2-5 冒険者の日常
翌日も日が昇る頃には目が覚めた。これまでの長い森生活のおかげか、アドエルの睡眠は太陽と共に目覚めるのが宿命であるかのようにキッチリ目を覚ます。その宿命は寝心地の良いベッドがあった程度では歪めることは叶わない。
(そう言えばいつ頃ギルドに行けばいいんだろ。聞くの忘れてたな)
それから宿の1階に降りてみたが早朝であるためもちろん誰もいなかった。
恐らく皆は寝ているだろうと思ったので騒がしくするのは迷惑と考え、少し街中を歩いてみることにした。
朝日の射す早朝の街中は想像以上に綺麗だった。誰も居ない静かな街の小鳥の鳴き声と小川の流れる音は森での生活を少し思い出させた。
耳を澄ませていると幾つもの寝息と共に遠くから小さな声が聞こえた。
(うめき声……というより泣声か?)
押し殺したその声はおよそアドエル以外の誰にも届いていないだろう。アドエルはかつて病に苦しんでいたリーニャの姿が目に浮かんだ。とりあえずアドエルは声の方へ行ってみることにした。
足を進めた先は密集した住宅街のようで、古びた大きな建物が乱立したその地域には不釣り合いな大きなテントが立っていた。声の主はそのテントの中にいるようだ。
テントは解放されているようで、早朝にも関わらず入り口は開いていた。
アドエルは緊張しつつも中へ入った。中からは複数の魔力を感じることから、数人が中にいることは分かっていた。
「ようこそ当商会へ」
話しかけてきたのは中年の高価そうな服を着た男性だった。
男は笑顔だが、これまで見た笑顔とはどこか違う。勝手に入ったことを咎められるかと思ったが、安心した。
「本日はどのようなご用件でございましょうか?」
「すみません。このテントから泣声が聞こえたので、何かあったのかと思い、見にきました」
「泣声……ですか?」
男はキョトンとした表情で周囲を伺う。
「……私には聞こえませんが。今もお聞こえになられますか?」
「聞こえます。僕は人より少し耳が良いので。こっちの方からです」
男は眉をひそめながらも、不可解な事を言うアドエルをその方角へゆっくりと案内した。テントの中は大きな荷物が並び、そこに丈夫そうな布が掛けられている。そしてそこからしばらく奥に歩いたところでアドエルは立ち止まる。
「この中です」
男は息を呑み、その布の中をゆっくりと覗き込み、そしてホッとしたような表情を見せた。そして男は音を立てないようにゆっくりと布を外した。
荷物の正体は檻であり、中には少女が布団ですすり泣きながら寝ていた。
男はアドエルに一瞥すると鍵を開け檻の中にそっと入っていった。
「おい、パルマ。大丈夫か。パルマ」
「・・・・」
「目が覚めたか。うなされていた様だな。大丈夫か」
「・・・大丈夫です。ありがとうございます」
「そうか。起こして悪かったな。もう少しゆっくり休め」
「・・・はい」
男と少女は親しげで、互いに信頼しているように見えた。それから男は檻から出ると、アドエルに話しかけてきた。
「教えて頂きありがとうございました。もう大丈夫のようですので、ご心配なさらぬよう」
「ここは・・・牢屋ですか?」
「いえ、ここは奴隷商でございます。確かに罪人もおりますが凶悪な者や凶暴な者は基本的におりません。檻は閉じ込めるためではなく、お客様に見て頂くための物でございます」
「奴隷……」
「お客様は奴隷にご興味がおありですか?」
興味は無い……が、もしかしたら自分が奴隷となるかもしれないという危惧もあったためアドエルは話を聞くことにした。男は丁寧に説明してくれた。
奴隷商とは文字通り奴隷との特殊な雇用契約を斡旋している場所で、ガリアのような大きな街に一つは必ずあるらしい。
契約主は契約するために前金とその後の業務成果に応じた追加の支払いが必要となる。一括で支払いも可能だが、この支払が出来なかった場合は契約は破棄され、返金無しで奴隷は奴隷商の元に戻されてしまうようだ。
ここでは奴隷に最低限の寝床と食事が与えられ、契約が為されるとその義務は契約主に委譲する。そのため契約するためには最低限の収入があることが必要とのことだった。
奴隷は窃盗や詐欺などの金銭がらみの罪に問われ、その罪の対価を支払えなかった者や、納税義務を果たせなかった者、仕事を求める孤児など、お金が無くて生活ができない者が多い。
奴隷と通常の雇用との最も大きな違いは奴隷には独自に契約を解除する権利が無いと言いう事。そのため、奴隷にとっては契約は一生モノであり、奴隷商の男の仕事は、より良い契約主に引き合わせることだそうだ。
「さっきの女の子もお金が無くて奴隷になったんですか?」
「……いえ、彼女は特例です。稀にあるのですが孤児になった亜人もおりまして、彼女は妖精族なのです」
「亜人? 妖精族……獣人みたいなものですか?」
「その通りでございます。獣人しかり、人族以外の言葉話せる者を亜人と呼びます。獣人はご存じなのですね」
「獣人のと、友達がいます」
一瞬ジェード達を友達と呼んで良いのか悩んだ。そもそも獣人は人族を避けて暮らしているため、あまり存在を広めてはいけないだろうとは思いつつ、場所さえ言わなければ大丈夫だろうと思った。
「じゃぁ彼女は自分から奴隷に?」
「……いえ、そういう事はほとんどございません。あまり耳障りの良いお話ではないのですが、人間に集落を襲撃され、攫われた者が当商会のような奴隷商に売られてくるのです。私も全ての事情を把握しているわけではありませんが、どうやら彼女もその一人のようです」
