなものがあり、その棘で刺されると体が麻痺してしまうので甲冑が必須と言われている。しかし鉄の甲冑でも牙は防ぐのは難しいと言われており、牙の毒にも注意が必要だと言われた。
そして最も気を付けなければならないのは尾の部分から出される粘糸と呼ばれる強力な粘り気のある糸であり、これに触れると絡み取られ離れる事ができなくなるらしい。
「なるほど。アウルベアは知ってる魔獣でした。ですがジオ・アラクネは初めて聞きましたね。不慣れですが行ってみようと思います。報酬はいくらですか?」
「本当に大丈夫ですか? この依頼は内容が内容だけに失敗した場合のペナルティのようなものはありませんが……実は、これまでジオ・アラクネの狩猟は成功報告が無いのです。多くは弓を用いた遠距離からの攻撃で少しずつ森の奥へ追いやることが限界でして、それでも犠牲が多く、依頼があっても受ける冒険者はまずおりません。ですので、私としてはできれば避けて頂きたいのですが……」
「大丈夫です。少なくとも死ぬようなことは無いと思いますよ」
「ん~その自信であれば大丈夫なのでしょうか。でも絶対に油断なさらないようにしてくださいね! 報酬は白金貨1枚と金貨15枚が基本報酬ですがそれ以上の魔獣を狩猟して頂いた場合は追加報酬もあります。ジオ・アラクネは森の奥へ追いやるだけでも価値はあるのですが、狩猟以外では報酬が出ませんので、その場合は基本報酬は金貨15枚となります」
初めてのガリアの街以外からの依頼だったが、魔獣の死骸は街まで持ち帰るのではなく、村に引き渡せばいいだけだとの事だったので安心した。これまでの依頼と場所が異なるだけで内容としては大差無いようだ。
アドエルにとってこの依頼はとても嬉しい依頼だった。急ぎであることと、確認されている魔獣の数が多いところをみると、村人が狩りに行くような森の浅い所に魔獣が溢れてきてしまったのだろう。見たことも無い魔獣には注意が必要だが遠方からでも観察はできるため、今のアドエルで逃げきれないということはまず無いだろう。
その後、テレサに依頼のあったケネの村の位置と道を教えてもらい、アドエルはギルドを後にした。アドエルはこの時初めて地図を見せてもらったが全く見方がわからず、村までなんとか迷わずに辿り着ける事を祈った。
――――――――――――
「ねぇ! アンタのパートナーあの依頼受けたんだって!?」
複雑な表情をしていたテレサに話しかけてきたのは同僚のキャミアだった。
「そうなのよ……今でも十分稼げてるんだから無理してあんなに危険な依頼受けなくてもって思ったんだけど、死なない自信はあるって言って……本当に心配だわ」
「でも成功したらアンタもウハウハじゃない! 冒険者なんだから冒険させるのもいいでしょ。あの依頼の報酬、いくらになるの?」
「……白金貨1枚と金貨15枚」
「はぁっ!?ってことは専属契約で1割だから……金貨3枚と銀貨10枚!?たった1件の依頼で!?私たちの月給じゃない!」
「そりゃ成功すれば嬉しいんだけど……彼が日頃いくら稼いでるか知ってる? 毎日金貨1枚以上よ」
「え、毎日!?ってことはそれだけでも月に金貨3枚もアンタ搾り取ってんの!?やられたわ……超優良株じゃない……」
「そうなのよ。超超超! 優良株なのよ! それがどうしてあんな危険な……いっその事あの依頼は紹介しないでおこうかとも迷ったんだけど、まさか受けるとは思わなくて……もうホント、後悔しかないわ……」
「そりゃアンタが悪いわね。私なら絶対に隠したわ。それよりも私はアンタがそんな美味しい思いしてたって方がショックよ。彼が帰ってきたら絶対私が誘惑して担当代えさせてやるんだから」
(……しまった。つい話してしまった。)
「そんな人の幸せ奪うような真似しないでよ! 親友でしょ? 親友なら私の幸せを応援してよね」
「そうね私達は親友ですもんね。でも親友ならその幸せは分け合うべきよね?」
「……また何か良からぬことを企んでるわね」
「別に? ただ、彼を誘惑しない代わりに月に何回かでイイから私にも彼の担当させてよ! 少しくらいなら分けてくれたっていいでしょ!」
「ん~じゃあ彼がイイって言ったらね。その代わり無茶な依頼だけはダメよ。キッチリ私が見張ってるからね」
「ラッキーありがと! 持つべきものは親友よね~。でも、実際問題、彼の事が噂になるのは時間の問題よ? わかってると思うけど彼みたいに自分で依頼を十分こなせるのに私達と契約してくれる冒険者なんてほとんどいないんだからね。それこそ恋愛感情でも無い限りすぐに打ち切られるわよ。その上収入も良く安定しているとなると……この依頼を成功させてしまうと間違いなく全員に狙われるでしょうね」
「私だって頑張ってるわよ! 彼のためにたくさんの依頼から良さそうなものをピックアップして……」
「いやいや、彼って基本狩猟ならなんでもOKなんでしょ? 普通頑張らなきゃならないのは限られた依頼しか受けることができない冒険者に対してよね? つまり頑張ってるってのは少しでもアンタの取り分が多くなるように報酬のいい依頼をガメてるだけでしょ?それじゃ報酬のピンハネしてると思われて見限られるのも時間の問題ね」