「そうですか」
アドエルは無気力に返事をした。
これが獣人の村で聞いた奴隷か。
正直、男の話を聞き、はじめのうちは聞いていたような酷い扱いをされているようでも無く聞こえたため、少し違うものなのかと思っていた。しかし、どうやらここに居る奴隷は、アドエルが聞かされた奴隷と相違ないようだ。
村を襲われ、奴隷とされる。もしかして自分の村も奴隷とするために襲われたのであろうか。
そう考えると胸の中に妙などよめきを感じるのであった。
怒り、恐怖、悲しみ、そして絶望に似た虚無感。
まだ早朝だというのに一日を終えたかのような疲労感を感じた。
「もし奴隷にご興味ができましたら是非とも当商会をお尋ねくださいませ」
アドエルは終始丁寧な対応を見せた男に別れを告げ、そのまま商会を後にした。
気が付けば日も少し高くなってきていた。宿に戻るとアドエルを暖かい朝食が迎えてくれた。香辛料の香る芋のスープにパンと、シンプルではあったがアドエルには新しい味だった。先程までの沈みかけていた心が、少しずつ軽くなっていった。
朝食の後、アドエルはギルドへ向かった。今日も仕事をしてお金を得なければ。とりあえず宿の代金だけでもすぐに用意したい。
ギルドへ到着すると受付に向かい、テレサを探した。
テレサは朝から元気だった。それからアドエルに様々な仕事を紹介してくれた。その中から取り急ぎ報酬が良さそうな仕事を今日はしてみようと思ったが……危ない、また何も考えていなかった。
アドエルは一呼吸おいてもう一度紹介された仕事を確認した。テレサが用意してくれた依頼内容はどれも狩猟に関するものであったが、D等級という事もあり魔獣の狩猟のように報酬の良さそうなものは無かった。
(イノシシ、ウサギ、鳥、狼……もう獣ならなんでも良さそうだな。)
「一応、狩猟の依頼に併せて受けれそうな採取の依頼もご用意させて頂いておりますが、如何されますか?」
「採取ですか。昔傷を治す薬草は採ったことがありますが、他の薬草はわからないかもしれません」
「そうですか。では傷薬用の薬草も依頼にはありますので、そちらだけ並べておきます。本日のお仕事はどうされますか?」
アドエルはしばらく考えたが、獣の狩猟を3件と、薬草採取の依頼を受けることとした。
結局何を考えて仕事を選べばいいのかはよくわからなかったが、少なくとも考えた事に意味を感じる事にした。
「それではこちらの依頼を受注して頂きます! 薬草も東の森に群生地帯が何ヵ所かあるようですので、そちらで問題ないと思います。一応これらの依頼はすべて1週間以内が期限となっておりますのでご注意ください。報酬は狩猟が総額で銀貨6枚と銅貨8枚、採取は銀貨1枚と銅貨15枚となります。そこから私の報酬を頂きまして、最終的なお支払いは銀貨7枚と銅貨6枚となります!」
アドエルはどう計算されているのかを知らなかったが、とりあえず銀貨が手に入るなら問題はない。それから荷車を借り、森へ向かった。
昨日は急いでいたこともあり感じていなかったが、この森は獣などが豊富で薬草だけでなく食料となる植物も多く存在していた。こういう森があるから街も大きく発展しているのだろうか。
今日も狩りは順調で、イノシシと狼は頭を砕き、ウサギは捕獲した。ウサギ10匹は走り回ることになるため少し疲れたが、すぐ見つかったおかげで昼過ぎには完了した。
(早く街に帰らないと肉が臭くなっちゃうな)
狩猟した獣はその場で血抜きし、場合によっては内臓を処理してから街の中に運び込む。できるならば捕獲するのが一番いいのだが手間暇を考えれば殺してしまった方が楽だった。檻などの捕獲できる物が使えるようになるまでは仕方がないので、とにかく早く街へ帰る事にした。
「もうお戻りになられたのですか!?」
「肉がダメになりそうだったので急いで帰ってきました」
「イノシシ2頭とウサギ10羽、狼3頭ですね! 確認致しました! それでは報酬の銀貨5枚と銅貨15枚になります。ご確認ください」
昨日のイノシシ5頭で銅貨8枚というのはいったい何だったのか。
そんなことを考えながらアドエルは報酬を受け取った。
「採取の方はコレからもう一度行かれますか? それとも後日になされますか?」
「まだ日も高いですし、コレから行きます」
「それでは、午後の分という事で他の狩猟依頼も受けられますか?」
そう言ってその日の午後は薬草採取と追加の狩猟をこなし、宿へ戻った。
結局その日の収入は銀貨10枚と銅貨12枚となった。
それからの毎日は似たような生活だった。
朝起きてギルドへ行き、依頼を受け、報酬を受け取り、宿で眠る。アドエルが受けていた狩猟や採取の依頼は、毎日ガリアの街で消費される資源であったため、その依頼は無くなることは無く、ほとんど毎日が同じような依頼だった。
そんな日々を過ごしながら1週間が経過した頃、アドエルの狩猟はC等級となった。
等級が上がったことでコレまでより狩猟数が多い依頼や期限の短い依頼も受けることが出来るようになり、その分報酬も増えるようだ。採取は相変わらずD等級だったがアドエルは特に気にしてはいなかった。
それからもしばらくは同じように依頼をこなしたが、代わり映えのしない生活に少し戸惑っていた。毎日の生活は安全で安定しており、昔の村での生活を彷彿とさせるような生活だった。それでも何か足りない。
昔の生活でもない、憧れていた外の世界での生活という感じでもない。そんな気はするものの、どうすれば良いのかはわからず、悶々とした日々を過ごしていた。