「だよね~どうしたものか……」
「彼って確か世間知らずなのよね? まだ若いし女に泣きながら頼まれたりしたら断れなさそうよね。押しに弱そう……どころか一切免疫なさそうね。そうなると私以上にヤバい奴らが大勢いるわよ……こうなったら取られる前に先に手付けちゃうしかないわよ」
「女ねぇ……確かに彼って恋愛とかに免疫無さそうだけど、女性に免疫が無いって感じではないのよね。というか女性として見るって事を知らないって感じ? 男だろうと女だろうと人として見てる感じがするっていうか……聞こえはいいけどどこか普通の人とは違うのよね。まぁ経歴も特殊だから仕方がないとは思うんだけど……私、これまで彼が笑ったところ見たこと無いのよね。ポーカーフェイスって感じで」
「そりゃアンタに魅力が……まぁいいわ。とりあえず無事に帰ってきたら無事に帰還したお祝いって事で連れ出してみましょうよ! そこで色々探りいれんのよ」
「……よし! そうね! 私も覚悟決めたわ! 彼を信じるのよ! 彼は優秀な優良株なんだからきっと大丈夫! 帰ってきたら飲みに行きましょ!」
(こりゃコレから楽しくなりそうね。私も頑張らなきゃね~。)
その後、アドエルという優良株を巡る闘争がギルドの水面下で静かに繰り広げられる事となるのであった。
――――――――――――
ガリアの街を出たアドエルは依頼があったケネの村を目指していた。身体強化と風魔法で長時間移動していても、今のアドエルの魔力は無尽蔵と言えるほど大きいため問題にはならない。
しかし、疲労しないわけではないので、腹も減れば眠気もある。日も沈みしばらくは進んでいたが、あとどれくらいで着くかもわからなかったので今日のところは寝ることにした。
とはいっても平原のど真ん中で寝る気にはなれない。見渡す限り多少の凹凸はあるが平原で、森も遠かった。もう少し寝やすそうな場所は無いかと思い、仕方なくしばらく進むと火を焚く明かりが見えた。
覗いてみると馬車と一人の男性が見えた。コソコソ覗くのも悪いがしたのでアドエルは男に話しかける事にした。初めての人は少し怖かったが、男は魔力も小さく、争いを好みそうにも見えなかった。
「こんばんわ。野宿ですか」
「……こんばんわ。君は……一人かい?」
「初めまして。アドエルと言います。今野宿する場所を探していて。僕もこの辺りで寝ていいですか?」
「あ、あぁ構わないよ。別に私の家というわけでは無いからね。ところで君はどうしてこんな所に?」
アドエルは男の近くで横になった。
「魔獣の狩猟依頼でケネという村に行く途中でした」
「魔獣の狩猟かい……私もケネの村を目指しているんだ。商人でね。ところで君が依頼を受けたという事はケネの村周辺の森で魔獣が活発化しているって噂は本当だったのか。困ったもんだね」
「どんな噂でしたか?」
「森で魔獣同士が争っているようで、そこから逃げきた魔獣が村を襲っているらしい。大きな村でも無いから村だけでは護衛も難しいだろうから、しばらくは近づかない方が良さそうだってな」
「それなのにアナタはどうして村へ?」
「いつもあの村には贔屓にしてもらっていてね。こんな時こそ私達が持つ薬や食料が必要だろう? 私にできる事は限られているが少しでも力を貸したくてね」
「そうでしたか。僕が着くまで無事だといいんですが。ジオ・アラクネという大きな魔獣も居るそうです。知ってますか?」
「あぁ……何ということだ……。ジオ・アラクネはコレまで狩猟されたと聞いたことが無い魔獣だ。我々商人は魔獣の素材も扱う。だからどの魔獣がいつどこで狩猟されたかという話には詳しいんだ。ジオ・アラクネは図体こそ大きいが脚も多いため素早く、機敏に動く。だから動きを抑え込むことも難しく、矢もなかなか当たらない。それに棘や牙には毒があり、尾からは粘糸が飛び出してくる。近づかれたらもう終わりだって兵士連中は言ってたよ。だからジオ・アラクネが出た場合は周囲の森ごと焼くんだよ。そうすれば流石の魔獣も森の奥に逃げていくからな」
「森を焼くんですか……どうしようもなかったら僕もそうしようかな」
「そうしようかなって、一人じゃどうもできんぞ。森を焼くってのは数十人で遠方から囲んで油の入った樽に火を付けて一気に焼くんだよ。しばらくは森が焼け落ちてしまうが数年もすれば森は復活するからな。仲間とは村で落ち合うのかい?」
「いえ、僕一人です。どうも他の冒険者の方は受けにくい依頼だったようで」
「そう……なのかい。そりゃ大変だな。今日はもう寝るとしよう」
「そうですね。おやすみなさい」
(はぁ~こりゃケネの村もいよいよヤバいな。王国から兵が派遣されたとも聞かないし、冒険者でも受けて貰えなかったのか……。後は魔獣が自然に森に帰ってくれるのを待つしかないか。いい村なんだが俺に出来るのは物資を届けることくらいだ。それはそうと……この子が盗賊じゃなくて本当に良かった。)




